高校数学で学ぶ証明問題の解答に必要条件と十分条件で論理を明示的に展開しないと×になる問題がある。実は「=」が必要十分な関係を示しているので,数学や算数の問題は必要十分関係を議論している。ゆえに推論に向きがあることを高校を卒業した人ならば誰でも知っているはずなのだが、卒業すると忘れてしまうようだ。
それは日常の思考や科学で現象を考えるときに無意識に必要条件から考える癖が身についているためと思われる。いわゆる科学で脳みそが習慣ずけられた結果である。ただしこの前向きで推論を進める癖は簡単に矯正できる。ただ現象の結果から考えれば良いだけだからだ。すなわち現象の結果や結論を明確にして逆向きに推論を進める習慣をつける。
この逆向きに推論を進める方法は、アイデアを出すコツでもある。また、単に論理問題を解く時だけでなく、人生の問題を考えるときにもこの方法は有効であるが、人生についてはとりあえずここでは扱わず、日々の開発で生じる問題について考えてみる。
今は目標管理が一般に行われているので日々の仕事のゴールは明確なはずだ。新しい開発課題を担当したときに、その目標を明確に記述する作業を日常行う。しかし何故か日常遭遇する問題について、まずその答えを明確にするという作業を行わない。写真会社で問題を前にして困っている担当者にまず答えを考えてみよ、と言ったら、それが分からないから困っているんです、としたり顔でいう。
それでは、君の今期のゴールは何か、と尋ねると答えは返ってくる。そのゴールと現在の目の前の問題とを関係させて考えればおのずと答えは明らかだろう、というと、これは今期の目標と関係ない現象です、と平然と答えてくる。さらにこの担当者とやりとりが進むわけだが、目の前で起きている現象の科学的答えを知ることが仕事だと勘違いしている。
会社の開発テーマでは、そこで扱う自然現象について科学的な真理を求める作業よりも商品化できるかどうかが最も重要なはずだが、それを忘れているケースが多い。仮に科学的真理が何も明らかになっていなくても商品化が成功している例は多い。
PPS/6ナイロン系中間転写ベルトの商品化では、その相溶が起きた結果どうなるかと考えず、カーボンの分散を安定化させるためには6ナイロンがPPSに相溶していなくてはいけない、と、それが完成した姿から物事を考えていた。そしてそれが実現され中間転写ベルトを商品化できたのだが、なに一つ科学的真理は明らかになっていなかった。
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昨日の思いつき実験の続き。理研を舞台にしたSTAP細胞事件では優秀な研究者が一名お亡くなりになっただけでなく、なんの成果もでないまま、さらにせっかく出願した特許まで取り下げるという愚かな行動までとられている。
STAP細胞が本当にできたかどうかは闇の中、と言われたが、その後ドイツからその存在を示唆する論文が出てきたりと、怪しい展開になっている。お亡くなりになった研究者は一流の研究者だったそうなので、論文に捏造があったとしても一度はSTAP細胞ができていた可能性がある。
ここで残念なのは、その最初の発見者が実験の下手な未熟な研究者だったことである。実験ノートもいい加減な使い方をしていただけでなく、試薬の管理までずさんだったのだ。自叙伝の「あの日」を読むとそのいい加減さの反省が書かれていないだけでなく、いい加減であったことに気がついていないような状況描写すらあった。
「あの日」から伝わってくるのは、実験を料理かままごとのように捉えている姿勢である。国民の血税が一回の実験にどれだけ使われるのか考えていたなら、もう少し気合の入った実験ノートが出来上がっていたはずだ。ハートマークの入った実験ノートがいい加減な実験の様子を物語っていると思う。おそらく毎回の実験が思いつきで行われていた可能性が高い。
昨日思いつき実験では、実験がうまくゆかず未練が残っているときにすべての条件について調べるべきということを書いた。STAP細胞でも考えられるすべての条件を丁寧に実施していたなら、モノにできたかもしれないと思っている。実は高純度SiCの企画について2億4千万円の先行投資が決まったときに、ゴム会社の研究所のある主幹研究員の方から、「同じ企画を考えていて実験したがうまくゆかず諦めた」という話を聞かされた。
当方が高純度SiCの前駆体合成条件を見つけた経緯をすでにこの活動報告で書いているが、当方も最初はうまくゆかなかったので、腹をくくって考えられるすべての条件で実験をしたのである。そして最適プロセス条件を見つけて技術を完成している。このときの実験ノートには実施した条件と×マークがたくさん書かれており、前駆体がうまく合成できた条件にはハートマークではなく星マークがつけられていた。
「同じことを考えていた」と話してくださった主幹研究員の方には申し訳ないが、当方は同じことを考えていない、と言いたい。同じことを考えていたのなら成功したはずだからだ。当方は隠れている機能をリベールするためにすべての考えられる条件で実験を行おうとしたのである。すなわち「必ずできるはずだ」と考えていた(注)ので最後まであきらめなかったのだ。主幹研究員の方は「できないかもしれない」、と考えていたのだと思う。思いつき実験を行うときに、この違いは大きい。決して同じではない。
(注)カオス混合装置では、指導社員からその言葉を教えられたときにすぐにアイデアが浮かばなかった。それでできるという自信が生まれるまでアイデアを寝かせることになった。
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ホスファゼン変性軟質ポリウレタンフォームの開発で始末書を書いた体験談をこの欄で紹介している。工場試作に成功したにもかかわらず始末書を書かなければならなかったのが不思議だった。
始末書の問題以外に日々の仕事でも首をかしげたくなる上司の指導があった。このホスファゼン変性技術の開発では、軟質ポリウレタンの試作に成功した喜びよりも、奇妙なOJTのおかげで科学と技術の相違点を少し理解できたことが収穫だった。
ホスファゼン変性軟質ポリウレタンフォームの開発では、いきなり開発ターゲットの最も難燃化性能の高い発泡体を作り、その解析を進めるというプロセスで業務を行っている。ゴム会社に軟質ポリウレタンフォームの基盤技術があったのでこのようなプロセスをとれたのだが、最初に目標となるモノを作ったことに対して、「職人のような仕事をやるな」と主任研究員から注意を受けた。
ポリウレタンフォームの反応を考察すれば、ホスファゼンをイソシアネートと反応させてプレポリマーとして用いてポリウレタンの骨格に取り込み、反応型難燃剤として機能させた方が効率よく機能するというアイデアは容易に出てくる。できあがった発泡体を評価したところ、他の難燃化システムに比較して難燃剤の添加量は少なくても難燃効果が発現した。
この難燃化効率の良さを示すために、他の難燃剤を添加した発泡体の難燃性との比較を行った。しかし、ホスファゼンを企画になかった反応型だけでなく、企画立案時にメンバーと合意したホスファゼン添加型のサンプルを一番最後に作成したり、燃焼試験もJIS化が検討され始めたばかりの精度の高いLOIを最初に評価したりなど、当初の企画に盛り込んでいなかった実験を中心に行った。ところがこの手順に対して「趣味で仕事をするな」と注意を受けた。
企画書に書かれたロジックに基づき仕事を進めれば、グループ内でその結果を共有化するのは容易である。しかし、俗にいう「思いつき」の実験を行っている時に、実は新たなアイデアが生まれるチャンスのあることが知られていない。
「思いつき」の実験を行い、得られた結果をそのままにするならば、低次元なアイデア実験で終わる。しかし、「思いつき」であってもその実験結果について十分な考察を加えるならば有意義な実験となる。このときさらに考察を進め、企画書よりも優れた新たな技術戦略あるいは開発シナリオまで導けたなら、それは「思いつき実験」ではなくなる。
ホスファゼン変性軟質ポリウレタンフォームの研究開発で実施したいくつかの思いつき実験から、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームや高純度SiC前駆体技術の開発シナリオが生まれている。
(注)実験は仮説を確認するために行え、とはよく言われる。この実験以外に、仮説などなくアイデアとして思いつき「やってみなければわからない」ことを確かめる実験というのもある。このとりあえず実験で確かめる方法では、無理に仮説を設定しない方がよい。理由は実験がうまくゆかなかったときに仮説を棄却すると同時にアイデアまで捨てることになるからだ。やってみなければわからない実験を行うときには、前向きに実験を進めるのがコツである。どうしても使えるようにしたい機能を実験で確認する場合は、腹をくくってすべての条件で実験を行うべきである。その実験が試行錯誤のようで気に入らないならラテン方格を用いるとよい。現場でアイデアを思いついたときにすぐ実験できる環境ならば、思いつき実験を行った方がよい。それができないならば、実験ノートに枠を赤で書き、その枠の中に頭で思い描いたことを文章で書いてみることが重要だ。文章が難しければ漫画でも良い。技術者が現場で思いついた実験というのは素晴らしい機能を秘めていることがある。これを何度も体験している。
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ゴムや樹脂、あるいはセラミックスなどの材料は、一種類の素材だけで使用されることは稀である。大抵は複数の素材を配合して使用される。セラミックスフィーバーでセラミックスの配合設計に関する考え方は大きく進歩した。高分子材料については2000年前後の高分子精密制御プロジェクトやOCTA開発の土井プロジェクトの成果で階層構造で設計する考え方が普及した。
このような科学のイノベーションが行われる以前には、各社各様の方法が行われてきた。面白いのはゴム会社で統一した考え方はなく技術者により独自の配合設計法が語り継がれていた。しかし、転職した写真会社では配合設計という考え方は特になく、転職後しばらくしてから設計表という概念が標準として用いられるようになった。その後タグチメソッドが登場し、基本機能を中心とした設計法に代わっていった。
今でも記憶に残っているのは樹脂補強ゴムを開発していた時に指導社員から教えられた考え方だ。高分子材料はプロセスの履歴が必ず物性に現れる。特にゴム材料は顕著で、配合設計ではプロセス設計をまず行え、と言われた。加硫ゴムでは、バンバリーとロール混練がプロセスの基本となるが、この組み合わせが配合設計にも影響を与えるという。
ところが、技術者の中には、配合を決めてからプロセス設計を行う主義の方もおられた。そのような方は、ニーダーだけで加硫ゴム配合を練り上げて実験していた。新入社員の当方にはこのやり方が合理的に見えた。
指導社員曰く、ニーダーだけで練り上げたゴム配合で最良の配合が見つかったとしても、バンバリーとロール混練のプロセスでその配合を実用化できない場合もあったという。すなわち合理的に見えた方法では実用化できないリスクがあるので、最初にプロセス設計を行うのだそうだ。
ゴム会社ではゴムを練り上げるのに複数のプロセスが行われていた。それら複数のプロセスでどのようなゴムを混練するのかは経験知が存在した。すなわち指導社員の言われたプロセス設計とは、開発成果の受け入れ先が行っているプロセスを基準にして考えろ、という意味だった。
プロセスが決まるとその制約から使用できない材料も出てきたりする。そもそもゴムの混練はバッチプロセスなので制約は少ないが、それでも時々プロセス適性が無い材料が出てくるそうだ。
このようなプロセス適性の無い材料を検討に入れないのは不安になるが、指導社員はまずそれらを除外して配合設計を行った方が実用化のスピードが速いと教えられた。
それではプロセスの変革は必要ないのか、という質問をしたところ、カオス混合のような材料に著しい効果の現れるプロセスが考案されたときには迷わずそれを採用する、と質問者としてどのように理解したらよいのか分からない回答が返ってきた。
その後いろいろ尋ねたところ、ゴムの混練プロセスは保守的であり突然イノベーションが起きることはないと言われた。大切なのはゴムの混練プロセスが変わると同一配合でもその物性が大きく変動するという問題がある状態で、どのように開発手順を考えたらよいのかということだそうだ。すなわち、配合設計を行うときにプロセスを変動させて行うと問題が難しくなる。
材料における配合設計とプロセス設計の問題は、高分子材料でもセラミックス材料でも難しい。プロセスを決めておいて配合設計を行う、という指導社員の考え方は一つの考え方であり、当方は目標とする材料構造を決めてからプロセス設計と配合設計を同時に進める考え方である。この考え方で高純度SiCの新合成法やカオス混合技術などを発明した
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「ひふみん」の愛称で親しまれ、6月に現役を引退した将棋の加藤一二三・九段(77)が今月1日付で芸能事務所、ワタナベエンターテインメントに所属したことが3日、分かった。-----加藤九段は「将棋のすばらしさをお伝えするべく、より一層努めてまいりたいと存じます」と本業の普及に尽力する意向だが、歌も得意なだけに第2の人生は活躍の場が広がりそうだ。
(SANSPO.COMより記事抜粋)
この記事の77歳で第二の人生という表現に驚いた。今の時代は、もう人生を分ける時代ではないと考えている。
第二の人生は、サラリーマン退職者の送別会でよく聞く言葉である。2011年3月11日がその送別会の予定だった当方は、残念ながら聞く機会が消えてしまったが、仮に第二の人生どうするかと聞かれても困ったと思っている。
ゴム会社で半導体用高純度SiCの事業を起業したときもこの事業を分社化してその社長になりたいと思っていたし、写真会社に決めたのは人事部長から社長の人数が多い会社と聞かされて転職したのだった。
子会社にコンパウンド工場を8000万円という破格のお値段で建てても、残念ながら写真会社でその子会社社長になれなかったので早期退職して、自分で二十世紀には存在しなかった事業を目標とした会社を起業した。
これまで結構厳しい状況が続いたが、今ようやく会社を育てる方向が見えてきて、何とか頑張っている。当方の人生を振り返ってみてもどこで節目をつけるべきか悩む。そもそも就職を第一の人生と考えていなかった(注)からだ。
ドラッカーは40年以上前から知識労働者の時代について論じ、社会の組織で働く年限が人間の寿命より遙かに短い問題を指摘していた。働く意味が「貢献」と「自己実現」にあるとする彼の考え方は広く知られており、常識にもなっている。
一方で人間の寿命が延びすぎた結果、100歳以上まで生きなければいけない人類も出てきた。恐らく当方も100歳程度は生きてしまうのではないかと思うほど今でもエネルギーが体中からわき出てくるが、これはある意味困ったことである。
おそらくひふみんも77歳にしてまだエネルギーがわき出ている人だろうと思われるが、そのような人にとって認知症の問題は恐怖である。年をとれば誰でも脳の老化が始まる。
ひふみんもいつまでもプロ棋士で通用する頭脳ではなくなり、お笑いに転向したのである。この老化による認知能力の低下を防ぐ最も良い方法は一生働くことだそうだ。一生働く必要があるならば第二も第三もと人生を分ける必要はない。今の時代、第二の人生は墓の中というのが一番幸せな人生かもしれない。
(注)就職を出世競争と捉えると出世に遅れたときに悩むことになる。就職は「貢献」と「自己実現」を安直にできる機会と捉えていると仕事に対する姿勢が変わる。「貢献」や「自己実現」ができない状況になったときには転職すれば良い。健全な組織とは、健全な知識労働者が活き活きといつまでも働ける組織である。また、健全な知識労働者は不健全な組織に対していつでも「NO」といえる努力をしている人である。弊社は定年の無い会社を目指している。
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ゴム会社に勤めていた時の酒の席の話なのでもう時効と思うが、誰もが博識と信じていた人が、実は張りぼてではないかと気がつき一瞬凍りつき、その座が白けた話。
当時の研究開発本部長が会社に残っていた20人ほど引き連れて会社の近くで飲み会を始めた。無礼講で座が盛り上がってきたときに、本部長はおもむろに秋葉原で見つけたという不思議なおもちゃをポケットから取り出した。
種も仕掛けも無いこの木細工が不思議な力を持っている、といい、棒状の木細工の先端部分を引き離してその場の全員に見えるように掲げた。その後、引き離された先端部分は、見えないゴムでつながれていたかのように、本体に再びくっついた。
本部長は木細工には磁石などついていない、といい、もう一度見せるから不思議な力を信じた者は試してみろ、と言った。2回目の演技で当方はすぐに種が分かったので、勢いよく手を挙げ名乗り出た。そして演技を始めて、一回目はわざと失敗して見せたら、本部長は喜んでなんだ理解していないじゃないか、と当方をたしなめた。
その瞬間、当方は目の前で成功させたところ、座は拍手喝采、そして二番手が名乗り出て、その後は次から次と手が上がり、全員が種を見破ったかのように見えたが、一人真剣に首をかしげている人に全員が気がつき、一気に座が白けた。本部長はその方の役職も忖度し、話題をそらしたが、当方にはその方の頭の中が見えた。
一生懸命科学の世界でそのおもちゃに発生している力を考えていたのだと思う。当方も最初の演技を見たときにそのように考えたが、二回目でただ指ではじいているだけのことだと気がついた。
これはおもちゃだけを見ていると答えは出てこない。先端を挟んで持つ指にまで視野を広げないと気がつかない。それを当方はわかるように最初の演技で失敗して見せたのだが、その演技の時にこの方は席におられなかった。当方のあとに次から次へと巧みな演技者がうまく成功してしまったのでますます仕掛けが見えにくくなった。
さらに科学的にはあり得ないことが起きているのである。科学で考えることを唯一の思考法と信じているとこのおもちゃの仕掛けが分からない。科学の視点ではインチキをしているのである。しかし手とこのおもちゃを一つのシステムとみなしたときに起きる現象としてはあたりまえのことなのだ。
本部長の最初の演技でおもちゃだけを見ていた当方も不思議に見えたが、視野を広げて全体を見ながら観察した二回目の演技では指の力があれば発生して当たり前の現象であることに気がついた。
アイデアの出ない人というのは、この時の博識の管理職と同じで、現象を一部切り取って取り出し、それを科学的に解析を進めようとする人である。研究はこの方法でうまくゆくが、自然現象から機能を取り出す技術開発では失敗する。技術開発では、機能が自然現象の中で動作するかどうか観察することが重要だからである。
アイデアの出ない人が技術開発に失敗する原因は、アイデアが出ないからだけでなく、機能のとらえ方を知らないことが原因で、これは日々のOJTで容易に訓練される力だが、日々アカデミア同様の研究を行っていると退化することもある力である。
20世紀にアカデミアの研究と技術開発とを同じように進めるような努力がなされたが、技術開発には「技術の方法」を用いる時代である。
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カオス混合装置は、2005年に瞬間芸のごとく開発されたが、そのアイデアの種は1979年に蒔かれている。指導社員からロール操作の指導を受けているときに、カオス混合の話題が出た。
日本の餅つきやパイ生地の練り方だそうで、これを連続生産装置として実現できたら天才だ、と言われた。指導社員は少し個性的な方で時々新入社員の当方の興味や能力を試すような冗談とも言えない話題を唐突に出してきた。
悪くとれば揶揄われていたのかもしれないが、当方は真摯に対応した。その結果カオス混合の話題は時折出た。しかし連続生産可能なその具体的姿については闇の中だった。それから3年後には高純度SiCの構想を立てていたので忘れていた。
その後N先生からポリマーアロイの話の中でウトラッキーの名前を聞き、注目していたら、EFMの特許を見つけた。そしてそこに書かれた図を見て指導社員から聞いたカオス混合を思い出した。
その後京都大学で行われた偏芯二円筒を用いたカオス混合シミュレーションの論文を読む機会がおとづれた。頭の中でアイデアを展開する機会は偶然重なった。
頭の中に寝かしてあった概念が少しずつ具体的に見えてきた。しかし、混練実験を行うテーマは写真会社になかった。ところが、写真会社とカメラ会社が統合し、豊川へ単身赴任することになり、コンパウンドメーカーから素人は黙っとれ、と言われた幸運に恵まれた。
そのおかげで、PPSコンパウンドの混練プロセスを堂々と内製化する口実が生まれた。そこで30年近く寝かしてきたアイデアを実行することになったのだが、それまでの間に連続プロセスのアイデアを練るだけでなく、ポリマーアロイについて実験を繰り返し、加工で高分子がどのように変性されるのか勉強してきた。
商品化の納期が迫っていた状況も幸いした。あれこれ迷う時間などなく、寝かせて練り続けたアイデアを用いる以外に道が無く、意思決定は簡単だった。それで瞬間芸的にカオス混合装置を作ることができた。
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木曜日から昨日まで高分子材料自由討論会に出席していた。この会はいわゆるクローズドセミナーの色彩もあり、あまりこの欄で内容を公開するのはお金を払って出席された企業の方に失礼になる。
しかしこの二泊3日の討論会の特徴である夜の自由討論で公開しても差し支えない、というよりも公開して世間に問題提起したほうがよい話題があったので紹介する。
N先生が指摘され、当方も以前より気になっていたことだが、科学で解明された分野の事業の終焉である。N先生は終焉とまでは表現されなかったが、金属や半導体分野の企業が凋落してゆく昨今の状況は終焉と表現しても間違いないのでは、と思っている。
すでに他の方も言われていることだが、金属や固体物理の科学は20世紀にかなり進歩し、ほぼその体系が確立した。この科学の体系が完成した事業分野の日本企業は新興国の追い上げで今苦境にあえいでいる。
一方高分子分野では、高分子物理の研究者が頑張っており、その科学的体系を構築しようとしている。しかし、半導体分野のように容易ではない。
そのおかげで当方が12年在職したゴム会社はまだ成長し続けている。ゴム材料技術について、階層構造で考える体系が見えてきたとはいえ、科学で解明されているところはほんの一部の現象だけでありいまだにノウハウの領域が多い。これが高い参入障壁になっているのだ。
20世紀に科学が進歩したおかげで企業の技術開発は急速の進歩をしたが、科学の知識だけで成立する技術は、その分野の知識労働者さえ集めれば、どこでもすぐに事業を始めることが可能である。
また、仮にノウハウを詰め込んでブラックボックス化できたとしても、科学の体系が確立されているならば、そのリベールも容易である。中国に追い上げられ抜かれてもおかしくないのだ。中国の知識労働者には日本人よりも優秀な人材が育ってきている。
今日本の企業が行わなければいけないのは、アカデミア同様の科学による研究ではなく、科学で解明されていない分野から機能を取り出す技術開発である。
そして、20世紀の研究所ブーム以来多くの企業が行ってきたような研究開発は、アカデミアへアウトソーシングしたほうがよい。21世紀に入り以前にもまして産学連携が重要になってきた。日本企業は現象から機能を取り出す技術開発を重視すべきである。中国ローカル企業経営者にはこの考え方が支持されている。
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おいしいカレーライスを科学的に作り出すことが可能だろうか。おそらく一つの真理として導き出すためには、「おいしい」という定義から入らなければならないだろう。仮に定義できて、おいしいカレーライスを作り出すことができたとしても、汚い実験台の上で食べたならその味もだいなしになる。
そこで食べる環境までもおいしい定義に入れるとしたら、この定義そのものも大変に難しくなってくる。しかし技術的においしいカレーライスを作ることは可能だ。またそのためのルーを開発することも容易で、その証拠に市場に行けばいろんなカレールーが店頭に並んでいる。
どんなに安いルーでも父親が愛情込めて作れば、香辛料が機能してカレーと呼べる料理になっておれば、少なくとも家族は、「おいしいカレーライス」と言ってくれる。
だから、おいしいカレーライスを科学的に作り出すことが難しくても、香辛料の機能を損なわないようなプロセスを用いる限り技術的には容易である。また、おいしいカレーライスを作るためにあえて科学を道具として使う必要はなく、食べる人を想像しながら愛情を込めて作れば良いのである。
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料理の教材としてカレーライスは大変適している。市販のルーと最適な水の量さえ間違えなければ、食べられる料理となるからだ。市販のルーの完成度に感心する。すなわち極めてロバストが高い。
ロバストと言う言葉はタグチメソッドを学んだ言葉だが、市販のカレールーにとって料理人の腕前は誤差になる。その誤差因子に対して市販品はすべてある一定のロバストを持っている。特にバーモントカレー中辛のロバストの高さは一番である。ココイチでも使われていると言うが、このルーを選択した創業者の品質に対する考え方を聞いてみたい。
バーモントカレー以外に大変おいしいカレーができるルーは幾つか存在する。エバラの横浜**というカレールーは当方が一番気に入っているルーだが、このルーと黒毛和牛の組み合わせでは、本場インドカレーも含めこれまで食べたカレーの中で一番おいしいカレーライスができる。
もっとも味覚には個人差があるので、絶対的な真理という意味で述べていないことを一言くわえる。ただこのカレールーの場合にチキンやポークを使うとそこそこの味にしかならない。まずくはないのだが、安いバーモントカレーを使ってその製造プロセスを工夫し、目標価格1人前100円を目指したカレーのほうがおいしかったりする。
すなわち、カレールーはその値段が高いからと言ってロバストまで高くなるわけではない。高価な食材と管理された製造プロセスで料理したときに最高の味となることが特徴のルーも存在する。
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