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2021.06/15 若い人へ(3)

理研で起きたSTAP細胞の騒動では、優秀な研究者が職場で自死している。また割烹着を着た姿が有名になった研究者は、学位を剥奪されている。

もっとも、彼女の学位論文はコピペやらデータの改ざんやら科学の研究論文として専門家が一読すれば問題のあったような論文に一度博士の学位が与えられた事実があまり問題になっていない。

彼女は、その著書やインタビューで科学者として一人の先生に指導されたことのない悔しさを語っていたが、これは奇妙で理解のできない説明である。

理研の所長が未熟な科学者による事件と言われたことに応えたのかもしれないが、職業として科学の研究者を目指すならば、自ら学ぶ姿勢が求められる。飽くなき真理の追究をできる資質を持っている人が科学の研究者になれるのだ。

技術は人間の営みの中から創り出してゆくものだが、科学は一つの真理を求め続ける哲学の世界であり、科学の世界で生きてゆくならば、一生学び続ける覚悟が必要だ。科学の世界では学びながら常に真理を求める姿勢が基本であり、とにかく必要なモノを作り上げる技術の世界とは一線を画す。

技術の世界では、それが真理がどうかは重要ではなく、日々の営みに求められる機能を繰り返し再現性よく実現できればよい。その再現性が高いものを品質が安定しているとかロバストが高い商品、と表現している。

しかし、科学ではたった一つの真理が重要であり、実験のやり方も含め技術とは異なる姿勢で現象と接する。そしてその方法は、義務教育の指導要領にも書かれており、日本では小学校から科学教育が行われているのだ。

ゆえに、真理を得るための論理の体系としての形式知だけでなく実験のやり方も含め現象と接する姿勢までも中学を卒業するまでに学んでいることになっている。

受験勉強では形式知の詰め込みでよいが、日々の学びを真摯に子供のころから実践しておれば、コピペやデータの改ざんが実験のやり方やそのまとめとして不適切であることが身についていなければいけない。

そのように社会では判断される。STAP細胞の騒動がどのような事件であったのか、彼女は著書の中で日本の教育の在り方と学ぶ側の問題とをもう少し議論すべきだった。もし、自死された研究者が彼女の著書を読んだならどのような感想を持たれただろうか。

当方なら死んだことを後悔する。後の後悔先にたたず、で、自死を選んだ場合にはどうしようもないのだ。生きておれば、出来事の歪んだ情報を正すことができる。だから、どのような時でも絶対に死を選んではだめだ。

(注)当方はゴム会社で20代に高純度SiCの半導体治工具事業を0から企画し、この事業は当方の定年退職した65歳までゴム会社で続き、当方の退職の年に愛知県にあるMARUWAへ事業譲渡された。残念ながら当方はFD事件を収拾するために1991年に転職している。

企業で新事業を起業するときに市場の戦い以外に組織内部の戦いがあることを知っておく必要がある。いくら経営陣が支持している新事業でもイノベーションを伴うので組織内部にもその大小はあるが抵抗が発生する。当方は、あからさまな業務妨害を受けていた。それが住友金属工業とのJV立ち上げで大きくなり、一人で業務を担当していたにもかかわらず、電気粘性流体の商品化を手伝えという。それも電気粘性流体に関わる情報は外部との共同研究の機密書類であり見せることができないので、とにかく問題を解決せよ、と言われた。当時先端材料の電気粘性流体がどのようなものかわからないので自分でも作ってみた。

営みの延長線上で、思考実験により見出された電気粘性流体に必要な機能を構造で具体化した傾斜機能粒子、微粒子分散型粒子、コンデンサー分散型粒子を作ってみた。これらは6年研究開発されてきた電気粘性流体よりも高い性能を示した。また電気粘性流体の耐久性を改善する技術をラテン方格を用いた試行錯誤により一晩で見出した。その結果、会議前になるとFDをいたずらされる妨害が始まった。そのつらさから死んでしまいたいと一瞬思ったこともあるが、ヘッドハンティングの会社からセラミックスのキャリアを必要としない写真会社を紹介されたので転職した。

面白かったのは、高純度SiCの事業が学会の技術賞に推薦された時にその審査員として写真会社から任命されていたことだ。この推薦書には当方が転職後に研究開発が始まったと書かれていた。受賞者には電気粘性流体の担当者もいた。生きていなかったら、このような冗談を見ることも無かった。その他、生きていて本当に良かった、と思えるようなことがこの高純度SiCの仕事では多数遭遇している。

生きることはつらいこと、というセリフを読んだことがあるが、本当につらいことは、生きていることの否定ではないだろうか。当方だけでなく住友金属工業との共同研究や無機材質研究所との共同研究までも否定した推薦書は差し戻しとなり2年後改めて受賞することになる。なぜ、生きていることをたたえなければいけないのか、生きている結果としての働きをたたえあう社会や組織が実現されれば、その答えが見えてくる。コロナ禍における年寄りどおしのメール交換にささやかなたたえあう情景をみつけ元気が湧く体験にも答えがある。生きていることをたたえあうのは生きていることはつらいことではなくたたえあう価値のあることだからだ。神楽坂でまたマスクしないで飲み食いしたい、という願望がつづられておれば、それを思いっきり応援する。ささやかな日々の営みに生きている楽しさは、その存在が脅かされていても応援者がおれば楽しくなるのだ。若い人に申し上げたい。人との交流を大切に生きてほしい。STAP細胞の騒動で一番残念な出来事は、それが見つからなかったことではなくて、研究者に死を選ばせるような交流が行われていたことだ。

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