1960年代に研究所ブームが起こり、多くの企業で基礎研究所が設置された。第一次第二次オイルショックが続いた1970年末ごろから石油関連企業において研究所の見直し機運が高まった。
但しこのころは研究テーマの見直し程度であり、本格的な研究所の見直しはバブルがはじけた1990年代である。
ゴム会社では、基礎研究部門は、単なる研究部となり、今はどのような研究を行っているか知らないが、少なくとも化学会における発表を見かけなくなった。
第二次産業における研究部門の役割が、この半世紀に大きく変わった企業が大半だろう。また、半世紀前のような研究所を廃止した企業も多いようだ。
しかし、研究開発活動そのものが無くなったわけではない。市場にイノベーションを起こすためには企業の研究開発が不可欠だからである。
ソフトウェアー業界では、バブルがはじけた頃からアジャイル開発で研究開発の効率を上げるとともに市場変化に研究開発活動を連動させることに成功している。
しかし、第二次産業では、まだそこまでできている企業は少ないだろう。ゴム会社で5年ほど研究開発本部長を務めたU氏は、「まずモノを持ってこい」と研究員に発破をかけたが、当時の研究員にはすこぶる評判が悪かった。
しかし、当方はこのU氏が目指していたあるべき姿がアジャイル開発であることをすぐに理解できた。そして、すぐに実践し、高純度SiCの事業化を手掛けつつ、いくつかの企画を立ち上げている。
残念ながら、電気粘性流体の耐久性向上技術や3種の機能性粉体の開発でゴム会社を去ることになったが、U氏の時に立ち上がった高純度SiCの事業はゴム会社で30年続き、2年前に愛知県のセラミックス会社に事業譲渡されている。
もし、研究開発の効率向上を考えられている企業がございましたらご相談ください。市場にイノベーションを起こし、それと連動した研究開発が可能となるよう指導いたします。
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短時間で知識を吸収したい時には、その道の達人に聞くのが一番である。耳学問を否定する人がいるが、それは情報として聞いているからだめなのであって、達人から知識となるように指導を受ければ、一番手っ取り早く知識を身に着けることができる。
たった3ケ月の指導ではあったが、ゴム会社で樹脂補強ゴムの開発を担当し指導社員から混練のイロハを学んだ経験は、貴重な人生の宝である。
達人がいない時には、どうするか。書物から知識を得ることになるが、この時1冊だけ読んでいては駄目である。知りたい知識について情報をいろんな視点で集める必要がある。
特定のテーマについて、異なる著者の書物を読むと、情報を知識にするまでの時間を短縮できる。1冊をくり返して読むという方法もあるが、異なる著者の同一テーマの書物を複数読むことにより、著者の視点の違いが情報を知識にするときの手がかりとなる。
混練の本を複数購入したのはそのためである。ところが驚いたことにどの本も著者が異なっても同一視点で書かれている。すなわち、混練技術は形式知として完成していたことになる。
指導社員はロール混練さえも当方が退職するまでにその機構が解明されないかもしれない、と言っていた。ゴム会社で長く混練のシミュレーション技術に携わってきた友人に聞いたところ、最近特定のモデル配合でロール混練のシミュレーションがようやくできるようになった段階だそうである。
それにもかかわらず購入した書籍すべてが、完成された学問として混練技術を扱っていた。これは怪しい。複数の書籍を購入したことにより、既存の混練について書かれた教科書がおかしいことを理解できた。
二軸混練機のプラントを基盤技術もない会社で中古機を買い集めて立ち上げるにあたり、知識を身に着けようとしたが、既存の教科書で役立たないことが分かった。
新入社員時代の古いノートを探し出し、それを1週間かけてまとめなおした。このまとめに一部加筆してゴムタイムズ社から出版したのが「ポリマー混練り活用ハンドブック」である。
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プロジェクトが外部からコンパウンドを購入し成形技術だけを開発するのが目標となって進められているときに、コンパウンド会社の力量はプロジェクトの命運を左右する。
だから、コンパウンド会社は国内トップクラスのメーカーとプロジェクトを進めるというのは、一つの判断である。ところがトップクラスの技術力をもってしても解決が難しい問題に遭遇したらどうするか。
このとき、トップクラスのメーカーが誠実真摯な技術者集団であれば、難問に対して謙虚に対応してくれるが、誠実真摯な人間は少ない。
自分が誠実真摯か、と反省してみても結論を出せるものではないので、ドラッカーは誠実真摯に行動することの重要性を説いている。
「素人は黙っとれ」という発言をする人物は、誰が見ても不誠実である。しかし、これまでの経緯をよく理解していないと思われる人間からこれまでの努力を否定されるような話をされたならこのような暴言を吐きたくなる気持ちを理解できる。
結局、「それでは私がコンパウンド開発を始めるがよいか。」と同意を求めたら「勝手にやっとれ」となったので、これまでの流れの仕事はすべて課長に任せて当方はコンパウンド開発を始めた。
素材調達は外部コンパウンドメーカーと同じものを使用しなければならないので、その供給について承諾していただいた。一部は市販されていない材料で簡単な承諾が得られたのは助かった。
最後に二軸混練機のプラントをどうするのか、という難問が残った。見積もりをとったところ自動化ラインを1ライン立ち上げると3億円程度かかるという。
金額の問題だけでなく、二軸混練機の納期は8か月必要という回答が決め手となり、中古機を集めて自分でラインを組み立てることにした。
しかし、ここで新たな問題が発生した。二軸混練機について詳しい人材が社内にいない。結局自分で0から勉強しなければいけないので、10万円前後の高い本を数冊自腹を切って買い込んだ。
軍資金はたまたまゴム会社が旧無機材研に支払った高純度SiCの特許報償を無機材研の先生がくださるというので、それで購入した。ものすごく良いタイミングで勉強のための軍資金が入った。
混練セミナーにも参加したが、驚いたのはゴム会社で指導社員からご指導された内容とセミナーや技術書に書かれた内容は大きく異なっていたことだ。無駄な知識にお金を投じたことになる。
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インターネットの普及により書店が減少し始めて20年以上経過した。今の店舗数は40年前の半分になったと言われている。
当方が社会人になった時に書店は勉強の場だった。街の書店に社会人が読むべき実務書が溢れていた。立ち読みは禁止事項ではなく書店で本を買う時に許される行為として一般的だった。
立ち読みを禁止するような書店には客足が少なかった。また、立ち読みを禁止する店主を茶化すような新聞漫画もあった。
今若い社会人はどのようにして勉強しているのか?部下と直接接していたときには勉強の重要性を訴え、何を勉強しているのか尋ねたりした。盆休みなど任意提出の宿題を与えたりしていた。
今は各種ハラスメントや労働時間管理が厳しいからこんなことをやっていては管理職として問題とされるかもしれない。
当時でさえ、ちいちいぱっぱはやめておけと言っていた役員が写真会社にいた。ゴム会社では奨励されていたのでこれは風土の違いかもしれないが、ちいちいぱっぱを奨励していた会社は業界で世界トップになった。
また、弊社が操業してすぐにその講師として呼んでくれたのはゴム会社であり、その伝統は残っていた。写真会社からはいまだに依頼はない。
退職してもうすぐ10年となるが、街の本屋の減少とともに心配しなくても良いような心配をするようになった。インターネットは情報を得る一つの手段かもしれないが、街の本屋の代わりにはならない。それが理解されているだろうか。
インターネットにあふれているのはあくまでも情報であり、その多くは知識まで昇華できない。電子ブックは一応本であり、街の本屋の代わりとなりうる可能性を秘めているが、弊社創業時にあまりの客の少なさで、投資をしたにも関わらず1年で撤退している。
電子書店を維持するにも費用がかかるのだ。人の勉強の心配など各会社の経営者がすればよいような問題だが、昨今の社会状況を見ると日本の将来が不安になってくる。一方で勉強は自己責任とし、その成果を幹部の選考要素としている企業もある。
確かにこれだけ社会の変化が激しいと、勉強をしないようなサラリーマンは昇進のチャンスだけでなく働ける職場も少なくなる。
学歴だけで昇進や就職が有利となったのは過去の話である。現代は大卒が50%近くとなった高学歴社会なのだ。
当方の時代にすでに高偏差値の大学を出ていても就職口が無かった学生が1割いた。従業員5000人以上の会社へ就職できたのは3割もいない状態になっていた。
AIの登場で消える職業がささやかれているが、コンピューターの登場でたくさんの新事業が生まれたように、AIの登場でおそらく新たな仕事も生まれる。
今回休日を使って無料WEBセミナーを行うことを考案した。無料で儲かるのか、という質問に対しては将来の日本への投資と応えたい。
ポストコロナの時代にはリアルで集まることは難しいがバーチャル空間ならばクラスターを形成することもないだろう。ところがコンピューターにもウィルスが存在するので注意が必要だが、こちらは命に影響はない。
下記無料セミナーに気楽に参加されてはいかがですか。
再掲となるが無料セミナーで予定しているテーマは下記の通りです。なお、時間は2時間で9月26日(13:30-15:30)と27日(13:30-15:30)。
<予定テーマ>
1.9月26日(土曜日):高分子材料の初歩(初めて学ぶ高分子的イメージ)
2.9月27日(日曜日):ヒューリスティックな問題解決法(山勘や直感ではない、正しい問題を即座に解く方法)
今回のセミナー参加者募集は終了致しました。
多数のご参加ありがとうございました。
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安倍晋三首相は28日に病気を理由に退陣表明された。報道各社の論評を読むと、多くが第一次安倍内閣の辞任の時と異なる点をあげている。
ただ、安倍首相の無念さをうまく表現していたのは元AKBの指原氏ぐらいだろう。まさに病気で倒れて突然辞任するよりも、志半ばなれど良いタイミングで辞意を表明したほうが誠実である。わかっていても難しい決断である。
第一次安倍内閣辞任の時と同じように論評していた評論家もいたが、これは明らかに的外れである。今回はかなりの無念な思いが強かったはずだ。
突然決めたような報道ばかりではあるが、当方の経験から1週間以上前に決断していたように思われる。会見では新しい治療法で改善の見通しが得られたことにも言及しており、その説明に当方は「無念な決断」を感じ取った。
当方も6年間死の谷を歩き、住友金属工業とのJVを立ち上げた後FD事件が起き、それが隠蔽化されると知り、辞職する決断をしているが、それでも首相の決断の思いをうまく表現できない。
一国の首相の今回のような局面での辞意表明ならばさらに苦渋の決断だったはずだ。立憲民主党の新党結成党大会を念頭にした辞意表明を取り上げている報道もあるが、これは安倍首相の決断の決め手ではないだろう。
安倍首相の支持率が落ちたと言っても自民党の支持率まで落ちたわけではなく、今後の活動如何では、首相の支持率は回復する可能性が高い中での辞意表明である。
このような決断を行った人物の心中をうまく表現できない評論家や報道各社の記者は、もう少し自分たちを極限ぎりぎりまで追い込んで取材する習慣を心掛けた方が良い。
東京オリンピックまで延期となり、何もかもが中途半端に見える。しかし、経済政策や憲法改正などに少なからず成果がある。むしろこれから成果の刈り取りというタイミングの辞任の決断ともとれる。
その意味でコロナ対策において国民の批判の強くなってきた今よく決断できた、と花見の会や森友学園問題があったとはいえ、辞職を決断したことに敬服している。
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コロナ禍でテレワークが一気に普及した。TVのワイドショーもリモートである。このワイドショーを見ていて気がついたことがある。
大抵のワイドショーは、リモート参加者とスタジオ(会場)参加者の二本立てで、会場参加者は密を避けるように席が配置されている。
この時会場参加者とリモート参加者の顔を見ていると面白い。どちらもライブ感を要求されているはずなのだが、リモート参加者にはそのライブ感をうまく出せないタレントがいる。
例えばホラン千秋氏は、最近リモートから現場に戻ったが、リモートの時にうまくライブ感を出していたにもかかわらず、それは現場でのライブ感と異なることを残酷にも映し出してしまった。
リモートの時の方が活き活きとしていたのだ。現場に戻り、従来の形に戻った瞬間、単なる女性キャスターに戻ってしまった。おそらく彼女は一人でキャスターをやらせた方が光るアナウンサーなのだろう。
これはウェブ会議でも同じである。ライブ感を出そうと思うならばそのための努力が要求される。そしてその要求は、ウェブセミナーでさらに強くなる。モニター相手のライブ感さえ差があるのだ。
そしてその差に気がついたときに、学生時代に自分の適職は教師ではないかと真剣に考えたことを思い出した。
いくらモニターやカメラの画素が細かくなったとしても、その場の空気感まで演出は難しい。テレワークの会議でも十分だ、という経営者はそのもたらす弊害に気がついていないので心配である。
それは高精細画像を見せられて、その場にいる感覚でしょう、と店員に言われたら、その場にいる感覚が欲しければJTBにゆく、と突っ込みたくなる気持ちと似ている。
やはりモニター画像と実際の現場とは空気感なる抽象的なものが異なるのだ。この空気感の違いが生み出すポストコロナ禍のビジネスについてご興味のあるかたはご相談ください。
特に経営者はその問題に敏感でなければいけない。担当者の立場であれば、成果主義の時代ゆえに発生する空気感の乏しさの危機に対応しなければいけない。
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企画書の書き方なる指南書は昔からサラリーマンの必読書となっているが、企画を成功させるために書かれた、よい指南書を見たことが無い。
モノが最初に必要と書いてある本が皆無である、というのがその理由である。その次に重要なのは、関係者の根回しとなるが、これについては2-3冊の指南書に書かれたノウハウを読んだことがある。それらに共通して書かれていたことは、企画書よりも大切だ、という点である。
そしてある一冊には、自分の目指す方向に相手のベクトルを向けさせるためには、その反対方向が地獄であることを理解させればよいと書いてあった。当方はこれを「怖い怖い戦術」としてセミナーでは説明している。
当方は、根回しについて、戦略と戦術が極めて重要だと思っている。中間転写ベルトでは、自社内で完結せず、他社からコンパウンドを購入する体制でプロジェクトが進められていた。
この時他社をどのように位置づけるのかは、戦略上重要である。他社のベクトルを合わせることができたときとできなかった時の両方を考えなければいけない。
すなわち、ここでは他社にイノベーションを起こすような技術開発をどのように進めてもらうのかが重要となってくる。この交渉に成功すれば、交代して半年間、前任者が言っていたように、部長の席に座っているだけで良い。
だから、単身赴任して最初に行った仕事は、コンパウンドメーカーとの打ち合わせであり、部下の課長から紹介していただく形で会議がはじまるよう段取りを決めていた。
しかし、結果から判断すると挨拶だけすればよかったのだが、そこで方針変更の話を持ち出した。これは事前に部下と打ち合わせた段取りであり、その時の手順として間違いではなかったが、予想外にも相手を怒らせてしまったのだ。
確かに自信をもって開発してきたのだから、あと残り半年のところで方針変更と言われたら、カチンとくる技術者もいるかもしれない。
しかし、当方は立場としてお客である。部下とも相手の反発を少し予想していたが、両者の関係から黙って従ってもらえる、という予測だった。
「素人は黙っとれ」という言葉が飛び出した瞬間に、課長が機転を利かせて、残りの打ち合わせはお忙しいでしょうから部屋に戻っていてください、とおさめてくれた。
当方はすぐさまセンター長のところへ飛んで行き、この仕事、半年後には失敗します、私と一緒に責任を取ってください、とお願いした。
センター長は、「***万円でなんとかなるか」と言ってくださったので、当方はコンパウンドメーカーから万が一断られた時のために準備していた戦略をセンター長にご説明した。
センター長は、定年を2年後に控えており、中間転写ベルトが製品として軌道に乗った姿を見て退職することを夢見ていたようだ。そんな気持ちは決裁権の満額である「****万円」という言葉で伝わってきた。
このようなときに迅速に決断できないような上司ならば大変である。赴任先の組織に素晴らしい上司がおられたことに感謝した。あとはこの金額で仕事を成功させるだけである。
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問題解決法はいろいろ提案されているが、ほとんどは科学的ロジックに頼る方法である。すなわち何らかのアルゴリズムに基づき問題解決してゆく。
セレンディピティーは、40年ほど前のセラミックスフィーバーの時にもてはやされた能力である。これを「犬も歩けば棒にあたる」的な能力と表現された先生もおられた。
学生時代にコーリーの逆合成の考え方に触れたとき、衝撃を受けた。目標とする化合物の合成ルートを考えるときに、その目標化合物からルートを考案するのである。そのためのいくつかのルールを設定していた。ただしそのルールは経験知である。
これも一つのアルゴリズムとなりうるが、経験知を用いている点で、純然たるコンピューターによる近似解などの計算のアルゴリズムと異なる。
しかし、合成ルートを考案するときに原料から前向きの推論を展開してアルゴリズムを組むよりもはるかに少ないアルゴリズムで目標にたどり着ける。極端な場合に最初の合成手段であとはこれまでの方法で良しとして終わることだってあるのだ。
抽象的な話をしていても分かりにくいかもしれないが、いわゆる発見的手法というものにも非科学的なアルゴリズムを導入することによりある程度誰でも正解により近くたどり着ける問題解決法というものが存在する。
来月そのヒューリスティックな問題解決法について2時間ほど無料セミナーを行う予定でいるのでご興味のあるかたは申し込んでいただきたい。
再掲となるが無料セミナーで予定しているテーマは下記の通りです。なお、時間は2時間で9月26日(13:30-15:30)と27日(13:30-15:30)。
<予定テーマ>
1.9月26日(土曜日):高分子材料の初歩(初めて学ぶ高分子的イメージ)
2.9月27日(日曜日):ヒューリスティックな問題解決法
今回のセミナー参加者募集は終了致しました。
多数のご参加ありがとうございました。
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どのような素晴らしい企画書でもそこからモノが生み出されなければ、企業内ではごみである。
また、組織の中で仕事を一人で完結している、というのはまれで、どのような企画でも関係する人が複数いる。その人たちの支援を得るためにもモノがあると企画の推進力は強くなる。
退職前に担当した中間転写ベルトの企画は、当方が立案した企画ではない。製品化まであと半年、というところで企画した人物から交代を頼まれたのだ。周囲には幕引きの責任を負うだけだという人もいた。
仕事の引継ぎ説明を聞き、まさにその通りだと感じたが、「貢献と自己実現」を実践するのにふさわしいテーマ(注)だと思った。
すなわち、もし成功させればそれは多大な貢献である。なぜなら、企画者は評価されるかもしれないが、製品化まで半年、企画責任者はプロジェクトメンバーに成功すると言っていたので、成功しても当方の成果にはならない。だから、貢献である。
自己実現については、学位を高純度SiCの技術で取得した当方にとって、高分子のプロセシングで大きなイノベーションを生み出すチャンステーマだった。
一流コンパウンダーが納入しているコンパウンドでは、絶対に完成しない仕事であることが見えていただけでなく、常識をひっくり返すアイデアでイノベーションを起こせば技術を成功させる可能性もあった。
30年の技術者生活で考えてきた「研究開発必勝法」の効果を試すためにうってつけのテーマだった。
6年近く研究開発され、製品化まであと半年しか残されていない状況で、歩留まりが10%前後しかない押出成形技術を利益の出る状態まで立ち上げる、これだけ難しいテーマをこれまで経験したことは無かった。
高純度SiCの仕事では、立ち上げに6年かかったが、企画立案から担当していたのでデスバレーを一人で歩く苦労があったが時間を十分に使えた。時間を十分に使えるというのは、時間は企画の要素ではないと言われているにもかかわらず、難易度に影響する。
しかも日本を代表するコンパウンドメーカーの技術者が関わってきても解決できなかったのである。「研究開発必勝法」の切れ味を確認するにはうってつけのテーマだった。
(注)企業内には、その仕事において大きな貢献をしたとしても評価されない立場がある。派遣社員の立場は同じ仕事を行っても賃金が異なるということで社会問題になっている。派遣社員ではなくても、40年前のゴム会社のように新入社員の2年間は査定をつけない仕組みとなっていたのは実態を考えると少しおかしい。残業代もつかない。しかし、工場試作を成功させたが始末書を書かされたうえ、同期よりも100円給与を下げられた面白い事例なので、この欄で紹介している。これは自虐的に表現しているのではない。成果主義と言っても必ずしも組織内で理想的な運営が難しいことがあり、成果を出しても評価されないことが起こりうるし、他人の成果を何かの理由で成果など出していない人の成果にしたりする場合も出てくる。その逆で他人の失点を成果を出した人につけたのが当方の新入社員の事例だ。このような評価は評価として好ましくなく、続けていると組織風土はおかしくなるが現実には正社員でも成果を出しても評価されない人を生み出している。おそらくドラッカーも不誠実な管理者により引き起こされる組織の不条理に気がついており、働くことの意味の一つを貢献としたのだろう。貢献と思って働けば、評価されなくてもあきらめることが可能となる。しかし、査定はつかないと言われた期間で成果(特許権も取得し英語の論文として掲載されている学術的にも価値ある成果だった)を出しても始末書及び減給処分では、忘れられない思い出となる。誠実な管理者は絶対このようなことをしてはいけない。許されるのは、平均的評価とするところまでだ。自分の責任を押し付けてはいけない。評価には、評価した人の誠実さが現れる。誠実な評価者は、成果を出しても評価できない時に事前にそれを告げる。評価後に謝罪として告げるのは誠実なように見えて、実は評価者として不誠実なのだ。評価者は成果を出しても良い評価をつけられない状態を自分の責任として告げなければいけない。これがなかなかできない人が多い。事前に告げた場合に、納得がゆかず怒り出す人もいる。当然である。だから後で謝罪の形を選ぶ評価者が多いのだ。このような場合に誠実かつ円満に対処するにはどうしたらよいのか。困った時には弊社へ相談していただきたい。
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「モノを持ってこい」と言われて、マジックのようにモノを出すことができるのか。マジックでも種があるので、この場合もコツがある。
一番重要なのはヒューリスティックな問題解決法とその結果形成されたコンセプトである。プロポーズをしたところ彼女から無理難題を押し付けられたかぐや姫の時代と異なり、今はお金をかければそこそこのモノを作ることができる。
ゴム会社の本部長が言っていた「モノ」とは、コンセプトが具現化された実体であれば良かった。
例えば、SiCウェハーと称して提出したのは、ホットプレス成型された高純度SiCをそのまま薄く輪切りにしただけである。ヒーターも同様でカーボンを助剤にすればカーボン層が導電体となり高純度ヒーターとなる。
本当にそれが使えるかどうかは不明だが、とりあえずモノができれば、研究開発の失敗は無くなる。次の段階である事業性の見積もりを他部門にまかせれば、事業化と研究開発をコンカレントで進めることが可能な一種のアジャイル開発となる。
「まず、モノを持ってこい」と部下を指導した本部長の思いは、ここにあったが、当時はアジャイル開発の概念など無い時代で、おまけに研究部門の管理職は皆研究者であり、その理解などできなかった。
当方は高校時代からドラッカーが愛読書だったので、本部長の思いをすぐに理解できた。本部長が交代しても前本部長の思いを踏襲した業務のやり方をしていたので研究者あがりの新しい本部長には受け入れられなかったのだろう。
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