昨晩の講演会は、途中で少し涙が出そうだった。悲しい内容というわけではなく、当方が10年以上前単身赴任する時に元部下から聞いていた話を講演の途中で思い出したからだ。すなわち、当方がリーダーだったころは感材のフィルム技術開発が主要テーマのグループで、彼はラテックス合成技術開発が担当だった。
バブルがはじける直前、写真会社で新たに高分子材料開発センターを設立したので次期センター長候補にと当時の人事の方から口説かれ転職した。しかしバブルがはじけそこへデジタル化の波をかぶり、いつまでフィルム開発をやっているのかという理由で当方は左遷され、その後豊川へ単身赴任した。
当方はゴム会社で転職するに至ったトラウマがあり、現状事業に寄り添った研究開発戦略で、新規分野ではシリカやアルミナのコロイドを用いたインクジェット受像層の開発や採用はされなかったが水系塗布による熱源像感材を企画するのが精いっぱいだった。しかし当方の後を受けた元部下が、某先生のご指導で企画したテーマ内容と昨晩の講演は似ていた。
古い話なので先生のお名前など忘れていたが、話の内容は元部下が熱く語っていたので少し覚えていた。元部下は開発の初期に病で倒れ、その後その企画はどのようになったのか東京から遠く離れた豊川まで伝わっていなかったので忘れていた。たまたま写真会社の元同僚が同じ講演を聞きに来ていたので尋ねてみたら、どうなったか知らないという。
今でも継続しておれば将来が楽しみな事業になっていたかもしれない。このような、研究開発に長時間かかるテーマを企業で推進するには、経営の支援が不可欠である。ゴム会社で高純度SiCの研究を開始し住友金属工業とのJVとしてスタートさせるまで6年かかっているが、頑張ることができたのは経営の支援があったからである。
最近読んだ「化学と工業」には、故矢島先生のSiC繊維の話が出ていた。宇部興産で30年以上研究開発が続けられた事業だが、初期の研究開発に携わった人の中には定年を迎えた人もいるという。一つの研究テーマで事業を立ち上げ、その後研究開発が継続され、定年までそれを担当できるのはサラリーマン技術者として幸せなことである。
しかしそのような風土のない会社ではこれは夢の話となる。本日の講演でもそうだが、山本尚先生がお話しされていたような、アカデミアがリーダーシップをとり、応用研究で企業と産学連携を進めてイノベーションを起こしてゆくのが日本に適したスタイルだと思う。
高純度SiCの事業では、予期せぬ出来事でゴム会社からアカデミアへテーマを持ち込んだような形態になったが、住友金属工業とのJV立ち上げまで産学連携体制で事業は進められた。このように、研究開発に時間がかかるようなテーマでは、企業が産学連携体制で息長く事業として育てながら進めてゆくのが現実的である。
ただし、その前に長期間研究開発を進められるような壮大な研究シナリオが必要になってくる。それを誰が描くのか。
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ロジカルシンキングのようなセミナーは、当方が社会人になった頃すでに存在した。ビジネスプロセスを科学的に進めようという考え方である。マーケティングのための市場解析や株価解析などは科学的に進めた方が良いかもしれない。
しかし、科学的方法には、仮説設定により排除された現象をどのように扱えば良いのか、という問題が常につきまとうことを憶えておいた方が良い。
あるいはモデル化でも同様である。仮説に基づきそれを検証するためにモデルを作成すると、モデルから削り落とされる部分が必ずでる。
分析や解析、あるいは調査結果の説明などは科学的に説明を進めた方が理解されやすいし、印象が良いのは言うまでもない。しかし新たなイノベーションを起こそうというアイデアをひねり出すときに科学的方法だけでは不十分だ。
今、不確実性の時代などと言われ続け、未来予測が難しい時代と言われている。故ドラッカーまで「誰も見たことのない未来が始まる」と遺稿となった「ネクストソサエティー」で述べている始末だ。
不確実だろうがなんだろうがビジネスで成功するためにはイノベーションを起こさなければならない。その時既存の科学的方法によるビジネスプロセスだけで十分だろうか。弊社ではヒューマンプロセスとも呼べる方法を研究開発必勝法としてセミナーで公開している。これは簡単に言えば非科学的方法の勧めである。
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科学的な理論が正しいのか間違っているのか、それを確認するのは、当方の仕事ではないし、社会的にその役割が与えられているわけでもない。ただそれでもこの活動報告でいろいろ書いているのは、科学の問題が実務で大きな影響を与えているからだ。
実務で議論するときに、少なくともビジネスプロセスでロジカルシンキングは常識である。技術の現場では科学で記述された事柄は常識として議論が進められる。そして、隘路にはまったときにせっかく良いアイデアが出たとしてもそれをつぶすのも科学である。
かわいそうにアイデアをうまく出せない、と悩んでいる人の原因の一つに子供の頃から学んだ科学の制約がある。科学は単なる哲学の一つに過ぎないのにそれが技術開発の全てであるように脅迫的に迫る上司もいたりする。
なかなかアイデアが出ないと言う人でも、空想を語らせると楽しそうに話す。しかし、その空想からアイデアをひねり出そうとしない。隘路にはまったら、最初に「考える」ことは科学を忘れることである。忘れることができないなら、科学の制約を外し、解決策を考えるのである。
高靱性ゼラチンを実現した、ゾルをミセルに用いたラテックス重合技術はこうして生まれている。そして技術ができあがってから、改めて現象の解析を科学的に行ったところ、簡単に解析が進み科学的に技術をまとめることができた。この技術は写真学会からゼラチン賞を受賞している。
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先日東名で起きた車が中央分離帯から飛び出した大事故について、事故状況の解析が進んだ。運転者は通常のスピードで走行していた、と報じられている。そして不慣れの代車のため起きた事故、という結論が解説されていた。
当方はこの事故で二つの大きな問題が社会に示されている、と思った。一つは中央分離帯の安全設計の問題と、もう一つは車の特性についてそのばらつきが大きいことである。前者は、他の識者も指摘されているので、誰も指摘されていない後者の問題について、車が大衆の商品という観点で私見をのべたい。
これまで乗り継いだ車で最も高価だったのは、セリカとプレリュードXXで、反対に低価格な車はキューブで、これは安いにもかかわらず娘の好みのデザインという理由で選び14年も乗り続けた。車の性能は最も劣ったが愛車として最高の車だった。
その他2車種あるが、セリカとプレリュードXX、キューブの3車種はその運転特性が大きく異なる。FRとFFの違い以外に、安心して運転できる車の上限速度も異なる。例えばセリカはAkm/hまで速度を出しても安心して運転できたが、キューブは100km/hあたりから少し不安になる。プレリュードXXで出せたBkm/h(注)まで十分にキューブでもスピードは出るが、冷や汗も出てくる。
この安心して運転できるスピードの違い以外に、カーブでの特性が大きく異なった。セリカは、高速で少しオーバーステア気味になるがたいへん素直な特性だった。しかし、プレリュードXXもキューブも高速でアンダーステアの傾向が大きく出た。タイヤはいずれもブリヂストンで十分な性能だったから車の特性といってよい。FRからFFに乗り換えたために強く印象に残っているのがプレリュードXXのアンダーステア気味の特性である。
カーブに入る手前でエンジンブレーキによる減速を行わないと怖くて高速道路で曲がることができなかった。キューブではあまりスピードを出さなかったこともあり、軽くブレーキングするずぼらな運転でもカーブで恐怖感を味わったことが無かった。
車種により大きく運転特性が異なる問題は、車が大衆商品であることを考えるとおかしいと思う。メーカーは高級車がより安全に設計されている、と主張するが、走る、曲がる、止まるという車の基本機能について、どの車でも同じ特性に規格化すべきではないか。
少なくとも400万円未満の車では、もう基本機能で差別化すべき時代ではない。車がぜいたく品である時代は既に過ぎて、生活必需品になっているケースもある。どの車に乗っても同じ基本機能であったなら、今回の車の事故を防げた可能性がある。なぜなら事故原因が、車の特性の大きな差異を運転技術で吸収出来なかった点にあるからだ。
今乗っているジュークはFFとAWに切り替えが可能で、AWでは、トルクベクタリングの有無も選択可能である。高速道路で安心して運転できるのは、ハンドルに応答し思い通りの車線を走ることが可能なトルクベクタリング付のAWだが、一人で車に乗るときには、あえてFFに設定して乗っている。これは、他の車に乗ったときに車の特性の違いで慌てないためである。
車の運転特性を切り替え可能な車に乗ってみて、この車の運転特性の差異が安全運転を推進するときに大きな問題であることに気が付いた。車の運転特性の差を吸収できる運転技術があれば問題なくなるが、仮に運転技術があったとしても高級車の運転特性に慣れ親しんだ人が、突然安い車に乗ると戸惑うはずだ。
これは、今自動運転技術が車に普及しようとしている時代で、車の運転特性以外に、自動運転に近い技術が導入された車に慣れた運転手がそうでない車を運転したときに生ずる問題もある。このような車の高性能化について何らかの対策を取らないと、運転者の責任が指数関数的に重くなることを指摘したい。
一度高級車に乗ったならば、安い車の運転をしないとか、安い車を永遠に乗り続けるとかしないと今回の事故が再発する可能性がある。ちなみに、ジュークは1.5lと1.6l四駆では、その性能差が極めて大きく購入前の試乗でびっくりした。四駆では、リアのサスが高級車同様のマルチリンクで設計されており、これが大変良い出来あがりである。
1.5lジュークも14年乗り続けたキューブよりも乗り味の高級感が伝わってくるが、1.6l四駆は全くの別物ととらえたほうがよい。よく1.6lが試乗車として使われているが、もし1.5lを購入予定なら1.5lを試乗されることをお勧めする。しかし1.5lでも十分足の硬いベゼルよりも良い印象を持てる。
また値段を考えるとC-HRとよい勝負をしている。このクラスで1.6l四駆の車の性能は別格(安いレクサスを車の性能で十分に超えている)であり、これで内装がよければハリアーを超えるバーゲンセールの車ではないかと思う。同じメーカーのエクストレイルとの比較では、荷物を積める便利さを除くと車格が上のエクストレイルがその性能で完全に負けている。
(注)モデルチェンジ2世代目のプレリュードXXは、モテ車として一世を風靡した車であったが、その見かけによらず、平地で最高スピードはセリカよりも遅かった。アクセルを目いっぱい踏んでも怖くなるほどのスピードまで上がらないのだ。見掛け倒しの車だった。
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企業の技術開発において、科学はあくまでも道具である。この認識は重要だと思う。ゴム会社においても、写真会社においてもそれぞれで成果を出すにあたり、大半の成果は非科学的なプロセスでまずモノを創り出し、それを周囲に説明する時には、科学的プロセスで実施したかのようなプレゼンテーションを行ってきた。
これは欺瞞的行為ではない。いわゆる科学の時代の忖度による技術開発である。「科学こそ技術開発を成功に導く」という風土において、非科学的成果が如何に優れていても受け入れてもらえないことは、ゴム会社の研究所で経験してきた。
しかし、退職してから中国のローカル企業で独自の開発プロセスを用いた指導を行い成果が出る状況を見るにつけ、企業で研究開発を進めるときに科学的プロセスに拘る必要はないと確信した。たとえ、科学で解明されていないことが存在しても、それを「分かっていないこと」として放置して「モノ」を創り出すことができるのだ。
すなわち、技術開発を行うときに科学的プロセスに拘らず、非科学的プロセスも取り入れて縦横無尽に開発を推進した方が開発スピードは明らかに速い。
タグチメソッドにしても科学で理解しようとすると難解になるが、非科学的プロセスの中で単なるメソッドとして扱うと理解しやすい。そして開発に成功してから、その成果について、科学的プロセスで研究を行い普遍の真理を明らかにして、それを非科学的成果とともに伝承する。例えば、この手順で行った高純度SiCの技術は、ゴム会社で30年以上事業として継続されている。
ところでSiCの科学的知識のレベルは、1980年代においてSiC化の反応機構について諸説ある状態だった。それは、シリカとカーボンの比率やプロセシングで反応機構が変わることが原因と推定された。すなわち、シリカとカーボンが理想的に反応し、科学量論比に適合して進行するSiCの生成反応を科学的に実現できていないだけでなく、その速度論的解析も成功していなかった。分かりやすく言えばSiC生成反応に関する当時の科学的議論は、目の不自由な人たちが像という生き物を語るにあたり、触ることができる像がいなくても像というものをあたかも触っているように語っているひどい状態だった。
フェノール樹脂とポリエチルシリケートを相溶させた前駆体では、シリカとカーボンが分子レベルで均一になっていると推定された。そのため、もし前駆体が不均一になったなら、諸説ある過去の反応機構のいずれかに当てはまるのではないかと予想された。このような背景から、目標どおり合成できた前駆体のSiC化の反応機構を確定できれば、その成果を使って前駆体の品質管理に利用できる、と期待した。
ただ、当時はSiCの反応をモニター可能な超高温まで安定に動作する熱天秤が存在しなかった。2000万円ほどかけて超高温度熱天秤を真空理工にお願いし共同開発した。2000℃まで1分以内に昇温可能なその熱天秤で速度論的解析を行ったところ、予想通りの結果が得られた。すなわち、目標どおりうまくできた前駆体とそうでない前駆体を見分けられる技術が出来上がった。そしてこの成果は、住友金属工業とのJVにおいて、前駆体の品質管理技術として活用された。さらにこの科学的成果で学位を取得した。
<科学は人類にとって重要な哲学の「一つ」である>
科学は自然を理解するときの人類共通の哲学である。科学的プロセスで得られた真理は人類に「真理」として容易に共有化される。一方で科学の真理として確定した現象の理解を否定することは難しい。ゆえに理学に対して工学では非科学も扱うべきである。複雑系の科学という言葉があるが、技術の中には複雑な状態をブラックボックスとして実用化している事例が多い。科学が一つの哲学であるならば非科学もアカデミアで扱っても良いと思う。むしろアカデミアでは積極的に非科学を扱い、工学の中におけるそのあるべき姿を追求すべきではないか。科学だけでは、現象から新たな機能を取り出すことができない時代である。
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カラー電子写真に中間転写ベルトと呼ばれる10の9乗から10の11乗Ωcmまでの間の定まった均一な抵抗値をもった部品がある。紙に情報を転写する前にYMCK4色の画像を一度転写ベルト上に書き込む。この抵抗値がばらつくとこの情報が正確に紙に転写されなくなる重要な部品である。
主に溶媒に溶かしたPI樹脂にカーボンを分散し、キャスト製膜してベルトに仕上げる。これを押出成形で製造しようとするとカーボンの分散状態が悪くなる場合がありそれがベルトの抵抗値のばらつきとなって現れる。
押出成形に用いるコンパウンドの段階でどこまでカーボンの分散が安定化されているかが重要となる。すなわちコンパウンド段階でカーボンの分散が不安定であると成形金型内でカーボンの分散が進み、その結果金型の位置で分散状態が変わり抵抗のばらつきとなる。
PPS/ナイロン/カーボンの処方で外部からコンパウンドを購入し押出成形によるベルト開発が行われていた。コンパウンドメーカーは押出技術が未熟なので成形がうまくゆかない、という考え方であった。押出成形という技術をよく知らないコンパウンドメーカーを選ぶとこのような困った問題になる。
コンパウンドの段階でカーボンの分散状態を安定化してほしい、とお願いしても安定化という抽象的内容のため聞き入れてもらえない。結局子会社の敷地の隅にコンパウンド工場を建てて自分でコンパウンドの開発を行ったのだが、この時科学的プロセスを採用しなかった。いきなり抵抗の安定したベルトを100%近い収率で得られるコンパウンドを製造した技術プロセスで進めた。
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企業の技術開発において、科学はあくまでも道具である。この認識は重要だと思う。ゴム会社においても、写真会社においてもそれぞれで成果を出すにあたり、大半の成果は非科学的なプロセスでまずモノを創り出し、それを周囲に説明する時に、科学的プロセスで実施したかのようなプレゼンテーションを行ってきた。
これは欺瞞的行為ではない。いわゆる科学の時代の忖度による技術開発である。「科学こそ技術開発を成功に導く」という風土において、非科学的成果が如何に優れていても受け入れてもらえないことはゴム会社の研究所において経験してきた。
しかし、退職し中国のローカル企業で独自のプロセスによる指導を行い成果が出る状況を見るにつけ、企業で研究開発を進めるときに科学的プロセスに拘る必要はないと確信した。科学で解明されていないことは分かっていないこととして放置してもモノができるのだ。
すなわち、技術開発を行うときに科学的プロセスに拘らず、非科学的プロセスも取り入れて縦横無尽に開発を推進した方が開発スピードは明らかに速い。
タグチメソッドにしても科学で理解しようとすると難解になるが、非科学的プロセスの中で単なるメソッドとして扱うと理解しやすい。そして開発に成功してから、その成果について科学的プロセスで研究を行い、普遍の真理を明らかにしてそれを非科学的成果とともに伝承するのである。例えば、この手順で行った高純度SiCの技術は、ゴム会社で30年以上事業として継続されている。
<科学は人類にとって重要な哲学の「一つ」である>
科学は自然を理解するときの人類共通の哲学である。科学的プロセスで得られた真理は人類に「真理」として容易に共有化される。一方で科学の真理として確定した現象の理解を否定することは難しい。ゆえに理学に対して工学では非科学も扱うべきである。複雑系の科学という言葉があるが、技術の中には複雑な状態をブラックボックスとして実用化している事例が多い。科学が一つの哲学であるならば非科学もアカデミアで扱っても良いと思う。むしろアカデミアでは積極的に非科学を扱い、工学の中におけるそのあるべき姿を追求すべきではないか。科学だけでは、現象から新たな機能を取り出すことができない時代である。
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東名高速道路で対向車線を走っていたデミオが中央分離帯を飛び出し、観光バスの上部に激突した。運転手は62歳の医師で即死と言われている。また対向車線の道路にはブレーキをかけた跡はなく、タイヤが横滑りを起こしたような黒いタイヤ痕が残されていた。
現場はゆるいカーブであり、高速走行中に急ハンドルを切ると車は横滑りを起こす。FF車ではアンダーステアになりやすく、高速ではその傾向が現れる。高速でアンダーステアとなると恐怖感もあり、さらにハンドルを切ろうとする。この時横滑りが起きやすくなる。カーブに入る直前に必ず減速する習慣にしておればこのようなことは起きにくい。
この事故については、一端左側のガードレールに接触し、その後制御されなくなった車が横滑りして中央分離帯を越えていったとニュースで解説されていた。
若い頃、セリカからプレリュードに乗り換えたときにアンダーステアのため一度高速道路でガードレールに接触しそうになったことがある。車を制御できないほどのスピードではなかったので、事故には至らなかったが、FRからFFに乗り換えたときのこのハンドリングの癖の違いには注意しなければいけない。
ところで、トルクベクタリングがついている車では、面白いように車がハンドリングに応答するのでブレーキによる減速なしにコーナリングスピードを上げたままカーブを曲がることが可能となる。一度体感すると病みつきなり、一般道ではカーブでの減速を忘れることもある。すなわち減速しなくてもひょいと車が曲がってしまうのだ。
高速道路でも同様で、カーブでもBMWはじめ高級車が猛スピードで曲がることができるのはこの装備のおかげである。さらに今の車には横滑り防止装置を標準で装着することが義務づけられているのでコーナリングにおける横滑りも起きにくく、ついつい高級車ではカーブに入る前のブレーキングをしなくなる。
安いポンコツに乗っていると、例えば14年前購入したキューブでは安全装置はハンドルとブレーキ程度であり、ほとんどついていないといってよい状態の車なので、運転者の安全運転に対する力量が100%発揮されないと高速道路で運転できない。
このようなポンコツ車に長年乗っていると、タイヤの情報を必死で感じ取る習慣が身につく。換言すれば、高速道路でスリップをすると命取りになるので、タイヤがスリップするかしないかを必死で感じようとする。
ポンコツ車ではサスペンションも高級ではないので、道路情報が直に運転者に伝わってくる。今年の2月からポンコツ車のキューブから4駆のジュークに乗り換えたのだが、車格に似合わず、安いレクサスよりも各種運転装備が充実している。
足回りも四輪独立懸架でエンジンにはターボチャージャーまでついている。そのかわり、シートなど内装はいかにもの車であるが、走り出すとレクサス顔負けの高級感が出てくる。内装さえ気にしなければ超お買い得な車である。
困ったのは、トルクベクタリングや横滑り防止装置の制御を体に感じてしまう点だ。14年間安い車に乗り続けてきた結果、車に対する感度が高くなってしまったのだ。
実は新車で納入され、3ケ月目にこの車の制御が入る気持ち悪さをクレームとして販売店に申し出た。車には異常がないということで、計測器をつけながら当方が運転することになった。そして気持ち悪い感覚が起きて合図をしていたら、その合図が、車の各種制御が入る時と重なっていたのだ。
これには驚いた。販売店の担当者から普通では感じないレベルなのでクレームにならない、と言われた。仕方なく、各種制御のON-OFFスイッチを一人で運転するときには、すべてOFFにして車を運転している。ただし同乗者がいるときにはこれらのスイッチをONにして運転している。車の安全装置に頼らない運転が大切だ。
車はどんどん進化しているが、その進化がすべての車に平等であれば問題はないと思うが、今の時代は、安い車と高級車で安全性にものすごい違いが出てきている。高級車に慣らされた運転技術で安い車を運転するのは危険である。
車の安全装置で頼りにするのはハンドルとブレーキだけ、という心得で運転するとよい。ハンドルのガタとブレーキの踏みシロは欠かさず運転前に点検している。さらにひとたび車が動き出すとタイヤの情報を体で感じる努力をしている。だからドライブはいつも心地よい疲労感を味わうことになる。
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もう20年以上前のことだが、NHKテレビでクルミを割るカラスが紹介されていた。クルミの実をくわえたカラスが飛んできて、道路にクルミの実を置くとガードレールに留まり、車が来るのを待っている。
車がカラスの前を通過し、その車に運良くクルミの実がひかれたらカラスはそのクルミの実の様子を見るために道路へ下りる。そして無事クルミが割れて中からでてきた実を食べ終わりどこかへ飛んでいった。
すると同じカラスかどうか分からないがまたクルミの実をくわえたカラスが現れ同じことをして割れたクルミの実を食べてどこかへ飛んで行く、そのようなシーンだった。
説明では道路に落としたクルミが車にひかれて割れるのを観察したカラスがそれを利用すれば硬いクルミの殻を容易に壊すことができると学習し、それを繰り返しているのだという。
すなわち,カラスはくるみ割りの機能をうまく自分の生活環境から取り出しそれを活用していたのだ。カラスは立派な技術者の端くれで、科学の無い時代に人類がどのように技術開発を行ってきたのかを知ることができる。ちなみに猿でも同様の活動をするという番組も過去には報道されている。
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山本先生は、アカデミアの研究構造として純正研究(第一象限)、応用研究(第二象限)、末梢研究(第三象限)、基礎研究(第四象限)を示し、アカデミアの純正研究を支える基礎研究から応用研究を進めることでイノベーションを起こすことが可能、と述べられた。
すなわち産学連携もそのような進め方をするべきで、企業から真のボトルネックとなるようなテーマをアカデミアが待っていてもうまくゆかず、アカデミアから基礎研究を分かりやすく説明しながら積極的に企業へ働きかけなければいけない。
すなわち山本先生や無機材質研究所が実践されたようなアカデミアの基礎研究をベースに産業界の製品開発をサポートして進めていくような活動が、健全な産学連携の姿のような気がしている。
過去におけるゴム会社のBR01と呼ばれる合成ゴム技術もそうであったし、高純度SiCの技術についても、合成技術そのものは当方のアイデアにより生まれたが、それを焼結体まで仕上げる技術は無機材質研究所の基礎研究がベースになっている。またそれを積極的に推進してくださったのも無機材質研究所である。
外部からゴム会社における高純度SiCの事業を眺めているとそのようなアカデミアの貢献は学会賞の出来事が示すように隠されてしまった。しかし事業は30年続き、無機材研の基礎研究の実として残っている。問題は、それが企業から社会に示されていなくてもアカデミアの研究者が満足できるかどうかだろう。
国の研究所として無機材質研究所のすばらしさは、その後お世話になった先生からいただいた手紙や直接の行為からも示すことができるが、それの紹介は別の機会としたい。読んでいて涙が出てきた手紙もある。産学連携がうまく成功したときには、利害を超えたアカデミアと実業界の交流が生まれる。無機材質研究所長がゴム会社の創業者の伝説を話してくださったように、である。アカデミアの人が産業界に基礎を提供して事業として成功したらそれに感謝することができて伝説として残ってゆく、そんな産学連携が理想だろう。そのためには企業の誠実で真摯な活動が前提となる。
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