2019.11/30 昨日の朝ドラ
昨日の喜美子と父親常治の対立には胸を打たれた。きっかけは喜美子の妹百合子の進学であるが、働く意味についての激論だった。
喜美子は、絵付師深野が新しいことに挑戦するために会社を去る、すなわち、ドラッカーが言うところの働く意味における自己実現について語っているのだが、それに対する常治のセリフには胸を打たれた。
常治は、生きるために働かなければいけない、だから一生懸命働いている、それがわからなければ出ていけ、といって喜美子の前から去るのだが、働く意味を貢献と自己実現と語れるのは幸せな時代と身に染みて感じた。
豊かな時代の今、常治の「働く」論理の時代があったことを忘れていた。多くの常治により今の豊かさがもたらされたことを思い出させてくれた15分だった。
そもそも社会の安定があり、皆が仕事にありつけて食べていける状態になって初めて自己実現が問題となるのだ。
バブルがはじけて30年経ち、社会が二分化されてきた問題が指摘されている。また、仕事があってもその賃金で食べていけない状態がテレビで特集として組まれたりしている。
中国の状況を見ている当方からは、ただ富の分配がうまくいっていない、というステレオタイプ的な解釈では説明がつかないと感じる今の日本である。
カテゴリー : 一般
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