ドレミファソラシドは8音でできている。この8音のそれぞれに、一音おきに3音重ねると和音ができると、小学校の時に習った。
例えば、メジャースケールからドミソ、レファラ、ミソシ、ファラド、ソシレ、ラドミ、シレファの7種類の異なる和音ができる。
ところが、音楽の専門書を読むと、3音以外に4音の和音も書かれている。ドミソシ、レファラド、ミソシレ、ファラドミーーーである。すなわち一番下の土台になっている音から数えて7番目の音が加えられている。
なぜ小学校で3音だけしか教えてくれなかったのか不思議である。当方は8音あれば、3音以外に4音の和音までできるのではないかと質問した記憶がある。
なぜこの記憶が鮮明に残っているのかというと、音楽の教師に馬鹿にされたからである。和音は3音と決まっており、4音は和音とは言わない、と明確に否定された。
だから、この年になるまで4音の和音が存在しないと思いつづけてきた。学生時代にギターが流行したので初心者セットを購入した。初心者セットの楽譜に4音の和音が出てきてびっくりした。
それでも義務教育の影響で、それはギター特有のものとして処理し、安心していた。人間とは不思議なもので、間違った問題解決結果でも納得できれば落ち着くのである。
この年までG7とはギター特有のコードと誤った理解をしていた。このような経験をすると、定期的に形式知の整理が必要なことに気づく。
ゴム会社に入社し、一番人生に役立ったことは、科学というものに疑問を持つようになったことである。すなわち、形式知に対する疑問である(注)。
ゆえに学会へは定期的に足を運ぶようになったが、コロナ禍で2年近く形式知のチェックができていないので不安である。
(注)高分子の相溶に関するフローリー・ハギンズ理論というものがある。理論の方向は、おおむね当たっていそうであるが、しばしば外れる現象に出会う。新入社員の時の指導社員は、信用するなと言われていた。必ず溶媒に溶解させてSP値を求めるように指導された。ロール混練において、相溶しないはずのポリマーブレンドが単一相になる現象を見せられると、教科書の数ページに書かれた内容に疑問が出てくる。しかしそれ以上の良い形式知はまだ提案されていない。
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バブルがはじけた頃、MIDI規格の音源が流行し、コンピューターによる音楽制作DTMが脚光を浴びた。また、MIDI音源をならすソフトも多数販売された。
しかし、最近この話題を聞かないし、書店をのぞいても20年以上前にあれだけ多数の雑誌が発刊されていたのが、1冊も見当たらない。
当方はYAMAHAとROLAND、KORGのそれぞれの音源を購入したが、MIDI規格があってもそれぞれ少しずつ音色が異なっていることに驚いた。
3年ほどこうした音源で音楽を聴いたり、またカラオケを楽しんだりしていたが、その音に飽きがきた。
理由はわからないが、電子音のメロディーは正確な振動数で演奏されているはずで、さらに、いつ聞いても同じでミスもないはずなのだが、何か物足らないのである。
電子音と言っても人が演奏するエレキギターやエレキピアノとMIDIのプログラム演奏はどこか異なるように聴こえてくる。どうもこのあたりがDTMの衰退原因ではないか。
2年ほど前に、AIに美空ひばりの歌を歌わせるプロジェクトが紹介され、その後NHKで何度も放送されたが、結局一音一音美空ひばりの肉声を解析しAIに学ばせていた。
これでは、人間がプログラミングしていたのと同じ作業だ。また、AI経由なので人間だけの作業より手間がかかっている。
それでもAIの成果として発表していたのはいかがなものか。知に形式知や経験知、暗黙知があるように、人間の歌には、機械的な規則正しい発声以外の発声法が入る。
声楽家と称する人たちの歌が形式知のようなものとすれば、美空ひばりなどの演歌歌手の歌は、経験知や暗黙知のなせる業の成果とみなせる。
最近のコンピューターミュージックについて調べてみたら、以前のようなキーボードからの打ち込みではなく、自分で演奏した音サンプルを加工しそれを他の音サンプルとミックスしたりするソフトが出ている。
すなわち、単なる形式知の成果と思われる音源だけでなく、自分の演奏をサンプリングし、それらを組み合わせて音楽制作をしているようだ。
音楽が形式知と経験知、暗黙知を動員して作られている時代に、技術開発を科学の形式知だけで行おうとするスタイルは、もう終わりにしたい。技術は音楽同様に人の営みである。
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昨日振動数の比で各音程が出来上がっている話を書いた。これは純正律という音程であり、実際の音楽は、微妙に振動数がずれた平均律で音程が出来上がっている。
これは多少振動数がずれても人間の感覚ではそのずれに違和感を覚えないためらしい。しかし、世の中には絶対音程を持っている人がいるらしく、その人には純正律がずれて聴こえるというので驚く。
平均律が奇妙に聞こえるというならば理解できるが、純正律に違和感を覚えるというところが不思議である。
もっとも、ゴム会社に入社するまで科学に疑問を持ったことが無かった当方は、新入社員研修発表会でS専務に一括されてから、科学と技術について思索を深めたところ、科学というものに違和感を持つようになった。
ゆえに、純正律と平均律に違和感を持つ人がいてもおかしくないのかもしれない。また、後日調査結果を示しすが、メジャースケール以外にもスケールは存在する。
例えば、洋楽と和学、ブルースと演歌やその他音楽のジャンルごとのスケールである。当方はブルースのスケールを子供のころから採用していたため、無知な音楽教師から音痴にされた。
音痴は恐らく死語かもしれないが、まったく音程の取れない人のことを言うが、そのような人はいないといわれている。猫や犬でも音程の異なる声を出す。訓練により、猫や犬の中には人間のメロディーをそれらしく歌うものもいる。
学生時代にスナックでカラオケを楽しんだ時に、友人から一部音程がずれていると言われたが、おおむね伴奏と協和していたそうで、これは音痴ではない、と思った。そこでCの音叉を購入し、訓練した。
ところが、たまたまTV番組で演歌歌手がドレミファソラシドを披露していたときに、音叉を鳴らして聴いてみたが、微妙にずれている印象を受けた。
しかし、番組の中で誰もそれを指摘しない。当方の耳がおかしいのか、と思って20年過ぎた。電子式のチューニングメーターが安価になったのでそれを購入した。
それを用いて、プロの歌手がどの程度正確に音程を取っているのか調べてみた。NHKの歌のお姉さんがドレミを歌ったときに、チューニングメーターが正確に反応したのには驚いた。
後日ある演歌歌手が歌っているときに傍らに楽譜を置きチューニングメーターを見ながら聞いていたら、NHKの歌のお姉さんと異なり、微妙にずれている。
当方が以前音叉を耳に当てながらTVの歌謡番組で音程のずれた歌手を気になったのは、当方の耳のせいではなかった。カラオケで音程が多少ずれても気にする必要は無いのだ。大御所の演歌歌手だって音程が外れていることがある。
カラオケに自信のない人は当方のような実験を行ってみるとよい。明日からのカラオケで他人の耳など気にならなくなる。しかしコロナだけはよく注意するように。
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440Hzの2倍の周波数は、880Hzである。これは1オクターブ高いラ(完全8度)の振動数になる。
1.2倍の周波数は528Hzでこれは、ド(C:A音とは短3度の位置関係)である。
1.5倍の周波数は660Hzであり、ミ(E:A音とは完全5度の位置関係)だ。ラドミは、一つの和音として小学校で習う。
この時、ドに#をつけると550Hzの周波数となり、A音との位置関係は長3度の関係になる。
ラドミの和音と、ラ(#ド)ミの和音では、少し響きが異なる印象となる。音楽を聴いたときに音の印象が異なるのは、このような和音の響き方に原因があるのだが、ドに#がついてもつかなくても、あるいは印象の違いがあっても、和音として不協和ではない。
この3音について、ラとドの振動数の比は5:6であり、ラとミの関係は2:3でそれぞれ整数比になっている。
実はドレミファソラシドの各音の周波数が、簡単な整数比となる組み合わせは、不協和とならず、協和な和音となる。
もし小学校の時にこのように音楽を学んでいたなら、もう少し音楽を好きになっていたかもしれない。義務教育でわかりにくかった授業は音楽であり、とりあえず丸暗記する以外に学ぶ方法は無かった。
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ドレミファソラシドは、音階と習った。ギターの独学書にはメジャースケールと書かれている。
ギターのチューニングを行うのに、最初ギター弦と同様の6音程の笛を買ったが、すぐにこの笛ではチューニングに時間がかかることに気がついた。
そして購入したのがラ(A)音の音叉である。440Hzの音叉をギターの胴に充てると、チューニングされた5弦が振動する。
ギターの12フレットは、弦の真ん中あたりにあり、ここに軽く指を当てはじくと大きな音になる。すなわち、音叉と共鳴するのだ。
音叉を使用する、すなわち音の共鳴現象を利用するとギターのチューニングが容易になる。耳だけでなく、共鳴している様子を目でも確認できるのだ。分かりにくければティッシュの小さな切れ端を弦にのせてみるとわかりやすい。
今はもっと便利なチューニングメーターがあるからそれを使うが、学生時代はこのようにしてチューニングしていた。
チューニングできていない5弦と音叉と同時に鳴らすとやや気持ちの悪い音になる。ここで音楽とは、2音以上のまじりあった音が心地よく聴こえる芸術であることに気がつく。
小学生の頃たて笛を授業で習ったが、合奏がうまくできたときの心地よさがあった。同じ音程(ユニゾン)でもうまく重なり合うと心地よい。
場の空気が気まずい雰囲気になった時に不協和音が聞こえる、などと言ったりするが、不協和の逆の協和した雰囲気を作り出すのが音楽と言う芸術かもしれない。
美術には色相、明度、彩度を色の三要素とした形式知が存在するが、形状表現については訓練であるレベルまでスキルを磨く必要がある。
音楽表現について楽器演奏スキルを磨く必要があるが、一時期、コンピューター音楽が流行していた。表現スキルについては、美術よりも音楽はそのハードルが下がったように見える。
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国務大臣までNTTから接待を受けていた疑惑が問題となっている。バブル経済時には社用族も含め、接待が経済を活性化させていた側面が指摘されている。
団塊の世代は、給与以外のこうした恩恵に預かり、人生を大いに楽しんだ世代ではないか。スーダラ節に代表されるように、またFD問題を安直に隠蔽化しようとする発想で被害を被っているので当方は団塊の世代に良いイメージを持っていない。
それが20世紀末になるとノーパンしゃぶしゃぶが一世を風靡し、国家公務員の民間接待が大問題化した記憶は、しゃぶしゃぶの連体形容詞(?)として連想できないような言葉のついたネーミングから忘れられない。
その後タクシー居酒屋が社会問題となり、国家公務員に対する接待が厳しく取り締まりを受けるようになった実感を持った。
その後接待や贈答の禁止は民間でも厳しくなり、中国で中国人と割り勘で食事やカラオケをしている日本人サラリーマンを見るようになった。
もう接待は死語になったのかと思っていたら、突然首相の御子息による接待が飛び出した。首相は、息子とは別人格だから、と弁明していたが、接待を受けた役人はこの言葉を聞いてどのように思ったのか。
罰せられた役人は、接待金額を上まわる罰金を支払い、更迭され、大損害である。民間よりも高い給与で働いているのだからもう少し凛と襟を正し誠実真摯に仕事にあたるべきだが、出世するためには誠実真摯ではだめだ、といわれる役人もいるぐらいなので国民は不幸である。
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最近の音楽の授業について情報を持っていないが、かつてビートルズが中学生の教科書に登場したことが話題になっている。
この時当方は違和感を持った。ビートルズを登場させるならば、ミシシッピージョーンハートなどのブルースメンも取り上げるべきだろう。
さらにカーターファミリーの業績も紹介すべきとも思ったりした。しかし友人がそんな人たちを知っているのは当方ぐらいで、一般の人はビートルズで十分だ、と言われ、そもそも音楽の基礎知識として何を知っていなければいけないのだろうと疑問を持ち続けた。
当方の小学校時代には、ドレミファソラシドとイロハニホヘトを覚えさせられた。前者は音の関係で、後者は五線譜の絶対位置を表すなどと説明され、頭が混乱した。
頭は混乱したが、音楽のテストは満点だった記憶がある。そもそも音楽のテストで間違えた記憶がない。音楽の才能など無いのでテストだけは、と思い頑張った結果である。
しかし、それだけ一生懸命勉強したのに音楽の基礎とは何か、と聞かれたときにちんぷんかんぷんである。コロナ禍で閑になり、ギターを弾くようになって、そもそも音楽の形式知とは何かを調べ始めた。
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音楽家ではないので音楽に関して語る立場ではないが、義務教育で音楽を学んできて不思議に思ってきたことがある。
絵画なり彫刻なり美術については、小さい子供の絵がそうであるように下手は下手なりの何か味があり、一応鑑賞の対象になる。
しかし、音楽については、下手な演奏や歌唱は鑑賞の対象にできないどころか、それを聴くことが精神衛生上も悪い。
カラオケでは、アルコールが入っているので多少の雑音でも我慢できるが、日々の生活の中で下手な歌を聴かされたのでは騒音公害以外の何物でもない。
芸術という同じカテゴリーでも絵画や彫刻では鑑賞者に自由があるが、音楽はその場から逃げ出さない限り解放されない。
カラオケを大好きな人が多いことから想像できるように、歌の下手さに無頓着な人は多いが、楽器演奏では細かなミスでも自分で気づくことができる。
そのため、音楽という芸術を鑑賞するために何か楽器を弾くことができるとその鑑賞眼の視野が広がるのではないかと思っている。
例えば禁じられた遊びは、ギターソロ演奏として中級レベルの曲だそうだが、それを村治佳織が弾いている価値というものを今回1曲CDの音に合わせてみて深く理解できた。
上手とか下手とかいう尺度ではなく、演奏者のこまかい表現というものは、なかなかわかりにくい。
そこを感覚ではなく知的に理解するために何度も鑑賞すればよいのだが、限られた人生の時間の範囲では、鑑賞耳をきたえたほうが早い。楽器の演奏練習は音楽の鑑賞力を高めることができると思って努力している。
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20年ほど前に4kg前後のES335を弾き始めたときは少し重いと感じた程度だった。ところが、20年の歳月で体力が落ち、ギター練習ではなく筋力トレーニングとなっている状態である。
それでも1年近く練習してきたら、それなりに筋肉もつき体幹もしっかりしてきた。ようやく禁じられた遊びをYou Tubeに投稿されている村治佳織の演奏と「同じ速度」で弾けるようになった。
ES335を購入した時は、ここまでたどり着けなかった。まず1曲ソロで弾けるようになることは、楽器練習をするときに重要なことだと思っている。
これは仕事と同様で、まず何か一つ、人に頼らなくてもできるようになると自信がつく。また、その後の改善を工夫して行うことができ、成長の機会となる。
仕事を覚えればそれで終わりと思っている人は多いが、覚えた一連の作業を独力で行う成長の機会に気がついている人は少ない。
音楽が1曲の形式で完結しているように、仕事にも一塊の完結した作業単位が存在し、それを最初から最後まで一人で行うことができると、全体の流れの中における時間の調和を味わうことができる。
この全体を俯瞰しながら部分の問題を考える、という繰り返し作業に終わりはない。一部分を改善すると、必ずどこかにその影響が出て新たな問題が生まれるからだ。それを発見し解決する習慣をつけると問題解決能力を鍛えることができる。
ギターに限らず楽器の練習では、まずその楽器を演奏するための基礎練習が欠かせないが、この基礎練習は一部分だけの最適化作業の繰り返しである。
退屈であるだけでなく、忠実に基礎事項を繰り返さなければ練習の意味がない。一曲を弾けるようになると、その曲について深く考え、忠実な繰り返しの基礎練習とは異なる楽しさを味わえる。
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コロナ騒動が一年以上続くと平常時では見えなかった日本の問題が見えてくる。まず、素朴な疑問として日本におけるコロナウィルス用のワクチン開発が欧米よりも著しく遅れた問題がある。
すでに企業側の都合はニュースで報じられたが、そのような事情は厚生省ならわかっていたはずで、それを国が放置してきた責任は大きいと思う。
次に、ワクチンの注射器の問題。日本で通常使われている注射器では1瓶当たり5回分しか注射できないが、韓国で開発され米国で普及している注射器を使用すると6回以上注射できるという。
これは今回の特別な状況で明らかになったことだが、冷静に考えるとこの問題は、日本でこれまで大量のワクチンが廃棄されてきた歴史を浮かび上がらせた。
ジェネリック医薬品の品質管理の問題が先日報じられたが、どのようなワクチンでも1回分は10円とか20円ではないはずだ。
最低でも1000円以上するはずで、それが医療現場で安直に捨てられてきたのだ。さらに、現場の医者はそれに気がつかず仕事を行っている現実に、ただあきれるしかない。
野党は、コロナゼロを目指せなどという荒唐無稽な要求をするのではなく、今回明らかになった放蕩医療の問題を指摘すべきだろう。日本の医療行政についてこのコロナ禍で多くの問題が見えてきたので野党の仕事ぶりをアピールするのにチャンスだと思う。
コロナ関連以外に、情報通信関係の材料開発についても幾つか疑問をもっている。1年以上前まで中国ナノポリスで活動してきたが、コロナ禍で中断している。
おもに情報通信関係の材料開発を指導してきたのだが、日本ではこの方面の特許出願が少ない。公知技術以外の新技術は、弊社で特許出願したが、公知技術でも組み合わせ新規技術は特許出願が可能である。
恐らく材料メーカーにニーズが見えていないのではないかと心配している。もし心配になられた方はご相談ください。
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