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2020.11/09 科学技術から技術へ

20世紀は科学技術の時代と言われた。昨日科学と芸術の差異について書いたが、17世紀以降成立した科学に対して、それ以前から存在していた技術が科学技術と呼ばれた経緯について違和感を持った。

 

科学成立以前に技術は芸術技術などと呼ばれておらず、独立して存在していた。そして同じ技術を連綿と次の世代へ語り継ぐ職人もいつの時代からかいた。

 

科学技術となり、職人を軽視する風潮が出てきたが、科学の時代に形式知を指導方針に沿って伝える職業である先生は戦後急速に尊敬されなくなった。尊敬されないだけでなく先生自らいじめを行う時代でもある。

 

科学成立時代に職人だけだったのかというと、17世紀までの技術発展史や産業革命を学べば理解できるように、技術者の存在を歴史は教えてくれる。

 

科学成立以前の技術者は、科学が無くても自然と対峙しそこから機能を取り出してきた。芸術が自然と対比し美を取り出していた姿を技術者が学んだのかどうか知らないが、人間の営みとして自然の中で生活の利便性を高めてきたのは、昔から技術者である。

 

科学の誕生により、技術者の仕事は効率化され技術が著しく早く進歩した。この意味で17世紀以降生まれた技術は科学技術と呼んでも良いのかもしれないが、科学を利用しない技術開発について忘れてしまったかのようである。

 


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2020.11/08 科学と芸術の違い

科学者による科学論には多くの著書がある。古くて有名なところでは、マッハ力学史がそれで、力学の発展史をもとに科学という哲学について論じている。

 

科学論同様に芸術論も多いが、科学論では西欧近代科学が成立した17世紀からの歴史が取り上げられるが、芸術論では人間の創造的活動が始まった時期を明確にせず論じられている場合が多い。

 

このことから科学と芸術は、扱う対象も含め明らかに異なるのだが、科学論の中に芸術との対比を持ち出される方が多い。

 

おそらく科学も芸術も人間と自然との関わり合いの活動だからだろうと推定している。

 

例えば中谷宇吉郎著「科学の方法」には、「科学が自然に対する認識をつくることと、芸術家が美術品を作る場合と、どこがちがうかというと、その間には、はっきりした区別がある。それは作ったものを評価する場合の物差が違うのである。」と書かれている。

 

ここでいう物差については、「科学の知識の集積」と説明されている。この物差を用いて思考形式の眼を通じて自然を眺める、人間と自然との協同作品が科学の本質と述べられている。

 

この人間と自然との協同作品という考え方は、芸術にも当てはまるゆえに、科学と芸術を論じる科学者がでてくるのだろう。

 

一方で人間と自然との協同作品を作るにあたり、体系化された形式知を用いなければならないところが芸術との差異で、自由奔放に美を追求できる芸術家に対して、定まったルールの中で創造活動を行う難しさが科学者にある。

 

この中谷氏の説に従えば、技術者を科学者と芸術家と同列に扱う場合には、科学者と芸術家との中間に位置し、両者の要素をもって人間と自然との協同作品を作ることが技術開発と思えてくる。

 

これが20世紀では、技術者は科学者の下部であることを強いられたが、21世紀には芸術家でもあることにも目覚める必要があると思っている。

 

すなわち科学を学んだレオナルドダビンチが21世紀の技術者象と思っており、技術者が科学者の下部から独立する自覚が求められる。

 

弊社の問題解決法は、自立した技術者の活動に役立つ内容を目指している。今月無料セミナーを行うのでそのあたりを確認していただきたい。科学にとらわれない自由な発想により独創性のある技術を生み出す方法を提案している。

 

カテゴリー : 一般

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2020.11/07 コンセプトの重要性

化学は、ピラミッドが作られた時代から存在していたので科学よりもその歴史ははるかに長い。ゆえに化学全体の知を眺めてみると形式知以外に経験知が数多く存在する。

 

例えば、ポリマーアロイを学ぶのに必要なフローリー・ハギンズ理論というものは、経験知と呼んでよいようなものだ。その経験知の上に形式知が構築されているおかしな世界である。

 

そこに気が付いた当方は、立体構造に着目し、錠と鍵の関係のような相溶状態を想像し、バルキーな側鎖基をもったポリオレフィンとポリスチレンとを相溶させてみた。

 

たまたまレンズ材料の開発を担当できたので実験をしたのだが、見事に相溶し透明なポリマーアロイができてびっくりした。期待はしていたがうまく行き過ぎとも思った。

 

フローリー・ハギンズとは異なるコンセプトで高分子の相溶という現象を眺めてみた結果であるが、これがうまくいったことで、ゴム会社の指導社員に出されていた宿題を思い出した。

 

指導社員はカオス混合を使えばどのような高分子でも紐状であれば相溶するのではないか、というコンセプトを持っていた。

 

そして、ロール混練でSP値が異なる高分子を混ぜて、ロール上で透明になっている様子を見せてくれた。そして連続プロセスでこれができる発明をするのが当方の宿題だと冗談を言っていた。

 

この冗談を実験する機会が、中間転写ベルトの開発を担当した時、コンパウンドメーカーの技術者が当方のカオス混合のアイデアをバカにしたために生まれた。

 

コンパウンドメーカーが採用してくれなかったので、自分でカオス混合の生産プラントを立ち上げたのだが、明確なコンセプトのおかげで、たった3か月でPPSと6ナイロンが相溶して透明な樹脂液が出てくる現象を観ることができた。

 

カテゴリー : 一般

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2020.11/06 低分子から高分子まで

当方が学生時代に高分子は重合技術が話題の中心にあり、応用化学科のカリキュラムにおいて高分子物性論はわずか特別授業の1単位だった。

 

ゴム会社に入社し驚いたのは高分子物性論を知らなければ仕事ができないのだ。高分子は低分子モノマーが重合して、という話などほとんど役に立たない世界がそこに広がっていた。

 

大学でレオロジーを専攻された指導社員は、自嘲気味にもう10年もすればダッシュポットとバネのモデルを使った高分子物性論は無くなる、と教えてくれた。

 

しかし、その無くなる予定のモデルについて大学ではおさわり程度にも学んでこなかった当方は恥ずかしくなった。

 

4年生の時にシクラメンの香りの全合成を研究し、JACSにショートコミュニケーションが掲載されたが、大学院では無機材料の講座で研究している。

 

但し、研究内容は無機材料の最小構成単位を重合して無機高分子を合成する研究である。2年間に5報ほどかける成果を生み出し、学生時代にショートコミュニケーションも含め3報ほど書いてきた。

 

その講座で博士課程後期まで在籍すると皆が3報書くと聞いていたので、前期だけで3報書いてみようと思い、研究を頑張った結果である。おかげで奨学金にアルバイト料も潤沢に稼いでいたが、遊ぶ時間もなく貯金ができた。

 

セラミックスの研究キャリアの方が1年長かった。高分子など全く知らなかったので、指導社員には無機材料を専攻してきました、と応えている。

 

指導社員も当方のキャリアについては人事情報からご存知で、最初の3か月間の座学を指導計画に入れていた。

 

低分子から高分子に至る指導社員の知についてこの3か月に学んだのだが、レオロジーを核として語られた内容は、大学の授業とは全く異なる世界観だった。

カテゴリー : 高分子

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2020.11/05 11月度無料セミナーのご案内

11月24日と25日に問題解決をテーマとした無料webセミナーを行う予定でいます。時間は13時30分から15時30分を予定しており、2日間4時間でまとまる内容を企画している。現在それぞれの日をどのような内容にするのか検討中ですが、とりあえず参加者を募集します。弊社へお申し込みください。原則2日間参加できる方が対象ですが、1日だけでも参考になるかと思います。



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2020.11/04 科学に対する誤解

タイトルは技術に対する誤解とすべきかもしれないが、未だに科学技術と言われているので科学に対する誤解とつけてみた。

 

オーディオスピーカーという製品について、マニアを満足させる科学的なスペックを見出すことが難しいことを昨日まで書いてきて、創造のプロセスあるいは創造の方法が世間であまり議論されていないことが気になった。

 

もっとも弊社の問題解決法では、創造に力点を置いており、非科学的方法を合理的に行う手法について解説している。

 

ところが20世紀から今日まで世間で推奨されている問題解決法は、皆科学的論理を基本にしている。科学的方法で創造ができるという誤解である。

 

哲学者イムレラカトシュは、「方法の擁護」で否定証明の問題を扱っている。詳細は省くが、完璧な科学的証明と言えるのは否定証明だけ、というのが彼の見解である。

 

すなわち、科学的論理は「できること」の証明を不得意としており、創造のプロセスにはどちらかといえば不向きな哲学である。

 

これは当方のゴム会社を退職するきっかけになった電気粘性流体の開発で十分に学んだ。「それでできるはずがない」という否定見解が溢れていたのだ。メンバーは科学を高度な水準で身に着けていたメンバーばかりだった。

 

実は科学に忠実になると、できないかもしれないと感じたときに、創造することが使命にもかかわらず否定証明に流される高学歴の研究者が多い。

 

あるいは、論理に忠実になり、当たり前のことであることを忘れ、当たり前の結論を導き出して満足している場合もある。

 

すなわち創造のプロセスにおいて科学は必須ではなく、現象を正しく観察する姿勢が重要であり、その時科学的でなくてもただひたすら繰り返しよく観察することが重要だ。

 

そして非科学的と言われても妄想を思いめぐらすことこそ大切である。思考実験は非科学的とマッハは力学史の中で述べているが、それでも良いのだ。

 

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2020.11/03 スピーカーと科学(3)

完成品も販売している自作スピーカーキットメーカー音工房zのセールストークは、うん百万円するスピーカーを数万円で提供、という少し怪しいスローガンである。

 

しかし、これはスピーカーというデバイスが未だ科学として完成していない、と思われる状態だから許される。また、新製品の販売にあたり高価なスピーカーとの比較視聴サービスを提供しているが、これは無料であり良心的だ。

 

部屋の状態を完璧にできない以上、大多数の人間の感性までも満足させるスピーカーは、まだ存在しないのでこのような方法が「科学的成果」とPRするよりも良いかもしれない。

 

すなわち、どこの部屋においても感性を満足させるような完璧な動作が可能なスピーカーを科学的数値で記述などできないので、同一条件でスピーカーの動作比較を行うヒアリングテストによりお客様に優劣を決めさせる音工房Zの方法は、怪しくはなくむしろ良心的である。

 

もし、このことについて疑問に思われる方がいたら、音工房Zの新製品発表会として行われる無料視聴会に参加してみるとよい。

 

うん百万円もするJBLのスピーカーよりも良い音がしたり、100万円を越えるB&Wのスピーカーよりも自然な再生音を聞かせる安価なキットスピーカーを自分の耳で確認できる。

 

最初に指摘したように、オーディオという商品は、それを設置する部屋の条件でその性能が左右される。視聴会では音工房Zが自社製品に合わせた部屋の設計にしている可能性を否定できないが、視聴会で怪しい仕掛けはみつからない。

 

ところで、音の出口となるスピーカーについて、デジタル時代となってもアナログ技術のままである。振動板など各パーツの材料開発は進んだが、電気信号を音に変換する機構についてその進化は20世紀に止まったままである。

 

音工房Zは、スピーカーの箱に着眼し、故長岡鉄夫を師としながら試行錯誤で箱の開発を行っている。開発過程を聞く限り、過去に大手企業で行っていたような科学的プロセスではない。しかし、優れた商品がそれでも生まれている。

 

うまいコーヒーがずば抜けた臭覚の人物により開発されたり、日本料理の達人の存在を認めているように、その性能が感覚に左右される製品では試行錯誤による開発を多くの人は認めている。

 

仮に、これを科学的に行うべきだと思っている人がいるならば、マハラビノスのTM、すなわち多変量解析を行うことになる。

 

1990年ごろ色材の開発に多変量解析を用いた研究成果を拝聴する機会があったが、ナノオーダーの変化を人間の目は検知しているという驚くべき結果が説明された。

 

しかし、これを科学的に検証したという話を聞いていない。目の前に財布があってもポケットの中を探してしまう当方には、この科学的成果がどうでもよい話に聞こえる。

 

試行錯誤について非科学的だから研究開発では許されない、と今でも思っている人(20世紀にはこのような研究者が多かった)には、次の例で納得していただけないだろうか。

 

iPS細胞を生み出すヤマナカファクターの効果について、今科学的に検証が進められている。ところが、その機能については、非科学的方法で見出されたままであり、なぜヤマナカファクターが機能するかは特許が公開されても謎である。

 

もしこれが分かれば、類似機能を発現できる物質を作り出せるはずであるが、そこは科学的解明が難しく、今でもブラックボックスのままである(だからSTAP細胞の騒動が起きたともいえる)。

 

音の出口であるスピーカーにAIを搭載し、出力された音に部屋の情報を加味した成分を載せて完璧な音を出せるようにすればよい、とスピーカーのあるべき姿を仮に描くことができたとしても、それを経済的に作り出すことは難しい。

 

また、バックロードホーンの機構についてさえ、科学的に否定する人がいるのに、このようなフィードバック機構では科学的に明らかな遅延を避けられないので、科学者に開発意欲もわかないかもしれない。

 

どのような機構でiPS細胞ができるのかについて注力するよりも、その応用研究を進めた方が人類への貢献度は高いように、世界最高性能のスピーカーと比較視聴して、それよりも優れた安価なキットのスピーカーを作りだしたほうが、庶民に貢献できる。

 

オーディオの開発の歴史において、科学的成果による優れたパーツが声高に「科学的」と説明されて商品に搭載されては、時代の流れの中で消えていった。

 

今でも残っている「科学的」技術成果も存在するが、それは歴史の流れの中で実績の積み重ねにより皆が良いと認めたものであり、必ずしも科学的に優れているという理由からではないことに気がつくべきである。

 

デジタルアンプが主流になりそうな気配なのに、未だに真空管アンプが最良という人がいる。SN比ではデジタルアンプに負けるがその芳醇な音色は真空管アンプならではである。

 

消えつつあるオーディオ業界から科学が全てではない工業製品が存在することを学ぶべきだと思う。科学は技術進歩を促進するのに役立つ哲学であることは否定しないが、それだけで技術開発がすべてうまくゆくとは思ってはいけない。

 

11月24日、25日に問題解決法の無料セミナーを予定していますので参加希望者は、お申し込みください。時間は13時30分から15時30分までの二時間で、テーマを絞った解説を予定しています。

 

 

カテゴリー : 一般 電気/電子材料

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2020.11/02 スピーカーと科学(2)

部屋の問題が解決したら、欲望を満たせるオーディオ技術が存在するかというと今度はスピーカーの問題が出てくる。

 

若いころにはオーディオのショールームに通い、今は音工房Zの視聴会に暇さえあれば参加しているが、100点満点をつけられるスピーカーに未だ出会っていない。

 

科学的にスピーカーを研究し、大学のベンチャービジネスとしてスタートしたBOSEは、音場再生に優れたスピーカーを提供してきたが、今販売されている製品は1機種のみとなった。

 

20世紀になんクリで有名になったJBLは、最近影が薄くなり、B&Wがスピーカー量産メーカーとして有名になった。

 

このB&Wのスピーカーについて驚くのは、価格と性能がうまく線形性をもって品ぞろえされている点である。

 

価格の安いスピーカーと高いスピーカーを比較試聴すれば、すぐにどちらが安いのかわかる仕掛けである。

 

これはおそらくスピーカーの科学的研究成果が商品に展開されているためではないかと想像している。

 

また、メーカーのホームページを見てみると、価格の高い商品が性能で優れていることをダイヤモンドで表現している。

 

カテゴリー : 一般 電気/電子材料

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2020.11/01 スピーカーと科学(1)

オーディオという趣味は死語に近くなった。家電量販店に行ってもそのコーナーは急激に縮小されている。オーディオコーナーの無くなった店もある。

 

オーディオ専業メーカーも倒産したところや事業提携、ブランドだけと様々で、家電メーカーでオーディオ事業を展開しているのはパナソニックだけとなった。

 

また海外のスピーカー専業メーカーの台頭は著しく、日本メーカはフォステクスとオンキョーのBtoBビジネスぐらいしか頭に浮かばない。

 

ただ、自作スピーカーについては、とび猫とか音工房Zなどの個人事業主の個性豊かな国産メーカーが誕生している。

 

それでは、オーディオ技術は完成したのかというと、実は未完成のままで、自然界の音を家庭内でそのまま再現することはもちろん未だに不可能で、コンサート会場についてさえ難しい。

 

我が家では、ライブハウスの環境程度を再現できる機器を揃えているが、それでもまだ不満で、俗にいうところのオーディオは底なし沼ではないかと思っている。

 

音量だけでも満足できるぐらいのエネルギーで再生したならば、おそらくご近所からクレームが来るだろう。

 

ROTELのアンプにBOSEとONKYOのスピーカーでそこそこのコストパフォーマンスの高いオーディオ環境を構築してみても、都内の住宅街では防音室でオーディオ専用ルームを作らないかぎり、商品性能を最大限に生かすことができない。

 

すなわち、オーディオという趣味は、隣人からクレームのこない専用のオーディオルームを作れるかどうか、で満足感が分かれるように思う。

 

カテゴリー : 一般 電気/電子材料

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2020.10/31 田澤選手に酷な結果か

今年のプロ野球ドラフト会議の目玉の一つに34歳元メジャーリーガー田澤選手をどこのチームが獲得するのか、という話題があった。

 

ところがどこの球団も指名しなかった。その結果に対して様々な憶測の記事が溢れている。中には同情のあまり、球団を批判する記事もあったが、果たして酷な結果だったろうか。

 

実績は十分だったが、将来の活躍の可能性としては若い選手に比較すると34歳という年齢は大きなマイナス要因だ。

 

中継ぎとして即戦力の投手、という意見もあるが、昨年度の田澤選手の実績からは、50%の期待値となる。よほど投手を欲しい球団でない限り、リスクが高いので指名しないだろう。

 

興味深いのは、多くの記事で憶測の見解となるが、田澤選手が日本の球団を腰掛にしか考えていない、というのがあった。

 

せっかく獲得しても1年目で成績が良かったら、またメジャーへ行くのではないか、という見方である。また、彼の言動も日本の球団を見下しているところがある、とまで書いてあった。

 

各球団が田澤選手を指名しなかった理由を言わないので、このような憶測の記事が多く出る背景となっているが、学術会議の問題と同様にこれも人事の問題なので、各球団が理由を明らかにする必要はないだろう。

 

35歳でもユニフォームを脱ぐ選手がいるプロの世界なので、34歳という年齢がどのような意味なのかは、プロ野球ファンでなくとも理解できる。それを指名されるのが当たり前と思っていた田澤選手の関係者あるいはファンが甘い考えだと思う。

 

例えば、サラリーマンは65歳まで働ける時代であるが、もし65歳過ぎても働きたいならば、55歳ぐらいで次の仕事へ異動した方が希望通りの職種に就ける機会は多い。

 

当方は中間転写ベルトの仕事を最後に55歳で退職するつもりだったが、環境対応樹脂の開発をして欲しいと言われて、退職を1年延ばしてひどい体験をした。

 

1年前に2011年3月11日を勤務の最終日に設定したためであるが、帰宅難民となり、会社に宿泊することになった。このような不測の事態が起きてしまう不確実性の時代である。

 

田澤選手がもし指名を期待していたのだったなら、指名されなかった場合を想定して、年俸について贅沢な希望は言わないので、どこの球団でもよいから採用してくださいと、声明をだすべきだった。

 

おそらく直接メジャー球団へチャレンジし、華々しい実績を上げた選手なのでそれができなかったのだろう。しかし、日本では謙虚さは美徳となる国である。将来コーチとか監督とかを期待して採用に動いた球団がでてきたかもしれない。

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