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2026.07/04 運(2)

某洗剤メーカーのコンピュータ部部長の書いた書籍が原因で、低価格なマイコンによるOA化を研究所でも推進しようとなった。上司がOA委員長となり、当方は入社間もないのに事務局にされた。

OA委員会のメンバーを見れば仕方がないことだが、誰もマイコンを見たことが無い。ただ、部屋の片隅には、IBM3033の端末が置かれていたので、概略のイメージがあったようだ。

当時8bitのマイクロチップと64kBのメモリーチップを搭載したコンピューターをマイコンと呼んで、ワークステーションやミニコンとは区別していた。マイコンはシャープのMZ80Kがキット販売されていた時代で、家電製品のように普及していとぁけではない。

登場してから3年後でもこのような状態であり、ChatGPTが登場するや否や、披露宴の祝辞をチャッピーで作りました、と中年のおっさんが自慢するほどのイノベーションスピードは無かった。

MS-DOS環境で一太郎などのソフトウェアが普及するまで、マイコンがマイクロコンピューターの略なのかMyコンピュータの略なのか、というつまらない議論がなされていた。そしていつの間にか、オフコンやパソコンという言葉が使われる時代に入った。

16bitマイコンの時代になっても、コンピュータを動作させるためにプログラムが必要と知っている人も少なかった。詳細は省くが、薬品管理プログラムを開発し、消防署の査察があっても慌てないようにマイコンで薬品管理をしようと委員のメンバーから提案があった。

しかし、マイコンを導入するのはプログラムができてから、となり、当方がそのプログラムを開発するように命じられた。しかし、プログラムを開発するために必要なマイコンが職場に無かったのである。

OA委員長は、英文を書くようにプログラムを書けばよいではないかという。プログラム開発にはマイコンがいると、当方が主張したら、君が買いなさいとなった。本には16万円と書いてある、とベストセラーの1ページを開いて見せてくれた。

当時フロッピーディスクドライブは、マイコン本体よりも高価だった。プリンターはさらに高価であり、一式そろえるとインターフェースやOSも含め、100万円前後になった。

それを秋葉原で値切って80万円のローンの書類を上司に見せたら、簡単に保証人の欄に印を押してくれたのである。これも今から思えば、運が良かった出来事になる。

月給10万円の時代に80万円のローンを抱えたなら、勉強も必死になる。アセンブラーからFORTHなど当時話題になっていたコンピュータ言語は一応すべて勉強した。但し、1年間は独身寮の食事以外食べられなかった。

カテゴリー : 一般

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