音楽は全くの素人と言うよりも不得意科目だった。それを改めて学ぼうと努力しているのだが、教則本をいろいろ取り揃えて読んでいると面白いことに気がつく。
ギターの教則本と言えばカルカッシの教則本がクラシックで有名であり、ジャズやロックの教則本にもこの流れをくんでいるものもある。古い教則本に多いが、新しい教則本にはジョー・パスの教則本に類似の構成が多い。
すぐにギターが弾けるようになる本は無いかと探していたら、10数冊ギターの教則本ばかり集まった。面白いのはNHK趣味のギター教室の教則本である。神田の古本屋で見つけた1970年代のNHKギター講座の教則本は古賀メロディー一色である。
今ならば編集会議でクレームが出ただろうと思われるが、古賀メロディーにチャレンジしたい方は、この教則本が良いかもしれない。2009年のNHK趣味悠々の教則本は石川鷹彦氏が担当しており、これは70年代のフォークソングで全体が構成されている。
アントニオ古賀氏の教則本はカルカッシのそれに近いが、石川氏の教則本は読み物として仕上がっており、DVDも付属しているのでお買い得である。要するに見て覚えよ、というスタイルである。
後者は1曲1曲仕上げてゆきながら学べるので飽きない限り楽しい教則本である。前者は運指方法の練習で多くの人は挫折するかもしれない。
養父貴氏の「ギターで覚える音楽理論」は、1-2曲ギターの弾ける人には適した理論書と思われる。基礎的な知識から始まり、論理的に構成されている。但し、これを読み終えたからと言ってすぐにジャズギターを弾けるわけではない。
布川俊樹氏の教則本は、いろいろ出ておりCDも発売されていた。この人の著作だけでも5冊買い込んだ。矢堀孝一氏についてはDVD含め3冊あり、面白いのはジョー・パスと布川氏の良いとこどりをしている。
教則本ばかり読んでいてもなかなかギターが弾けるようにはならないが、2年近く様々な教則本を読んできて面白いことに気がついた。自然科学の教科書には大体の定型的な流れがあるが、ギターの教則本はバラエティーに富んでいる。
最初に書いたようにおおよそのタイプに分類することも可能だが、著者の気持ちになって読んでみると、それぞれの流儀が見えてくる。例えば矢堀氏は布川氏にギターを習ったと序文で述べておられるが、著書の流れは布川氏ではなく、ジョーパスである。ジョーパスの影響を受けているのかどうかは知らないが、布川氏のスタイルと少し異なる。
昔、バーローの物理化学を読み、本の構成も含め教科書としてその斬新さと癖の強さに感動したことがあるが、自然科学の教科書にはこのような例は少ない。ゆえに形式知と呼ばれるのかもしれない。
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昨日音楽における固定度と移動度の違和感を感じたことから音楽教育についてその指導要領を見直してほしい、と一言書いたが、形式知にもそのような部分が存在する。
当方は、FDを壊され転職したという不幸からセラミックスから金属、高分子材料まで学習する幸運に恵まれた。学位論文の中心が高純度SiCの反応速度論だったので、高分子材料についても何かまとめたいと思っていたら、ゴムタイムズ社から「混練」について教科書を書いてほしい、と依頼されたので2年前ハンドブックとして上梓している。
この本では高分子の混練について知っておくべき知識を経験知と形式知を中心に分配混合と分散混合の体系を意識して(材料の変性を意識し、材料を中心として、分配混合と分散混合とは異なる視点で)まとめている。4500円とこの手の本としては安価であり、弊社にご注文いただければ、消費税と送料をサービスいたします。
さて、固定度と移動度に潜む違和感以上に違和感を感じているのは、無機化学と有機化学で議論される結晶や、拡散、混合に関わる現象についてその説明である。
自然科学において数学は現象を記述する言語のように例えられる。ゆえにそれぞれの分野で現象を説明するときには数学表現で行われるのだが、無機化学でうまく表現されていたものが有機化学ではうまく表現できないにもかかわらず、強引に当てはめられているような違和感を持っている。
無機化学ではイオン反応が中心になるので、原子の玉を仮定して議論を進めればよいので数学で表現しやすいが、有機化学では、C-C結合で一定の立体形状を持たない分子の引き起こす現象となり、数学表現が複雑化する。
これを取り扱いやすくするために粗視化したりして計算するが、その結果について固定度と移動度以上に強い違和感を感じているのは当方だけだろうか。この違和感のおかげで、写真会社では数多くの特許を書くことができた。ジョー・パスの枯葉において多くのアイデアが展開されている理屈と同じである。
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現在の音階ドレミファソラシドを決めたのは音楽の父バッハである、と言われている。バッハより前にも音階は存在したらしいが、ピアノの鍵盤の並びを平均律としてチューニングし、様々なピアノ曲集はじめ現代にもその音楽表現が「鼻から牛乳—」として伝わるような「トッカータとフーガ」の衝撃的な出だしを作曲している。
ニュートンと同時代を生きた人物であり、マッハはニュートンを非科学的と断じているので、ちょうど科学が生まれる直前17世紀末から18世紀初めに活躍している。
ニュートン力学は高校生で学ぶが、バッハのドレミファソラシドは小学校で平均律による固定度と移動度を学ぶ。固定度は「ハニホヘトイロハ」と呼び、ハ長調やヘ長調など、かなり深いところまで学ぶ。
ギターを弾き始めて感じたのは、学習指導要領のアンバランスである。中学校でもう少し体系的に指導すればよいところをなし崩し的に知識を詰め込むので音楽の体系を誤って覚えてしまうことになる。
当方は固定度と移動度を単純にドの位置が変わるだけ、として身に着けていた。しかし、ギターを練習し初めて気がついたのが、調を変更すると曲のニュアンスがわずかに変わるのである。
ギターのチューニングがおかしいのではない。移動度でドレミファソラシドを弾いていただければ、その微妙な音の響きの違いに気がつく。ドレミファソラシドと思って聞いてしまうとその違和感に気がつかないが、音の流れとして捉えると波長の並びの微妙な違いに気がつく。
絶対音階の身についている人ならば、小学校の時から違和感があったかもしれない。「全全半全全全半」は、ドレミファソラシドの各音の間隔を表現しているが、これは平均律を前提として省略した表現である。
平均律ではなく純正律でラの音を示せば440Hzの振動となる。ギターでチューニングする時最初に440Hzの基準音叉を用いて5弦をチューニングし、他の弦は、この5弦を中心にしてチューニングしてゆく。今はチューニングメーターがあるので簡単だが昔は大変だった。
一つの曲で転調が効果的に聞こえるのは、音楽の流れの中でスケールの変化をとらえていることとも関係していると気がついたが、このようなことを小学校から体系的に指導すべきと思う。
例えばジョーパスは、枯葉をト長調(Gmajar)で演奏しているが、一般に枯葉はB♭majarで演奏されている。ここに気がつくかどうかで、彼の演奏のからくりを理解できるかどうかが変わる。彼の「枯葉」を昔聞いて「ジョー・パス」という名前を知ったが、このあたりの強い感動を引き出すために調を変えていることが大きいと思っている。
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財務事務次官の矢野氏による政府批判が週刊誌に掲載され、それが問題になっているようだ。更迭という意見も飛び出した。週刊誌の内容はまっとうな意見であり、もしこれを政府が更迭するようなことがあれば、国民の反発を招くことは必至である。
安倍内閣の時には、忖度の結果省内の資料を書き換える、という問題が発生し、部下を自殺に追い込んでもトップに従おうとする次官が問題となり、こちらは現在遺族による裁判が進行中である。
今回は真反対のことが問題となっている。組織の在り方としては今回の問題のほうが国民にはありがたい。なぜなら政治の現在の問題が明らかにされるからだ。
とかく政治の結果と言うものは、10年以上過ぎた後でなければ、正しい問題が明らかにならないことが多い。例えば郵政民営化について、民営化したメリットの方がはるかに大きかったことが現在明らかになっている。
土日の配達も無くなるようだが、電話やメールなどの通信手段が普及した現在において郵便物が毎日届けられる無駄は、まだ切り詰めた方がよい。速達との併用で隔日配達にしても良いとさえ感じている。このようなことは民営化されなければ議論さえ起きないかもしれない。
ところで、事務次官は事務方のトップであり、現場の状況を把握している責任者である。今回は正しい手順を踏んで週刊誌への発表に至った、と上司である大臣はこの次官を擁護している。
税金のアップを狙ったパフォーマンス、という見方もあるようだが、ここは素直に受け取りたい。故ドラッカーは異なる見解こそ重視せよ、と言っていた。すなわち異なる見解には予期せぬリスクの指摘などの合意された見解に見えていない問題が指摘されているからだが、今回の事務次官の財政問題に対する見解を国民は注視する必要がありそうだ。
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ここのところ大手企業の早期退職者募集記事がニュースとなっている。昨日SPA!電子版記事に「正社員9割が負け組に転落、日本の絶望的近未来とは」というタイトルがあった。
内容はバブル崩壊後言われ続けてきたことの総まとめであり、目新しい記事ではない。高卒者の50%以上が大学へ進学する時代であるにもかかわらず、少数の高度な業務をこなせる人材で運営が可能となっている現在の組織では、大卒として入社しても入社後能力が向上しない人材が不要となるのは当たり前である。
当方は55歳となった時に早期退職制度を利用して退職しようとしたら、環境対応樹脂の開発をしなければいけないといわれ2011年3月11日を最終日に設定して、退職を延期した。
相談されたので、まじめに退職を延期して仕事をやって成果を出してみても退職金が増えるわけでもなく、最終日に準備された最終講演も退職記念パーティーも吹っ飛んで帰宅難民となった。
会社にしがみついていたわけでもないのにひどい目に会う時代である。かつての時代のように会社にしがみつこうとしても、組織にふるい落とされるのは仕方がないことである。当方は地面が震えてしがみつくつもりが無くても退職した会社に泊まることになった。
サラリーマンの現実とは退職さえも希望通りとならないことを悟っておれば、勝ち組も負け組もない。退職しても日当も出ず1晩余分に会社に縛り付けられたサラリーマンもいるのだ。
ふるい落とされる前に自分から会社を辞めるのが今の時代のサラリーマンの理想の姿である。当方はゴム会社で新事業を立ち上げたが、その過程において本部長が交代したとたんにFDを壊されるなどの妨害を受け、写真会社へ転職している。
この時は、9月30日までゴム会社に出社し、翌日10月1日に写真会社へ出社している。朝新宿駅で中央線を待っていたら、ダイヤが乱れており、特別快速が3台続けてきた。新小平駅に未練があって待っていても現実は迷いさえも許さない。
そしてゴム会社で構築したセラミックス技術者のキャリアをすべて捨てて、高分子材料技術者として出直した。38歳の時である。この時の経験や今ギターの練習から学んだことを基にサラリーマンへのアドバイスがあるとしたならば、65歳まで勉強の機会がある、と信じて自己研鑽に努力する人生をお勧めしたい。
65歳としているのは、当方の体験からであり、個人差があるかもしれないが、誤差を考えても60歳までは若い時のように勉強できるだけの力が現代人には備わっている。65歳を過ぎるとかなりの忍耐と向上心が無い限り、学ぶ活力は出てこないように思う。
当方は、ゴム会社で高純度SiCの事業を住友金属工業とのJVとして立ち上げるまでの6年間、まさに死の谷を一人で歩き続けた経験があり、65歳を過ぎた今、それを思い出しながら音楽を学ぼうと努力している。孔子は40歳が限界だったようだが、栄養状態が良くなった今の時代は60歳(注)すぎても勉強は可能なので、まず弊社にご相談ください。
(注)亡父は死ぬまで勉強が口癖だった。遺品を整理していたら、死ぬ直前まで勉強していた記録が残っていた。恥ずかしながらこの時人生において学ぶ意味を理解できた。亡父は100歳になってもボケることなく、当方を叱るのが習慣となっていた。亡父の人生観から当方を見たらナマケモノになってしまうが—-
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音楽の才能など無いことを承知しており、それでも昨年コロナ禍でstay homeを強いられたためギターの練習を始めた。オークションで落札した7万円のセミアコは生鳴りの音がギブソンES335よりも美しく、その効果もあり、エフェクターを通さなくても手製のスピーカーからきれいな音が出てくる。
とりあえず指板上の音名を把握でき、簡単なメロディーならば、楽譜を見て弾くことができるようになった。しかし、コードとか音楽理論がなかなか頭に入らない。おおよその体系を理解できても、すぐにそれを使うことができないもどかしさがある。
おそらく専門外の人が高分子やセラミックスの教科書を理解できたとしても、その知識をすぐに材料開発に応用できないもどかしさとこれは似ているのかもしれない。
音楽理論を演奏に活かすためには、あとどのくらいの時間がかかるのか不明だが、記憶力が若い時よりも落ちてきている現実をどう克服するのか悩んでいる。反復学習の効能を理解していても、反復練習しているときに覚えていた知識を翌朝すっかり忘れている。
この繰り返しですでに半年が過ぎた。小学校のときから新しい知識を学ぶことに関してあまり抵抗はなかったが、この低下した記憶力は、学ぶ上においてものすごい抵抗となっている。
ただし、毎日少しずつ進歩している実感はある。それは、学んで身に着けたはずの知識についてどこを忘れたのか思い出せるからだ。断片的に知識として残っている部分があり、それがやりがいにつながっている。
努力して獲得した知識をほぼ忘れることは悲しいことだが、忘れた部分を覚えている自分をほめながら断片的な知識を頼りに再び同じ内容を確認している。ある女性ランナーが、金メダルを取れなかったが自分をほめてやりたい、と言っていたことを思い出したが、これは学ぶためのよいコツかもしれない。
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ドラッカーは、頭の良い人は、しばしば間違った問題を正しく解いて成果を出せない問題を指摘していた。そして頭の良さは、体系的な仕事を通してその良さが発揮される、と頭の良い人の問題を指摘していた。
QMSを導入している会社は多いと思われるが、これは頭の良い人が世の中に増えすぎたために、会社内の仕事を体系的にできるようにしたものである。これは皮肉ではなく、知的労働者のためには体系的なマニュアルこそが、誤った成果を出さないために必要、と言っているようにも思われる。
ところが困ったことに、日々の問題一つ一つに体系的なマニュアルを誰かが書いてくれるわけではないのだ。だから間違った問題を解くような問題を防ぐために問題解決法を身に着けている必要がある。
残念ながらこれを学校では教えてくれない。最初に述べたような誤った問題の正しい答えを導かないためにも、体系的な問題解決法が必要となるが、科学的に体系的な問題解決法ならば小学校から習っている。
弊社では学校では教えていない、問題解決法を指導している。そしてそれはある程度の体系は整理されているが、体系にできない部分も存在する。どこか音楽や美術に似ている。
音楽や美術などの芸術にもある程度の体系が存在するので、音楽大学や芸術大学が存在する。写真撮影でも同様である。カメラの機能は写真撮影の体系が整理されており、あとはレンズを被写体へ向けるだけのカメラも存在するが、それだけでは他人が見てくれるような写真を撮れない。
加納典明氏は、人に見てもらいたい写真を撮りたいならいやらしい女性の裸の写真を撮ればよい、人類の半分は見てくれる、という迷言を言っていたが、芸術分野は科学のようにすべてを体系化できない。
加納氏の迷言のように、どうしても感性で説明しなければ伝わらない部分が入ってくる。ちなみに、加納氏の迷言をそのまましか理解できない人は科学にかぶれ過ぎだが、「他人の隠れている興味を刺激して、見たくなるようにさせる写真」という意味である。
実は技術や会社の仕事も芸術に似ており、どうしてもうまく文字化できず個人の経験や力量に依存する部分が体系以外に残る。そこをどのように伝承するのかは、各企業の風土にも依存するのだろうけれど、どうも日本企業は終身雇用が崩れてきてうまくいっていないところが多いようだ。QMSだけでうまく運営できない、と困っている方は弊社にご相談ください。
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中国恒大集団に端を発した中国不動産業の問題は、リーマンショックの再来となると心配されている。リーマンショックならばすでにその実績が示すように長くても3年の問題だったが、実はもっと深刻な問題を西側自由主義経済に影響を及ぼす、と当方は見ている。
実際に恒大集団の破産が起きる前にその対応を急がなければいけない。世界経済が直面しているリスクは大変大きいのだ。それが今起きようとしている。しかもそれを習近平はじめ中国のリーダーたちが止めようとしなかったら、おそらく日本のバブル後30年どころではない騒動となる。
弊社はコロナ禍のため中国で仕事ができなくなり、中国依存度を0とできるように業務の立て直しをしてきた。弊社のような小さなところでも2年近くかかった。大手ならば、チャイナリスク回避に3年以上はかかると予想している。
最も日本では、15年ほど前からチャイナリスクは叫ばれ、12年ほど前からチャイナ+1戦略を進めた企業も多いと思われる。この10年上海で見かける日本人は半減した。起業した当時は当方の常宿で朝食時に数名の日本人の顔を見かけたが、5年ほど前から3名以下もしくは0の時もあった。
ゆえに今回中国で様々な問題が爆発的に起きても日本企業が直接被る痛手はチャイナ+1戦略を進めてこなかった企業を除くと小さいと予想されるが、間接的な影響は甚大である。
中国の人件費が日本に近くなってきたので、製造業の部品はASEANに移動し始めているが、それでもまだ中国国内で生産されている部品があり、これを使用している組み立てメーカーはサプライチェーンを見直す必要がある。
中国は広大な市場があり、中国から逃げ出す企業はその市場を失う、と数年前まで恐れられたが、ここはサプライチェーンを早く再構築して中国依存度を大きく下げるか0にした方が賢明である。詳細は弊社へご相談ください。
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今回ノーベル賞を受賞された真鍋博士が日本に戻らない理由を「周囲に同調して生きる能力がないから」と答えた言葉に対して、ヒルオビでは、アメリカンジョークとして説明していた。また昨日までこの言葉を扱ったニュースでは同様にジョークとして扱っているケースと深刻に扱っているケースがあった。
小生はジョークではなく、真鍋博士の本心だろうと感じた。当方は、新入社員の研修時に社長から「火中の栗を拾えるような人材が求められている」と話された言葉に従い、ゴム会社の研究所で高純度SiCの事業を住友金属工業とのJVとして立ち上げている。
そこまでのいばらの道や、その後FDを壊されるようないじめを研究所内で受けてそれを研究所が隠蔽化するというのでセラミックスのキャリアをすててまで転職した経験がある。
まさに当時の研究所は周囲に同調してアカデミアよりもアカデミックな研究をしなければ生きてゆけない世界だった。新規事業をを起こそうとするまでもなく、製品に近い研究を行ってもそれを排除するような空気があり、本部長がその改革を行おうとしても、結局アカデミックな研究が好きで、FD事件を隠蔽化するような本部長でなければマネジメントできない風土だった。
この経験から、真鍋博士の真意はイノベーションを歓迎する研究風土が日本に存在しないと言われているような気がする。企業の研究所でありながら、日本ではイノベーションに対してアレルギーを示すような風土が存在した実績があるほど日本の研究所はイノベーションに対して後ろ向きというよりも同調しないメンバーに対して厳しい。
学会の技術賞に推薦されて落選している。当方の技術内容がそれにふさわしくなかった、と言ってしまえばそれまでだが、中国では十分に実績を出すことができた。もちろん日本でサラリーマン時代にその技術で6年間実用化できなかったテーマを実用化しており、それが技術賞に値すると推薦されている。
学会までイノベーションを拒む、とまで自分の体験を基に言うのはやや気がひけるが、審査会場で浴びせられた質問は、従来の理論に反する現象に対して疑問視する見解である。当方は明確に従来の理論に反する現象であり、当方もうまく説明できないがこう考えている、と述べている。
現象に潜む新たな機能を実用化できても学会の技術賞を受賞できないというのはおかしいと思っている。実用化された新たな機能が新たな科学を生み出すかもしれないからだ。学会賞に推薦してくれたアカデミアの先生は旧7帝大の副学長で当方の技術を高く評価してくださったが、当方のその場で同調する力不足で申し訳ないことをした。
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高分子のコンパウンド設計で難しいのは、どのような混練プロセスを用いるのか、という点である。量産を考慮した場合には、バンバリー+ロール、ニーダー、連続式多軸混練機の3種から装置を選択することになる。
配合により結果は異なるが、この順番で最適条件で運転されたときに得られるコンパウンド性能が低くなるという認識は大切である。すなわち高い性能のコンパウンドを得たいならば、ロール混練は必須となる。
PPS中間転写ベルト用コンパウンドの開発を担当した時に、二軸混練機ではなく最初にニーダーを使った理由は高性能のコンパウンドを開発したかったからだ。
本当はロール混練をしたかったのだが、PPSを混練できるオープンロールが無かったので、仕方なくニーダーを特殊な運転条件で使用している。
ニーダーを装置メーカーで借りて使用したので、自分で運転できなかったが、そのおかげでニーダーに対する標準的な考え方が常識として定着しており、ニーダーの運転条件を様々に変えるのは混練技術を知らない、と見なされることも知った。
ただ、ニーダーメーカーにとって当方は客にあたるので、装置メーカーの技術者は、ニーダー購入時に混練技術の指導をサービスとして行いますと言ってくれた。ところがこの時良い結果の得られたコンパウンドは、この技術者が推薦してくれた運転条件ではなく、当方の非常識な運転条件で混練したコンパウンドだった。
ニーダーの運転条件を変えると、まったく異なるコンパウンドができるという認識を持っていない技術者が多いのではないか。運転条件で変わるのは分散状態だけではない。高分子の高次構造まで影響が現れる。
連続式多軸混練機しか使用経験の無い人は、このあたりの知識が乏しい。混練機の軸を増やせば混練効率は上がるが、高分子の構造変性まで効果が表れるレベルに到達できるかどうかは疑問を持っている。
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