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2015.10/23 旭化成の子会社の不正

旭化成建材と親会社の旭化成は昨日の夕方、記者会見で過去11年間に旭化成建材が行った杭(くい)打ち工事は全国で3040件で、このうち41件に横浜のマンションの杭打ちを担当した現場代理人が関わっていたと発表した。
 
記者会見では不正が手の込んだものであり調査に時間がかかるとの見通しを述べたが、ニュースで報じられた限りでは41件以外についてどうするのか明言を避けていた。
 
これは推定になるが、今回の事件が起きた背景として杭打ち作業についてトラブルが発生した場合に、どのように対応すべきかの行動指針が明確でなかった可能性がある。すなわち、杭打ち作業のトラブルは必ず工事のやり直しを行う、という手順が徹底されておれば、発生しなかったと思う(注)。
 
さらにその工事のやり直しで工事期間が遅延するのは了解事項にしてあれば、今回の不正を防止できたものと思う。すなわち、杭打ちエラーは、初期段階で対応しなければ費用がかかるとの視点で、現場の行動指針を徹底するのである。
 
これが工期優先、コスト優先の行動指針になっていると、今回のような不正は再発する。事件が発生した時に性善説で運営されているというコメントがあったが、問題点のとらえ方が異なると思う。これは現場の作業手順書にエラー回避の配慮が不足していたのである。杭打ちデータを揃えておくことが単なる作業手順の一つとして簡単に処理されていたのではなかろうか。
 
その後に与える影響まで知識として作業者に知らされ、エラー回避する方向で作業手順が作成されておれば、問題は起きなかった。エラーがさらに大きなエラーの連鎖を生む可能性がある場合に、エラー回避に努めることが作業者のメリットになるよう作業手順が組まれておれば、作業者は必ずその手順に従い、うっかりミス以外を防ぐことが可能となる。
 
作業のエラーが重大な事態を招くような場合に、コストダウン重視の手順を徹底すると結果として大きな損失を招くものである。すなわち作業手順について冗長性やエラーが起きた時にそれを報告する行動が有利に働く手順にすることが大切なのである。
 
例えば車のリコールが多発していることがニュースになったりするが、これはリコールしなかった時のペナルティーが大きいので各社リコールするのである。このリコール制度があるにもかかわらず、三菱自動車はリコール隠しを昔行っていたが、これは明確な悪意として罰せられた。その後リコール隠しは再発していない。
 
(注)QC手法にFMEAという方法がある。これは作業工程や部品、材料までさかのぼりエラーが発生したときに製品にどのような影響が出るのかを予測する品質管理手法である。日本でQCを導入しているあるいはISO9001を取得している企業ならば皆実施しているはずである。杭打ち作業は、ニュースで報じられている状況からFMEAを行うとそこで発生するエラーの大半は重大エラーになるはずで、必ずエラー防止の対策を行うことになる。一流企業ならばこの手法を理解しているはずで「性善説で」という寝ぼけた発言は出ないはずだ。当然こうした手法の全社への導入は、経営者の責任となる。また、これは技術経営として重要なことだ。
  
 
 
 

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2015.10/21 安倍首相の米ブルームバーグ本社の講演

 安倍首相は9月29日、米ブルームバーグ本社で講演し、「一にも二にも三にも、私にとって最大のチャレンジは経済、経済、経済だ」と述べたことに対する室井佑月氏の批判がYAHOOニュースに出ていた。
 
彼女の批評では、「経済、経済、経済」を「金、金、金」と捉えていた。一昔前の短絡的な意味であれば、それは正しいかもしれない。しかし、今日的な「経済」の意味には、「金」以外の要素が深く関わるようになった。
 
すなわち、現代において「経済」という言葉は、「金」という一つの因子で支配されない多因子用語だ。首相の講演内容の全文が紹介されていないので真意は不明だが、講演場所及びその対象者を考慮すると今日的な経済の意味の言葉を使っているはずであり、低次元の「金」という一因子的意味ではないだろう(もしこの推定がはずれたならば彼女が言うように恥ずかしい)。
 
故ドラッカーの言葉を借りれば、経済はもっとすごい表現になる。すなわち「社会が経済を支配するようになった」。この表現において、もう「経済=お金」ではないのである。
 
彼女の批評は、町の「おばさん」感覚的発言が多く大変わかりやすいが、その役割を活用して、「経済」の今日的意味を大衆に説明すべきだろう。経済の意味が単なる金儲けの話ではないことは、起業の今日的意味を考えれば明らかである。
 
これもドラッカーの請け売りになるが、それは「個人の能力を社会の貢献に活用できる機能を備えた組織を作ること」という意味である。20世紀末からNPOの起業が増えてきたが、これは非営利でお金儲けを目的とした組織ではなく、社会に有用なサービスを提供することにより、経済を活性化させてゆく。
 
知価社会において、知識はお金に換えることができるが、お金では買えない知識も存在することを知れば、「経済、経済、経済」がお金の連呼ではないことを理解できるのではないか。
     

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2015.10/18 旭化成子会社杭打ち偽装問題

傾いていることが発覚した横浜市都筑区のマンションは、施工時にくいの一部が固い地盤(支持層)まで届いていなかった上、検査データの改ざんだけでなく、16日にはコンクリート量に関するデータの改ざんも明らかになった。
 
建物の基礎になる重要な工事だけに、専門家は「理解しがたい」と言っている。また、一度建ってしまえば、不具合が出るまで見抜くことは困難で「犯罪に近い」との声も上がっているそうだが、意識してやっていたなら、これは犯罪である。
 
現在調査中のマンションで同様の不正が無いことを祈るだけだが、ニュースで報じられた内容を聞く限り、現場で勝手に判断して(その瞬間は悪意は無く)作業を進めた結果ではないか、と想像している。
 
20年近く前の話だが、問題行動をとる部下がいた。一番大きな問題は、自分の問題行動を問題と思っていないことだった。今やドラッカーが言うように知識労働者の時代であり、これは知識労働者ゆえに発生した問題である。
 
直属の上司は、その問題に気がついていて、日々コーチングで優しく対応していた。ただ、彼の場合には、雷こそ必要だったのだ。三度ほど当方は、直属の上司を前にして本人に直接雷を落とした。三度落とした結果、行動の前によく考えるようになり、問題行動は少なくなった。
 
問題行動について幾つか書くと本人を特定するようなことになるので、もう痕跡の無くなった建物で起きた事件について説明する。その建物は古い実験室だったが、特殊な実験装置があり、建物を壊す時に移転予定の条件付きで、安全維持のため随所に通行止めの張り紙と縄を張り使用していた。
 
ただ、昔使用していた実験室なので、通行止めの目印の向こうには、使用可能な工具などが放置されていた。彼はその実験室で実験をしようとしたときに、たまたま必要な工具を忘れ、通行止めの張り紙の向こうにある使えそうな工具を見つけた。幸いなことに誰も見ていない。急いで通行止めの縄をまたいで、工具を取りに行こうとしたら、それに足が引っかかり転倒し骨折した。
 
業務中の事故なので社内の安全委員会で当方が報告することになったのだが、彼に説明を求めたところ悪びれることなく、急いで実験を進めようと思い、近くの工具を取りに行こうとして骨折した、と説明してきた。当方はその実験室の状況を理解していたので、報告が終わるやいなや雷を落とした。「なぜ通行止めの縄を超えたことを報告しないのだ!」
 
横にいた直属の上司は、すぐに彼をかばった。しかし、当方は安全委員会で正直に間の抜けた事実の報告をする、と静かに伝えた。彼は心配して、「通行止めの縄を張ったことが、安全上問題になりませんか?」と尋ねてきた。何が問題なのか分からない、あるいは正しく問題を捉えることができない知識労働者が増えているのかもしれない。
    

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2015.10/17 昨日のNHK「あさイチ」情報が熱い

昨日のNHK「あさイチ」でIoTを取りあげていた。そこで紹介されたのが、自動洗濯物たたみ機。さすが主婦にターゲットを絞った番組である。サラリーマンの定年退職で大きく変わったライフスタイルで一番のメリットは、朝9時まで「あさイチ」を見られるようになったこと。
 
主婦が何を考えているのか、この番組を見ているとよく分かる。現役世代の男性諸氏は、録画してでも見るだけの価値があり大変勉強になる。たまに夜の番組と見まがう時もありますが、ある意味NHKらしくない番組でおもしろい。
 
さて、主婦の労働を軽減する可能性が高いこの装置の能力は、未だ実用レベルではなくTシャツを折りたたむのに3分以上かかったり、どのような洗濯物でも折りたためるわけではない。しかし、それでは商品として成立しないのでは、と今の時代、考えてはいけないのである。IoT時代とは、このような中途半端な商品でも市場に出せてしまうすごい変化がおきる時代だ。
 
ここで、中途半端な商品では売れないのでは、という疑問を持つような従来のパラダイムでしか考えられない人は、もう少し産業革命が起こりつつある現代の技術を勉強した方が良い。アジャイル開発とIoTの組み合わせというスタイルが企業にとっても消費者にとっても過去のパラダイムでは想像できなかったメリットのある商品を生み出す。
 
昨日紹介された自動洗濯物たたみ機がそこまでのポテンシャルがあるかどうか、その装置を生み出したメーカーの技術力が分からないのでコメントが難しいのだが、小生は、メーカーとユーザーが市場で行う価値の共創の観点で、その装置のポテンシャルを感じた。
 
残念ながら「あさイチ」は技術番組ではなく、あくまで主婦向けの番組だったので、Tシャツを折りたたむシーンだけで終わってしまったのだが、もう少しその場にいた担当者の深い説明を聞きたかった。当方と同じようなアイデアを持っていたのかどうか、関心がある。
 
今IoTにより引き起こされる産業革命が騒がれているが、ユーザーメリットを生み出すイノベーションについて、従来のパラダイムと異なると一目で理解できる具体的な姿が見えてこない。それは、パラダイムの理解そのものが企業機密になるからだ。書籍に書かれたパラダイムに関する抽象的な説明を具体化できない企業は弊社にご相談ください。
   

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2015.10/16 東洋タイヤと旭化成子会社の不正問題

東洋タイヤで免震ゴムに続き防振ゴムの不正が発覚した。また、旭化成子会社がデータを捏造して建築した横浜のマンションに2cmほどのずれが生じた、と大騒ぎになっている。業界は異なれど日本のモノづくりに、ほころびがみえた事件である。
 
フォルクスワーゲンの事件に驚いたのもつかの間、日本の製造業でも不正が連発している。東洋タイヤに至っては、難燃断熱材の不正も含めると3例目である。東洋タイヤで興味深いのは、再発防止のためのコンプライアンス研修を受けた社員による内部告発で判明したと伝えられたと思ったら、その社員の所属は、免震ゴムの問題で監査を済ませた部署だった、というニュースが聞こえてきたこと。
 
旭化成子会社の不正では、他の測定データから測定値を推定し記入するという手抜きである。東洋タイヤも旭化成子会社も、その公開された情報から、現場で行われた不正を管理者がチェックできてないために発生しているような構造が見えてくる。すなわち、フォルクスワーゲン社の不正の構造とは少し異なる。
 
仮に、現場の技術者の不正を管理者がチェックできていないために発生した、とした時に、どこに問題があるのか。これは、ゴム会社と写真会社の二つの会社を体験して気がついたことだが、企業により現場に対する管理者の意識が大きく異なっていた点に着目している。
 
ゴム会社では、現場の技術を正しく理解することが管理職に強く求められ、写真会社では現場の人事管理が強く求められていたのである。わかりやすく言えば、課長レベルならばゴム会社では担当者と同等以上の技術の知識が求められたが、写真会社の課長レベルにはそれが強く求められていなかった。
 
写真会社に転職した時に、主任研究員として処遇されたが、自ら志願して一担当者として一か月ずつ様々な現場の作業を手伝った。しかし、同僚から奇異の目で見られたり、センター長からは、当方に期待しているのはそのような仕事ではない、と言われたりした。ゴム会社では信じられない雰囲気だったが、当方は技術部門の管理職としてそれが正しい姿と信じ、半年間、現場に拘った。
 
すなわち、管理者の現場力が低下しているために不正が見抜けない、あるいは、管理者が不正を不正として部下を指導できない状況について、経営者は気がついているだろうか。また、そのような状況を生み出す風土(注)をメーカーとして好ましくないと考えていないのだろうか。コンプライアンスの研修だけでは解決がつかない問題である。
 
(注)二つの会社を経験し、管理職の現場力が低下する原因をほぼ理解できている。ご興味のある方はお問い合わせください。かつてのヒエラルヒーが崩れ、簡素化した組織で重要なのは中間管理職の現場力である。

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2015.10/14 創始者の評価

「中国のぱくり技術」と日本で話題になったりするが、かつて批判された日本の「猿まね技術」という評価を忘れてはいけない。日本はどちらかといえばオリジナルをあまり重視しない風土だと思っている。だから東京オリンピックロゴ問題が起きたりする。また当方も研究開発でいくつかいやな体験がある。
 
オリジナルデザインとかオリジナル技術に対する尊敬の態度、あるいは他人のデザインと比較して新しさの無いデザインが見つかった時とか特許に抵触した技術などに毅然とした態度を示すことは独創を大切にする風土を育てるために大切である。10数年前に高分子同友会開発部会の世話人代表を担っていたときに、M社の研究者U氏に技術賞受賞の体験談を語っていただき、技術マネジメントについて討論したが、この時創始者について議論になった。
 
その場に参加していた人たちの感動を呼び起こしたのは、技術賞受賞メンバーに人事異動で組織を離れていた担当者の名前を入れた話だった。すなわち、その担当者はテーマの企画から研究開発の初期の立ち上げまで担当したが数年経過した死の谷のためテーマの見直しが行われ人事異動となった。その後U氏がリーダーになってそのテーマを継続することになって事業として立ち上がったのだが、最初の立ち上げ担当者がいなければ本来育たなかった技術なので、どうしても受賞者に加えたかったというのだ。
 
研究開発テーマの中には順調に事業として立ち上がらないケースがある。事業まで難しいと思われる場合には、ゲートのチェック段階で中断するのかあるいは研究として少人数のメンバーに戦力を絞り継続するかの判断が出される。いずれの場合でも人事異動あるいは担当テーマの変更などで、研究開発テーマを最初に立ち上げたキーマンが継続して担当できない、という状況は企業では起こりうることである。
 
技術のすべてのエンジンを開発するなどいくらその担当者が重要な役割を担ったとしてもそれを無視する会社もある。しかし、M社には独創を大切にする風土があったという。結局その場では、独創の技術を生み出すには、企業風土の果たす役割が大きい、という意見でまとまったのだが、とどのつまりはU氏のような担当者まで創始者を尊重する意識が無ければこのような話は生まれない。
 
会社を退職して一年ほど過ぎた頃、退職直前の半年間、当方が企画推進した仕事が社長賞を受賞した、との連絡を受けた。そして担当者から記念品として水の入ったPETボトルが4本送られてきた。社長賞受賞の記念パーティーにはご招待できなかったが記念品だけ贈らせていただくという担当者のメモが入っていたが、素直にうれしかった。

 

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2015.10/13 小牧市でツタヤ図書館、住民投票「No」

反対3万2352票、賛成2万4981票。小牧市で計画されている新図書館建設を巡る今月4日の住民投票の結果、レンタル大手「ツタヤ」を展開するカルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)と連携する計画は、一時停止に追い込まれたそうだ。
 
フォルクスワーゲンの不正事件にノーベル賞週間と続いた時の地方都市の記事を見落としていた。お昼のワイドショーでも扱ったところがあったので大きな話題なのだろう。インターネットでも検索するといっぱいニュースが出てくる。
 
公営図書館を民間に委託する公共団体が増えていると言うことは知っていた。しかし、その弊害も週刊誌で情報が公開されている。冷静に考えると、公共団体のサービスのまま運営したならば利益が出るはずのない業務を民間に委託する是非の検討を十分に行わず、安直に仕事が流されているように思われる。
 
今都内の図書館は、一時期の閑古鳥はいなくなったけれど昔の賑わいは無い。しかし、地方の図書館は不明だが、今の時代図書館は本屋同様に淘汰される運命にあると思う。だから民間に丸投げ、というのは短絡的で、民間に丸投げされた結果、風俗店の案内本が並んだり、昔から大切にされてきた郷土の歴史本が捨てられたりしたら、もうそれは公共の図書館の姿ではないだろう。
 
民間に丸投げする前に、図書館の必要性を地域住民と十分に議論すべきではないか。(おそらくこのような議論では不要とはならず必要という結果になると思われるが。)今本屋が減少してきており、老人にとって書籍に接する場所は公営の図書館以外に無くなってきているのである。だから都内の図書館は老人が多い現実があり、図書館の必要性を示す現象でもある。
 
少なくともこれから老人は増加傾向であり、時間をもてあました老人が気軽に行ける場所の一つとして図書館を残して欲しいと思っている。だから、民間に委託する前に、公共団体の敬老サービスの一環として図書館をまず見直す作業を行ってみてはどうか。
 
民間の経営により、図書館の基本に関わるいろいろな問題が指摘されているので、民間への委託を急ぐ必要はない。また、図書館が図書館でなくなるのなら、いっそのこと廃止統合を検討した方が良いだろう。図書館を必要としない地区もあるかもしれない。そのようなところは廃止すればよい。
 
しかし廃止する時に図書館の資料館としての役割を忘れてはいけない。廃棄してはいけない蔵書もあるはずなので、それは他の図書館で保存しなければならない。公共サービスには時代とともに不要となるサービスもあるはずで、情報化時代の図書館サービスも時代に合った内容にしなければ不要となる。しかしそれは民間への丸投げでは解決できない。もし役所でアイデアが出ないなら弊社へ相談し、安易にツタやなどへ丸投げしないでほしい。さすが知を愛する愛知県のベッドタウン小牧市住民の選択である。
 

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2015.10/12 技術者は環境技術を軽視してはいけない(2)

特に製品の機能が向上するわけでもなく、さらにコストダウンにつながらない技術を開発するのは一工夫も二工夫も必要である。また、重要視されていないような課題の場合には、担当者のモラールにも影響する。今の時代は、環境技術のテーマは立派な開発テーマになるが、20年以上前は、まだそのような時代ではなかった。
 
脱AをテーマにしてみたもののAは必須成分となる実験結果ばかり出た。A類似化合物で良い感触が得られても、変異原性の程度が下がるだけで陰性物質は見つからない。そもそも架橋剤は反応活性が無ければ機能しない。反応性がある物質は変異原性試験で陰性にならないので、テーマアップにより、その難しさを正しくとらえることができた。
 
このような問題では、同一技術のカテゴリーで考えていたならば堂々巡りになるだけであり、全く新しい技術コンセプトでチャレンジしなければ新しいアイデアなど生まれない。また、新しいアイデアを生み出したいならば、思い切って今持っている技術を捨て去る勇気が必要である。
 
そこで従来技術を捨て、新しいラテックスを2種組み合わせてポリマーアロイとする新概念の技術を検討したら、すぐに脱A技術が生まれた。このあたりの問題解決手順にご興味のある方は問い合わせていただきたいが、新しいアイデアのために既存技術を捨てる勇気は重要である。
 
フォルクスワーゲン社の不正プログラムの問題でも技術陣が従来技術を捨てる勇気があったなら、不正に手を染めることはなかっただろう。エンジン技術者でない当方の言葉では説得力がないかもしれないが、マツダのディーゼルエンジンに採用されているスカイアクティブ技術はそのようにして生まれている。
 
マツダのディーゼルエンジンは、従来のディーゼルエンジンの常識に反し、圧縮率を下げるように設計された。ご存じのようにディーゼルエンジンには点火装置が無いので、圧縮率を下げた設計というのは性能低下どころか動作しないエンジンになる可能性がある。しかしあえてマツダの技術陣は、環境に適合した新しい技術を生み出すために常識に反した領域にチャレンジし新技術を生み出したのだ。

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2015.10/11 技術者は環境技術を軽視してはいけない(1)

技術が完成していない状態で、製品を市場に出さなければいけない状況というのは製品開発を行っていると遭遇する可能性がある。その時技術者はどういう選択をしたらよいのか。フォルクスワーゲンの事件で学習できたように絶対に不正な商品を市場に出してはいけない、ということだ。そしてこの不正の中には、環境に悪影響を与える「可能性のある技術」も含まれる。
 
不正ではないが、環境に悪影響があるかもしれない灰色の技術について、技術者は悩むことになる。しかし、今の時代は悩まずにそのような商品を出してはいけない、という決断をして欲しい。環境問題は、フォルクスワーゲン社の不正プログラム同様に企業が突然死(フォルクスワーゲン社はまだ死んではいないが)となるような事態を招く恐れがあるからだ。
 
20年以上前の話なので公開するが、転職してびっくりしたのは発がん性物質Aがフィルムに使用されていたのである。ただし、Aは反応前に変異原性試験で陽性となるが、フィルムの表面加工に使用されて商品になった時には、変異原性試験で陰性にかわる。ゆえに消費者には危険が無いので使用されていたわけだが、それでも、その使用については経営判断が常に必要なルールがあった。
 
すなわち写真会社の経営陣は環境問題に厳しい姿勢をとっていたのである。しかし、問題は技術陣である。とりわけフィルムの表面加工を担当していた技術陣は何故か脱Aという技術を特にテーマアップしていなかったのである。理由を聞くと解決策が無いので製品開発の中でそのための実験を行い、あわよくば問題解決しようという姿勢だった。
 
製品になった段階で危険性は無くなるのでそのような判断でも許されたのかもしれない。しかし、製造段階で関わっている人はどうなるのか。工場の現場でも保護具を始め安全対策で対応しているから問題ない、という答えがすぐに担当者から返ってきた。しかし、技術者は環境問題を軽く見てはいけないのである。
 
今の時代、環境問題は技術者全員が解決しなければいけない重要な問題なのである。たとえ経営判断が環境問題の評価を下げたとしても技術者は環境問題について妥協してはいけない時代なのである。環境問題は人類の努力とりわけ技術者でなければ積極的な解決ができないからである。
 
転職後グループリーダーになった時に脱Aをテーマアップした。しかし案の定予算を掛けられず、結局テーマアップしたものの、その進め方は製品開発の時に一緒に進めるというマネジメントになった。
     

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2015.10/10 技術者は不正な製品を市場に出してはいけない

毎日のようにフォルクスワーゲンの不正プログラムの話題がニュースで報じられている。当事者はこのような事態を想定していただろうか。毎日のようにTVからフォルクスワーゲンの名前が流れてくると、技術者はなぜ不正プログラムに手を染めたのだろうか、という疑問が強くなる。
 
経営陣が不正プログラムの存在を最初から知っていたとは思えない。やはり最初の決断は、技術開発の現場でなされたのだろう。32年間の研究開発では、類似した決断をせざるをえない状況をこれまで見てきた。しかし、不正な商品が市場まで流れ、長期間放置されたという経験は無い。
 
今多くの大メーカでは研究開発管理にステージゲート法あるいは類似の段階的管理を行っている。その時ゲートをすりぬけるために一時的に不正あるいは不誠実なプレを行う輩を見てきた。当方も不正とまではいえないが、商品化できない技術を画期的な技術として示し、開発方針の変更を企てたことはある。
 
ただし、その時は開発方針が変更され、そこで決まった投資により設備導入されるやいなや、すぐに商品化可能な別途準備していた技術に置き換えている。製造設備が無かったので、手元にあった設備で強引にある機能だけずば抜けた性能の技術を作りあげたのであるが、もちろんその技術を生産では使用できない。
 
商品化できないインチキプロセス技術で作った部品でデザインレビューを行い、量産技術検討のステージまで駆け足で持ち込み、パイロットプラントを作らずいきなり量産設備を立ち上げたのである。成功を確信していたのでできた芸当であるが、自信があっても、失敗したときの不安は常に少しあった。
 
当方がなぜそのようなばくちに近い技術開発をしなければいけなかったのか。それは、前任者がプレゼンテーションが上手な技術者で、できもしない技術をさもできるようにうまくプレゼンを行い、開発の各段階をすり抜けて量産ステージの手前まで進んだところで、当方に開発リーダーのバトンを渡したからである。本人はそのまま出世していった。不条理を感じつつも、とにかく成功させるためにやや不誠実な進め方をしたのである。
 
同様のことがフォルクスワーゲンの新車開発でもあったのかもしれない。米国市場へ投入するための環境規制に通過できるディーゼル車を開発できない、と経営陣に説明できなかったので、技術者が不正プログラムに手を染めた可能性はある。当方の体験は「生産プロセスの問題」における不誠実だったので市場に不正がそのまま出ることはなく企業にとって幸運だったが、フォルクスワーゲンではそのまま不正な商品として生産できたので、今回の結果となったのではないか。
 
ここで問題となるのは、技術者が不法な商品を市場に出すという決断をしたことである。科学者は性善説を前提として語られることが多い。技術者については、日常科学者ほどに善悪が問われることはない。しかし消費者には内部に造りこまれた機能を理解することは難しいので、やはり科学者同様の倫理が技術者に求められている。
 
サラリーマンにとって出世は生活の糧を増やすための唯一の手段である。しかし、長いサラリーマン生活で技術者は時として出世を棒に振るような決断をしなければいけない状況と直面する不運がある。その時どのような決断ができるのかは技術者魂の有無だと思う。出世がすべてではない、という言葉は負け犬の遠吠えではない。ユーザーにインチキ商品を提供するような技術で出世しても技術者としての満足感は得られないはずだ。
 
技術者は技術者として自己を厳しく律する決断をして初めて満足な人生を送ることができる。時には会社の上司の意図に反するかもしれないが、社会に損失をもたらす技術に手を染めてはならない。もしそのようなことをすれば、やがて会社にも損失として跳ね返ってくることになる。人生でどのような決断をしたかは、退職後の満足感として報われる。技術者は社会への貢献を常に志すべきである。
 

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