カラー電子写真に中間転写ベルトと呼ばれる10の9乗から10の11乗Ωcmまでの間の定まった均一な抵抗値をもった部品がある。紙に情報を転写する前にYMCK4色の画像を一度転写ベルト上に書き込む。この抵抗値がばらつくとこの情報が正確に紙に転写されなくなる重要な部品である。
主に溶媒に溶かしたPI樹脂にカーボンを分散し、キャスト製膜してベルトに仕上げる。これを押出成形で製造しようとするとカーボンの分散状態が悪くなる場合がありそれがベルトの抵抗値のばらつきとなって現れる。
押出成形に用いるコンパウンドの段階でどこまでカーボンの分散が安定化されているかが重要となる。すなわちコンパウンド段階でカーボンの分散が不安定であると成形金型内でカーボンの分散が進み、その結果金型の位置で分散状態が変わり抵抗のばらつきとなる。
PPS/ナイロン/カーボンの処方で外部からコンパウンドを購入し押出成形によるベルト開発が行われていた。コンパウンドメーカーは押出技術が未熟なので成形がうまくゆかない、という考え方であった。押出成形という技術をよく知らないコンパウンドメーカーを選ぶとこのような困った問題になる。
コンパウンドの段階でカーボンの分散状態を安定化してほしい、とお願いしても安定化という抽象的内容のため聞き入れてもらえない。結局子会社の敷地の隅にコンパウンド工場を建てて自分でコンパウンドの開発を行ったのだが、この時科学的プロセスを採用しなかった。いきなり抵抗の安定したベルトを100%近い収率で得られるコンパウンドを製造した技術プロセスで進めた。
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企業の技術開発において、科学はあくまでも道具である。この認識は重要だと思う。ゴム会社においても、写真会社においてもそれぞれで成果を出すにあたり、大半の成果は非科学的なプロセスでまずモノを創り出し、それを周囲に説明する時に、科学的プロセスで実施したかのようなプレゼンテーションを行ってきた。
これは欺瞞的行為ではない。いわゆる科学の時代の忖度による技術開発である。「科学こそ技術開発を成功に導く」という風土において、非科学的成果が如何に優れていても受け入れてもらえないことはゴム会社の研究所において経験してきた。
しかし、退職し中国のローカル企業で独自のプロセスによる指導を行い成果が出る状況を見るにつけ、企業で研究開発を進めるときに科学的プロセスに拘る必要はないと確信した。科学で解明されていないことは分かっていないこととして放置してもモノができるのだ。
すなわち、技術開発を行うときに科学的プロセスに拘らず、非科学的プロセスも取り入れて縦横無尽に開発を推進した方が開発スピードは明らかに速い。
タグチメソッドにしても科学で理解しようとすると難解になるが、非科学的プロセスの中で単なるメソッドとして扱うと理解しやすい。そして開発に成功してから、その成果について科学的プロセスで研究を行い、普遍の真理を明らかにしてそれを非科学的成果とともに伝承するのである。例えば、この手順で行った高純度SiCの技術は、ゴム会社で30年以上事業として継続されている。
<科学は人類にとって重要な哲学の「一つ」である>
科学は自然を理解するときの人類共通の哲学である。科学的プロセスで得られた真理は人類に「真理」として容易に共有化される。一方で科学の真理として確定した現象の理解を否定することは難しい。ゆえに理学に対して工学では非科学も扱うべきである。複雑系の科学という言葉があるが、技術の中には複雑な状態をブラックボックスとして実用化している事例が多い。科学が一つの哲学であるならば非科学もアカデミアで扱っても良いと思う。むしろアカデミアでは積極的に非科学を扱い、工学の中におけるそのあるべき姿を追求すべきではないか。科学だけでは、現象から新たな機能を取り出すことができない時代である。
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東名高速道路で対向車線を走っていたデミオが中央分離帯を飛び出し、観光バスの上部に激突した。運転手は62歳の医師で即死と言われている。また対向車線の道路にはブレーキをかけた跡はなく、タイヤが横滑りを起こしたような黒いタイヤ痕が残されていた。
現場はゆるいカーブであり、高速走行中に急ハンドルを切ると車は横滑りを起こす。FF車ではアンダーステアになりやすく、高速ではその傾向が現れる。高速でアンダーステアとなると恐怖感もあり、さらにハンドルを切ろうとする。この時横滑りが起きやすくなる。カーブに入る直前に必ず減速する習慣にしておればこのようなことは起きにくい。
この事故については、一端左側のガードレールに接触し、その後制御されなくなった車が横滑りして中央分離帯を越えていったとニュースで解説されていた。
若い頃、セリカからプレリュードに乗り換えたときにアンダーステアのため一度高速道路でガードレールに接触しそうになったことがある。車を制御できないほどのスピードではなかったので、事故には至らなかったが、FRからFFに乗り換えたときのこのハンドリングの癖の違いには注意しなければいけない。
ところで、トルクベクタリングがついている車では、面白いように車がハンドリングに応答するのでブレーキによる減速なしにコーナリングスピードを上げたままカーブを曲がることが可能となる。一度体感すると病みつきなり、一般道ではカーブでの減速を忘れることもある。すなわち減速しなくてもひょいと車が曲がってしまうのだ。
高速道路でも同様で、カーブでもBMWはじめ高級車が猛スピードで曲がることができるのはこの装備のおかげである。さらに今の車には横滑り防止装置を標準で装着することが義務づけられているのでコーナリングにおける横滑りも起きにくく、ついつい高級車ではカーブに入る前のブレーキングをしなくなる。
安いポンコツに乗っていると、例えば14年前購入したキューブでは安全装置はハンドルとブレーキ程度であり、ほとんどついていないといってよい状態の車なので、運転者の安全運転に対する力量が100%発揮されないと高速道路で運転できない。
このようなポンコツ車に長年乗っていると、タイヤの情報を必死で感じ取る習慣が身につく。換言すれば、高速道路でスリップをすると命取りになるので、タイヤがスリップするかしないかを必死で感じようとする。
ポンコツ車ではサスペンションも高級ではないので、道路情報が直に運転者に伝わってくる。今年の2月からポンコツ車のキューブから4駆のジュークに乗り換えたのだが、車格に似合わず、安いレクサスよりも各種運転装備が充実している。
足回りも四輪独立懸架でエンジンにはターボチャージャーまでついている。そのかわり、シートなど内装はいかにもの車であるが、走り出すとレクサス顔負けの高級感が出てくる。内装さえ気にしなければ超お買い得な車である。
困ったのは、トルクベクタリングや横滑り防止装置の制御を体に感じてしまう点だ。14年間安い車に乗り続けてきた結果、車に対する感度が高くなってしまったのだ。
実は新車で納入され、3ケ月目にこの車の制御が入る気持ち悪さをクレームとして販売店に申し出た。車には異常がないということで、計測器をつけながら当方が運転することになった。そして気持ち悪い感覚が起きて合図をしていたら、その合図が、車の各種制御が入る時と重なっていたのだ。
これには驚いた。販売店の担当者から普通では感じないレベルなのでクレームにならない、と言われた。仕方なく、各種制御のON-OFFスイッチを一人で運転するときには、すべてOFFにして車を運転している。ただし同乗者がいるときにはこれらのスイッチをONにして運転している。車の安全装置に頼らない運転が大切だ。
車はどんどん進化しているが、その進化がすべての車に平等であれば問題はないと思うが、今の時代は、安い車と高級車で安全性にものすごい違いが出てきている。高級車に慣らされた運転技術で安い車を運転するのは危険である。
車の安全装置で頼りにするのはハンドルとブレーキだけ、という心得で運転するとよい。ハンドルのガタとブレーキの踏みシロは欠かさず運転前に点検している。さらにひとたび車が動き出すとタイヤの情報を体で感じる努力をしている。だからドライブはいつも心地よい疲労感を味わうことになる。
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もう20年以上前のことだが、NHKテレビでクルミを割るカラスが紹介されていた。クルミの実をくわえたカラスが飛んできて、道路にクルミの実を置くとガードレールに留まり、車が来るのを待っている。
車がカラスの前を通過し、その車に運良くクルミの実がひかれたらカラスはそのクルミの実の様子を見るために道路へ下りる。そして無事クルミが割れて中からでてきた実を食べ終わりどこかへ飛んでいった。
すると同じカラスかどうか分からないがまたクルミの実をくわえたカラスが現れ同じことをして割れたクルミの実を食べてどこかへ飛んで行く、そのようなシーンだった。
説明では道路に落としたクルミが車にひかれて割れるのを観察したカラスがそれを利用すれば硬いクルミの殻を容易に壊すことができると学習し、それを繰り返しているのだという。
すなわち,カラスはくるみ割りの機能をうまく自分の生活環境から取り出しそれを活用していたのだ。カラスは立派な技術者の端くれで、科学の無い時代に人類がどのように技術開発を行ってきたのかを知ることができる。ちなみに猿でも同様の活動をするという番組も過去には報道されている。
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山本先生は、アカデミアの研究構造として純正研究(第一象限)、応用研究(第二象限)、末梢研究(第三象限)、基礎研究(第四象限)を示し、アカデミアの純正研究を支える基礎研究から応用研究を進めることでイノベーションを起こすことが可能、と述べられた。
すなわち産学連携もそのような進め方をするべきで、企業から真のボトルネックとなるようなテーマをアカデミアが待っていてもうまくゆかず、アカデミアから基礎研究を分かりやすく説明しながら積極的に企業へ働きかけなければいけない。
すなわち山本先生や無機材質研究所が実践されたようなアカデミアの基礎研究をベースに産業界の製品開発をサポートして進めていくような活動が、健全な産学連携の姿のような気がしている。
過去におけるゴム会社のBR01と呼ばれる合成ゴム技術もそうであったし、高純度SiCの技術についても、合成技術そのものは当方のアイデアにより生まれたが、それを焼結体まで仕上げる技術は無機材質研究所の基礎研究がベースになっている。またそれを積極的に推進してくださったのも無機材質研究所である。
外部からゴム会社における高純度SiCの事業を眺めているとそのようなアカデミアの貢献は学会賞の出来事が示すように隠されてしまった。しかし事業は30年続き、無機材研の基礎研究の実として残っている。問題は、それが企業から社会に示されていなくてもアカデミアの研究者が満足できるかどうかだろう。
国の研究所として無機材質研究所のすばらしさは、その後お世話になった先生からいただいた手紙や直接の行為からも示すことができるが、それの紹介は別の機会としたい。読んでいて涙が出てきた手紙もある。産学連携がうまく成功したときには、利害を超えたアカデミアと実業界の交流が生まれる。無機材質研究所長がゴム会社の創業者の伝説を話してくださったように、である。アカデミアの人が産業界に基礎を提供して事業として成功したらそれに感謝することができて伝説として残ってゆく、そんな産学連携が理想だろう。そのためには企業の誠実で真摯な活動が前提となる。
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ロジカルシンキングのようなセミナーは、当方が社会人になった頃すでに存在した。ビジネスプロセスを科学的に進めようという考え方である。マーケティングのための市場解析や株価解析など科学的に進めた方が良いかもしれない。
しかし、科学的方法には、仮説設定により排除された現象をどのように扱えば良いのか、という問題が常につきまとうことを憶えておいた方が良い。
あるいはモデル化でも同様である。仮説に基づきそれを検証するためにモデルを作成すると、モデルから削り落とされる部分が必ずでる。
分析や解析、あるいは調査結果の説明などは科学的に説明を進めた方が理解されやすいし、印象が良いのは言うまでもない。しかし新たなイノベーションを起こそうというアイデアをひねり出すときに科学的方法だけでは不十分な時がある。
今不確実性の時代などと言われ続け、未来予測が難しい時代と思われている。故ドラッカーまで「誰も見たことのない未来が始まる」と遺稿となった「ネクストソサエティー」で述べる始末だ。
不確実だろうがなんだろうがビジネスに成功するためにはイノベーションを起こさなければならない。その時既存の科学的方法を採用しているビジネスプロセスだけで十分だろうか。弊社ではヒューマンプロセスとも呼べる方法を研究開発必勝法としてセミナーで公開している。
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高校数学で学ぶ証明問題の解答に必要条件と十分条件で論理を明示的に展開しないと×になる問題がある。実は「=」が必要十分な関係を示しているので、全ての問題が必要十分関係を議論しているわけだが、証明問題には、わざわざそれを明示しなければ正解とならない問題がある。ゆえに推論に向きがあることを高校を卒業した人ならば誰でも知っているはずなのだが、卒業すると忘れてしまう。
それは日常の思考や科学で現象を考えるときに無意識に必要条件から考える癖が身についているからだ。いわゆる科学で脳みそが汚染された結果である。この前向きで推論を進める癖は簡単に矯正できる。現象の結果から考えれば良いだけだからだ。すなわち現象の結果や結論を明確にして逆向きに推論を進めるだけである。
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無機材質研究所で卵をかえすことができ、さらに共同研究を進めてフェノール樹脂を助剤として用いる高純度焼結体製造技術や粉末の粒度調整技術など様々な成果を出すことができた。この高純度SiCの事業は、ゴム会社で現在も続いているが、無機材質研究所との共同研究の成果や住友金属工業とのJVの歴史は、当方の転職後隠されてしまった。
当方の転職は、住友金属工業のJVの業務と電気粘性流体の業務を担当しているときに起きた、データフロッピーを何者かに破壊される、という事件がきっかけだった。2枚まで壊されても黙っていたが、3枚目が壊されたとき、目撃者もいたことと、その壊し方がM氏のフロッピーを当方のデータフロッピーへべたコピーするという方法だったので、犯人を特定することができた。
犯人も同席する会議の席で、この事件の問題を訴えたところ、研究所では事件を隠す方向で動いた。その結果、当方の立場が悪くなり、せっかく出口が見えた高純度SiC事業を残して、ヘッドハンティングの会社が紹介してくださった写真会社へ転職することになる。写真会社を選んだのは、転職後の業務がそれまで担当していた業務と全く異なっていたからである。
その後、写真会社で某学会賞の審査委員を担当していたら、住友金属工業とのJVの歴史までをそっくり隠した開発の歴史が書かれた高純度SiCの事業化という候補技術の推薦書が出てきた。そこには無機材質研究所との共同開発の歴史が無いだけでなく、受賞者としてふさわしい無機材質研究所研究員の名前が載っていなかった。
このあたりはこれ以上詳しく書けないが、結局この年の審査には落ちて、無機材質研究所を含めた形の推薦書が出しなおされて受賞するという結末である。
産学連携の問題を考えるときに、このような不誠実が原因となる問題をまずつぶさない限り、健全なアカデミアとなるような産学連携など実現できないと思っている。
ゴム会社の創業者は誠実に産学連携を進められた。その精神はゴム会社に残っていたが、あいにく研究所にはその香りもない状態だった。当方が入社したときのゴム会社は研究所の風土と商品開発部隊の風土とがたいへん異なる会社だった。
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先行投資のおかげでゴム会社に高純度SiC合成技術の研究開発環境が整った。そのため3年間の留学予定を1年弱で終えることになった。しかし、ここから住友金属工業とのJVをスタートさせるまで、いわゆる開発の「死の谷」を歩くことになる。
ファイセラミックス棟の起工式の日に入院された上司が竣工式の日に亡くなられた。その後ほぼ1年程度の間隔で管理職が代わり、開発が迷走することになる。
多段湿式法によるペロブスカイト粉末の開発やSiC長繊維の開発、SiCるつぼの開発、窒化ケイ素の開発、窒化アルミニウムの開発、ECDの開発、セミソリッド電解質の開発、切削チップの開発、SiCヒーターの開発、燃料電池電極の開発、Li二次電池電極の開発、その電解質の開発、電気粘性流体の開発など高純度SiCの事業化を推進しながらいろいろなテーマを担当した。
この間、無機材質研究所だけでなく、三重大、阪大、東北大、都立工業試験所などミニ産学連携研究を多数行っている。そのとき費用対効果の評価では無機材質研究所がトップだった。理由は企業からの持ち出しは人件費だけだったからである。他は奨学寄附金で手当てできる場合にはそれですませたが大学によってはまとまった金額が必要な場合もあった。当時はTLOが無かったので金額は先生の希望額で決まっていたようなところがあった。
ただ、無機材質研究所だけは、過去の実績から、なにがしかの研究プロジェクトへゴム会社が参加する形式の産学連携体制だったので、費用発生は無かった。すなわちパイロットプラントで試作された高純度SiC粉末を無機材質研究所に提供して、フェノール樹脂を助剤にしたホットプレス焼結や常圧焼結、高純度SiC粉末の粒度調整技術などが共同研究のテーマとして進められ、基盤技術の無かったゴム会社では、砂漠に水が吸収されるがごとく、みな成果となっていった。
しかし、これらの成果は住友金属工業とのJVが立ち上がるまで、マーケットが見つからなかったので生かすことができなかった。ただしすぐには生かされなかったが、基盤技術として残り、JVでは当方の0.5人工数しかマンパワーを避けなかったにもかかわらず、順調に立ち上がった。
0.5人工数しか避けなかった理由は、高純度SiCの担当者が当方一人であり、他のテーマとして電気粘性流体の開発も担当していたからである。過重労働(注)という表現を通り越して、毎日手品をやっているような仕事の進め方であった。その手品の種は、JVを始める前に産学連携で進められた無機材質研究所との共同研究成果だった。
(注)ファインセラミックス研究棟が立ち上がり、当初20名弱のプロジェクトでスタートしたが、その後Li二次電池の技術が日本化学会賞を受賞するとそちらに人員が配置され、年々人数が減少し、最後に管理職もいなくなり、広いファインセラミックス研究棟に当方一人になった。これはさすがに寂しかったので結婚して気分転換し、それまで独身寮からファインセラミックス研究棟まで徒歩3分の生活から、一時間の通勤時間が必要となる生活に変わった。この一時間の通勤時間は、気分をリフレッシュするには十分な時間だった。精神衛生上問題となる環境だったが、なすべきことが明確だったので夢実現のためストレスを自己実現に転換するよう努力した。取締役が厳しい方であったが、学位取得などの方向を示してくださったおかげで道に迷うことはなかった。また、製造した粉体を自分で販売してこい、という指示も、気分転換の機会ととらえ営業の真似事もしていた。この仲人までしてくださった役員も交代すると、予算が0となった。ただし研究開発管理部長がここでは書きにくい特別な手当てをしてくださり、名目上の予算は0であったが、設備以外は従来通り研究開発できる状態だった。そのおかげで住友金属工業小嶋荘司氏の依頼で高純度SiC粉体を10kg供給することができJVを立ち上げることができた。半導体治工具に関する共同出願特許が当時の両者の関係を示している。
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セラミックスフィーバーのさなか、当方の無機材質研究所へ留学した経緯についてすでにこの活動報告で書いている。すなわち、社長方針の一つにファインセラミックス分野への進出が出ていたが、ゴム会社にはセラミックスの専門家がいないという理由で研究所の管理職は前向きに取り組んでいなかった。
そして小生の留学先もゴム会社で留学実績が多い米国アクロン大学と安直に決められた。当方は高純度SiCの事業ビジョンをすでに企画として提出していたが、研究所内では企画として扱っていないばかりか、留学先も当方が望んでいるところではなく、語学留学の色彩が濃い研修先と思われた。
しかし、人事部長などのご尽力があり、当方の希望通り無機材質研究所への留学が決まったが、留学して半年後に行われたゴム会社の昇進試験に落ちた。この試験問題では、どのような新事業を推進したいかと問われていたので高純度SiCの事業について、企画でまとめた内容を記述したところ0点がつけられた。
この採点は研究所の管理職が行っており、人事部長からのフィードバックでは、これまで昇進試験で0点という得点はつけられた実績はなく、留学を終えた3年後の職場についてよく考えておくようにと電話で指導された。当方は悔しさで、採点者が後悔されるように頑張ります、と答えるのが精いっぱいだった。
この出来事を電話の横で聞かれていた無機材質研究所I総合研究官がすぐに行動を起こされ、その後の所長はじめ諸先生方の対応は素晴らしかった。当方のビジョンを実現可能かどうか、それを確かめるためのチャンスとして1週間だけ自由に研究できる期間を小生にくださったのだ。
そして小生はこのチャンスを生かしてフェノール樹脂とポリエチルシリケートの相溶した前駆体ポリマーを使った高純度SiC合成技術を4日で「完成」させている(注)。
ここで「完成」という言葉を用いているのは、この時の0.5g程度うまく合成できた条件で半年後パイロットプラントの建設を行っているからである。基礎研究もしていないのにいきなりパイロットプラント建設という常識外れの進め方に、どうしてなったのか。
それは研究所の責任者である取締役の交代と研究所の組織再編成があり、ゴム会社の研究所のマネジメントがうまく機能していなかったためである。
昇進試験に落ちたおかげで訪れたチャンスにより、留学中は研究テーマとして扱わない約束だった高純度SiC合成法を無機材質研究所で成功させることができた。しかし、それでも動こうとしない研究所を見かねた本社の幹部の方々が、研究所建設に必要な先行投資の社長決裁をとるための舞台を用意してくださった。
たった一回の実験で得られた、0.5gの高純度SiCの粉末を手に、社長の前でプレゼンテーションを行い、ファインセラミックス研究所の建設と2億4千万円の先行投資が決まった。
(注)この時、真黄色の3CタイプSiC粉末がたった一回の焼成で得られたのでSTAP細胞並みの騒動に発展するところだった。ちなみに当時高純度のSiC粉体を得るには、レーリー法を用いて何度も2000℃以上の高温度で昇化ー再結晶を繰り返す必要があった。すなわち、原料価格が仮に低純度品の100倍以上だったとしても高純度SiC合成法として極めてコストパフォーマンスの良い手法であることが瞬時に判明したのだ。30年以上前のセラミックスフィーバーでは、この高純度合成法についてレーザー法やプラズマ法など様々な取り組みも行われていた。簡単に高純度SiCの大量生産が可能な、当方の発明によるプロセスが世間に与える影響の大きさは容易に予想された。そこで、無機材研では、特許出願だけ行い、すべてを秘密にする処置がとられた。当方も素直にその指示に従った。ゴム会社の研究所と本社人事部にはすぐにこの状況をレポートとして送っているが、本社側が迅速に体制づくりに動いたにもかかわらず、研究所ではレポートの内部回覧さえされなかったという。ホモポリマーからSiC繊維を合成する矢島先生の研究から数年後に、この研究の原料よりも低価格なポリマーアロイを前駆体にしたSiC合成法が生まれている。すぐに発表されていたなら、STAP細胞並みの騒動になっていたことは当時のセラミックスフィーバーと呼ばれた社会状況から明らかだった。理研と異なり無機材質研究所の冷静な対応が素晴らしかった。この研究が無機材研から新聞発表されたのは、当方が日本化学会年会で発表することが決まってからだった。
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