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2016.01/26 21世紀の開発プロセス(13)

ポリアニリンを用いたLi二次電池のテーマは、研究開発本部で企画された。企画から研究、そして事業開発まで段階的に進められた。当時ステージゲート法などが生まれているが、それに近い研究開発管理手法で事業テーマまで進められ、そして、日本化学会から技術賞を受賞して事業を辞めている。
 
一方、高純度SiCのテーマは、その成り立ちから研究所内では歓迎されていなかった。企画提案は当方の手により、その過程はこの活動報告で書いたとおりである。しかし、フェノール樹脂天井材開発を担当していたときの企画内容を知っている上司から提示された海外留学先のテーマは、まったく無関係のセラミックス研究テーマ(注)だった。海外留学から国内留学への変更が人事部との調整で通ったのも、この点が幸いした。
 
さらに、会社内の新事業テーマとして社長決裁を頂くまで手続きを進めてくれたのは、新事業推進部門であり本社組織だった。それでも一応テーマのスタート時には、研究開発本部内に20名ほどのグループが組織されたが、Li二次電池の商品化めどが見えた段階で、一気に5名までその組織は縮小されている。その後、当方1人になるのだが、研究開発本部にテーマ予算コードだけは残っていた。
 
住友金属工業(株)とのJVをスタートさせるまでは、様々な障害があった。様々な障害があってもくじけずがんばることができたのは、FC棟の起工式の日に入院され、竣工式の日にお亡くなりになった上司の存在である。この上司は、高純度SiCプロジェクトの最初のリーダーだった。
 
この方からは、テーマの扱いの裏事情に関し涙の出るようなお手紙を留学中に頂いている。この上司始め、無機材質研究所の先生方の応援があって半導体冶工具事業の立ち上げまでがんばることができた。
 
テーマの成り立ちからその進め方まで、高純度SiCの研究開発でマネジメントの教訓として重要な点は、そのテーマを必ず事業として成功させる、というサポーターが社外にもいた、ということだ。さらに、社内にもその情熱を若い人に伝える管理者、経営者がいたことである。
 
経営者については、研究開発本部へ社長職場訪問があれば、必ず社長はFC棟へも訪問し、声を掛けてくださった。一人になった時に、こっそりと社長が常務と二人で来られた時には感動した。新事業を成功させるために研究開発手法も大切だが、経営人の新事業に対する情熱を伝えようとする努力は、どのように下手なマネジメントが行われたとしてもそれを補うだけのパワーがある。なぜなら、それ以上の明確な貢献のベクトルを示す行為は無い。
 
(注)当時研究管理部でもセラミックスの研究調査を進めており、エレクトロセラミックスが提案されていた。イメージとして既存のコンデンサー事業があがっていた。他社を凌駕し市場をイノベーションする技術シーズがあったわけでもなく、マーケット規模に着目した企画だった。それに対して高純度SiCの企画は、将来登場する電気自動車に必要なパワー半導体や当時ブームの牽引役であったエンジニアリングセラミックスを盛り込んでいた。重要なのは当時の技術をイノベートできる技術シーズがあったことだ。すなわち。フェノール樹脂とポリエチルシリケートから製造された低価格コポリマーは、アカデミアの10年先を行く成果だった。ゴム会社や写真会社で新事業のエンジンとなる技術企画に携わったが、技術シーズやイノベーションについてその考え方に、かなり個人差があることがわかった。さらに、ベクトルを合わせやすいと思われる会社に適しているかどうかに関する視点、適社度も意外にうまく議論がかみ合わない。そもそも企業のミッションというものさえ定期的に定義しなおす必要があるのに、現在の事業にとらわれて新事業を企画している愚かさに気がついていない場合が多い。

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