悪徳の就活塾が話題になっている。また、就活塾にのめり込み、留年した学生がいるという。驚くような話がネットニュースで話題になっている。
実は3年ほど前電子ブックサイトを運営していたときに、就活生を対象としたセミナーを1000円で公開していた。悪徳の就活塾が30万円や40万円、高いところになると100万円という入塾料を取っていることを考えると格安セミナーである。
しかし、売れたのは2冊。さっぱりだった。販売促進のために都内の大学の教務課の門戸をたたいたが、就活セミナーには学生が集まらないという。大学側が外部講師を呼んで無料セミナーを開催しても、学生が集まらず、講師に悪いから3年生や2年生に声をかけて集まってもらっているような状態だと言われた。
ところが、今、うん十万も費用を払って、学業も放り出して参加するような時代になったとでもいうのか?びっくりしている。もしこの欄を若い学生が読んでいたなら、弊社に相談して欲しい。3年前のセミナーを10,000円で販売します。
3年前1000円だったのをなぜ10000円に?という疑問がわいた方のために一言。世の中値段が安いために価値が低いと判断される方が多いからである。また、3年前はクラウド上で運営していたので1000円だったが、今回はダウンロード版でコピー可能である。
また、無料で個別相談にも応じるサービスも考えている。これはメールになるが、受験したい企業の相談や学生の強みを聞いて本人にとってためになるアドバイスをしたいと思っている。とにかく訳の分からない高額な就活塾に入塾するぐらいなら、弊社のインフォメーションセンターに問い合わせていただきたい。就活のご指導を致します。このサービスは、弊社の社会貢献の一環としての出血サービスです。
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粘弾性論は、科学の知識がどのようなものか、その姿を学ぶのに良い事例だと指導社員は語る。すなわち、ゴム物性を理解するために粘弾性論を適用して多くの現象を説明できるが、説明のできない現象も存在する。おそらく10年後には粘弾性論で高分子を議論する人はいなくなるかもしれない、と予言されていた。
90年代にも粘弾性論で学会発表をされる先生もおられたので、この予言ははずれたが、高分子と粘弾性論という学問との関係を理解するのに指導社員の説明は役だった。
しかし、大学で学んだ高分子の知識は合成が中心で、レオロジーに関しては、言葉が一行出てきた程度だった当方にとって、指導社員の朝の座学は新鮮で貴重な体験だった。また、実際に樹脂補強ゴムの開発を進めながら、そこに粘弾性論が展開され、一方で指導社員特有の科学の知識に対する自嘲気味のコメントが、知的欲求を刺激した。
おそらくこの時のご指導が無ければ、リアクティブブレンドで高純度SiCの前駆体を合成しようというチャレンジもしなかった可能性が高い。科学の知識から否定されるようなチャレンジは、科学の知識が重視された当時の研究所で、とてもできる雰囲気ではなかった。
新事業について、起業1年後の生存率が40%。5年後は15%。10年後は6%。20年後になるとわずか0.3%に過ぎないと言われているが、起業する前に科学の知識による洗礼が研究所には存在した。
指導社員が、科学の知識は、それが大系としてまとまると、新しい発見を排除するようになる、と語っていたが、高純度SiCの事業は、そのスタート時に研究所で排除されたにもかかわらず、30年以上続いている希有な事業である。
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指導社員が見本となるサンプルを作ることができたのは、偶然ではない、と思った。少なくとも毎朝行われる粘弾性に関する座学を聞いていて、その物性を狙って作った、と感じた。ただし狙って作ってはみたが、再現性が無いので当方に自由に作業をやらせて条件を探しているのではないか,と想像した。
また、この想像を指示する出来事があった。マッチを使いはじめ、加硫ゴムの物性が安定し始めた頃に、分析室の女性が小生の作成したサンプルを受け取りに来たのだ。しかし、当方が初めて混練したサンプルから物性が安定し始めたサンプルまで分析しても何も分からなかった。
ただし、分析して何も分からなかったことよりも、分析室の女性がサンプルを取りに来たことを不思議に思った。指導社員に尋ねたところ、指導社員は、当方が朝の座学で居眠りをしている時に説明した、と言われた。これにはまいった。
さらに寝ているときにいろいろ大切なことを話したかもしれないが、とも言われた。この翌朝から座学の時の居眠りは無くなった。ただ指導社員は優しかった。ゴム材料を開発するために座学で話した粘弾性論は忘れてしまってもいい学問だと言われた。ただし全体の大系を把握して欲しいので同じような話を繰り返して話している。だから眠くなっても仕方がないと思っている、と言われた。
おそらく粘弾性論は、高分子の世界では、新しいレオロジーの学問に置き換わるだろう。その時にクリープ関数などがどのように見直されるのか、それは何故かを考えて欲しい、とも言われた。
科学の知識は、それが大系としてまとまると、新しい発見を排除するようになる、と難しい哲学の話を指導社員は昼休みにしだした。粘弾性論でゴムのクリープを説明できないのは、粘弾性論が間違っているのではなく、そこには粘弾性論にかわる新しい知識の大系が求められている、と含蓄のある話を聞かされた。
その日の昼休みは偶然将棋の相手がいなかったので、当方に難しい話をしてくださったのだ。形式知について大学の教養部哲学の時間に学んだが、それよりも分かりやすい話だった。しかし、この手の話は、わかりやすい話でも難解である。
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指導社員は、良い結果がでたら、何度もその同じことを繰り返してやりなさい、とも言われた。良い結果は繰り返し再現されることを確認しなければいけない。そして繰り返しの中に良い結果と異なる「悪い」現象が見つかったらそれは失敗ではない、良い結果とその悪い結果を報告するように、と指導された。
担当した樹脂補強ゴムの開発では、良い結果が出ることは希であった。指導社員から渡された処方をそのまま実行しても、指導社員の作成したゴムと同様の物性にならなかった。どこが間違っているのか尋ねても、同じ物性が得られるまで練習して良い、と言われた。
毎日ロール混練との格闘で不安になってきた。実験室にいた諸先輩は近くに来ては激励ともいえない冷ややかな言葉をかけてくださったが、親切な人もいた。その人はマッチを3箱持ってきて、ロールで行っている幾つかの繰り返しの伴う作業をカウントするように言われた。
何気なくやっていたロール作業であるが、マッチ棒でカウントすることにより、各作業を注意深く行うようになった。そしてナイフを使った返し作業が、同じ時間内でありながら最高で3回誤差が生じることも分かった。
驚くべきことに、マッチを使い始めてから、力学物性のばらつきが小さくなった。そして各作業を注意深く見直し、ロール作業における微妙なタイミングが力学物性に影響していることも分かってきた。理由は不明だが、それらの変化を参考にしながら作業を改善していったところ、一人で始めて6日めにようやく指導社員から渡されたサンプルと同じ物性が得られるようになった。
実験室にいたある先輩Oさんは、一種のいじめだと言っていた。当方の指導社員は周囲にあまり評判が良くなかったようだ。定時になるとすぐに仕事をやめて、囲碁や将棋を打っていた。他部署の人が業務中に質問に来ても難解な英語の論文を渡すだけである。その様子を見ていて当方は幸せだと思った。自分にだけ親切にいろいろ教えてくださっているのである。
Oさんは、指導社員がサンプルを作ったときにプロセシングのデータを取っていなかったことを教えてくださった。また偶然できたらしいことも。ただ、小生は毎朝の座学でそれが偶然の産物でないことを知っていた。また、指導社員は、外面は理論派でその実力も周囲が認めるところであったが、実態は現場を重視する職人肌の人だった。
研究所の大半の人が嫌がる小型のバンバリー作業も難なくこなしていた。Oさんもそのバンバリーは面倒で普段の実験に使えない、と言っていた。しかし、その面倒な作業を指導社員は慣れた手つきで当方に指導くださったのである。
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1980年頃ゴムの粘弾性論は、ケモロジーという言葉が生まれるくらいに、知識がカオスになりつつある状態だった。これは指導社員からの受け売りの表現だが、そのとき同時にカオス混合という幻の混練技術を教えていただいた。(当時は実現はされていないから幻である。)
しかし、彼はロール混練でカオス混合がおきている可能性がある、と教えてくれた。そして、ロール混練の実践知と暗黙知を身につけ、連続プロセスでカオス混合を実現するのが当方の宿題、と冗談で言われた。
この指導社員はその行動にいくつか矛盾を抱えていた。例えば、月報はじめ会社で作成する書類は科学的に丁寧に作成していたが、作成しながら、これはゴミだよ、と自虐的によく言われていた。
一方で当方の思いつき発言をよく褒めてくださった。また、それを大切にするようにとも言われた。そして、結果となる現象を想像することこそ仮説よりも重要だ、とやや哲学めいたこともよく言われた。
結果となる現象を想像し、その結果を実現する方法を考えること、これが「考える」ということだ、と教えてくださったのもこの指導社員である。仮説を設定しロジックで展開することは誰でもできるが、本当に考えることは、訓練されていないから難しい、とも言われていた。
当方の思いつきは結果をうまく想像している、ともコーチングしてくださった。この時の指導社員の教えが弊社の研究開発必勝法に一部使われている。
科学でよくやる間違いは、ロジックで展開しようとして目の前の現象を否定的にみることだ、とも言っていた。すなわち科学の知識に頼りすぎると否定証明をしたくなる、という問題だ。これはイムレラカトシュもその著書「方法の擁護」の中で指摘している。
(注)結果となる現象を想像するために、形式知をロジックでつなげる必要はない。詳細は弊社に問い合わせていただきたいが、形式知を使いロジックでつなぎ合わせると、それは仮説になるが、ここでは仮説立案とは異なる方法論を意図している。
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ゴム会社で30年以上事業が続いている高純度SiCの生産だが、そこに用いられている前駆体の合成法は、科学的に発明されたのではない。非科学的方法で発明された。
当時科学の知識を駆使した科学的方法論がすべての時代に、少し世間に対して斜に構えた優秀な指導社員に指導された方法論の成果である。
ゴム会社で研究所に配属された時に最初の上司である指導社員は、京都大学出身の物理屋でレオロジーが専門の技術者だった。器用に関数電卓で常微分方程式を解き、仕事を進める科学者でもあった。
彼の科学者としての側面は、恐らく超一流のレオロジストだろう。粘弾性論を駆使し材料設計を行う姿は、技術者と言うよりも科学者そのものである。3ヶ月間の課内会議で提出された報告書は、防振ゴム設計に関する論文そのものだった。そこには毎月一つの真理が導かれていた。
課長も彼以上に詳しい人はいない、と言われていたから、おそらくゴム業界を代表するぐらいの人物だったようだ。ただ、少し変わっていて、学会活動には背を向けていた。どこの学会にも所属せず、たいていの人は好んでいく学会主催の講演会などの出張も辞退していた。
しかし、論文だけは、たくさん読んでおり、こうして情報が簡単に入手できるのにどうして学会に出かけなくてはいけないのか、今のレオロジーは10年後には激変する、とつぶやいていた。
火の着いていないタバコをくわえ、このようなつぶやきと蘊蓄を少し語り、そしてタバコに火をつけるのが癖であった。今となってはその通りになったつぶやきが、当時正しいのかどうか判断できなかったが、蘊蓄は形式知を一刀両断にする鋭さがあった。あたかも木枯紋次郎のように見えた。
当時情報検索のサービスが使える環境で、さらに社内には不完全ながらネットワークが存在し、予算管理の端末が部単位で設置されていた。そこからはカタカナ出力しか得られなかったが、IBM製の3033というメインフレームにつなげられており、科学計算のサービスも利用できた。
新入社員の研修ではCTOから技術の重要性を熱く教えられたが、配属された研究所は科学一色で運営されていた。また社内では「雲の上の部署」とも言われており、業務は科学的に進めることが基本方針として存在した。
しかし、指導社員は、その形式知中心の運営に反発していた。ゴム材料は形式知の世界だけで語れない材料だったからだ。レオロジストであった彼の目には、当時の粘弾性論の限界が見えていた。
そして物理屋では手に負えない世界だとも嘆いていた。但し嘆くだけでなく、科学と少し異なる方法論を現場で指導してくださった。高純度SiCの前駆体合成法は、その方法論により開発に成功している。
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ゴム会社で30年以上前に立ち上げた高純度SiCの事業の基盤技術である前駆体合成技術は科学的方法で発明されていない。科学の時代に科学的ではない方法で発明している。
科学の知識によれば、ポリエチルシリケートとフェノール樹脂は均一に混ざらない。ゆえに当時特許として公開されていたのは、ポリエチルシリケートとカーボン粉末の組み合わせか、シリカゾルとフェノール樹脂の組み合わせを前駆体に用いる技術であり、最先端だった。
フローリー・ハギンズ理論によれば、当方の発明は「成功しない技術」として否定される。ゴム会社で企画提案したときに指摘されたのは、「君に高分子の相溶の知識はありますか」という一言だった。知識があるからリアクティブブレンドを選んだ、と回答したら、「いつできますか」となった。
最初のトライは大失敗だった。その結果を見た人から言われたのは、「勉強した方がいいですね」だった。
科学の知識は大切だが、科学の知識だけで技術ができていない現実を新入社員の研修で指導されて、当時科学と技術について思索を続けていた。だから大失敗でもできるような気がしていた。STAP細胞ありまーす、という叫びは極めて技術的発声でその気持ちを当方はよく理解できる。
ただ彼女の場合の問題は、科学の世界で仕事を続けようとした選択である。当方はS専務の説教により技術の世界で生きる決心をした。しかしいざ決心してみても科学の世界のような教科書は、技術者向けに販売されていない。幸運なことに技術者の鏡と呼びたくなるような指導社員に出会った。
その方の専門分野は物理学だった。粘弾性論を得意として、バネとダッシュポットのモデルから導かれた方程式を電卓で解くような人だった。しかし、その特技も10年後には不要になる、とつぶやいていた。
今でも記憶にある最も印象的なことは、高分子はそのプロセスの履歴を拾った物性になる、という一言である。さらに、科学で作れないと結論された材料でもできてしまう面白さを指導してくださった。すなわち科学は真実をまとめた大系でしかない、とも語っていた。
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科学の知識体系は、真理が一つの前提で作られている。だから自然現象の理解を科学で行い議論し結論を導き出すことができる。ところが技術はいつでも一つの真理で成り立っているとは限らない。現象の理解は不十分であるが、技術として活用されている機能は身の回りに幾つかある。
例えば、ゴム会社で30年近く続いている高純度SiCの技術は、当方がスタートして以来その中心となっている前駆体について科学的解明は成功していない。たまたま展示会で前駆体を見たときに、当方が担当していたときと品質が落ちていることに気がついた。
すなわち展示されていた前駆体が不均一だったのである。展示説明員がいたのでそのことを指摘したら、これで問題なく生産が続いています、という。当方は有機スルフォン酸を触媒に用いていたが、SOxが問題になるということで触媒は有機カルボン酸に切り替えられた。
しかし、その時でも前駆体の均一性は維持されていた。その後前駆体の合成条件について改良が加えられたかどうかは聞いていないが、少なくとも展示物は、30年前のそれと少し変わっていた。
品質管理項目が純度だけならば前駆体が多少不均一でもポリエチルシリケートとフェノール樹脂をリアクティブブレンドする限り問題は起きない。ただし、30年ほど前シリカが析出するほど不均一にすると酸素不純物が残ってくることを確認している。
しかし、前駆体の反応や生成物について十分な研究ができなかったのでそのあたりの因果関係は仮説程度を報告書に書き、転職した。十分な研究ができなかった理由はフロッピーディスクをいたずらされるような研究環境もあったが、一つの真理を導く難しさだった。すなわちかなり許容範囲の広い反応だったのである。タグチメソッド風に言えばロバストの高い技術だった、となる。
このような技術の場合には、モデル反応をとりあげそれを科学的に解析し、結論を出す手法が用いられる。しかし当時一人で担当していたので、超高温熱天秤を開発し速度論の研究を行うのが精一杯だったのである。ゆえに前駆体炭化物のSiC化の反応については形式知としてまとめたが、前駆体合成のリアクティブブレンドについてはノウハウのままになっている。
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知識労働者の時代とはドラッカーの言葉だが、その知識の獲得がむつかしくなりつつある。例えばアマゾンの台頭で、書店の数が2000年から2013年までに21,495から14,241に減少したという。
かつて本を購入するときに書店で立ち読みし、気に入った本を購入するというのが一つのスタイルだった。しかし、今大手の本屋で本を見て、インターネットで購入するというのが一つのスタイルになっているという。
そのため中小の書店はやっていけなくなり店じまいするというのが最近の流れで、その結果出版不況を長引かせることになって、出版業界は今や著名人以外の出版は難しくなっているという。
著名人が知の見本のような人であれば結構だが、「あの日」のような本も出ている。すなわち、長引く出版不況の原因はインターネット書店の隆盛である。その結果、知の宝庫となる良質の本が出版されなくなった。
一方所詮本に書かれているのは情報であって、その情報を知識に変えるのは、今も昔も個人の努力しかない、という厳しい意見も存在する。しかし、かつて書店で手にした一冊の本が基になり成果がでた経験がある。かつては、情報ではなく知識が盛り込まれた本が書店に並び、そして今それが無くなりつつあるとも感じている。
恥ずかしながら未だかつてインターネットで本を購入した経験は無い。本は書店で見て購入する習慣がついている。これからなかなか脱却できない。最近田中角栄に関する本を書店でよく見かける。田中角栄は中卒で総理大臣まで出世した人物である。
その人生は今の時代の手本として読まれているのだろうか。もし当方が田名角栄論を書くとしたなら、その卓越したビジョンメーカーとしての才能にスポットライトをあてて書きたいと思う。石原慎太郎氏はその根本に故郷(国)を思う心が強かったと書いている。技術者ならば明るい未来を強く夢見ることが必要である。
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5月14日の記事にSTAP細胞の再現にドイツの研究チームが成功したニュースが報じられた。3月10日に発表された論文を取り上げた記事である。まだマウスなどの実験までたどりついていないが、STAP現象を明確に整理し、それを再現可能な実験事実として論文をまとめあげているそうだ。
弊社としては、以前の活動報告にも書いているがSTAP細胞の存在を信じている立場である。残念ながらまだ弊社の力では具体的な行動を起こせないが、「未来技術研究所」では、小保方氏のSTAP細胞発表の記事で時間を止めている。
ドイツの研究チームの報告では、故笹井氏が指摘していた「STAP現象の存在」を証明できた段階で、まだそれがiPS細胞の様な実用レベルまで到達していないが、興味深いのは、細胞が生死の間で揺らいでる、としたドイツ研究チームの表現である。
日本の生化学学会は真っ向からSTAP細胞を否定し、理化学研究所も結論を急いで誤った方向へ向かった。おそらくこうした背景があるので、今回のドイツ研究チームの実験結果に対して、あまり日本中が沸き上がらないのだろう。
また、小保方氏の書かれた「あの日」の影響もあるのかもしれない。あの著書は読み手に歓迎される書き方がなされていない。少なくとも普通の人が一読すると、嫌悪感を感じる内容である。
当方も出版された日に書店で立ち読みし、嫌悪感からのけぞり、落ち着いて読もうと,思わず購入してしまった。おそらくあの本を生理的に受け付けない人もいるかもしれない。
ドイツ研究チームがSTAP細胞からマウスを誕生させたなら、おそらくこれはノーベル賞級となるような成果であり、そのとき小保方氏は世間にどのように処遇されるのか興味深い。彼女には、誠実真摯に活動してほしいと願っている。
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