美術や音楽を形式知の観点で眺めてみると、科学同様の進化を見ることができる。かつてパロディーについての芸術論争があったが、今は二次創作という分野が一つの市場を形成している。
オリンピックのエンブレムでは盗作騒動があったが、あの事件では審査員の問題も噴出して、盗作に至った背景まで露出した。その結果、盗作者の名前を忘れたが、ネットでは彼の過去の作品の解析まで行われた。
すると、多くの盗作事例が出てきたが、その事例の数々を見て彼の形式知の豊富さを知ることができた。盗作を自分の作品のように見せる技術というものは、それなりの形式知が無ければできない。
おそらく彼の知識を教師データとして用い、AIをある考え方で鍛えたならば、安価なデザイン創造ロボットを作り出せるのではないか。オリンピックの盗作者が残念だったのは、この「ある考え方」(注)ができなかったのだ。
弊社は、写真のスキルを用いてオリジナルデザインを生み出す方法の特許権を有しているが、芸術でも形式知の組み合わせにより、美を生み出すことが可能になった。
ただ、弊社が生み出すデザインは、オリンピックで問題となった盗作常習者のような下衆作品ではない。つねにオリジナルな美を生み出す点で盗作常習者を超えている二次創作である。これを一つの技術として特許を取得した。
技術では、特許により独創性の範囲が形式知で論理的に定義され独創性の権利が守られる仕組みが存在する。芸術分野では、著作権は存在するが、似ているか似ていないかの境界は曖昧となる。
実は、技術には「特許に抵触しないがそっくり技術というもの」が存在する。この存在により、技術は発展してきた。
それでは、芸術では許されない「そっくり」という創造物が、技術の世界で何故許されるのか。これを理解できると技術者としてのスキルを伸ばすことが可能である。また、「その理解」は、科学の理解も深める。
ところで、特許に抵触しないがそっくりな技術とは何か、といえば、機能は同じだが、その達成手段が異なる技術である。
全く新しい機能でその実現手段が唯一であれば、特許で保護され、その特許は基本特許となり特許として大変価値が高い。このような基本特許は、今の時代大変少ないのでそっくり技術が溢れることになる。
(注)芸術ではこの考え方に相当する形式知がまだ知られていない。これは、技術と芸術とのインターフェースの一つである。技術と科学にもインターフェースが存在するように、芸術と技術にもインターフェースは存在する。詳しくは弊社にご相談ください。弊社は科学から芸術まで幅広い視点で技術開発を支援しています。
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コロナ禍でこの1年在宅勤務が浸透し、子供のアンケートで将来なりたい職業として会社員がトップになったという。
この結果は父親がWEB会議システムで家庭にいながら業務をしている姿を子供たちが見ていただけでなく、会社員という職業がコロナ禍という未曽有の災難で経済的に安定していたことの影響も大きいだろう。
会社員であれば、一定額の収入が約束されており、個人営業の飲食業のように激減した売り上げに苦しまなくてもすむ。
将来なりたい職業が会社員、というアンケート結果はこのような経済的側面に着目する必要がある。
さて、コロナ禍は子供たちの夢にも大きな影響を及ぼしたが、日々のマネジメントにもかなりの変革を迫っていることに目を向ける必要がある。
マネジメントとは、ドラッカーによれば「人を成して成果を出すこと」であり、知識労働者の場合、自分の知識を他の人の入力としてパワーを発揮し、成果を出してゆくことになる。
この時、従来のように顔を合わせて、という時代ではなくなった。せいぜいCRT越しに顔を合わせる程度である。何が楽しいか理解できないが、WEB飲み会なども登場し、ますますお互いの距離が離れた状態が日常化する。
コロナ禍以前でも、とかく日本人はビジネスコミュニケーション下手である。緊急事態宣言下における、東京都知事と神奈川県知事とのコミュニケーションを見ていても分かるように、誠実さの欠けたコミュニケーションでも通常の業務処理という言い訳で済ましているのだ。
古い話で恐縮するがFDを壊され業務妨害を受けた事件では、隠蔽化されて被害者である当方は孤立していき、誠実な道として退職以外ないような状態に追い込まれた。
同様の事件が財務省の忖度自殺事件であり、刑事裁判では不起訴となったが、民事裁判で訴えられた財務局長にどのような判断が下されるのか。
当方は自殺された方の気持ちを理解できるが、このような場合に被害者が死んでしまったら真実は闇の中になってしまう。生きておれば真実を伝える機会が残る。
このような問題は、健全な組織活動に求められる営みの知恵を磨くために伝えてゆく必要がある。
当方が退職し事件の早期収拾を図った結果、高純度SiCの事業は30年続いたが、その後も学会賞の審査書類に虚偽の歴史が記載され、事業立ち上げに関わらなかったものの名前が載っていたりするなどおかしなことがおきている。
当方が審査員として本来なら当方の名前が筆頭に乗るべき書類を審査したが、見たくもないものを見た、と言うのが正直な気持ちである。ちなみにこの時の書類は、他の委員から差戻し提案があり、2年後に修正された内容で受賞している。
都知事に限らず誠実ではない人間がリーダーになっている組織がふえたなら社会はどうなるか。ドラッカーはそのためにリーダーが次世代のリーダーを選ぶために注意すべき事柄を論じている。
性善説ではかたずかない人間社会のマネジメントでは、誠実なリーダーによる誠実なマネジメントが必須であるが、リモート状態でどのようにパワーを発揮したらよいのか。
インターネットを介した業務推進では、個々の担当者がすでに孤立化された状態にあるのだ。この状態で、悲劇を起こさず成果を出してゆくためには、新しい視点による知恵が必要である。もし悩まれている管理者は弊社へご相談ください。
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メジャースケール”ドレミファソラシド”という音の並びには、決まった周波数があり、純正律ができている話を以前書いた。
しかし、実際の音程は純正律から少しずれた平均律となっている、という。凡人にはその違いが判らないが、何割かの音楽の才能のある人には、平均律と異なり気持ち悪く感じるようだ。
ヨハン・セバスチャン・バッハ(大バッハ、以下バッハ)もその一人で、ピアノの調律の基準を作った人だそうだ。ちなみにピアノは平均律でチューニングされている。
この平均律のピアノで作曲されたのが平均律クラヴィーア曲集でピアノの旧約聖書とも言われている。また、バッハは五線譜も使用していたので、ほぼこの時代に西洋音楽の形式知が生まれたのかもしれない。
これは驚くべきことで、科学の誕生には諸説あるが、大体が18-19世紀ころである。科学の歴史について言及しているマッハ力学史では、ニュートンの業績は科学的ではない、と科学のカテゴリーにニュートンを入れていない。
このニュートンと同じ時代をバッハは生きており、科学が生まれる直前の時代だったことを思う時に、科学と芸術に人類の歴史の面白さを感じる。
義務教育で習う音楽は、西洋音楽であるが、当方の経験では誤った形式知を学校で習っている。おそらく音楽という科目では科学と異なり形式知の存在を教師が不勉強なためだろう。
もし正しい形式知を学んでいたら、カラオケで歌うのが恥ずかしい、という人はいなくなると思う。カラオケは適当に楽しめばよくて、オリジナルの歌手と同じである必要はないのだ。
科学の時代において、音程が平均律から純正律にずれたところでおかしくないのだ。カラオケで配慮しなければいけないのはコロナの感染である。
最近、昼カラオケでクラスターが頻繁に発生しているという。在宅勤務の普及が原因ではなく、みなリタイアした老人だ。
コロナに感染すると血栓を生じやすく命を縮める可能性が高いことが科学的にわかってきた。また、歌を歌う行為でウィルスをまき散らすことも分かってきた。
科学によるシミュレーション結果もある。昼カラオケでクラスターが発生するのは、科学と音楽の結びつき?
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ドレミファソラシドは8音でできている。この8音のそれぞれに、一音おきに3音重ねると和音ができると、小学校の時に習った。
例えば、メジャースケールからドミソ、レファラ、ミソシ、ファラド、ソシレ、ラドミ、シレファの7種類の異なる和音ができる。
ところが、音楽の専門書を読むと、3音以外に4音の和音も書かれている。ドミソシ、レファラド、ミソシレ、ファラドミーーーである。すなわち一番下の土台になっている音から数えて7番目の音が加えられている。
なぜ小学校で3音だけしか教えてくれなかったのか不思議である。当方は8音あれば、3音以外に4音の和音までできるのではないかと質問した記憶がある。
なぜこの記憶が鮮明に残っているのかというと、音楽の教師に馬鹿にされたからである。和音は3音と決まっており、4音は和音とは言わない、と明確に否定された。
だから、この年になるまで4音の和音が存在しないと思いつづけてきた。学生時代にギターが流行したので初心者セットを購入した。初心者セットの楽譜に4音の和音が出てきてびっくりした。
それでも義務教育の影響で、それはギター特有のものとして処理し、安心していた。人間とは不思議なもので、間違った問題解決結果でも納得できれば落ち着くのである。
この年までG7とはギター特有のコードと誤った理解をしていた。このような経験をすると、定期的に形式知の整理が必要なことに気づく。
ゴム会社に入社し、一番人生に役立ったことは、科学というものに疑問を持つようになったことである。すなわち、形式知に対する疑問である(注)。
ゆえに学会へは定期的に足を運ぶようになったが、コロナ禍で2年近く形式知のチェックができていないので不安である。
(注)高分子の相溶に関するフローリー・ハギンズ理論というものがある。理論の方向は、おおむね当たっていそうであるが、しばしば外れる現象に出会う。新入社員の時の指導社員は、信用するなと言われていた。必ず溶媒に溶解させてSP値を求めるように指導された。ロール混練において、相溶しないはずのポリマーブレンドが単一相になる現象を見せられると、教科書の数ページに書かれた内容に疑問が出てくる。しかしそれ以上の良い形式知はまだ提案されていない。
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バブルがはじけた頃、MIDI規格の音源が流行し、コンピューターによる音楽制作DTMが脚光を浴びた。また、MIDI音源をならすソフトも多数販売された。
しかし、最近この話題を聞かないし、書店をのぞいても20年以上前にあれだけ多数の雑誌が発刊されていたのが、1冊も見当たらない。
当方はYAMAHAとROLAND、KORGのそれぞれの音源を購入したが、MIDI規格があってもそれぞれ少しずつ音色が異なっていることに驚いた。
3年ほどこうした音源で音楽を聴いたり、またカラオケを楽しんだりしていたが、その音に飽きがきた。
理由はわからないが、電子音のメロディーは正確な振動数で演奏されているはずで、さらに、いつ聞いても同じでミスもないはずなのだが、何か物足らないのである。
電子音と言っても人が演奏するエレキギターやエレキピアノとMIDIのプログラム演奏はどこか異なるように聴こえてくる。どうもこのあたりがDTMの衰退原因ではないか。
2年ほど前に、AIに美空ひばりの歌を歌わせるプロジェクトが紹介され、その後NHKで何度も放送されたが、結局一音一音美空ひばりの肉声を解析しAIに学ばせていた。
これでは、人間がプログラミングしていたのと同じ作業だ。また、AI経由なので人間だけの作業より手間がかかっている。
それでもAIの成果として発表していたのはいかがなものか。知に形式知や経験知、暗黙知があるように、人間の歌には、機械的な規則正しい発声以外の発声法が入る。
声楽家と称する人たちの歌が形式知のようなものとすれば、美空ひばりなどの演歌歌手の歌は、経験知や暗黙知のなせる業の成果とみなせる。
最近のコンピューターミュージックについて調べてみたら、以前のようなキーボードからの打ち込みではなく、自分で演奏した音サンプルを加工しそれを他の音サンプルとミックスしたりするソフトが出ている。
すなわち、単なる形式知の成果と思われる音源だけでなく、自分の演奏をサンプリングし、それらを組み合わせて音楽制作をしているようだ。
音楽が形式知と経験知、暗黙知を動員して作られている時代に、技術開発を科学の形式知だけで行おうとするスタイルは、もう終わりにしたい。技術は音楽同様に人の営みである。
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昨日振動数の比で各音程が出来上がっている話を書いた。これは純正律という音程であり、実際の音楽は、微妙に振動数がずれた平均律で音程が出来上がっている。
これは多少振動数がずれても人間の感覚ではそのずれに違和感を覚えないためらしい。しかし、世の中には絶対音程を持っている人がいるらしく、その人には純正律がずれて聴こえるというので驚く。
平均律が奇妙に聞こえるというならば理解できるが、純正律に違和感を覚えるというところが不思議である。
もっとも、ゴム会社に入社するまで科学に疑問を持ったことが無かった当方は、新入社員研修発表会でS専務に一括されてから、科学と技術について思索を深めたところ、科学というものに違和感を持つようになった。
ゆえに、純正律と平均律に違和感を持つ人がいてもおかしくないのかもしれない。また、後日調査結果を示しすが、メジャースケール以外にもスケールは存在する。
例えば、洋楽と和学、ブルースと演歌やその他音楽のジャンルごとのスケールである。当方はブルースのスケールを子供のころから採用していたため、無知な音楽教師から音痴にされた。
音痴は恐らく死語かもしれないが、まったく音程の取れない人のことを言うが、そのような人はいないといわれている。猫や犬でも音程の異なる声を出す。訓練により、猫や犬の中には人間のメロディーをそれらしく歌うものもいる。
学生時代にスナックでカラオケを楽しんだ時に、友人から一部音程がずれていると言われたが、おおむね伴奏と協和していたそうで、これは音痴ではない、と思った。そこでCの音叉を購入し、訓練した。
ところが、たまたまTV番組で演歌歌手がドレミファソラシドを披露していたときに、音叉を鳴らして聴いてみたが、微妙にずれている印象を受けた。
しかし、番組の中で誰もそれを指摘しない。当方の耳がおかしいのか、と思って20年過ぎた。電子式のチューニングメーターが安価になったのでそれを購入した。
それを用いて、プロの歌手がどの程度正確に音程を取っているのか調べてみた。NHKの歌のお姉さんがドレミを歌ったときに、チューニングメーターが正確に反応したのには驚いた。
後日ある演歌歌手が歌っているときに傍らに楽譜を置きチューニングメーターを見ながら聞いていたら、NHKの歌のお姉さんと異なり、微妙にずれている。
当方が以前音叉を耳に当てながらTVの歌謡番組で音程のずれた歌手を気になったのは、当方の耳のせいではなかった。カラオケで音程が多少ずれても気にする必要は無いのだ。大御所の演歌歌手だって音程が外れていることがある。
カラオケに自信のない人は当方のような実験を行ってみるとよい。明日からのカラオケで他人の耳など気にならなくなる。しかしコロナだけはよく注意するように。
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440Hzの2倍の周波数は、880Hzである。これは1オクターブ高いラ(完全8度)の振動数になる。
1.2倍の周波数は528Hzでこれは、ド(C:A音とは短3度の位置関係)である。
1.5倍の周波数は660Hzであり、ミ(E:A音とは完全5度の位置関係)だ。ラドミは、一つの和音として小学校で習う。
この時、ドに#をつけると550Hzの周波数となり、A音との位置関係は長3度の関係になる。
ラドミの和音と、ラ(#ド)ミの和音では、少し響きが異なる印象となる。音楽を聴いたときに音の印象が異なるのは、このような和音の響き方に原因があるのだが、ドに#がついてもつかなくても、あるいは印象の違いがあっても、和音として不協和ではない。
この3音について、ラとドの振動数の比は5:6であり、ラとミの関係は2:3でそれぞれ整数比になっている。
実はドレミファソラシドの各音の周波数が、簡単な整数比となる組み合わせは、不協和とならず、協和な和音となる。
もし小学校の時にこのように音楽を学んでいたなら、もう少し音楽を好きになっていたかもしれない。義務教育でわかりにくかった授業は音楽であり、とりあえず丸暗記する以外に学ぶ方法は無かった。
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ドレミファソラシドは、音階と習った。ギターの独学書にはメジャースケールと書かれている。
ギターのチューニングを行うのに、最初ギター弦と同様の6音程の笛を買ったが、すぐにこの笛ではチューニングに時間がかかることに気がついた。
そして購入したのがラ(A)音の音叉である。440Hzの音叉をギターの胴に充てると、チューニングされた5弦が振動する。
ギターの12フレットは、弦の真ん中あたりにあり、ここに軽く指を当てはじくと大きな音になる。すなわち、音叉と共鳴するのだ。
音叉を使用する、すなわち音の共鳴現象を利用するとギターのチューニングが容易になる。耳だけでなく、共鳴している様子を目でも確認できるのだ。分かりにくければティッシュの小さな切れ端を弦にのせてみるとわかりやすい。
今はもっと便利なチューニングメーターがあるからそれを使うが、学生時代はこのようにしてチューニングしていた。
チューニングできていない5弦と音叉と同時に鳴らすとやや気持ちの悪い音になる。ここで音楽とは、2音以上のまじりあった音が心地よく聴こえる芸術であることに気がつく。
小学生の頃たて笛を授業で習ったが、合奏がうまくできたときの心地よさがあった。同じ音程(ユニゾン)でもうまく重なり合うと心地よい。
場の空気が気まずい雰囲気になった時に不協和音が聞こえる、などと言ったりするが、不協和の逆の協和した雰囲気を作り出すのが音楽と言う芸術かもしれない。
美術には色相、明度、彩度を色の三要素とした形式知が存在するが、形状表現については訓練であるレベルまでスキルを磨く必要がある。
音楽表現について楽器演奏スキルを磨く必要があるが、一時期、コンピューター音楽が流行していた。表現スキルについては、美術よりも音楽はそのハードルが下がったように見える。
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国務大臣までNTTから接待を受けていた疑惑が問題となっている。バブル経済時には社用族も含め、接待が経済を活性化させていた側面が指摘されている。
団塊の世代は、給与以外のこうした恩恵に預かり、人生を大いに楽しんだ世代ではないか。スーダラ節に代表されるように、またFD問題を安直に隠蔽化しようとする発想で被害を被っているので当方は団塊の世代に良いイメージを持っていない。
それが20世紀末になるとノーパンしゃぶしゃぶが一世を風靡し、国家公務員の民間接待が大問題化した記憶は、しゃぶしゃぶの連体形容詞(?)として連想できないような言葉のついたネーミングから忘れられない。
その後タクシー居酒屋が社会問題となり、国家公務員に対する接待が厳しく取り締まりを受けるようになった実感を持った。
その後接待や贈答の禁止は民間でも厳しくなり、中国で中国人と割り勘で食事やカラオケをしている日本人サラリーマンを見るようになった。
もう接待は死語になったのかと思っていたら、突然首相の御子息による接待が飛び出した。首相は、息子とは別人格だから、と弁明していたが、接待を受けた役人はこの言葉を聞いてどのように思ったのか。
罰せられた役人は、接待金額を上まわる罰金を支払い、更迭され、大損害である。民間よりも高い給与で働いているのだからもう少し凛と襟を正し誠実真摯に仕事にあたるべきだが、出世するためには誠実真摯ではだめだ、といわれる役人もいるぐらいなので国民は不幸である。
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最近の音楽の授業について情報を持っていないが、かつてビートルズが中学生の教科書に登場したことが話題になっている。
この時当方は違和感を持った。ビートルズを登場させるならば、ミシシッピージョーンハートなどのブルースメンも取り上げるべきだろう。
さらにカーターファミリーの業績も紹介すべきとも思ったりした。しかし友人がそんな人たちを知っているのは当方ぐらいで、一般の人はビートルズで十分だ、と言われ、そもそも音楽の基礎知識として何を知っていなければいけないのだろうと疑問を持ち続けた。
当方の小学校時代には、ドレミファソラシドとイロハニホヘトを覚えさせられた。前者は音の関係で、後者は五線譜の絶対位置を表すなどと説明され、頭が混乱した。
頭は混乱したが、音楽のテストは満点だった記憶がある。そもそも音楽のテストで間違えた記憶がない。音楽の才能など無いのでテストだけは、と思い頑張った結果である。
しかし、それだけ一生懸命勉強したのに音楽の基礎とは何か、と聞かれたときにちんぷんかんぷんである。コロナ禍で閑になり、ギターを弾くようになって、そもそも音楽の形式知とは何かを調べ始めた。
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