活動報告

新着記事

カテゴリー

キーワード検索

2014.09/01 省エネタイヤ(2)

新入社員研修で「二律背反」という言葉をよく聞いた。「技術開発は、二律背反を克服することである」とまで言っていた役員もいた。ちょうど二度のオイルショックでタイヤの省エネ技術がテーマになっていた頃だ。

 

タイヤのゴムのフィラーにはカーボンブラックが使われている。このカーボンブラックだけでは転がり抵抗とWET SKID のバランスをとることができないのだ。WET SKIDを犠牲にせず転がり抵抗を低減できる技術としてシリカフィラーが注目されていた。

 

しかし、シリカの表面は水酸基が存在するのでカーボンブラックのようにポリマーとの親和性が悪くゴムと混練すると凝集して分散する。この問題を解決するために使われたのがシランカップリング剤である。

 

シランカップリング剤でシリカ表面を化学修飾し、ゴムとの親和性を増すとともに、その結果分散性があがる。シランカップリング剤は当初分散性を上げるために使われたが、すぐにゴム分子との反応を考慮した試薬が開発された。

 

ゴム分子との反応を考慮されたシランカップリング剤では、その分子構造に加硫可能な構造があり、その構造でゴム分子と反応し、シリカ表面で反応することでフィラーとしての機能を発揮する。カーボンブラックではこのような面倒な手続きを踏まなくても、表面がゴム分子との反応性に富んでいるのでそのまま使用できる。

 

このようにシランカップリング剤は省エネ技術のために開発されたのでは無く、その前からシリカの分散性を上げる技術としてタイヤには使用されていた。1970年代ホワイトレターというタイヤの飾りが流行したことがあった。タイヤのブランド名を白いゴムで書いたタイヤだ。この時の白いゴムにはシリカフィラーが使われ、そのゴムへの分散を促進するためにシランカップリング剤が使用された。

 

ホワイトレターにシリカフィラーが使用されたが、タイヤのトレッドゴムにそれが使われたのは省エネ技術としてである。現在販売されている省エネタイヤも40年前の技術を使っていると思っていたが、店頭にはシリカフィラーの技術を新たに開発したかのような説明が踊っている。これはおもしろい、温故知新があるかもしれない、と思い少し特許を調べてみた。

カテゴリー : 一般 高分子

pagetop

2014.08/31 省エネタイヤ(1)

タイヤの残溝が少なくなったので、タイヤを交換した。12年勤務したゴム会社のタイヤである。交換前のタイヤは10年使用したにも関わらず外観はひび割れも無くきれいだった。技術の進歩を感じた。

 

新車への交換を考えていたのでタイヤ交換を見送るつもりであったが、万が一を考えて6ケ月後の車検前であるが交換を決意した。恐らく車は廃車にされるので、交換したタイヤはムダになるかもしれないが、タイヤメーカーに勤務した経験からリスク回避のため新しいタイヤへ交換した。

 

驚いたのは、省エネタイヤがブームで店頭には省エネの文字が並ぶ。新入社員時代にも同様のブームがあったがこれほどでは無かった。40年ほど前二回のオイルショック騒動で石油資源に対する関心が高まり、省エネタイヤが開発された。

 

自動車全体に対するタイヤの省エネ効果はわずかであっても、省エネタイヤとそうでないタイヤとの省エネルギーの差は大きく、宣伝に活用された。この省エネタイヤの技術に使われたのがシリカである。

 

タイヤの補強材料にはカーボンが用いられているが、この一部をシリカに置き換えることで、エネルギーロスが減少しタイヤの転がり抵抗が小さくなる。ただ、エネルギーロスが小さくなるとグリップ力が悪くなる(WET SKIDが低下)ので、転がり抵抗とWET SKIDのバランスをとる必要が出てくる。

 

当時タイヤ用ゴムへのシリカの配合技術は先端技術だった。カーボンフィラーでは対応出来ない転がり抵抗とWET SKIDのバランスをうまくとることのできる、コストの安い唯一のフィラーとしてシリカは注目された。

 

 

カテゴリー : 一般 高分子

pagetop

2014.08/30 餅つき

子供の頃、夏休みでも餅米が手に入ると餅をついていたような記憶がある。夏の餅つきはともかく年末の餅つきは年中行事の一つであった。家を新築してから、餅つきに使用していた広い土間が無くなり、使っていた石臼が新しくできた庭のオブジェになったために餅つきの行事は無くなった。親類からの頂き物は、お祝いでなくとも赤飯を炊くのに使われた。

 

餅つきは子供の頃の楽しい思い出の一つだった。餅はネバネバ物質であるが、なぜか触れることも食べることも抵抗がなかった。生まれたときから接していたためだろう。餅つきをやってみたいと思っていたが、残念ながらいつも見ているだけで、餅をつくのは父と兄の役目だった。

 

餅を返すのは姉の役目で、母は蒸す係だった。当方はつき上がった餅をつまみ食いしながら成形する仕事をたまに担当していた。つまみ食いが多いので、毎年途中からお役御免になっていた。

 

餅つきで面白かったのは食紅を添加するときれいな桜色のお餅ができあがることだ。杵でただついているだけである。返しの操作で混ぜるプロセスもあるのだが、食紅の分散に大きく寄与しているのは、杵でついたときである。

 

杵でついたときに食紅は全体に広がる。その様子は見ていて不思議だった。今ならば剪断流動と伸張流動が同時に働くカオス混合のような混練プロセスだから効率が良い、と理解できるが昔は不思議だった。

 

この時の思い出は、退職前5年間担当した電子写真のキーパーツ開発で大いに役だった。中間転写ベルト用コンパウンドの生産ライン短期立ち上げや難燃剤を用いないUL94-V2通過の内装材開発という成果に結びついた。後者は回収PETボトルを80%利用した環境樹脂である。この回収PETボトルを用いた樹脂開発の仕事は退職後社長賞を受賞したとの知らせが元同僚から届いた。

カテゴリー : 一般 高分子

pagetop

2014.08/29 当たりのある宝くじ

野依理事長は中間報告の会見で面白い表現をした。検証実験を「当たりのある宝くじではない」と言ったのだ。古くから当たりくじの無い宝くじを「狸の宝くじ」と言っている。この言葉を言わなかっただけでもSTAP細胞の存在にかける意気込みを感じる。

 

iPS細胞の発見では、山中博士は消去法という宝くじを引くような手法を使い、見事に当たりくじを引いた。昨日にも書いたが、STAP細胞のように科学的に存在が確認されていないどころか否定されている現象を科学的に攻めても解決の糸口を見つけることは難しい。山中博士同様にヒューマンプロセス、すなわち技術による解決を行う必要がある。

 

新聞を読むと、理研も最後は非科学的手法に頼るようで、小保方さんの投入を検討している。このあたりは、データの捏造と断罪しながらも、ゆれる理研の思惑が見て取れる。分子生物学会はぶれること無く検証実験などやめてしまえの大合唱で、奇妙な構図が見えてくる。

 

この科学の混乱は未来技術をどのように開発すべきか象徴的に示しているように思われる。20世紀まで信じられてきた、科学の発展こそ技術の進歩を約束する、という哲学が、今揺らいでいるのだ。21世紀の技術は、科学の進歩を待っていては進まない。技術をヒューマンプロセスで開発しなければいけない時代である。

 

20世紀にロジカルシンキングはじめ科学的な問題解決法がもてはやされた。科学の時代であったので、ビジネスの問題解決法と言えばすべて科学的な手法であった。しかし今後ビジネスの現場で重要視されなければいけないのは、目標仮説とヒューマンプロセスである。

 

詳細は弊社で販売している研究開発必勝法で解説しているが、一部は「www.miragiken.com」に探偵物語を事例に紹介している。未来技術の開発は、当たりがあるかどうか分からない宝くじを引かなければならない。しかし、未来は決してタヌキノタカラクジ、カラクジではなく夢のある技術が人類に発掘されるのを待っている。若人よ、がんばろう。

 

 

 

カテゴリー : 一般

pagetop

2014.08/28 STAP細胞検証できず

理研から未だSTAP細胞の検証ができていないとの中間報告があった。恐らく現在の理研のやり方では、今後も検証できないだろう。STAP細胞が小保方氏による捏造かどうか不明だが、故笹井氏の支持もあったのだから全くのインチキではないだろう(と信じたい)。

 

このような問題について解決の方法は科学的な戦術ではダメで非科学的な技術による解決を目指すべきである。もしインチキで無ければ、技術的アプローチで必ずSTAP細胞ができるはずである。

 

科学は真理を確かめようとアクションを進めるが、技術では機能を実現しようと活動する。科学と技術では戦術が全く異なり、科学的に証明されていない新現象については、技術以外に実現の方法は無い。例えばiPS細胞の成功は、技術で製造ルートを作り、それを科学的に研究したからノーベル賞につながったのである。NHKでその全貌を解説していた。

 

科学的に否定される現象や、科学的に不明な現象を人類の幸福のために機能を取り出す必要があるときにヒューマンプロセスによる技術的解決法が最も有効である。当方は、このような哲学で非科学的な成果を幾つか実用化してきた。

 

例えばPPSと6ナイロンを相溶させて電子写真用中間転写ベルトを実用化したが、これは科学的なフローリー・ハギンズ理論に反する成果である。科学的なアプローチでは実現できないか、仮に実現できたとしても時間がかかる。

 

機能の確認から生産立ち上げまで非科学的に進めたが、タグチメソッドによる最適化でロバストの高い生産プロセスとして完成できた。プロセスが稼働して6年以上経過するがトラブル無しである。

 

「 www.miragiken.com 」の活動日誌の最初の部分に、未来技術を開発するためのヒューマンプロセスについて少し解説している。ご興味のある方は一度ご覧ください。

 

カテゴリー : 一般

pagetop

2014.08/27 混練

混練とは「混ぜる」ことと「練る」ことをおこなうプロセスである。「混ぜる」ことは日常の行動で、例えばカードゲームやマージャン、料理などで経験し、直感的に理解できる。「練る」ことについては、意外と日常意識しなければ行っていない。

 

汚い話で恐縮だが、昔子供は青い鼻水を垂らしていた。なぜ今の子は透明な鼻水で昔の子供が青かったのか知らないが、その汚い鼻水で遊んでいる子もいた。戦後10年と少ししか経過していない名古屋のはずれには、まだ大空襲の傷跡が残っており、今のように遊びが豊富では無かった。

 

子供が遊びを創り出さなければいけない時代でもあった。鼻水も遊びの道具であったが、その遊びが始まると当方は気持ち悪いから家に逃げ帰った。ネバネバを練るプロセスを見ると子供の頃のトラウマであまり気持ちの良い感じがしない。納豆も食べられるようになったのは結婚してからである。

 

トラウマとなっていたプロセスが当方の仕事として重要なスキルの一つになっているのだから人生はわからない。気持ち悪くても目を背けず真正面から取り組まなくてはならない苦痛。ゴム練りを最初に体験したときには地獄であった。やや緑色をしていたアロマ油は、特に気持ち悪かった。

 

そんな経験から「混ぜる」と「練る」には大きな違いがあり、混練技術に接する前から興味があった。「混ぜて」いるだけなら性状の変化は少ないが、「練っていると」物質の状態が大きく変化する場合があるのだ。青い鼻水は粘度が増し付着したときに拭き取るとコーティングされたような跡が残った。子供心に単なる水と異なる現象について不思議に思った。

 

混練の教科書を読むと分配混合と分散混合の話が出てくる。混練プロセスをモデルで説明するための概念だが、これは混練の理解を誤った方に導くような気がする。混合により分散が進む場合の説明ならば良いかもしれないが、「練り」の部分をこのモデルでは説明していない。

 

カテゴリー : 一般 高分子

pagetop

2014.08/25 ニコンの新レンズ

ニコンから焦点距離58mmという中途半端な新レンズが発売されている。写真雑誌にその作例が載っていたが、ニコンらしくない画像だった。ちょうどニコンとペンタックスの中間の画像という印象を受けた。

 

画像に対する印象は主観的なので、他の人がご覧になったら異なる表現になるかもしれないが、当方にはペンタックスに近い写りのようで柔らかく好感が持てた。しかし、単焦点レンズ1本の価格が19万円とは少し高い。

 

ニコンのカメラの欠点は、レンズも含め高価なことだ。ペンタックスに比較して2-3割以上高いような気がする。しかも最近は日本で製造されている製品が少なくなっているにもかかわらず値段が高い。

 

値段が高くても売れるのはブランド力だろう。ペンタックスブランドは、昔の望遠レンズや広角レンズをフレーズに入れたCMのように親しみやすさがあるが、ニコンブランドは、高価なイメージである。

 

高価でもカメラとしての性能が優れているので売れるのだろう。しかし、画像には個人の好みの問題もある。ポートレートを主体に撮影している当方は、安価なペンタックスを使用する機会が多い。ニコンカメラの出番は、失敗したくない場面である。

 

数ヶ月前、ペンタックスのカメラで大失敗をやらかした。カメラの設定ミスでピンぼけ写真になってしまったのだ。撮影直後確認したときには、それなりに写っていたのでペンタックスの絵柄と勘違いし安心して、拡大し確認することを忘れた。

 

自分のミスなのでカメラのせいではないが、一度取り返しのつかないミスをすると「もしニコンのカメラだったなら」という思いが出てくる。ニコンのカメラでは、これまで撮影のミスは無い。58mmという中途半端な焦点距離のレンズが欲しくなった。人間の嗜好とは不思議で、マーケティング技術が存在する理由を理解できる。

 

新レンズは値段を下げた普及版を出せば、新しいニコンファンを増やせるのではないか。ニコンレンズの共通したカリカリとした写りに不満な顧客は多いように思う。長年のペンタックスファンはその一例だろう。

 

 

カテゴリー : 一般

pagetop

2014.08/24 ボディーアートフォトコンテスト

「JAPAN Face Painting & Body Art Show 2009」という珍しい大会が2009年9月22日に開催された。たまたまインフルエンザの世界的流行でアーティストの欠席が相次ぎ、芸術学部に入学していた娘に飛び入り参加の要請があった。

 

ボディーアートなど未経験の娘であったが、参加したいと相談してきた。20歳になっても父親に相談してもらえる、と喜んでいたら、写真家と組んで参加するという大会規程があるので一緒に参加して欲しい、という内容であった。相談内容には、少しがっかりしたが、父親と一緒に出たい、という言葉に動かされた。

 

大会の様子は今でも「 http://2011.japanbodyart.com/2009/」で見ることができる。この大会では、ボディーペイントのコンテストと同時に会場の様子を撮影した写真コンテストも同時開催された。この写真コンテストでは、ポートレート撮影になるので、ペンタックスD10で参加した。レンズはお気に入りの77mmLimitedレンズである。

 

ペンタックスD10は、二台目のデジタル一眼レフカメラである。一台目は、当時驚異的連射速度を誇ったニコンD2。娘の運動会では活躍したが、日常使うには重すぎた。レンズをつけると1kgを軽く超えるのである。このカメラを使用するために毎日鉄アレイトレーニングを始めたほどである。

 

また、ニコン特有のメリハリのある絵が、家族写真に向いていなかった。しわまでくっきり写るのである。女性をとるには軟調気味のペンタックスがよく、また少しノイズ感のある絵がデジタルカメラでありながら銀塩写真のようでペンタックスを気に入っていた。

 

真実をそのままくっきりと写すカメラが必ずしもよいとは限らないと思う。特に女性ポートレートは、柔らかく写るカメラが最高だと思うし、年齢を重ねた被写体には喜ばれる。ペンタックスの77mmLimitedレンズは不思議なレンズで、おそらく光学性能は良くないのだろうけれど、ポートレートに使用すると、プロ写真家が撮ったような絵が出てくる。

 

フィルム時代から気に入って使用していたが、D10でもほとんどの写真はこの77mmで撮っていた。ただD10の撮像素子はAPS-Cサイズなので、フィルムカメラ場合よりも被写体と距離を置く必要があるのが欠点だった。

 

ボディーアートのコンテストで娘は素人ながら2位になった。写真家として参加した当方の結果は、このコンテストを紹介したホームページをご覧ください。

カテゴリー : 一般

pagetop

2014.08/23 ニコンの一眼レフ

20世紀末になると写真機のデジタル化が加速された。しかし、当時デジタル一眼レフはまだ高価で、銀塩写真同等の画像が得られる製品は、ニコンやキャノンのハイエンドの製品しか無かった。デジタル化の流れの中で、明らかにキャノンが先行しニコンがその後を追いかけ、他のカメラメーカーはどんどん置き去りにされている状況が生まれていた。

 

キャノンのハイエンドのデジタル一眼レフは、当時デザインを除き気に入っていた。デザインはジウジアローによるニコンの一眼レフが好きだった。グリップ部分に一部赤色を入れたデザインは、ゴム会社のロゴデザインと同じく、かっこいいと感じた。

 

美しくなければ車ではない、という刺激的コマーシャルがあったが、美しくなければカメラではない、というフレーズを当てはめてみたくなるのがニコンのデジタル一眼レフだった。デジタル一眼レフは将来ニコンでシステムを揃えようと思い、とりあえず会社に貢献するために、フィルムカメラニコンF100を購入した。

 

F100を使用してびっくりしたのは、写真の失敗作が激減したことである。ペンタックスのカメラでは24枚撮りのフィルムで平均20枚ほど気に入らない写真となっていたが、F100を使用したらこれが5枚ほどになった。ただ、ベストショットは、ペンタックスのカメラからいつも生まれていた。ペンタックスのカメラによる写真はばらつきが大きかったのだ。スキルが無くてもほどよい写真が得られるのがニコンのカメラだと思った。

 

F100を購入して1年ほど経ち、ペンタックスとニコンで撮られた写真を比べてみたら、ペンタックスで撮影した写真のほうが良い写真が多かった。運動会の写真ではF100が圧倒的にその性能を誇示していたが、その他はペンタックスであった。ニコンのカメラで撮影した写真は、どこか硬かった。ペンタックスの少し軟調気味でぼけ味が柔らかい写真が、ポートレートに最適だった。

 

たまたまヘーベルハウス主催でキャノンが協賛の撮影会の案内を妻が見つけて、参加することになった。写真家の桃井氏が審査員及び講師としてキャノンのデジカメを持って参加していた。まわりを見ると大半がキャノンのカメラで参加しており、ペンタックスとニコンのカメラで参加したのは当方だけであった。撮影会のモデルはカメラ雑誌でおなじみのモデルだったので少し気合いが入った。F100を選択して参戦した。

 

残念ながらフォトコンテストでは優勝を逃がし、二位であったが、キャノンの双眼鏡を手に入れることができた。一位はキャノンのkissで撮影された写真であった。kissは当時キャノンの戦略的新商品で、参加者の多くがkissを使用していたのも、協賛がキャノンゆえに納得のゆくコンテストであった。その様な状況でデジカメで撮られていない写真が二位になることができ、F100の実力に感服した。おそらく状況からペンタックスでも一位になれなかっただろう。

 

カテゴリー : 一般

pagetop

2014.08/22 ペンタックスの一眼レフ

学生時代にアルバイト代を貯金してペンタックスME及びレンズを3本ほど購入した。人生初めての一眼レフカメラである。それまでオリンパス「PEN」を使用していた。父親はコニカの一眼レフを使用していた。

 

ペンタックスの良いところは小型軽量で操作がよく考えられているところである。当時カメラの自動化でシャッター速度優先か、絞り優先かという議論がなされていたが、ペンタックスは絞り優先の自動化を推進していた。キャノンはシャッター速度優先であった。

 

ポートレートを撮るときには絞り優先になる。スポーツ写真を撮るときにはシャッター速度優先になる。このような説明がカメラ雑誌にされていたが、絞り優先カメラでも、シャッター速度優先で使用することも可能であった。ファインダーを覗きながら、絞りリングを調整すれば良いのである。

 

初めての一眼レフで姪を撮影し、カメラ雑誌に投稿したところいきなり佳作に入選した。撮影技術など未熟であったが、カメラがすべて条件を設定してくれるので、構図だけを考えれば良かった。また絞りを開放気味にすればボケが良くなることは理科の知識があったので分かっていた。

 

うまく背景がボケて、構図も良く、モデルもよければ簡単に入選するのがフォトコンテストと誤解した。以後投稿するのをやめた。29の時にカメラ雑誌に投稿しなければいけない事態になった。初めて投稿して入選した自慢話をしたら、某女性からポートレート撮影で写真雑誌への投稿を頼まれたのだ。

 

犬吠埼で撮影し、人生二回目の雑誌のフォトコンテストに応募したが、これは三席に入選した。モデルが良かったのだ。こちらが依頼しなくても様々なポーズをとってくれた。写真技術というのは難しく奥が深い、と加納典明がパーソナリティーを務めるラジオの深夜放送で40年ほど前に語っていたが、自動化されたカメラを使用した場合には、その敷居はぐっと低くなる。

 

33歳で結婚するまでペンタックスMEを使い続けたが、新生活を始めるに当たり、ペンタックス初の自動焦点カメラに買い換えた。小型軽量のペンタックスの特徴はなく、また外装はプラスチックで安っぽかった。しかしストロボを初めてカメラに搭載したデザインを気にいっていた。

 

 

 

 

カテゴリー : 一般

pagetop