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2016.01/26 21世紀の開発プロセス(13)

ポリアニリンを用いたLi二次電池のテーマは、研究開発本部で企画された。企画から研究、そして事業開発まで段階的に進められた。当時ステージゲート法などが生まれているが、それに近い研究開発管理手法で事業テーマまで進められ、そして、日本化学会から技術賞を受賞して事業を辞めている。
 
一方、高純度SiCのテーマは、その成り立ちから研究所内では歓迎されていなかった。企画提案は当方の手により、その過程はこの活動報告で書いたとおりである。しかし、フェノール樹脂天井材開発を担当していたときの企画内容を知っている上司から提示された海外留学先のテーマは、まったく無関係のセラミックス研究テーマ(注)だった。海外留学から国内留学への変更が人事部との調整で通ったのも、この点が幸いした。
 
さらに、会社内の新事業テーマとして社長決裁を頂くまで手続きを進めてくれたのは、新事業推進部門であり本社組織だった。それでも一応テーマのスタート時には、研究開発本部内に20名ほどのグループが組織されたが、Li二次電池の商品化めどが見えた段階で、一気に5名までその組織は縮小されている。その後、当方1人になるのだが、研究開発本部にテーマ予算コードだけは残っていた。
 
住友金属工業(株)とのJVをスタートさせるまでは、様々な障害があった。様々な障害があってもくじけずがんばることができたのは、FC棟の起工式の日に入院され、竣工式の日にお亡くなりになった上司の存在である。この上司は、高純度SiCプロジェクトの最初のリーダーだった。
 
この方からは、テーマの扱いの裏事情に関し涙の出るようなお手紙を留学中に頂いている。この上司始め、無機材質研究所の先生方の応援があって半導体冶工具事業の立ち上げまでがんばることができた。
 
テーマの成り立ちからその進め方まで、高純度SiCの研究開発でマネジメントの教訓として重要な点は、そのテーマを必ず事業として成功させる、というサポーターが社外にもいた、ということだ。さらに、社内にもその情熱を若い人に伝える管理者、経営者がいたことである。
 
経営者については、研究開発本部へ社長職場訪問があれば、必ず社長はFC棟へも訪問し、声を掛けてくださった。一人になった時に、こっそりと社長が常務と二人で来られた時には感動した。新事業を成功させるために研究開発手法も大切だが、経営人の新事業に対する情熱を伝えようとする努力は、どのように下手なマネジメントが行われたとしてもそれを補うだけのパワーがある。なぜなら、それ以上の明確な貢献のベクトルを示す行為は無い。
 
(注)当時研究管理部でもセラミックスの研究調査を進めており、エレクトロセラミックスが提案されていた。イメージとして既存のコンデンサー事業があがっていた。他社を凌駕し市場をイノベーションする技術シーズがあったわけでもなく、マーケット規模に着目した企画だった。それに対して高純度SiCの企画は、将来登場する電気自動車に必要なパワー半導体や当時ブームの牽引役であったエンジニアリングセラミックスを盛り込んでいた。重要なのは当時の技術をイノベートできる技術シーズがあったことだ。すなわち。フェノール樹脂とポリエチルシリケートから製造された低価格コポリマーは、アカデミアの10年先を行く成果だった。ゴム会社や写真会社で新事業のエンジンとなる技術企画に携わったが、技術シーズやイノベーションについてその考え方に、かなり個人差があることがわかった。さらに、ベクトルを合わせやすいと思われる会社に適しているかどうかに関する視点、適社度も意外にうまく議論がかみ合わない。そもそも企業のミッションというものさえ定期的に定義しなおす必要があるのに、現在の事業にとらわれて新事業を企画している愚かさに気がついていない場合が多い。

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2016.01/25 21世紀の開発プロセス(12)

電池事業のお手伝いをしているときに、高純度SiC製造パイロットプラントであるFC棟を明け渡せと言われたのは、どの職位から出ていた指示だったのか興味があった。ちなみに高純度SiCのテーマ予算は、当時毎年減額されず、研究設備も毎年購入できたから研究開発本部レベルの指示でないことは確かだ。
 
電池のプロジェクトをはずれたた時、半年ほど上司不在の状態になっていた。サラリーマンとして、また組織人として、これは少しショックな出来事だったが、部長クラスの仮の予算コードを頂いていたので、業務上の不自由は無かった。
 
また、この1年前にはサラリーマンとして、もっとどん底状態(注)だったので、人生の流れを変えるために結婚しており、新婚生活でストレスを十分に解放できる状態にあった。琴奨菊のノロケ優勝インタビューも理解できる。結婚前は、FC棟まで徒歩3分の独身寮で生活していたが、新婚家庭は通勤に1時間以上かかる距離で、会社の地獄の気分を幸福感へ切り替えることができた。
 
余談になるが、マネジメントは事業以外に家庭や人生にも必要である。社会へどのように貢献するのか、あるいは組織へどのように貢献するのか考えるときに、まず健全な精神状態を維持することは重要なことである。
 
健全な精神状態があって初めて研究開発に邁進できるのである。研究開発や事業を推進しようとするときに、障害はつきもので、その時健全な精神状態でなければ健全な判断ができない。健全な判断をするためにも、心のリセットのできる環境を自己責任でできるだけ早い時期に作らなければいけない。
 
結婚は人生の墓場などという言葉があるが、それはマネジメント次第でハッピーランドにもなる。棺桶に入ると人生観が変わるという人もいるくらいだから、墓場でも良いかもしれないが、できれば、気分をリフレッシュできる家庭を築きたいものである。
 
しかし、40年ほど前「家庭の無い家族の時代」という本がベストセラーになり、世の中がそのようになっていったのが気にかかる。家庭は一つのコミュニティーとして幸福に生きてゆくのに必要な仕組みであると思っている。
 
さて、新事業開発という仕事は、社内でどれだけのサポートが得られるのかが重要である。どんなに優れた事業テーマでも、社内で反対されたならば、継続が難しくなる。会社の規模が大きくなればなるほど反対勢力の現れる確率は高くなる。
 
高純度SiCのテーマは、スタート時から研究所内に反対者が多かった。社長方針としてファインセラミックスが掲げられていても、研究所内にその専門家がいないという理由で、方針そのものを軽視する管理職もいた。しかし、30年前の3本の柱の中で生き残っていたのが、最も反対の多かった高純度SiCのテーマだった、という事実は、企業で新事業を企画するときに注目すべき点である。
 
一方で、ポリマー電池やメカトロニクスは、適社度の高いテーマと評価されたのに早々とダメになった。このあたりの状況は、テーマを手伝ったりした立場で、なぜ賛成者が多い新事業テーマがダメになるのか、よく理解できた。ご興味のある方はお問い合わせください。
 
(注)上司から高純度SiCのテーマに関わらないように指示されていた(テーマは他の人が担当した。すなわちテーマから外されたのだが、アイデアやアドバイスだけ出すように言われていた中途半端な状態だった。)。そして新たなテーマ企画を求められた。セラミックスヒーターやシリコン単結晶用セラミックスるつぼ、半導体治工具、薄膜コンデンサー、磁気薄膜、切削チップなど毎月のように新しい企画を求められた。それも企画書だけでなく、企画を証明できる世界初のサンプル作成まで要求され、ほとんど地獄状態だった。それでもゴム会社で事業を成功させようと必死だった。
例えば、切削チップの企画では、部分安定化ジルコニア並みの割れにくい高靱性SiC基コンポジットセラミックスを1週間ほどで開発できたが、それだけでは企画として認めていただけず、実際に鋳鉄を切削し、世界一であることも証明するように要求された。高純度粉末の製造ラインや焼結炉等の設備はあったが、切削チップに仕上げるラインなど無かった。上司に相談しても、当方の仕事だろう、と言われるだけだった。仕方が無いので設備メーカーからサンプル評価をしてくれる場所までを自分で探し、何とか目標を達成することができた。この時、出来上がった世界初の切削チップを都立工業試験所に依頼し試験をしていただいたら、本当に世界一のデータが得られ、あまりにも目の覚めるようなすごい結果で発明者である当方もびっくりした(SiCで鋳鉄を削ること自体、科学の常識に反している)。この体験で、情報を集め、狙いを定めれば、一応「モノ」を創ることが可能、という自信とコツを会得した。ちなみに、このような世界初の超物性の新素材を開発する場合に、科学のような形式知などほとんど役に立たないのである。どうしたらよいか興味のある方はご相談ください。

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2016.01/24 21世紀の開発プロセス(11)

ゴム会社の異色事業である高純度SiCを基にした半導体冶工具の事業は、セラミックスフィーバーが日本で吹き荒れた時代に2億4千万円の先行投資がなされ、スタートしている(注1)。その後、6年間いわゆる死の谷を歩き、住友金属工業(株)小島氏に出会って、JVを開始し、事業として立ち上がっていった。
 
以前にも書いたが、1980年代の社長方針である(1)電池、(2)メカトロニクス、(3)ファインセラミックスの3本柱の中で1本だけが現在でも生き残り、事業として継続されているのだ。
 
(1)と(3)は、日本化学会から技術賞を受賞しており、科学技術としても認められている。(2)は、ERFやラバーアクチュエーターなどの技術を用いた新事業で、当方が新規事業を担当したときに、2年ほど年上の方が始められた。その方は志半ばで病死された。
 
(1)は、ポリアニリンを正極に用いたLiポリマー電池で、世界初の実用化だが、Li二次電池の講演会では、なぜか紹介されない場合が多い少し残念な技術である。この仕事もERF同様に少しお手伝いをしたが、お手伝いの最中は、高純度SiCのテーマはパイロットプラントはできたが市場が無いために、どん底状態で、テーマを中止するかどうか研究所内でもめていた。
 
そして当方がお手伝いしている時に、電池事業は日本化学会から技術賞を受賞し、その勢いで電池開発のリーダーから、ファインセラミックス研究棟(FC棟)内の実験設備をすべて廃棄して建物を明け渡せ、と通告された。
 
当方は、社長決裁が下りているなら見せて欲しい、と回答したところ、電池のお手伝いから解放された(いわゆるプロジェクトをクビになった)。その直後、メカトロニクスの中心テーマになっていたERFの耐久劣化問題が起きたので、翌年のボーナス査定のネタを得るためにその問題の解決策を1週間で提案した。しかし、FC棟を明け渡せ、という話が研究所で出てきたことに危機感を持ち、以前この欄で書いたような、ERF用の三種の粉体を企画したのだった。そして非科学的方法で瞬時に製造(注2)し、研究グループのメンバーへ提供した。
 
ERF用の傾斜組成の粉体は、FC棟の設備で数キロg程度製造することができた。すなわち、無機機能性微粒子を創り出す技術が基盤技術として育っていたのだ。この粉体の量産成功で、その後FC棟を明け渡す話は研究所内で出なくなった。
 
残念なのは、電池プロジェクトは日本化学会から技術賞を受賞後1年ほどで電池事業を辞めてしまったことだ。Li二次電池用の正極や負極、そして電解質のアイデアを当方は幾つか持っていた。そして、ホスファゼン技術は伝承されLi二次電池の電解質用難燃剤は、しばらく事業継続されたが、今は日本化学工業から販売されている。
 
(注1)日本化学会化学技術賞の資料などで公開されているように、この事業は、当方が無機材研で1983年に出願した特許第1557100号と特許第1552729号の斡旋を受ける形でスタートしている。ゴム会社で生まれた技術を無機材研で出願することになった経緯については、過去の活動報告で公開している。簡単に表現すれば、育つかどうかわからない、今にもひながかえりそうな卵を無機材研でひよこまで育てたからである。
(注2)この開発手法も弊社の研究開発必勝法である。

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2016.01/23 21世紀の開発プロセス(10)

Uが説明する技術イメージを寝起きの頭でも理解することができた。S専務の説教を聞くまでは、当方もUと同じ「技術は科学で成り立っている」というイメージを持っていたからだ。しかし、タイヤの解剖を行い、就職したゴム会社のタイヤが、M社に近い構造と重量を実現しながら、M社とは異なる構造だったこと、またなぜ同じラジアルタイヤなのに、12社様々な構造が存在したのか、などプレゼンが終わっても考えていた。その結果、S専務は技術と科学の相違点、さらには技術と科学は全く別物であるということを伝えたかったのではないか、と思うようになっていた。
 
Uが技術の無い会社、といったゴム会社の現場には、科学の知識で理解できない多くの難解な技術が存在した。現場実習をしていたときに、押出工程を訪問したところ、「押出成形は行ってこいの世界だ」と教えてくれた職長がいたが、寸法精度良く押し出されるゴムは、まさに技術の成果だった。
 
しかし、科学では説明ができない技術がそこに使われていた。この時の経験が、転職した会社で最後に担当した中間転写ベルトの押出成形で新しい技術を生み出した。
 
科学技術と言われるように、学校でも技術は科学の成果として習う。しかし、現場の営みの中で生まれる技術も存在するのだ。これは「マッハ力学史」にも出てくるように、科学の無い時代でも技術の進歩があったので間違いないことだと思う。
 
この科学とは無縁の世界で生まれる技術は、一応の科学的説明ができたとしても、それを改めて科学の知識だけで実現しようとすると難しい場合がある(注)。
 
極端ではあるが、例えば属人的な技術の場合だ。暗黙知はそのすべてが属人的であり、実践知にも属人的な部分が存在する。職人的仕事を軽蔑する人もいるが、30数年のサラリーマン生活で多くの尊敬に値する職人と交流することができた。その体験から言えば、職人の中にも実践知と暗黙知を身につけた立派な知識労働者がいる、ということだ。
 
そして、その人たちの問題解決法を見ていると、論理的ではないが効率的な問題解決をしている場合がある。そして、その過程は、科学の視点で論理的に再構成できたりするヒューマンプロセスなのだ。
 
科学の発展は、技術の進歩を急速に促進したが、教育が科学一色になったために、本来の技術のあり方が忘れられたような状況が存在する。科学は自然現象を理解するために便利な考え方であり、また技術を伝承する場合に、科学で翻訳することによりうまく後生まで伝えることが可能となる。
 
だから科学は、技術の道具として今後も重要であるが、本来の技術のあり方も見直す必要があるのではないか。科学は技術開発の道具であって、技術のすべてではない。
 
(注)逆に科学的にできあがった技術でも、手直しが必要なときに、過去の技術を採用すると簡単にできる場合がある。半年以上前にラテックスの生産でひしゃくで3回すくう技術を紹介したが、たったそれだけのおまじないのようなプロセスで安定生産を確保している。ただしすくい方にはノウハウがあるが。
 
 

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2016.01/22 21世紀の開発プロセス(9)

解剖で得られた生データと解剖前の力学物性データとをつきあわせていても理解できなかった関係が、12社の乗用車用タイヤを解剖して得られたデータを多変量解析したところ、見えるようになってきた。12社のタイヤは各社の代表的なタイヤであり、一定の品質水準を満たしていた。ゆえに、タイヤの要所となる部位の力学物性は、どのタイヤも同等で、これはタイヤ解剖前に測定評価を行い確認していた。
 
解剖前の大雑把な見通しが正しければ、多変量解析で標準化されたデータを用いて、解剖前に確認したデータを説明できるはずである。この視点で解析結果を眺めたところ、タイヤの各部位で必要な力学物性を満たすために各社それぞれ内部構造を工夫している、という当たり前の結果となっていた。この当たり前の解析結果がでたことで皆納得し、安心した。
 
そして統計的に集約された新たな変数を用いてタイヤ軽量化方程式を組み立て、各変数に実現可能な数値を入れたところ、最もタイヤが軽量となる数値の組を求めることができた。そしてその結果に従い、タイヤを製造したところ、重量は最も軽くタイヤに求められる力学物性も満たしたサンプルを製造することができた。また、そのサンプルは簡易耐久試験も無事合格した。
 
プレゼンの資料作りは発表会直前までかかったが、その結果には自信を持っていた。しかし、発表練習もしないで発表会に臨むという事態になり、誰が発表するのかが一番の問題となった。くじ引きの結果、当方が発表者を務めることになったが、プレゼン終了後S専務からすぐに質問が飛びだした。「君にとって、軽量化タイヤとは何か」。
 
それは哲学的な質問に聞こえたが、「多変量解析により見いだされた設計因子を用いて生み出された世界一軽量のタイヤ」、と自信たっぷりに答えたら、「ばかもん!」となった。そして、「そんな簡単にタイヤができるならば、誰も苦労しない。」とか、「タイヤは今でも分からないところが多く、新製品の最後は実車耐久試験を行い、それに合格してようやくタイヤと呼べる商品になるのだ」などとタイヤ技術に関する厳しい言葉が機関銃の弾のように飛んできた。
 
当方は、はりつけ状態でS専務の言葉を真正面から受けることになり「科学の時代に--」、と言いかけたところで他のメンバーが、皆一斉に起立し、「ありがとうございます」と頭を下げた(注)ので、その場はそれで終わった。その後、人事部長が実習打ち上げの席で、「あれは君たちに言ったのではないから」とかいろいろねぎらいの言葉をかけてくださったが、S専務の「科学の時代でも科学で解明できない技術の世界がある」という泥臭い説教が心に残っていた。
 
その2ヶ月後配属発表の日の朝早く、同期のUが部屋へ訪ねてきて、「本日は休み、辞表を提出する。そして故郷へ帰る。」と言い出した。彼の言い分は、「この会社には技術というものが無い。ここで技術者として働く気持ちが無くなった」というのである。当方は、半年の実習で十分に技術を学ぶことができたのではないか、と説得したが、S専務の説教はじめ幹部の方の技術に対する考え方がおかしい、と意見はかみ合わなかった。(続く)
 
(注)報告内容について、上司の考えている世界観と大きく異なる時、不条理であってもまず頭を下げて1テンポとり、その後報告内容を再度どのように伝えるのか考える、という姿勢は、サラリーマンとして重要な知恵である。これがすぐにできるかどうかは、未だに出世に大きく影響する。「とんがった人材募集」などという掛け声があっても、若い人は注意したほうがよい。仕事の成果はとがらせるが、不条理な状況でも頭を下げられる、欺瞞と誠実さに決断を出すことができる勇気は、コミュニケーションで大切である。すなわち、コミュニケーションでは、相手に自分の伝えたいことを伝えることが最も大切なことである。しかし、これはなかなか分かっていても実行できない習慣であるから早く身に着ける努力をすることは肝要である。体育会系の人材が好まれるのは、この習慣が学生時代にすでに身についているからである。この習慣については、よく「馬鹿になりなさい」とアドバイスされるが、馬鹿ではできないと思っている。やはり、ビジネスで重要なコミュニケーションにおいて、相手に伝えるべきことは、喧嘩してでも伝えなければいけない。それが真摯で誠実と言うものである。これを適当に妥協してお茶を濁し、事なかれ的に妥協するのは、不誠実だけでなく、伝えなければいけないと思う責任感を欺いているのだから欺瞞である。対立状態になると思われた時に、まず頭を下げるには「馬鹿になること」ではなく、報告すべきことを伝えるための誠実さを発揮するために一時自己欺瞞を実行する自分に対する勇気が必要である。

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2016.01/21 SMAPの謝罪会見

18日夜の番組「SMAPxSMAP」でSMAPの謝罪会見が行われたが、反響は様々だった。しかし、謝罪会見は、ファンにあまり良い印象で捉えられていなかったようだ。昨日のNHK「あさいち」のゲストが「SMAPの再生はできるのでしょうか」などと発言していたが、芸能事務所も含めた正常な再生復活が難しそうな印象を多くの人は感じているのではないだろうか。
 
SMAPの解散騒動で興味深いのは、SMAPはバンドかグループかという議論が人気の出始めた時にされており、芸能人としての正体が不明だった時代があることだ。例えば特別に歌がうまいわけではないし、中居君のダンスはともかくとして、メンバー全員による歌って踊れるグループとして捉えたときに、エグザイルに負けている。
 
もっとも歌って踊れるグループとしてエグザイルに勝てるグループをTVの視聴が少ない当方は知らないが、少なくともSMAPを踊って歌えるグループとしてファンが認めているわけではないだろう。
 
そもそもSMAPとはなんぞや、という問いに対して答をSMAPオタクに聞いてみたい気がするが、AKB48という集団がSMAPの正体のヒントを教えてくれるような気がしている。AKB劇場が秋葉原に登場したときにアダルト劇場と勘違いしたが、3年後それが新しいスターを生み出すための試みだったことを知り、少し芸能音痴であることを恥じた。
 
AKB48は、秋葉原の劇場を足場にしてオタクと価値を共創し成功したプロジェクトだが、SMAPも同様に、TVがまだお茶の間の「劇場」だった時代からREALな空間を中心にファンと価値を共創しながら成長したグループと捉えることができる。
 
残念ながら当方はその価値造りに参加していないが、新聞などのメディアで取り上げられる活動には注目していた。すなわち、その取り上げられ方が、他の芸能人と明らかに異なっていたので注目していた。嵐やV6を抱えるジャニーズ事務所に所属していても、同じ事務所の他のグループとも一線を画す活動のように映っている。
 
今回の問題は、少なくとも外側に現れた結果だけを見ると、SMAPの誕生から関わってきたマネージャーが退職するにあたり、組織とのコミュニケーションをうまくできずに生じた問題ではないか。昨年末からいろいろな情報が飛び交っているが、ドラッカー流に言えば、マネージャーの組織への貢献が退職前(注1)に十分行われず、負の成果を出した、と表現できる。
 
ならば、先日の謝罪会見はそこを中心にした内容にすべきであったが、残念ながら中途半端な謝罪会見に思われた(注2)。TV局側の思惑が働いたのかもしれないが、当方がディレクターだったならば、もう少しファンが満足する会見にできたのでは、とがっかりしている。
 
21世紀の開発プロセスと題して、当方の経験談を毎日書いているが、SMAPの問題は、市場と価値の共創を行いながら技術を生み出さなければいけない時代の業務の進め方、すなわちプロセスを考えるときの参考になる。もし、今後のSMAPが価値を失っていったならば、そこには必ず提供側の問題があり、市場で価値の共創を行う時にメーカーが注意すべきポイントが見えてくる。しかし、価値を共創しようとする市場のパワーはすごい!
 
(注1)サラリーマンでは、定年退職前に閑職となる。また組織に不要となった時でも閑職となる。その組織を去る時も含め、前者と後者では、貢献の仕方が異なる。前者ではルールに従わなくてはいけないが、後者は自己責任で何でもできるチャンスがある。2年ほど前に「追い出し部屋」などという言葉がマスコミに登場したが、サラリーマンにとって自由を選択できるチャンスととらえるべきである。会社を辞める自由もあり、仕事を一生懸命できる自由もあるのである。定年退職については辞める以外選択肢は無い。この理由で定年前に閑職になったなら、早期退職してさっさと会社を去るのが一番良い貢献である。SMAPのマネージャーは役員も務めていたという。ならば組織への貢献に対しては配慮しなければいけない義務がある。定年前のサラリーマンが早期退職する場合とは意味も責任も異なる。当方が退職した最後の日は、2011年3月11日で、15時から講演、18時に送別会が準備されたが、いずれも天災でダメになった。せっかく用意していた最後の貢献の機会もつぶされたが、このマネージャーは世界中に騒動を巻き起こして自ら貢献の機会をつぶした。もったいない!
(注2)中居君をセンターにして「解散なんてありません」と一言否定すれば済んだ話だと思っている。ラインの会話が公開されたとか、妙な書類が見つかったとか具体的な情報は、少なくともネットを探す限り無いのである。先日の会見では、週刊誌などに書かれた内容を連想させるような会見だった。フロッピーディスクを壊されたときに、現物を見せても周囲は、組織内にそのような人がいることを誰も信じようとしなかった。3枚目を壊され、目撃者もいた状況でも周囲は隠蔽に動いたが、具体的な情報があっても、認めたくない現実については、人は否定したくなるのである。ただ、組織の危機につながる事件であれば内部告発をするのが正しいし、現在そのようなことを促す時代になりつつあるが、告発者が失うものは大きい。「起きて欲しくないことが起きたときに人間が取る本能的行動は、それを隠すことだ」と教えてくれた人もいたが、夢やあこがれの商売の立場であれば、あまりドロドロしたものを見せて欲しくない、というのはファン心理だろう。げすの勘ぐりを下品な行為とみるように、解散が本人達から否定されたのならそれ以上をファンは問わないと思う。

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2016.01/20 21世紀の開発プロセス(8)

科学と技術の関係について問題意識を持つようになったのは、ゴム会社でタイヤ開発実習を体験し、その成果発表会でプレゼンテーションを行った時に頂いたS専務の辛辣な言葉がきっかけだった。新入社員の立場としてその一言はショックだった。
 
しかし、直後の人事部の激励で深く考えるまでには至らなかったが、その2ケ月後の配属の日の朝、同期が会社をやめて故郷である長野に帰ると伝えてきた出来事で、その言葉を深く考えるきっかけとなった。そのような心理状態で出会った、レオロジーの問題について電卓で常微分方程式を解くほどの有能な指導社員の言葉は、一つの解答のように思われた。
 
タイヤ開発実習は、オイルショック後という状況を如実に表していたテーマで、「タイヤの軽量化設計に必要な因子探索」という課題だった。但し、実習期間である2ヶ月で一つの結論を出さなければいけないという厳しいテーマに思われた。それは、世界12社のタイヤを解剖してデータを収集し、軽量化因子を探すという作業である。早い話が、新入社員6人の人海戦術で行えるように考えられたリバースエンジニアリングである。
 
しかし、実際にタイヤを解剖しデータを収集してみたところ、これが大変なことになった。同じサイズでありながら、重量が重いタイヤから軽いタイヤまで800g(1本のタイヤ重量の約10%に当たる)ほどの分布があり、さらに各社タイヤの構造がばらばらで、これをどのようにまとめるのかデータを集めた後で問題になった。
 
テーマを指導してくださった方も予想外の技術のばらつきにびっくりしており、新入社員技術発表会をどのように乗り切るのか頭を抱えていた。この時調査した乗用車用タイヤ1本の重量は8kg前後であり、40以上の部材で構成され、この部材の個数も各社ばらばらならば形状も様々で、軽量化傾向をどのようにまとめるのか誰もアイデアが無かった。
 
そのとき、統計学に強い同期が多変量解析を提案してくれた。データは12組であるが、多変量解析でデータを整理したら何か傾向が出るかもしれない、と言うことになり、多変量解析できるようにデータを整理しなおした。ゴム会社には当時IBM3033という大型コンピューターが開発部門に解放されていた。
 
そのパッケージに多変量解析パッケージがあったので、1000ページ近くあった英文のマニュアルを皆で分担して理解し、何とか3日で多変量解析パッケージを使えるようになった。メンバーには生まれて初めて真剣に勉強をした(注)、という不心得者もいたが、この作業は、専門の異なるメンバーがお互い先生になり自分の割り当てられたところをわかりやすく他のメンバーに説明しなければならなかったのでそれぞれの個性がわかり面白かった。(22日へ続く)
 
(注)英文のテキストをただ翻訳するのではなく、それを理解し、他人に説明するという一連の作業を短期間に行う課題は、専門外には地獄の作業となる。しかし、メンバー全員大学院まで修了していたので、それができるはずだ、という意気込みで取り組んだが、ほとんど徹夜作業になった。おそらく学生時代ならば適当にやっていたかもしれないが、初めて担当した責任ある仕事として、皆一生懸命取り組んだ。残業代も無ければ深夜勤務手当も無い仕事であったが、楽しい思い出である。
 

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2016.01/19 21世紀の開発プロセス(7)

LED電球の低価格化と普及がめざましい。登場したときには数千円したLED電球が、いまや数百円である。この価格低下の裏側ではLED電球の構造も大きく変わった。まずソケットなどの外装が金属から難燃性の熱伝導樹脂に変わっている。この変化だけで、生産性は大きく変わりCDに寄与する。
 
さて、難燃性の熱伝導樹脂だが、これは先端材料の部材で、日本の樹脂メーカーが高い技術力を持っている分野だ。そして高い値段で取引されてきた。なぜ、この材料が高価格を維持できるのか。理由は簡単で、高い難燃性と、高い熱伝導率、そして電気的に高い絶縁性能と割れにくい力学物性を満たす材料は、形式知だけで作り出せないからだ。
 
特許を見なくても、熱伝導樹脂をリバースエンジニアリングすれば、難燃性能と熱伝導性を向上できる技術をすぐに知ることは可能である。すなわち、難燃剤と熱伝導性の高い粒子を樹脂に混ぜれば良いだけである。難燃剤と熱伝導性の粒子に絶縁体を用いれば、樹脂も絶縁体なので、高い絶縁性能を実現できる。しかし、最後の割れにくいという力学物性は、形式知でどうにもならないのだ。
 
線形破壊力学という形式知を活用すれば、熱伝導粒子の粒径やその分散状態を知ることができるが、混練というプロセシングが実践知の塊で、せっかくの形式知に基づく成果を科学の力だけでは実現できない。どうしても非科学的な問題解決プロセスを採用しなければならない。
 
それを割り切って採用するか、従来通りの科学こそ命、と科学の殉教者の如く取り組みを行うかで、できあがる樹脂の品質は大きく変化する。
 
実際に、某企業から指導を依頼されて研究開発必勝法のセットでこのテーマに取り組んだところ、オリジナル処方で既存の市場の製品よりも優れた力学物性の樹脂を生産できるようになった。他社品同等の品質というおおよその期待はしていたが、他社製品よりも品質が優れた材料ができるところまでは予想していなかった。実践知のすごいところである。
 
その企業は、市場に参入したときに某日本メーカーの物まねで材料を供給していたが、力学物性が悪い、ということで売り上げが伸び悩んでいたのだ。この状態を野放しにしておいては、この企業の安価な樹脂を使ったLEDが日本に流れてきては大変と思い、指導を引き受けたのだが、今度は日本メーカーの売り上げを脅かす問題の心配をしなくてはいけなくなった。
 
 

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2016.01/18 21世紀の開発プロセス(6)

(注)ヤマナカファクターは4本のDNAで構成されているが、なぜ4本必要なのか、とか、現在見つかっている4本の組だけしか存在しないのか、など科学的に解明されていない事柄が多い。しかし、細胞を初期化できる「機能」として、非科学的方法で取り出すことに成功している。モノを創りだす、という行為である技術は、科学が誕生する前から存在していた。科学が生まれる前でも、ゆるやかなスピードであったが技術は進歩していた。ゆえに非科学的方法でもモノを創りだすことは可能であり、それを試してきた経験から、科学はモノを創りだす確率(効率)を上げるが、科学的に解明されていない現象からモノを創りだすことが苦手である。また、不可能かもしれない。20世紀に科学は著しく進歩し、それとともに技術も過去にないスピードで進歩したが、技術開発における科学的方法の問題も見え始めてきた。
 

<本日の記事>
イムレラカトシュによれば、科学における証明で完璧にできるのは否定証明だけだそうだ。確かに仮説を設定し、実験を行っても必ずその実験が成功する保証はない。否定証明が目的の実験ならば成功できなくてよい。STAP細胞の騒動では、「とにかくSTAP細胞を一つ作ればよいから」と記者会見で言っていた科学者がいたが、追試にすべて失敗し、STAP細胞は存在しない、という結論になった。
 
ところで、iPS細胞のヤマナカファクター(注)について、非科学的方法で発見されたことがTVのインタビューの中で語られている。そこで語られた、24個の遺伝子を一つの細胞に組み込むという操作自体も常識外れの実験であるが、それを学生はいとも簡単に実行している。このセンスが、形式知の整備されていない分野では特に重要であるが、科学の時代では、これを評価しない人は多い。
 
技術開発では、自然界に潜む有用な機能を取り出し、実体として機能させ、新しい価値を作り出さなければならない。さらに21世紀の新たな動きとして、市場という人工の世界も自然界と同様に扱う必要性が出てきた。科学では自然界のモデル化という方法により形式知を生み出してきたが、今日の技術開発ではモデル化が難しい世界からも新たな機能を取り出し、新たな価値を生み出さなければいけない時代になった。
 
科学の重要性は、21世紀も変わらないと思われるが、科学一辺倒であった20世紀の開発プロセスを見直す必要があるのではないか。少なくとも科学による形式知の範囲だけで行われる技術開発では、モノができない可能性以外に今日の企業間の競争で勝つことも難しくなる。
 
例えば、液晶TVや太陽電池などの先端商品が瞬く間にコモディティー化し、「亀山ブランド」さえも電気店からいつの間にか消えたことを教訓として思い出していただきたい。仏壇店に行かない限り、亀山ブランドを見ることができない状況は、形式知の占める割合の高い技術では、例えそれが高度であっても、コモディティー化のスピードがますます速くなると言うことだ。
 
これは、高度に発達した情報化社会が、形式知をすぐに陳腐化させるためだが、材料の世界では新素材のコモディティー化サイクルとして以前から指摘されていた。そして、素材メーカーは、形式知以外の実践知を埋め込みしやすい部材産業へ転身し成功している。
 

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2016.01/17 21世紀の開発プロセス(5)

(注)(本日の内容において重要な点なので冒頭に記載している。)導電性微粒子を絶縁体高分子に分散したときに、「混合則で記述される抵抗変化が生じる」、と当時の教科書にさらりと書いてあった。当方もパーコレーションを勉強するまでは、すなわちゴム会社で指導社員に指導されるまでは、教科書を信じ、混合則で現象を整理するものだと思っていた。ところが微粒子と高分子の間に相互作用が存在しないときに、確率的に現象は変化する、というのが正しい現象のとらえ方であり、現実には相互作用も影響するので現象はさらに複雑になる。混合則は、特定の条件で成立するルールであって一般的なルールではないが、教科書にはそのようなことが書かれていなかった。これを科学の真理と信じて技術開発を行った場合には、モノができない場合も出てくる。科学の真理の中にはこのような不親切な真理が少なからず存在する。

ゆえに、「科学的に開発を行い、モノができないとき」にも「非科学的な開発でモノができる」場合がある。以前紹介したPPS中間転写ベルトでは、その開発プロセスを詳しく書いていないが、「科学的に業務を行わなかったので」効率的に業務を進めることができ、短期間にコンパウンド工場を立ち上げることができた。「科学的に行うこと」と「開発期間の短縮」との関係について詳細は問い合わせていただきたい。
 
<ここから昨日の続き>
ERFの事例は特殊ではない。科学的な否定証明の展開により機能が無い、と結論されていたにも関わらず、それをひっくり返した事例が他にもある。以前この欄で紹介した酸化スズゾル帯電防止技術もこの例である。この例は、数学の分野では形式知として知られていたが、化学分野では他の形式知が存在したために問題解決できなかった、という話である。
 
この事例では科学的に否定証明された結論について、他分野の形式知を導入して科学的に結論をひっくり返しているので、受け入れやすいかもしれない。日本化学会の年会におけるシンポジウム企画でも招待されて発表しているが、その時は温故知新による技術開発としてプレゼンを行っている。
 
酸化スズゾルを用いた帯電防止材の技術内容については、以前の活動報告を読んでいただきたいが、この事例では、1990年頃パーコレーション転移という形式知が化学の分野で普及していなかったために現象のとらえ方が偏り、否定証明に至っている。報告書は科学的に書かれていたが、混合則という形式知がその論理展開で使用されていた。これは複合材料の教科書に書かれていた形式知であり、混合則で議論するのは当時のこの分野では常識だった(注)。
 
但し、この報告書に疑問を持ったのは、ライバルの特許を整理していて、特公昭35-6616という古い特許を見つけたのがきっかけである。この特許の実施例では実用的な帯電防止層ができていたことになっているのだが、この報告書や当時書かれた他社の特許も含め酸化スズゾルを絶縁体としていた。
 
極めつけは、特許の実施例はあてにならない、という報告書の著者の感覚である。特許は技術の権利書であり、仮に実施例が捏造されていたとしても、特許が権利化され年金が支払われているならば、その特許に書かれた実施例の実現可能性は高い。またそのような実施例としなければ特許の価値が無い。
 
また、特許は科学の制約を受けない、ということも知っておかなければならない。自然現象から取り出した「驚くべき」機能であれば、非科学的でも特許として成立するのである。但し、実施例が必ず再現可能という前提があるが。
 
この酸化スズゾルを用いた帯電防止技術では、パーコレーション転移のシミュレーションプログラムと帯電現象に関わる新たな評価技術を開発している。この評価技術については、非科学的方法で技術を作り、大学の客員教授になってアカデミアで研究を行い、その妥当性を検証している。
 
社内で標準評価法として使用するために科学的な意味を正しく調べておいたほうがよいと判断し、少し手間と金をかけた。あらかじめデータを揃えていたので、研究に無駄な投資も時間もかからなかった。これは、大変効率の良い研究だったと思っている。
 
科学の形式知になった評価技術を用いて酸化スズゾルに帯電防止層として使用可能な導電性があることを見出し、その製造条件も技術として創り上げることができた。
 
 

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