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2016.02/06 科学者は知識労働者である(3)

科学者も技術者も知識労働者であるが、技術者に比較して科学者には知識労働者という自覚が無い人を見かける。技術者は、その姿勢において、お金が儲かりそうなモノを創り出そうとするが、科学者の中にはお金に無頓着な人もいる。
 
これは、技術者は自然界から人類に有用な機能を取り出すことが仕事だが、科学者は真理を追究することが仕事という働く時に扱う仕事の特性が影響しているように思う。科学者にとって真理は重要だが、その真理が直接人類に役立つかどうかはどうでも良いことなのである。
 
真理がそれほど解明されていない科学の黎明期の時ならばそれも許されたかもしれない。エジソンのような技術者が、次から次へと生みだされる真理からどんどん技術を開発していったので、科学者は特に働く意味が分かっていなくても社会へ貢献できた。
 
しかし、現代はTV番組の「トリビアの泉」のような無駄知識があふれているような時代である。新たに生まれる真理が何に役立つのか分からない時代になった。少なくとも科学者自身がその真理について社会への貢献の視点でマネジメントしない限り、その分野の周辺で仕事をしている技術者でさえ意味不明の真理があふれている。
 
科学と技術の関係において、車の両輪ということはよく言われるが、今やその車輪は独立懸架の時代で、科学者が、自分の生み出した、あるいは生み出そうとする真理を技術者へ理解できるように説明しない限り、技術者は、新たな真理を活用できなくなっている。
 
かつては、車軸でつながっていた科学者と技術者の分業体制で技術の発展ができたが、今や科学者が技術者と同じことを取り入れて実行しなければ、科学の生み出した成果で社会に貢献できなくなってきた。ヤマナカファクターはその象徴であり、その発見方法はまさに技術者の手法で行われ、現在iPSの研究と開発は科学者により進められている。
 
このような時代になると大きな問題になってくるのが、科学者が正しく知識労働者であることを自覚しているのかどうか、と言う点である。正しく自覚されておれば、その成果は人類に役立つものになり、科学者は貢献できるだろうし、少なくとも多額の給与を得ながら「あの日」のような本をかくような事態にはならない。講談社は科学の書籍を出版し貢献している会社、という自覚を持つべきだった。
 
 

カテゴリー : 一般

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