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2025.01/15 暗黙知(6)

神とか仏を信じるかどうかは、哲学の暗黙知なのかもしれない。この世の中には、人知の及ばないものは無く、神と仏など存在しない、と言い切る人がいるが、当方はいて欲しいと思っている。


例えば、昨年末話題となった人間の頭部が並んだ景観をSNSにアップしただけでなく、献体であることも考えずピースをした女医や、それをかばった上司など神や仏の存在など信じていないかもしれない。


当方は、朝仏壇に手を合わせるのを忘れ、朝食を食べているときに突然思い出して、慌ててお勤めを行うことが度々ある。仏教信者でないため仏壇があっても朝のお勤めを時々忘れるのだが、面白いのはいつも父親が現れるのではなく、母親が時々現れて思い出すことである。


躾について父親は大変厳しかった。そのため父子の関係はややいびつだったと思っているが、母親は優しくても教育には厳しかった。夏休みの宿題を必ずやり終えない限り、どこか旅行には連れて行ってくれなかった。


宗教に疎い当方は兄が亡くなった時に慌てて仏教のお勤めについて浄土真宗の僧侶に習った。理由は不明だが、毎月実家でお経を唱えていたのは大谷派の僧侶であったがご先祖の遺骨は西本願寺の納骨堂にあった。


ゆえに2カ所で尋ねたのだが、大谷派の僧侶の説明が分かり易く合理的だった。ゆえにそれに従い、仏壇に手を合わせている。不思議なことに、この習慣を行うようになってから仏教に関心が沸いてきた。

子供のころから仏教を信じていなかったが、関心が高まる気持ちと向き合うようになり、もう少し三途の川に近くなってから、と言い聞かせている。


学生の時でも試験直前にならなければ勉強しなかったのである。仏教に関心が出てきたからと言ってすぐにそれを学んでしまっては、寿命が縮まるような気がしてならない。

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