「文部科学省の私立大学支援事業を巡る汚職事件で、受託収賄容疑で4日に逮捕された同省前科学技術・学術政策局長の佐野太(ふとし)容疑者(58)(4日付で大臣官房付に異動)が昨年、東京医科大学(東京)側に対し、同大が支援事業に応募する申請書類の書き方を指南していたことが、関係者の話でわかった。東京地検特捜部は、佐野容疑者の行為が贈賄側への便宜供与にあたるとみている。」
上記は、7月6日付読売新聞電子版からのコピーである。ひどい話である。他の新聞には、今どきこのような古典的手法で逮捕されるのか、というような感想が書かれていた。すなわち悪事が簡単にばれる様な事件である。ツイッターには犯人の息子が受験前に合格が決まったような書き方の投稿をしているという。
起業してから補助金関係の公募に「カオス混合技術の開発」をテーマとしていくつか応募してきたが、すべて落選したので中国企業の支援を受けながら技術開発を進めてきた。サポインの応募では、何度も中小機構のアドバイザーにご指導を受けたが、そのたびにこのサポインはテーマがよくても通るかどうかわからない、と言われた。
税金で運営されている国家の補助金公募では本来公平でなければならないが、応募した立場では不公平感が常にあった。今ようやくカオス混合装置について注文を頂けるようになったが、もし公募で開発された技術だったならもう少し安く提供できるところ、弊社のこれまでの投資を回収するための費用を載せるので少し高くなり、恐縮している。
また、今回特許が公告となった画像処理技術についても国の補助金で開発したかったが、落選している。ただし、応募すれば誰でもいただける20万円の補助金はかろうじて頂くことができた。
国の補助金審査は本来公平であるべきだが、応募した体験からは不公平感が残る。カオス混合技術や画像処理技術は、国に雇われていたアドバイザーの方々から毎度採用される可能性が高い内容と言われ続け、落ち続けた実績がある。
カオス混合技術や画像処理技術、新規概念による樹脂用添加剤の開発など公募に落選した技術は、へぼな技術ではなく、すでに中国企業で実用化され稼働している。技術流出など批判的な言われ方をするが、国の公募がこのような状況では仕方がないことである。
野党は国の公募事業について調査したならば、森掛問題よりも成果が出るのではないか。少なくともカオス混合技術の審査の経緯だけでも知りたいと思っている。審査員が無能だったのか、不正があったのかだけでも知りたい。書類はアドバイザーのご指導で完璧に仕上げて提出していた。
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すでに無機材質研究所へ留学が決まっていた時に、趣味で有機合成について勉強していた。学生の頃は試験勉強など大変だったが、試験とか仕事とかにとらわれず優れた研究者の書いた専門書を読むと面白い。
すなわちその書を読むことで、研究者の思想に触れることができるからだ。学生時代はクラム・ハモンドが書いた英語の教科書が授業で使われ、それを使って予習するのが大変だった記憶がある。
教科書の内容は有機電子論に基づく有機合成化学の体系であり、当時は最先端の名著で、4、5年後にはその日本語版が発売されている。またこの本を模した日本の研究者による著書も発売されている。この日本の研究者による著書は、当時日本語版が無かったので重宝したが、中身の薄さを十分感じることができる内容だった。
有機合成反応がただまとめられていただけであり、有機合成反応の体系というよりは情報集という本だった。この本を購入し、前期のテストを受験してから気がついたのだが、英文を読みながらノートを作れば出来上がるような本だった。
学生時代は研究者の思想を意識してゆとりのある読み方などできなかったが、およそ業務とも無関係で、趣味でもなく、単なる読み物として読んでみると難解な本でも面白く読める。
亡父が古典を読んでいたのもおそらく同じような気分だろう。本の中に新しい発見があるとさらに読み続けたくなる。これは文学書の楽しみ方とも似ているのかもしれない。
わずかながらの知識で理解できる範囲で気楽に専門外の本を読むのは、うまくはまると十分な楽しみの手段になる。コンピューターのプログラミング技法の本についても同様で、学生時代にカーニハンとリッチーの書いた論文にはまったのである。
この論文はたまたま複写機のところに複写ミスとして落ちており、興味を持ったので図書館に行き全文読んでプログラミングの勉強を始めた。授業として情報科学を聞いたときにはプログラミングに興味などわかなかったが、ユービックスの横に落ちていたジャムった論文は、それを全部読みたくなる意欲を掻き立てる内容だった。
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中国から帰国し、途中の流れをネットで見ないまま、わけもわからず月曜日からの展開にはらはらしながらNHK朝ドラを見ていた。
このドラマ、漫画家として成功するドラマでなかったのか、と予想を裏切る展開に少し戸惑っている。しかし戸惑いながらも主人公と秋風先生との会話を聞いていてうなってしまった。
漫画家を志望していた主人公へ見事なまでの引導を渡したのだ。主人公はよい指導者に巡り合った、とも思えるが、当方ならば、漫画家として生きる道も、もう一度考えるようにアドバイスしたかもしれない。
秋風先生は、才能が無ければ苦労する道なので引導を渡したのだろうが、構成力以外の才能は人並み以上にあったはずである。ドラマではそのように主人公を描いていた。その強みを生かした生き方を指導するのも指導者の役目である。
秋風羽織はプロ中のプロとしてドラマでは描かれているが、多くの漫画家は少なからず主人公の様などこか才能が劣っていてもプロとして仕事をしながら劣っている部分を人並みまで持ち上げる努力、あるいは周囲のスタッフがその協力をしているのではなかろうか。
本当に才能が無ければ生きてゆけない世界があることはスポーツ番組を見ていて十分に理解できる。しかし、わずかな強みを生かして仕事をしてきた当方としては、引導を渡すのではなく、強みを生かす指導のシーンを見たかった。
誰でも何か一つは強みを持って生きている。少なくともこの年まで生きてきて出会った人で何も強みの無かった人はいなかった。しかし、その強みを自覚しないで生きている人は多い。
秋風先生は主人公の強みを見出し、叱咤激励して漫画家デビューまでさせたのでその先の秋風先生の指導者としての手腕を期待していた。しかし、あっけなく引導を渡したシーンを見てその意外な展開に戸惑っている。
このドラマ、今後の展開がどうなるのか楽しみであるのと同時に、過去の「純と愛」のような無茶苦茶な展開にならないことを望む。少なくともここまでは面白い展開だったので、後半は朝ドラにふさわしいエンディングを目指していただきたい。
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「日本代表は、2日に行われた決勝トーナメント1回戦のベルギー戦を2-3で敗戦。史上初のベスト8進出を
逃した。
本田はこの試合で81分から登場し、FKなどで存在感を発揮したものの得点を奪えず。敗退決定後に
「これが僕にとって最後のW杯です」と、4年後のカタールW杯には出場しないことを口にした。」
以上は7月3日GOAL電子版の記事の抜粋である。この記事ではさらに次の本田の言葉が添えられて
いた。
「現実ですよね。これがワールドカップ。僕自身にとって最後になるんですけど。正直、自分がみんなを
もう一個上のステージに連れていってあげたかったっていうのはありますけど、そこで決めれないのも
僕の実力。やれることはやった、ベストを尽くしたという思いはあります。仲間にはありがとうと言いた
い」
サッカーという競技はスター選手一人おれば勝てる、という競技ではないことを今大会ではロシアが勝つ
など決勝トーナメントの結果も示していた。
直前の監督交代でどうなるのかと見ていたら、日本はかなり検討したのではないか。監督の存在がチームに
与える影響を明確に示した結果だったように思われる。
西野監督の力量なのかコミュニケーションの問題なのか不明だが、同じメンバーでありながら大きく変貌
したパワーにサッカーの面白さを見た。
今年は日大アメリカンフットボール監督問題もあり、リーダーの在り方をスポーツで考える年なのかも
しれない。
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プレの準備不足でも引き受けたのはCMFデザインには関心があり、会議そのものに興味があったからだ。
招待講演者であれば宿泊費や交通費だけでなく破格の講演料も出るという。先月支払いを受けた某社の3回分の講演料を越える金額が45分の講演で得られるとあって躊躇なく引き受けた。
ただ、これが甘かった。会議の一日前の飛行機で訪中する計画になっていた。搭乗した飛行機はエコノミーではない。
破格の扱いで空港に着くと、「倉地先生」と呼ぶ声が聞こえた。迎えに来たのは、以前日本へ遊びに来た陳君である。
陳君の話ではこれから某樹脂会社で技術相談にのってほしい、という。当方はホテルでプレの練習をする予定でいたが、人の好さが裏目に出た。気楽にOKと応えてしまった。
技術指導内容は、朝飯前の内容だったが、大切な時間が無くなった。さらに夜はそのお礼の夕食会で、とうとう準備不足でぶっつけ本番となった。
講演当日は、朝9時陳君の電話で、会場に呼び出され「先生はここに座っていてください」と言われた。一番前の席である。少し期待していた自分の講演までのわずかな練習時間も無くなった。
ただ年を重ねて蚤の心臓は十分にタフになっていた。用意した資料を読むだけ、と覚悟を決めた。
このような状況で講演をしたのだが、散々だった。なぜ壇上で亡父に叱られなければいけないのかは自分の講演を客観的にみて明らかだった。お化けの話が似合う季節になった。
しかし、スポットライトの当たっている状態で出てくるお化けの話など聞いたことが無いが、お化けならば柳の下が定番で、お立ち台の上では目立ちすぎる。よほど我慢ができなかったのだろう。
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6月29日にCMFデザインに関する国際会議が上海で開催された。招待講演者として演題に立ったのだが不思議な体験をした。講演は前日に書き上げた文章を読んでいるだけなのでセミナーよりも楽だったのだが、演題に立った瞬間、突然脳裏に若い時の思い出や父親が現れたのである。
青春時代の白日夢であれば楽しかろうが、その時の自分の置かれた立場や自分が果たさなければいけないゴールの状況では悪夢以外の何物でもない。振り切ろうと大きな声で用意した文章を読み始めたのだが、口が乾き始め、おまけに脳裏に現れた父親が説教をし始めたのだ。
このような状況をここに書くのはお恥ずかしいが、依頼されてからの依頼元の説明不足や準備までの時間を考慮すると45分間のプレゼンをただ英文を読むしかない、と高をくくっていた。
起業してから生活面で改善されたのは睡眠時間である。いつのまにか夜九時に寝て4時ごろ起床するのが習慣になっていった。仕事もほぼ計画的に進めている。ところが、この国際会議について依頼されてから当方の発表内容を告げられたのが開催まで1ケ月を切ったところである。
依頼された発表内容のそれぞれは大したことではなかったのだが、つながりがない。大きなカテゴリーとして日本の家電状況と新素材について講演してほしいというものだが、新素材について透明導電材料や透明材料についてと条件を付けてきた。
デザインx透明導電材料x透明材料とくれば、LCDディスプレーの厚みと材料の変化について講演すればわかりやすいと思ってまとめ上げたのだが、パワーポイントの資料を送ったところダメ出しが出た。まず画面が横長だそうだ。そして内容についてPC/ABSの話や人工大理石の話を入れてほしいといってきた。
自己紹介の中で透明導電材料を語る流れに資料を作成しており、その流れの中で日本のCMFデザインの話やPC/ABS、人工大理石の話など盛り込むには無理があった。とにかく2回ほど依頼側と意見交換してプレの資料が英語で出来上がった。それが中国出張の2日前だった。
通訳と自分のために講演用の文章ができたのは上海出発の前日であり、練習を当日自分の発表時間までに行う予定でいたが、その時間も無くなった。中国における当方の行動予定がすべて先方により決められており、練習などできない状態だった。
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亡父は、死の間際まで読書をしていた。亡父の読書は、いわゆる読書というよりも勉強だった、と思っている。本を読みながらいつもメモを取っていた。読む本も文学書よりも古典や実用書、芸術分野など知識獲得のための書物ばかりだった。ドラッカー本について恐らく日本で販売された書籍を全部読んでいたに違いない。
亡父は、自分で読む本は自分で買え、が口癖だった。本屋の神様のような読書家だったが、本が高くなった今の時代は大変である。電子書籍が必ず普及すると思って事業を開始したが失敗して不思議に思っている。AIの普及でますます勉強が重要になってきたからだ。
亡父は組織で成功した人生だったが、55歳定年制の時代で、組織から離れた人生と組織で生きた人生の長さがほぼ同じの生き方をしている。当方が中学生の時に定年を迎えたのだが、メモを取りながら本を読んでいる姿を見る時間が多かった。
人は何のために学ぶのか、という問いはナンセンスで生きることは学ぶことだ、というのが亡父の口癖だった。しかし、当方の生きた時代は、不幸にも学ぶ意欲を失わせるような風潮で、勉強だけをやっていては生きてゆけない時代だった。
就職で上京し、ますます勉強時間が短くなった。毎日過重労働で勉強時間などとることができなかった。もっとも過重労働はみずから果した働き方のようなものだったが、指導社員はその働き方に同情されたのかどうかは不明だが、毎朝3時間座学の時間を習慣としていた。
この指導社員との3ケ月を新入社員時代にもてたのは人生の良い思い出である。本当は毎朝ではなかったのだろうが、思い出として毎朝として記憶されている。そしてマンツーマンの座学の時間に関わらず居眠りをしていた思い出が残っている。
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大学4年の時にシクラメンの香りが流行していた。だから、卒研にシクラメンの香りの合成ルート開発をテーマとした。天然物の合成ルート開発をライフワークにとも考えたりした。当時アメリカのコーリー博士がその分野で有名だったので彼の論文をよく読んでいた。
所属していたのが有機合成の講座だったので、論文を読むだけでなくコーリー博士の研究について知識として身に着けていることは常識だった。だから4年に進級してもっとも力を入れて勉強したのはコーリー博士の研究内容である。
化合物の合成経路を考えるにあたり、「逆合成」というコンセプトは有機合成以外の分野でも大変役に立つと感じた。簡単に説明すると、高校生の学習参考書にもあったチャート「結論からお迎え」という考え方である。
コーリー博士はこのコンセプトを用いて有機合成デザインをコンピューター上でシミュレーションできるようにした先駆者だ。1980年代にこの考え方は普及していくが、1970年代は先駆的な先生が大学院の講義で少し触れる程度だった。
コーリー博士の弟子による「有機合成デザイン」という書が出版されているが、それを購入したのは29歳の時で、すでに有機合成の研究をやめてから6年経っていた。無機材質研究所に留学していた時で、筑波大学の生協でその本を見つけた。
この書は期待通りの面白い本で、有機合成デザインだけでなく、その思想は実務にも生かせるような内容だった。すなわち知識の詰まった書であり専門家でなくてもそのコンセプトは参考になるだけでなく、内容を理解すればそのまま知識になる名著だった。
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界面活性剤を実務で活用するときにHLB値は一つの指標である。また、500種近くの界面活性剤を主成分分析しても第一主成分にHLB値が大きな寄与として現れるぐらい重要なファクターだ。
ただし、第一主成分と第二主成分の軸で界面活性剤をマッピングしてみると界面活性剤の複雑な機能がそこに現れてくる。すなわち同一HLB値でも界面活性効果が変わる場合が存在する、という意味だ。
溶媒に分散しミセルを形成するぐらいの話であれば、HLB値を指標にして研究していても間違いは起こりにくいかもしれない。
しかし、電気粘性流体とゴムを組み合わせて、ゴムから有象無象のブリードアウトが生じているようなカオスの状態における現象を扱う時にHLB値だけで議論は困難になる。
それではこのような場合にどうするかは、試行錯誤、すなわちやってみなければわからないのである。この、解決するためにやってみなければわからない、という言葉を頭から否定する人がいるが、そのような人は技術というものが分かっていない。
そもそも形式知だけで問題を解決できるならば、実験など不要である。実験は仮説を確認するために行う、は当方も好きな言葉であるが、当方はこのあと、但し、仮説と異なる結果がでたら、迷わず試行錯誤を行え、と部下を指導してきた。
仮説と異なる結果が出たら解析せよ、という人もいるが、解析も大切だが、技術では仮説の正しさよりも「機能」が重要で、山中先生が常識外れの24個の遺伝子をすべて細胞に組み込もうとした実験のような取り組みの方が技術開発では優先される。ノーベル賞学者でも掟破りの実験を行える勇気があるのだ。
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50年ほど前にオーディオブームは始まり、バブルとともに消えたと思っていたら、最近ささやかなブームがまた起きているらしい。以前オーディオチューナーが壊れたためにそれを探しに出かけたらヤマハ製しかなかった話をこの欄で紹介している。
インターネット端末とチューナーを兼ねた製品が販売されていることを知り、それを購入しようと思ったら、ややサイズが大きく邪魔になるので諦めた。それから2年ほど経ち、壊れていたチューナーをダメもとで修理しようとしたら、いつの間にか治っていた、という話だ。
40年前10万円以上したマイコン制御のシンセサイズドチューナーは、マイコンが暴走していたために動作不能になっただけのようだ。電源コードを外し放置している間にリセットされたらしい。ラジオマンジャックをまた聞きながら料理をしている。
骨董品と呼んでもいいようなチューナーはこうして復活したが、「さすがソニー製」と言いたくなるぐらいに良い音がしている。コンデンサーの大半はセラミック製なので劣化していないのだろう。修理しようとして40年間たまったホコリを掃除して放置しただけで復活した体験は他のデジタル機器で稀にある。
ところで、最近のオーディオ業界は、というと、まず音の出口であるスピーカーは外国勢に席巻された。スピーカーが売り物だったパイオニアはオンキョーへオーディオ部門を売却している。コニカミノルタの有機EL工場を東北パイオニアが購入しているので事業再構築中なのかもしれない。
パイオニアの事業を承継しているオンキョーは、スピーカーを振動板から自社開発しているフォステックスと並ぶスピーカーメーカーだ。最近小型の高級スピーカーを発表しているが、それがセプタープロジェクトによる、とわざわざPRしているので昔のオーディオ世代を狙い撃ちしているのは明確だ。
そのスピーカーの音は小型らしからぬ銘機と呼べるような音だが価格が高い。このスピーカーを買うぐらいならば、ギターの側板をボディーに使っている小型スピーカーのほうがよい。音の傾向は少し異なるが、価格とのバランスが良い。
スピーカーは値段が高ければ本当に良い音が聞こえてくる嗜好製品そのもので気にいらない。100万円以上のスピーカーは、スピーカーの存在がなくなり本物の音を通り越したきれいな音がする。老化した耳でもそれがわかるから不思議だ。使用されている材料や技術の価格を考慮しても本物の音が聞こえているわけではないので100万円は高すぎる。
本物でもないのに美しく聞かせて高い金を取る外国スピーカーの商売は、いくら趣味の世界でもボッタクリバーの感覚に見える(聞こえる)。
面白いのは3万円から10万円前後でそれらしい音のするスピーカーがあることだ。ただこの価格帯のスピーカーの特徴として、少し慣らし運転をしてやらないとよい音に聞こえてこない。
単身赴任したときに、展示品を半額以下まで値切り2万円前後で購入した当時新製品のオンキョースピーカーがこのごろ40万円前後のB&Wのスピーカー並みの音を出しているのに驚いている。コーンを支えているエッジやダンパーが劣化し柔らかくなってきたのかもしれない。
アンプで有名だったサンスイは長らく続けていたアンプの修理サービスを辞めてしまったようだ。デノンはいつの間にか安いスピーカーだけを扱いハイファイスピーカーの販売を辞めてしまった。また、2年前には1台だったレコードプレーヤーの商品を数種類揃えているのには驚いた。
秋葉原を歩いてみると、オーディオブームが復活してきたような雰囲気が漂っている。面白いのはカセットテープレコーダーの中古品を扱っている店があることだ。
昔のオーディオブームを支えた世代は、団塊の世代の尻尾と我々の世代までのおよそ6歳ほどの幅がある世代が中心ですそ野は20年の幅があり一大市場だ。その中心世代が退職し、年金を満額もらえるような年齢になった。
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