40年以上前、名古屋駅前の銅像にいたずらでふんどしをつける人がいた。警察が張り込んで犯人を逮捕しようとしたらしいが、結局犯人は捕まらず、1ケ月その裸像は毎日新しいふんどしをつけていた。
警察の監視の目を潜り抜けてふんどしをつけ続けた犯人にも感心したが、ふんどしをつけた裸像をまじかで見て下品に見えたのは、むしろつけていない方がデフォルトの美として完成していたからだろう。
ふんどしを着けていなければ、わざわざそこを見ず全体を鑑賞する。ふんどし一つで視点が拘束されたりする人間の性は、アイデアを出すコツにも通じる。
ある現象と対峙した時にどれだけその現象の周辺あるいは奥行きも含め観察できるのかは訓練してそれができるようにしなければいけない。それができないのはふんどしをつけた裸像を見ているような状態だ。
知識を身に着け、科学の視点で現象を眺め、そこから創造を行うという考え方は、自然現象の観察において、このふんどしをつけた裸像を鑑賞せよというようなものだ。
知識については、あらかじめ身についた知識だけに頼るのは裸像のふんどしだけに着眼するようなものだ。自然と接したときに自己の無知に気づく感動が湧き上がる状態でいたい。無知に気づき、新たに学び、自分がどこに感動したのか考える。その時に、創造は生まれるのではないか。
例えば、先人は、俳句や絵画にその感動をまとめようとしていた。科学と異なるこのような方法で技術を生み出すことができる。科学だけが技術の創造に必要なエンジンではない。先人が自然現象から受けた感動を表現した文学や芸術の成果に科学で学んだ知識を適用して、そこに科学の誤りや不思議さを見出し、新たな形式知を生み出したときに温故知新というが、このような創造では科学の豊富な形式知が必要というわけではない。
形式知以外にその人の経験知や暗黙知が先人の経験した感動とシンクロしている。経験知や暗黙知が多ければ感動の機会も多くなる。経験知や暗黙知が科学で整理されていると、その感動で形式知が整理されてゆくかもしれないが、技術の歴史的遺産を見ればわかるように形式知が整理されている必要もない。
すなわち、技術を創造するときに科学の形式知がいつも必要というわけではなく、形式知以外の経験知や暗黙知があればよい。それは科学に囚われて行う創造的な活動を行うときにも重要である。
アカデミアでこれまで人文科学として束縛してきた間違いに気がつかなければならない。芸術や文学は本来科学とは異なる知の形である。例えば、中間転写ベルトの開発を担当する前、現場で一日ベルトの押し出される風景を観察していた。豊川まで出張して時間が余ったからそのようにしていたわけではないが、周囲からはそのように見えたようだ。
しかし、知識がないからボーっと見ていたのではなく、具体的な知識や情報を得る前に、まさに頭の中に全く先入観の無い状態で10%も達成できていない歩留まりの原因を探したのである。そしてその問題が工程にあるのではなくコンパウンドにあると確信した。
その時頭の中には30年前のタイヤ工場における現場実習における文字にできない感動やシミュレーションを行い帯電防止層の開発に成功したときのパーコレーション転移を検証して蓄積された経験知はじめ様々な妄想が描かれていた。決して論理的なことがらだけではなく、文字にならないそれらの妄想も含め頭の中に現れる有象無象の事柄が目の前のプロセスと重ね合わされコンパウンドの問題を導き出した。
これは人間だけにできる発想法である。あたかも画家が絵を描くような作業に似ている。画家が目の前の実際の色と同じ色を使わない時に論理的な理由を考えているわけではない。その方が良いと思ったからその色を当てはめたに過ぎない。
これは単なる思いつきとは異なる。単なる思いつきでは外れることが多いが、当方はこの方法で導き出したアイデアで外れたことが無い。そもそも論理的という時にその論理の基本は科学に基づくが、科学以外の論理的結合も存在する。
すなわち、科学では説明できないが、「そのように考えたほうが自然だ」、という結合だ。このような結合で導き出された成果を後から科学で検証するとそれなりに科学的に説明がつくから面白い。また、人に説明するときには、唯一の共通語である科学で説明する必要がある。科学はその時に必要になるだけである。
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印刷感材の開発を担当した時に網点表現の歴史を調べた。驚くべきことに網点表現の歴史は明治時代までさかのぼる。
デジタルの発想など無かった時代に印刷におけるカラー画像の表現技術として網点画像が生まれている。
これに限らず、ダビンチの飛行機の模型をはじめ、もっと古くはピラミッド建設などがあるから、科学と無関係に人類が技術を生み出してきたという技術史を理解するのは容易である。
ゆえに網点表現がデジタルとは無関係に、すなわち科学の時代に科学とは無関係に生まれたとしても驚くべきことではない。しかし、これが美しく表現したいという人間の欲求から生まれたと聞くと驚く。
これは銀塩写真からデジタル写真へ変化した時に、その極めてクリアーな画像にびっくりしたことと反対の驚きである。銀塩写真でも銀の粒子が感光し、それが色素雲を生成し画像を作っていくのでドットで絵ができているという理由でデジタルと変わらないかもしれない。
しかし、仮にニコンDfのようなデザインのカメラが登場したとしても、銀塩写真に戻る動きは起きていない。明らかにデジタル画像のほうがきれいだからだ。もし銀塩写真のような画像が欲しければ、デジタル処理でそのようなこともできる時代である。
今では科学的にドットを操作し、画像をいかようにも加工できる時代だが、それができなかった明治時代に美しく表現するために網点画像が登場しているのは、やはり驚異的なことである。
身の回りのすべてのものが科学的にできているような錯覚をしてしまう現代であるが、科学によらない新たな機能を創り出す努力をしている技術者だけが新たな独創的コンセプトを創り出すことができる。
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自然界の現象から機能を取り出し、その機能の繰り返し再現性を確認してロバストを高める効率的方法の一つがタグチメソッドである。タグチメソッドではシステムの基本機能のロバストを改善できる制御因子を見出し、その基本機能の制御因子を最適化してシステムのロバストを改善する。
ここでいつも問題になるのがシステムの基本機能である。自動車であれば、その基本機能は、「止まるシステム」と「曲がるシステム」、「走るシステム」となる。今は乗り心地の悪い車は売れないから、ここに「乗り心地システム」も加わる。
自動車を商品として捉えたときに、そのほかの機能も考える必要があり、自動車というシステムが複数のサブシステムで組み立てられていることに気がつく。そして、このサブシステムを考えたり、それぞれのシステムについて基本機能が何かを考えるのが故田口先生が考えられた技術者の研究スタイルである。
転職してすぐに田口先生のご講演を直接拝聴する機会があった。そのときすでにタグチメソッドを導入されていた企業の方がしたり顔で基本機能を最適化したが、うまくゆかなかった、何故か、と質問された。このような質問に対して田口先生はひるむことなく一刀両断に、それは基本機能が間違っている、と応えられてそれ以上その質問を取りあおうとされなかった。
聴衆はその迫力に圧倒されたが、田口先生のこの迫力は一方で誤解を生んだ。システムにはたった一つの基本機能があり、その基本機能を最適化すればすべての商品品質項目のロバストが高くなる、とは田口先生がよく言われた言葉だが、これがタグチメソッドを難解なものとした。
設立初期に発行された品質工学フォーラムの雑誌に竹とんぼのシステムについて基本機能を考え、それを最適化してもうまくゆかなかった事例が載っており、その落ちが「だから基本機能は難しい」となっていた。タグチメソッドを推進されていた人たちも教条主義的にこのようなことを書いていたので難解さをますます加速した。
さてこの記事はどこがおかしいのか。小生は当時編集者に問い合わせたが、執筆者に問い合わせてくれ、となった。そこで執筆者に問い合わせたが、執筆者は複数の座談会のまとめだから、となり、あほらしいからそれ以上追及するのをやめた。
この裏話をいまここに書くのは、もう二十年以上前の話だから差支えが無いと判断し、正しい田口先生の考えを伝えたいからである。当時の教条主義的な、またこのメソッドについてある意味宗教のような指導をされた田口先生の取り巻きの功罪を指摘するためではない。
竹とんぼでもそのシステムは自動車同様に複数存在するのでたった一つのシステムで考えた基本機能の最適化で、とてもそれだけでよく飛ぶ竹とんぼになるとは思えない。竹とんぼは単純な形状であるが、自動車のように自力で動いているシステムだけでできているわけではないのだ。
飛び立つ瞬間に飛ぶ力を取得するシステムやそのエネルギーを元に回転して飛んでいるときに外力から受ける力をいなすシステム、そのエネルギーで自分自身を飛ばすシステムなど、プロペラ一枚の単純な竹トンボについて、まずそれを構成するサブシステムの解明が必要になる。そして解明されたそれぞれのシステムについて一つ一つ基本機能を考えなければいけない。
これが難しい作業なのであり、基本機能が決まってから、そのロバストを上げるためのタグチメソッドは難解ではないのだ。田口先生はこのあたりを、基本機能を考えるのは技術者の責任と明確に述べており、タグチメソッドと切り離されていた。
田口先生は多数の分野で活躍された経験から、当方がご指導いただいたときには、システムの具体的な話は技術者が考えた内容をそのまま受け入れるスタイルになっていた。そして基本機能を追求される問いを技術者に対してされていた。
当方は、この時、システムのとらえ方をサブシステムまで分解して考えなければいけないんではないかと質問したら、それは当たり前だ、と笑われた。先生は当方の無能を笑われたが、実はタグチメソッドの初学者が難しいのは、この「システム」という概念である。
QCではシステムをサブシステムに分解する方法を教えているが、田口先生はそれを知っている前提で話をされていたのだ。ここを理解できると基本機能が最適化されたときに商品品質のロバストが向上するという説明に納得できる。
また、プロペラ一枚の単純な構造の竹とんぼでも複数のシステムに分解しそれぞれの基本機能を最適化しない限り、ロバストを上げることができない。基本機能が難しいということを伝えようとした品質工学フォーラムの記事は、それを書いた人たちが、技術というものをよく理解していなかったため、おかしな内容になったと思われる。
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高分子に微粒子を分散する実験では、パーコレーション転移という現象に関する知識の有無がその後のアクションを左右する。
面白いのは1980年ごろの化学系の教科書には、このパーコレーションの記述は無く、混合則を用いて現象を説明していた。
また、学会でも混合則が消えてパーコレーションがその議論の中心になっていったのは、2000年を過ぎてからだった。
ところがパーコレーションについては、1950年代にすでに数学者の間で議論されていた現象を理解する概念だった。1970年代にはその体系が完成し、1980年代になるとスタウファーによる教科書が発売されている。
当方がこのシミュレーションプログラムをC言語で完成させたのは、ゴム会社から写真会社へ転職し、数か月間閑職にあった時だ。論文にまとめようとしたときに学会誌「炭素」に他の研究者から類似の方法によるシミュレーションプログラムが公開された。
おそらく材料系の研究者が混合則ではなくパーコレーションで現象の理解を試みるようになったのはこのころだろうと思う。しかし、当方は1979年に指導社員からパーコレーションについて習っていた。
この神様のような指導社員は、今ならば物理系専門職と呼べるキャリアの方で、そのため、材料系の教科書に書かれた混合則についてそれが話題になる時にはなぜパーコレーションで議論しないのかぼやいていた。
このボヤキは、科学の問題を指摘していたようなものだった。すなわち、科学が発展するときに蛸壺化がどうしても起きがちである。
当時π型人間の重要性が叫ばれ異なる専門領域を2つ以上極めることの重要性が指摘されたりしていたが、専門領域がどうのこうのというよりも、現象と接するときに既存の形式知にとらわれないように心がけることが最も大切だと思う。
子供のころテトロドトキシンで有名な故平田先生にあこがれ、有機化学を目指したが、大学院進学時に突然在籍した講座が閉鎖されるという事態になり無機材料の講座へ進学することになった。
人生を振り返ってみると、無料で勉強できたこの時の2年間の複雑な気持ちが、専門にこだわらない考え方を身に着けるきっかけになったようだ。人生塞翁が馬である。
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目の前の現象を概念(コンセプト)として捉えることは重要である。それは目の前の現象の機能を具体的に理解できたときに新たな技術を生み出す。その手順は、現象を概念として捉え、その中の体系をたどり、そこで観察される機能を具体化してゆくのだが、人間は訓練によりそれを一度にできるようになる。
おそらくAIでもプログラミングしたり、教育したりすればそれができるようになるのだろうが、AIと人間の決定的な違い、というよりもおそらくそこにAIがたどり着くまでまだ開発されなければいけない未知の概念が必要になるだろう。
この理由は機能を具体化してゆく過程で,科学的に説明ができない、よくわからない場合があるからだ。それが個人の経験知に依存しているらしいことは、ブレーンストーミングを行ってきたときの観察からぼんやりと見えているが、時折発言した本人もよく理解できていない「ひらめき」というものがあり、それがどこから発想されたのか不明なことがある。
ところで目の前の現象を具体的に記述する方法は小学校から習っている。しかし、それを概念化する作業あるいは方法は、美術の時間以外学習してこなかった。例えば美術では、中学になると抽象画を習う。
はじめて抽象画を描いた時間に面白かったのは、クラスメートが様々に物事をとらえていることを発見した時だ。中には抽象化できない人もいたが、およそ目の前の物体を想像させない絵を描いていた人もいた。先生に落書きの時間ではないと言われても、本人は、そのように見えたからだと言っていた。
どのような体系の中で彼が目の前のオブジェクトと似ても似つかぬ絵を描いたのか不明だが、また仮にふざけて本当に落書きを書いたとしても「そのデザインめいた」落書きをあえて書いた背景が不思議だった。すべてが論理的に結合された現在のAIでは、彼のような絵を描けない。
非論理的におそらく過去の経験や夢の中で出会ったことなどが結びつき概念を導き出す作業は、人間だけに与えられた能力であり特権に思われる。この作業は学校教育では美術の時間以外否定されているが、新たな技術を考え出す時には重要な作業となる。
技術では、現象の中に観察された機能について具体化する必要があるが、それができると目の前の現象について概念化できて人工物による機能の再現が可能となる。自然界から新たな機能を見つける方法の一つとして実践してきたが、独自の問題解決法であることに気がついた。
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高分子の概念について未だに高分子の科学的に定説となった分類方法が無い、という理由で研究途上と言える。当方が学生時代に重合様式から行われた分類方法を学んだが、それは有機合成高分子だけに適用できる狭義の分類方法だと気がついたのは大学院で無機材料の講座に進学したときだ。
4年生の卒論では、布施明のヒット曲でもある「シクラメンの香り」の主成分の全合成をまとめ、アメリカ化学会誌のショートコミュニケーションにそれが掲載された。しかし、教授が定年退官ということでその研究室が閉鎖され、学部学生は他の研究室へ変わることを余儀なくされた。
そこで同じ研究室にいた友人と相談し、大学院の入学試験では希望先に入れていなかった無機材料の講座へ進学することにした。大学側は後ろめたい気持ちがあったのか、すんなりとそれを認めてくれたが、その結果として、本来その講座で進学予定だった学生が他の講座へはじき出される事態も起きている。大学院では成績順に学生をとる決まりになっていたからだ。
今から思えばはじき出された学生にかわいそうなことをしたという思い出として思い出されるが、当時は進学予定にしていた講座をつぶされた思いの方が強かった。教授の権力闘争の結果といううわさもあったので、アカデミアというものにうんざりするとともに大学に対して学びの場という敬愛の思い出も吹っ飛んだ。
おまけに進学した講座の教授が有機合成に関し優秀な学生が来てくれた、と過大な期待をされて、とんでもないテーマを出してくれたので大変だった。指導してくださった先生は、さっさと投げ出して他のテーマをやらないと修論がまとまらない、と本音で親身に指導してくださったので、これまた議論の毎日だった。周囲からは喧嘩をしているように見えたらしい。
この先生、テーマを辞めろと言いながら、一方で当方の主張を聞いていてくださったようで、図書室にケミアブの最新版が届くと、いつも調べに行っていたことをある日気がつき、その教育者としての「愛」に気がついた。本当はやってはいけないことだが、ケミアブの記事の横に鉛筆で当方が読むべき記事に〇をつけてくださっていた。
最初誰がそれをやっているのか分からなかったので「公文書に鉛筆で書き込みをしている人がいるようだ」とその先生に話したら、図書室の美人に報告したほうがよい、と言われたのでその美人に報告した。彼女は、犯人はわかっているけど、というだけだった。
当方はこの質問をしたことを反省したのだが、この落書きのおかげでとんでもない研究テーマについて2年間に3報研究報告として論文発表出来て、修士論文をまとめることができた。
その修士論文では、Holliday博士の著書アイオニックポリマーに掲載された高分子の論文を紹介し、無機高分子という概念をホスホリルトリアミドの縮重合やホルマリンとの共重合を事例に展開している。新素材であるホルマリンとの共重合体についてはPVAの難燃化研究としてその機能確認を研究している。
合成反応を元に有機高分子の分類を授業で説明された高分子担当の教授は学会で少々有名な先生だったが、未来を見据えた研究者としての視点を持っていなかったという理由で落第点をつけたいと、大学院を修了するときに思った。また大学院でご指導してくださった年配の助手の方は高分子学会で無機高分子研究会をその年に設立されている。
高分子の分類については未だに定説が無いと思っている。Holliday博士のゆるい分類法は未来の材料開発を指向したときに役立つ分類法である。最近では西先生による高分子の作り出す構造サイズに着目した二次元の分類法が発表され階層構造の研究の方向性を導き出している。概念が研究の方向を導いた事例だ。
優れた研究者というものは新たなコンセプトで研究の方向性を指導できる研究者だと思うが、学生時代に授業を受けた先生のように研究者の肩書とその能力が必ずしも一致していない場合が時折あるのがいつの時代でも問題かもしれない。社会的に偉いと格付けされた先生による学生時代の授業を信じたまま卒業していたなら、ポリエチルシリケートとフェノール樹脂のポリマーアロイの開発など考えなかっただろう。
学内で無名の助手が教授よりも優れたコンセプトを持っているなどとは社会からは見えない。最近は整形美人が当たり前となり、男女もわかりにくくなった時代だから肩書などファッションと同じにとらえている人も多くなったのでそれほどの影響は無くなってきたのかもしれないが、昔は男と女が明確に線引きされていたように肩書は品質保証書のようなものだった。
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高分子に微粒子を分散したときに微粒子のクラスター(凝集、つながり)が生成する。クラスターの生成確率は添加量により変化する。微粒子が真球であれば25vol%を過ぎたあたりから生成し、30vol%を過ぎるとクラスターの生成が激しく変化するようになる。
そして50vol%を過ぎたあたりから安定するようになる。これがパーコレーションという現象で、微粒子が導電性粒子であれば、30vol%を過ぎたあたりで急激に高分子材料の抵抗が下がる、すなわち電圧をかければ電気が流れるようになる。
電気が沁みだしてきたような現象なので、コーヒーを抽出する現象(コーヒー抽出機はパーコレーターと呼ばれている)と似ているのでパーコレーションと名付けられた。
このパーコレーション転移という現象は、粒子と高分子との相互作用が無ければ、例えばコンピューターでシミュレーションを行えば確率過程で進行する。すなわち真球の微粒子を高分子へ分散したときには30vol%前後から50vol%前後の領域で物性が大きくばらつくようになる。
数学者の間では1950年代にすでに議論されていた。この時はカリフォルニアの山火事の考察からだった、と言われている。すなわち山火事において木々のつながりがあるとそのつながりに沿って火が走るので、その現象解析にパーコレーションという概念が用いられその性質が議論された。
高分子材料の世界では、1990年前後までパーコレーションの概念は知られておらず、混合則で物性変化が議論されていた。パーコレーションを高分子材料の世界に持ち込んだのはゴム会社が初めての可能性がある。
事務機用の帯電ローラの開発でパーコレーション転移の概念が混合則に代わって用いられるようになった。また電気粘性流体ではまさにクラスター生成でレオロジーが大きく変化する機能を用いていた。
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カラーレーザープリンターやカラー複写機の高級機には、中間転写ベルトという部品が使われている。中間転写ベルトを使わず直接紙に転写する直接転写方式もあるが少し画質が落ちるので高級機には使用されていない。このベルトは帯電しやすく放電しやすいように10の10乗から10の9乗Ωcmの体積固有抵抗となるように設計されている。
ベルトはこの抵抗の範囲で均一に製造できないと画質が悪くなるので、ポリイミド(PI)にカーボンを分散し溶媒キャスト製膜されたベルトを使用している。面白いのはカーボンが球状のクラスターを形成し、それが島状に分散した高次構造となっていたことだ。
これを熱可塑性樹脂を用いて押出成形で製造するとPIの溶媒キャスト製膜のような構造を簡単に造ることができず、パーコレーション転移と格闘することになる。パーコレーション転移の性質をよく知っていると、なぜPIでうまくゆくのか考えるが、わからないとボーっと長期間格闘することになる。
10年以上前にある人から仕事を引き継いだ時に、6年検討してきたのでよろしく頼む、と言われたが製品化まで半年しかない状態だった。酸化スズゾルを用いた帯電防止層の開発でパーコレーション転移について十分に研究していたので、前任者の仕事の進め方、すなわち外部から購入していたコンパウンドではゴールにたどり着けないことはすぐにわかった。
コンパウンドの段階でPIと同じ高次構造になっていなければ、押出成形でPIと同じ高次構造のベルトを製造することは不可能だが、某R社のコンパウンドは無茶苦茶な構造になっていた。およそ構造制御されたコンパウンドとは言えない状態だった。それでもコンパウンドメーカーの技術者は、最良だという。いろいろ議論して分かったことは、彼が混練の教科書でよく勉強していたことだった。
当時の(今でもそうだが)混練の教科書にパーコレーションの問題など全然扱っていない。高分子に粉末を分散した場合にはそのクラスター形成は必ず問題になるはずだが、分配混合と分散混合でお茶を濁しているような状態だ。このような教科書をいくら読んでもカーボンを分散した半導体高分子をロバスト高く設計できない。
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高分子の熱分析について連載で書いている。あるパーティーで分析機器メーカーの営業担当から熱分析装置が売れなくなった話を聞いたり、10年以上前にTMAを購入しようと、ポリエチルシリケートとフェノール樹脂から生成された炭素材料をもちいて高純度SiCが生成する速度論解析のため超高速熱天秤の開発を依頼したメーカーに電話したところ、熱分析機器は取り扱っていないと言われてショックをうけたりした体験からである。
また、ある成形メーカーのご相談を伺ったときに熱分析装置を一台も持っていないと聞いたのでDSCぐらい持っていたほうが良い、とアドバイスし、一番安い装置を導入していただいた。ご相談内容に応えるためにも必要だったからである。成形問題の原因がコンパウンドにあるときにDSC一台あればそれを検出できる。
すなわちコンパウンドの品質管理にDSCを用いるのである。10℃/minの昇温速度で溶融温度(Tm)以上まで測定したデータがあればとりあえず、そのデータに関わるエラーを検出できる。Tm以上まで昇温しそこから降温したデータがあれば検出できるエラーも増える。さらに降温時にTcの直前で温度をホールドし結晶化ピークの現れる時間変化を追跡すれば結晶化速度に影響を与えている因子のエラーが分かる。
このエラーは、大きい時には昇温時のデータだけでも日々検査として行っておれば見出すことができる。例えば某R社から納入されたPPSと6ナイロン、カーボンのコンパウンドではTcのエンタルピーの変化がロットごとにあった。
またピーク位置が変わったりしたこともあった。Tgは6ナイロンとPPSのそれぞれが観察され、大きな変化が無かったが稀にPPSのTgのエンタルピーが小さくなることも観察された。
これらのことから、高温度におけるPPSと6ナイロンの相溶の可能性を疑った。実際にはR社の二軸混練機の温度がPPSのTm近辺に設定されて運転されており、これがばらつくことから生じていた現象である。
当方からカオス混合の提案をする前に過去に納入されたコンパウンドについてDSC測定を行い、コンパウンドの品質管理の問題を指摘している。しかしD社同様にR社もコンパウンドの品質問題について指摘された事項を受け入れてくれず、結局現場監査を行うことになった。
案の定、二軸混練機の温度はPPSのTmに設定されており10℃前後でばらついていた(注)。非相溶系でUCSTの相図になる系ではTm以上で相溶する場合がある。PPSと6ナイロンの相溶現象がばらつきとして起きていた可能性があり、それが過去ロットのDSC測定におけるTgやTcのエンタルピー変化となって表れたのである。
R社の技術者は優秀だったが、高分子の相溶現象における相図の知識は乏しかった。フローリーハギンズ理論やLCST、UCSTという言葉を知っていてもそれらが日々の現象としてどのように表れるのか考えた経験がないからだ。
これは大学における高分子の授業にも問題がある。高分子物理について完成された学問のごとく教えている現状ではこのような技術者になってしまう。高分子物理について理解されていない形式知の多いことを教えていただきたい。また高分子技術者はボーっと生きていてはいけない。最近は複雑なポリマーアロイを扱わなければいけない時代である。
(注)実際には設定された温度を中心にPID制御され5℃以内の変動におさえられるのだが、吸熱あるいは発熱の相変化が起きている場合には、PID制御で追いつかない場合がある。そうすると設定温度よりも10℃以上外れることがある。DSCデータでエラーが検出された場合にコンパウンダーの現場監査は重要だ。その時のコツは混練機の設定温度や樹脂圧のチェックである。特に設定温度はシリンダーごとに設定されているので、指示温度の変動を15分ほど見ておればどのくらいの温度変動があるのかわかる。PID制御が正しく設定されておればまったく指示温度が変動しない場合もある。これが5℃以上変動していたらアウトだ。しかしこのような場合でもコンパウンダーは素人は黙っとれ、というかもしれない。10℃程度の変動はタマにあるとしたり顔でいうのだ。ここで議論してはいけない。したり顔の相手をおだててどのような場合か、とか日々それがどのゾーンで起きるのかなどの情報を聞き出すのだ。日々問題があっても本人がエラーとして気がついていない情報をいくつか教えてくれる。
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DSCで測定される高分子のTgやTc、Tmは、その高分子がどのような履歴を得てきたのかに影響を受ける。ゆえにエラー発見に有効なデータとなる。配合のミスはTGAの計測で発見できるが、DSCのデータからは、コンパウンディングから成形に至る過程で、特に熱的にエラーが無かったかどうかをDSC測定で知ることができる。
開発段階で10℃/minでよいからDSC測定をしておくように勧めているのはこのためである。それぞれのパラメータの現れた温度やエンタルピーを管理するだけでも意味がある。大きな熱履歴のエラーがあれば必ずどこかに日々の結果と異なる異常が観察される。
また、DSCの測定ではベースラインにも配慮したい。これがまっすぐ水平であれば何も熱的な変化をしていないが、曲線的な変化をしていたならば、何か変化がある。それが熱分解によるのか相変化によるのかは、TGAで確認できる。
曲線的な変化をしている温度領域についてDSCと同じ測定雰囲気でTGAを行う。その時、その領域で重量変化が観察され無ければ、相変化その他の変化を疑う。難燃剤が添加されている場合に、それが一部分解しているとポリリン酸を形成する場合があり、これは240℃以下では重量減少を示さずDSCでだらだらした吸熱カーブが得られる。
DSCで得られた異常な曲線(吸熱または発熱)で何が起きているかは、他の分析手法で解析しなければいけないが、技術開発過程では異常の発見ができることが重要である。
以前この欄で、生産ラインの異常があってもそれを認めずあくまでも成形工程に問題があると主張していたコンパウンドメーカがあったことを紹介している。データの捏造で社長が謝罪する時代なのでこのようなメーカーの名前を公開したいが、カオス混合装置のお客様になるかもしれないので名前の公開は控える。
面白かったのは、このメーカーのCTOが、議論の最中に苦し紛れに自分たちのDSCで以前のコンパウンドを計測すればベースラインはまっすぐになる、と答えたことだ。半年以上待っていてもそのようなDSCチャートを提出してもらえなかった。誠意のない会社と言ってしまえばそれまでだが、DSCをよく知らなかった可能性が高い。
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