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2020.05/19 高分子のサイズ

新型コロナウィルスが話題になっているが、ウィルスの大きさは、概略数10nmで赤血球は概略7μm前後(6から8μmと書いてある書物もある)である。細胞の大きさの1/10が細菌の大きさであり、ウィルスは細菌の1/10の大きさと捉えられる。

 

高分子が水中にコロイドとして分散しているラテックスの粒子径は、一般に0.1から大きくても0.5μmである。SBRラテックスの電子顕微鏡写真から求めた粒径は、平均粒径が120nm程度(0.12μm)の場合に60nm(0.06μm)から150nm(0.15μm)程度である。

 

すなわち、小さいラテックス粒子にはウィルス程度の大きさの場合もあるが、大抵はウィルスの2-3倍程度の平均粒径となっている。

 

すなわちラテックス粒子は、ウィルスより少し大きい。このラテックス粒子を合成する時、水に界面活性剤を分散し、ミセルを形成させてからそのミセル内で重合する。それではこのミセルの大きさは、というとラテックス程度から数十ミクロン程度まで、安定であればどんどん大きくなる。

 

それでは、ラテックスもそれだけ大きな粒子が作れるのかというと、ミセルが大きくなると、ミセルそのものが不安定になってくるので技術の難易度が増す。大きなラテックスは、せいぜい0.5-0.8μ程度までの大きさしか安定に合成できない(当方の経験知)。

 

レーザープリンターに用いられるトナーは数μmの大きさであり、重合トナーと呼ばれている高品質トナーはラテックス合成後、粒径分布を制御しながらラテックスを凝集させて製造する。だから高度な技術が必要で、粉砕トナー(樹脂をジェットミルなどで粉砕した平均粒子径数十ミクロンの画像品質の悪いトナー。コニカミノルタのトナーはすべて高品質の重合トナーである)よりも高い。

 

ラテックスを塗布して薄膜を製造すると、薄膜の構造にはラテックス粒子の粒の形が残っていたりする。焼き付け温度を高くすると、この形状が見えにくくなるが、PETの表面処理では熱処理温度を高くできないので、うまく染色すると形状をくっきりとみることが可能だ。

 

シリカゾルや酸化スズゾル粒子の大きさは数nmであり、ウィルスやラテックスのサイズの1/10である。

 

20年以上前に、このゾルをミセルとして用いてラテックスを合成する技術を開発した経験があるが、それでもラテックス粒子の大きさは、有機物の界面活性剤を用いたときと変わらなかった。

 

ところが、二成分の非相溶系の高分子を混練で分散すると、コンパチビライザーを用いなければ、混合比率により、少ない方の高分子が数μmから数mmまで変化する。組み合わせにより0.1mm程度までの場合もあるが、とにかく半々程度では、巨大な構造になる。

 

非相溶系高分子ブレンドが白濁するのは、構造が光の波長よりも大きくなるためだが、ラテックスの場合には、可視光の波長よりも小さくできるので透明フィルムの表面処理にポリマーブレンド技術を用いることが可能だ。

 

カテゴリー : 高分子

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2020.05/18 CASE

このコロナ禍で自動車各社が大変である。ゴーン氏が「日産はあと2年で倒産する」と言い出しているが、無責任な発言である。

 

日産自動車と言えば、昨年までの数年間日本市場に新車の発売は少なく、カーディーラーも大変だったようだ。また、国内の新車販売は、3位に転落している。

 

この6月にはジュークの後継としてキックスと呼ばれる新車が発売されるが、この車はすでに海外で販売されてきた車なので、まったくの新車ではない。

 

夏過ぎにはワールドプレミアムとしてアリアと呼ばれる車が、世界に先駆け日本で発売予定と噂されているが、日本におけるキックスは、この導入の役割を担うのだろうか。

 

そのため、eーPOWERと呼ばれる、電気自動車の雰囲気を味わえる、いわゆるハイブリッドエンジンとは異なる動力(エンジンで発電しながらモーターを回すので電気自動車)を搭載予定と言われている。

 

また、標準でディスプレーが装着され、携帯電話との連携はじめ、コミュニケーションツールとして工夫されているらしい。

 

すなわちアリアはCASEを具現化した新世代4駆として位置づけられており、その良さをキックスで先駆けてユーザーに見てもらおうというわけだ。

 

自動車各社は、今CASEのコンセプトで開発を進めているが、国内においては、スカイラインで自動運転レベル2を日産は実現(注)し、アリアでも同等以上の自動運転機能となる、とモーターショーで発表された。

 

国内でCASEのコンセプトをいち早く実現している日産だが、ゴーン問題とこのコロナ禍で倒産が噂されるような経営状態となった。ルノーとの関係など考慮すると悲惨なケースとならないよう、経営者は頑張ってほしい。

 

(注)高速道路で手放し、居眠り運転はできない。この意味で完全な自動運転ではない。この車でよそ見をしたり、目をつぶっていたりしていると、車に叱られる。プロパイロットは、スカイラインハイブリッドのみの設定であり、一番ホットな400Rには搭載されていない。またオプション設定もされていない。プロパイロット2.0が交通標識も認識し、制限速度を遵守して動作するので、400Rに搭載しないのは納得できる。自動運転を体験するならハイブリッドスカイラインだが、400Rは、GT-Rより安いハイパフォーマンスカーであり、試乗するとアクセルを踏み込んだ時のわくわく感はこちらの方が自動運転よりも高い。

 

カテゴリー : 未分類

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2020.05/17 ギター(2)

ギターは大別すると、ピックアップで弦の振動を拾い振動を増幅するエレキギターと空洞のボディーで弦の振動を増幅するアコースティックギターがあり、後者は、クラシックギターとフォークギターに分かれる。

 

フォークギターはウェスタンギターとも呼ばれていたが、今はアコースティックギターと呼ぶようになったらしい。すなわち、昔はアコースティックギターにクラシックギターとフォークギターの分類があったが、今は従来から形状変化のない、ナイロン弦のクラシックギターとアコースティックギターと分けているようだ。

 

そしてアコースティックギターは、1970年代と異なり、オリジナリティー溢れるボディータイプのギターが存在する。昔は、アメリカのマーチン社のドレッドノートと呼ばれるタイプのコピーばかりだったが、モーリスやK.ヤイリ、アリア、ヤマハ、タカミネなど古くから活躍しているメーカーは独自のモデルで差別化を図っている。

 

面白い点その1として、1970年代のギターブームで雨後の筍の子のごとくギターメーカーや工房が多数日本に生まれたが、ブームが過ぎ去り淘汰されて独自モデルが消費者に支持されたメーカーが生き残った点である。

 

例えばアリアの高級アコースティックギターを製作していたのは、クラシックギターで有名な松岡良治工房であり、ここは松岡良治氏がお亡くなりになった2年後2014年に倒産している。

 

すなわち、技術があっても生き残れない世界である。日本のギターメーカーの多くは家具屋が不況となり、木工技術を生かして楽器メーカーに変わったパターンが多い。昔家具職人、今ギターマイスターと自称する職人もいる。

 

松岡良治工房は、生粋のクラシックギター職人の工房だった。そこが、ドレッドノートタイプの高級ギターをアリアに提供し、鈴なりの美しい響きをしたアリアドレッドノートの名声を高めることになった。

 

アリアドレッドノートの廉価版はマツモク工業で製造されていたと聞いている。ここはシンガーミシンの木製筐体を製造していた木工会社である。

 

今は倒産して存在しないが、昔はアリアプロⅡなどエレキギターを製造し、エレキギターメーカーとしてフジゲンとともに世界に知られていた。

 

楽器作りには繊細な技術がいる、と言われた時代もあるが、今やコンピュータ制御の木工機械が活躍する時代である。市場調査によりニーズを把握し多数の消費者に支持された会社が生き残るようだ。

 

<参考>

1970年代のアコースティックギターの日本メーカー又はブランド

ヤマハ、Sヤイリ、Kヤイリ、モーリス(←芳野楽器←穂高楽器←長野楽器)、アリア(松岡良治工房)、ジャンボ(田原楽器)、ヤマキ、スズキ、木曽スズキ、カワセ、一柳フェルナンデス、マルハ、ニュアンス、サムグレコ、キャンダ、カワイ、東海楽器(キャッツアイ)等5人からせいぜい20人規模の会社ばかりで東海地方に集まっていた。その他に家具製作の合間にギターを製造していた会社もある。例えば愛知県の牛久保町には家具職人が集まっていたが、今はその面影はない。また、アリアに普及品クラスのギターを供給し、フジゲンとともに並び称された、マツモク工業はミシンのキャビネットを作っていた木工加工会社ですでに倒産している。フジゲンはES335を小ぶりにした独自モデルを発売するなどギターメーカーとして頑張っている。池袋にはアンテナショップがある。

カテゴリー : 一般

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2020.05/16 NHK「チコ」の異例な放送

昨晩のNHK「チコちゃんに叱られる」では、異例の対応がなされた。当方は詳細を知らなかったので、ネット情報を調べてみたが、大変な世の中になった、というのが正直な感想だ。

すなわち、相手役の岡村氏が他番組で視聴者からの質問に対して冗談でリップサービスした内容が問題となっていた。

 

すでに岡村氏は問題となった発言について、謝罪を何度もしているようで、それぞれの謝罪についてもネットに書かれている。

 

また、発言が問題となったのはラジオ番組であり、その震源地となった番組では、相方がゲスト出演し岡村氏を叱るという演出までやっているという。

 

失言の内容は、その部分だけ取り上げれば、今の時代許されないような発言ではあるが、問題発言のあった放送における前後の流れを読み取ると岡村氏の男性視聴者へのリップサービスだったことを理解できる。

 

ゆえにその番組内の謝罪だけで済むはずだ。例えば部落問題では、その内容に少しでも触れれば今の時代では大問題となる。

 

しかし、風俗は、部落問題とは異なり、それを取り上げても許されるはずで、そうでなければさんまの出演する番組は、その大半がアウトだろう。

 

そのような発言に対して、問題となった放送とは無関係の番組でも謝罪を繰り返さなければいけない社会とはどのような社会なのか。

 

さすがにNHKもそこのところを理解しており、問題となった番組の放送直後ではなく、世論の流れの中で、妥当な謝罪方法をとっている。

 

本来は不要だったとも思われるが、それでも国民放送という立場から昨晩のような対応をNHKはしたのだろう。

 

もし、これが反社会的な法に触れる問題であれば、岡村氏の降板を促す処置をNHKはとったものと思う。

 

しかし、大変な世の中になった、と改めて思うのだ。昔ならば、ビートたけしやタモリ、鶴瓶などの面々はもっと下賤な発言をしていたが、謝罪などしていない。

 

ビートたけしに至っては、フライデー襲撃事件を起こしてもすぐにTVに復帰していた。

 

このような社会の将来は、公共放送において無益な情報さえも流せなくなるのだろう。無益な情報のないお笑い番組がどのような演出をされるのか知りたい。

 

ちなみに「チコちゃん」は、チコちゃんの相方としての岡村氏の活躍もあり、有益な情報のお笑い番組という異例な展開となっている。これは岡村氏というキャラクター抜きには実現できなかった番組である。

カテゴリー : 一般

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2020.05/15 ギター(1)

3月からコロナ禍で仕事が無くなり、本日まで休業状態だが、高校時代の友人たちも暇を持て余していたようで、「くだらない話」としてメールが飛んできた。

 

いろいろ話が飛んで、会話になっていない時もあるが、趣味の話には盛り上がる。

 

ギタークラブの部長だったNが、クラシックギターを買い替えたいという話になった。

 

そこで当方は、Nはじめその他の友人の影響もあり、大学生の時に少しギターを練習した思い出をメールにしたためた。

 

もっとも当方が弾いていたのはフォークギターであり、クラシックギターではない。

 

しかし、くだらない話ではそんなことはどうでもよく、ころころと話が転がってゆく。

 

個人の趣味の話なのでここではそれを書きにくいが、当方の学生時代は空前のギターブームで、街中にギターをぶら下げて歩く若者が多かった。

 

友人のNは玄人はだしで、一度クラスメートの前で独奏を披露してくれたが、多くの若者は、せいぜいコードを弾く程度だったろうと思う。

 

Nとは雲泥の差のある腕前とわかっても、ギターは売れたようで、いくつもメーカーや工房が生まれている。

 

雑談がきっかけとなったのだが、このギターという産業を日本のメーカーに限って調べてみると面白い。

 

ここで少しまとめてみたいと思っている。ポストコロナ禍の参考になると思う。

 

ドラッカーは、二つ以上の世界を持てといっていた。一つは知識労働者として実務の世界であり、他の一つは、ボランティアなり趣味なり何でもよいが、二つ以上の世界を持つことが、長い人生に重要と言っていた。

カテゴリー : 一般

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2020.05/14 後三年の役

前九年の役から後三年の役へ、そして鎌倉幕府誕生の流れは、大局的にみると歴史の必然のように見えるが、細部の流れは複雑でドロドロした人間模様の結果である。

 

NHK大河ドラマ「炎立つ」でも取り上げられた時代であるが、ドラマ以上のドラマがあったように想像している。

 

特に、この戦いを前九年の役で滅んだ安倍氏の娘が敵対した清原氏と再婚したため養子となった連れ子(藤原氏の子孫)と、清原氏の嫡子との戦いとして捉えると、安倍氏の怨念が見え隠れし、横溝正史が小説にしたら面白い小説になったのではないかと思ったりする。

 

この戦いでは、清原家だけでなく、その部下や親戚の怨憎も入り乱れ、あまりにも人間関係が複雑であり、当時でも戦の目的やゴールが理解されていなかった可能性がある。

 

結局、源義家は後三年の役を平定しても朝廷から評価されないどころか、出世の道も絶たれている。

 

今回のコロナウィルス禍は、米中貿易摩擦のさなかで起き、WHOと中国との関係、中国国内の香港の問題と台湾の問題などがドロドロしかけたところで発生している。

 

日本国内では、世界と異なるウィルスとの戦いが、ここにきて問題として取り上げられている。

 

また、PCR検査数の問題では、専門家会議がスタートしたときに、日本の感染学会の大物が感染データを独り占めして管理しようとしているなどと言った内部告発が出たりした。

 

100年以上経過してから、もし日本史の中でこのコロナ禍が取り上げられるとしたらどのように取り上げられるのか想像すると憂鬱になる。

 

このコロナ禍で苦しんでいるのは、感染者だけでなく、経済活動が止まりかけたためにその影響で死に直面した国民である。すでに聖火ランナーとして決まっていた練馬区のとんかつ屋が自死している。

カテゴリー : 一般

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2020.05/13 小田垣孝先生の論考に思う

5月8日に表題のコロナウィルス禍に関する論考がWEBに登場したかと思ったらワイドショーでも取り上げられるようになった。今日の情報拡散スピードの速さと国民の知識欲求の高まりには目を見張るものがある。

 

小田垣孝先生は、パーコレーションの研究で有名なスタウファーの著書の翻訳者として知られる先生である。2冊ほど先生の著書を当方は所有している。

 

さて、この先生、もう少し日本のウィルスバスターに気を使ってほしかった。ワイドショーの扱いはあたかも日本の専門家会議の仕事の進め方が間違っている、と言わんばかりの勢いである。

 

この先生の言い分は、感染症について当たり前のことを言っているだけであり、全体を俯瞰されて、特に保健所を中心にした日本の独特の公衆衛生システムまで考慮されての発言ではない。まずそこを十分に理解して論考を読むべきである。

 

昨日のお昼のワイドショーにおいては、先生の論考がPCR検査をどんどんやりましょう、という現在のトレンドに勢いをつける様な扱いをしていた。見ていて吹き出しそうになったが、8割おじさんがあれでは浮かばれない。

 

おそらく8割おじさんも小田垣先生のような考察をされていると思うし、またこれまでの発言内容を聞いていると、どんどん隔離するようなことができないので8割行動変容により、まず感染者増加を減らしましょう、と言っているのだ。

 

感染者や疑わしき感染者をどんどん隔離すれば、感染者が減り、通常の社会活動ができるのは当たり前である。科学的に考えて当たり前のことを小田垣先生は述べられているに過ぎない。

 

以前この欄にも書いたが、今回のゴールは医療崩壊を防ぎ死亡者数を最小にすることにある。未知のウィルスで日本人が死の恐怖に晒されている状況で必死で立案された戦略は、一応の成果をあげたのである。そこをまず理解し、評価できる社会でありたい。

 

科学的に考えて当たり前の発言は、科学者ならば誰でもできる。難しいのは、当たり前のことを実施できない状態において、どのようにゴールを実現してゆくのか、という、当たり前ではない提言である。

 

以前電子ブックで「なぜ当たり前のことしか浮かばないのか」を執筆した。電子書籍を閉じた今、再度出版できないか考えている。

 

世の中、科学的に導かれる当たり前のアイデアですべての問題を解決できたなら、大変楽である。それほど世の中は甘くないので、人間の営みに寄り添ったアイデア創出法が重要になってくる。

 

山中先生だってあみだくじ方式でノーベル賞を受賞されたのだ。科学的に問題に取り組むだけでなく、柔軟に問題に接しそれを解決することが大切であり、その方法にはコツがいる。そのコツを身に着ければバカの壁をハリーポッターのようにすり抜けることができる。

 

(注)PCR検査法は信頼性が低く、陽性を陰性と評価するエラーが起きたときに、この陽性者は陰性のお墨付きを得たことで社会にウィルスをまき散らすことになる。そもそも小田垣先生が主張されている感染者をどんどん隔離せよ、とはこのような感染で病気が広がる問題では当たり前のことなのだ。その当たり前のことができない状態なので、日本のウィルスバスターは、ゴール実現に向けてクラスター対策を行ってきたのだ。

カテゴリー : 一般

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2020.05/12 高分子の劣化

高分子の劣化を概念的に論じるのは難しい。単純な一次構造の劣化であれば、熱分析装置や化学分解の結果から反応速度論的に説明でき、それをもって科学的な劣化の説明とすることもできる。

 

しかし、実務ではこの説明で解決できない問題が多い。ただし、科学的な説明がすでに存在してもそれを活用できないのは、科学の責任ではない。

 

なぜなら、製品開発では、高分子の劣化を論じるときに製品の寿命との関係を考える必要がある。例えば構造材として高分子材料を用いるときに、製品の機能に影響を与えないよう構造材としての寿命を設計する必要が出てくる。

 

大抵は製品の寿命を満たすように高分子材料の仕様を決め、各メーカーの高分子材料が仕様を満たすかどうかをテストし、採用の可否を決める。

 

言葉で書くと簡単に見えるが、実は製品設計で一番難しい作業が、この高分子材料の仕様を決める作業だ。

 

過去の実績がある場合には、過去の実績により安易に決められることが多いが、無い場合には大変である。

 

ところが、新製品で想定外のクレームが来てお手上げになるのは、過去の実績のある場合である。

 

実績がない場合には、想定外のクレームを覚悟している。もし、このような場合に想定外のクレームが出るようであれば、それは仕事のやり方に見落としがあったのだ。

 

心当たりのある方はご相談していただきたいが、高分子材料の耐久試験とその評価結果の解釈には、科学がこれだけ進んだのに、落とし穴が残っている。

 

カテゴリー : 一般

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2020.05/11 説明できない仕事

2005年に担当した中間転写ベルトのテーマでは半年後までに製品を安定供給できている必要があった。しかし、外部のコンパウンダーは改良案を採用してくれない、また、ベルト成形の改良手段も6年近く開発してきたので手詰まりだった。

 

10%にも満たない成形歩留まりを半年で90%以上に上げるには、思い切った手を打つか、白旗を挙げるのか、どちらかしかなかった。リーダーとして大変わかりやすい問題だった。

 

但し思い切った手を打つと言っても生産立ち上げ直前のフェーズであり、QMS上の制約から配合を変更できなければ、サプライチェーンの変更も難しかった。

 

コンパウンドの内製化について、品質保証の在り方も含め、社内における合意が難しかった。

 

ただ、センター長が、成功するためにいくら必要かと聞いてくれたので助かった。センター長は成功することだけを考えていたので、当方は成功さえすればよかった。

 

ゆえにセンター長の決済が役員会議で承認されるまでに、子会社の敷地を整地しながら、中古機を購入して関東の某所でそれを組み立てていた。

 

センター長の決済が承認されるや否や組みあがったラインを子会社の敷地に設置し、コンパウンドをベルト成形検討チームに供給し、無事「外部からコンパウンドを購入し、押出成形だけ内部で開発する」という当初の戦略でテーマを成功させた。

 

この時、子会社で立ち上がったコンパウンド工場で使い物になるコンパウンドができるかどうかは、ばくちの様なものだが、実際にはばくちなどしていない。

 

決済が下りる前に某所で製造したコンパウンドでベルト成形を行い、歩留まりが90%以上になることを確認し、それで製品化部隊や品質保証部隊の評価をもらっていたのだ。また、これらの評価結果があったので決済がおりている。

 

ここで大切なことは、目標のモノさえできれば細かい説明など不要であり、QMSに準拠しておれば、それで組織が動くのである。そのためにリーダーたるもの苦労を惜しまない覚悟が必要である。

 

コロナウィルスの対策チームの問題は、PCR検査の信頼性や体制構築について、何も作業が進められていなかったところにある。

 

何をやったらよいのか当方には具体的にはわからないが、データの整理さえ科学的に満足にできていなかったようなので、残念である。

 

組織を動かすときに大変な苦労が必要な時がある。しかし、誰もが目標となるあるべき姿を理想とするならば、火中の栗を拾う決断でも誰かがしなくてはいけない。それが実行されれば組織は動く。

 

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2020.05/10 方法の擁護

日本のウィルスバスタ-が批判にさらされている。理由はPCR検査の量が少なかったこととその運用基準である。

 

すでにこの問題について説明しているので、本日は少し異なる視点で彼らの方法について当方の感じていることを述べる。

 

今彼らへの批判はこれまでにも指摘してきたが、企業の研究開発過程においてもしばしば見られる光景である。

 

それでは、彼らの方法が間違っていたのだろうか?当方は専門外なので彼らの方法について細かいコメントはできないが、PCR検査の信頼性が低い問題について、コロナの症状が明らかな感染者についてだけ行う方針にしたのは、一つの正しい方法だと思っている。

 

ここで、「一つの正しい方法」と書いたのは、科学ではありえないが、技術では取るべき正しいアクションが複数考えられることがある。

 

これは、科学では真理が一つであるが、技術では機能を実現できればなんでも良いのだ、という科学と技術の本質的な特性の違いから生じる。

 

おそらく日本のウィルスバスターは、これが分かっていなかったのではないだろうか。

 

今回のコロナウィルス対策については、形式知において不明点が多く、そのため科学では対応が難しく技術的センスによる対応が重要である。その時の仕事の進め方を彼らは知らなかったのだ。

 

それでは彼らはどうすればよかったのか。当方は専門家ではないので一般化した回答しか答えられない。例えば、

 

1.PCR検査の信頼度について示す。2.1を基にPCR検査の抱える問題とそれを運用した時に発生する問題を示す。3.PCR検査の運用方法とその得られた結果に対してどのようにアクションをとってゆくのか示す。4.事前に複数の考えられるアクションすべてについて影響と評価を示す。

 

一番最初に最低限でもこのようなことを国民に示さなければいけなかった。もし最初に示されておれば、現在起きているような批判は少なくとも回避できた可能性がある。

 

ちなみにこれはFMEA的手法である。すなわち、研究開発において一番最初の企画の説明では、自分たちが推進する戦略以外に他の戦略の可能性があるならば、それらのすべてについて実施した時の評価を提示するのが上手な方法である。

 

許されないのは、自己の責任回避のために合議でさしあたりのない戦略を決める方法である。例えば、今回世界はPCR検査を積極的に行っていたので、日本もこれに倣う、という戦略である。

 

おそらく日本の感染状況から逆算すると医療崩壊したかもしれない。今かろうじて医療崩壊もせず、死者数も世界の水準からは少ないので、日本のウィルスバスターはよく頑張ったのだと思っている。

 

弊社は7日からの予定を変更し明日から通常営業に入るが、当分は出張業務を控えるか、出張の際には社有車で出向く予定である。

 

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