清原元野球選手が、覚醒剤所持で現行犯逮捕されたという。本欄で取り上げた理由は、昨晩のTV番組で、1年前の彼の心境が語られ、その内容が人生の目標喪失という問題だったからである。
彼にとって、野球という職業は何だったのだろう、と考えた。また、いい年をして、という印象をうけた。人生の目標やビジョンは、社会人になったら皆持つべきである。知識労働者であれば当たり前のことが、野球選手には常識ではなかったようだ。スーパーマンや特別な人でない限り、目標やビジョン、夢は必ず持つべきであり、また、これは、お金や才覚が無くても誰でも持つことが可能(注0)である。
昔は宗教が精神の支えとなり、人生を生きることができたが、現在は無神教の時代で日本人の精神的支えが無くなってしまった。檀家制度も崩れつつあり、坊さんの失業もあるそうだ。まだ坊さんの覚醒剤犯罪が起きていないので救われるが、昔のヒーロー、歌手飛鳥の事件がまだ記憶に新しい。
覚醒剤がどれだけ気持ちの良いものか知らないが、覚醒剤より、というよりも本当に気持ちの良い体験を一度でも味わえば、二度三度その体験をしたくなるのは、人間の習性かもしれない。ならば健全な、そのような体験を早い時期に若者にさせるのは、良いことかもしれない。
若者に限らず、誰でも気持ちの良い体験は喜ばれるかもしれない。当方は、高純度SiCの発明をしたときに、天にも昇る感動をした。黄色いその粉を見て、そしてなめてみて、言いしれぬ快感を憶えた。それからゴム会社の先行投資を受けたときに、同様の感動を、さらに6年間我慢し(いわゆる開発の死の谷を歩いた期間)、住友金属工業とJVの契約を締結できた瞬間は、卒倒しそうであった。
いずれの快感もどのように伝えたら良いのか、表現の方法が無い。覚醒剤による快感がどれだけのものか不明であるが、生理活性の無い黄色い粉が大変な快感をもたらしたことは確かである。この度重なる快感は、いずれも明確な目標を定めてそれを実現できたときに、しかもほとんど自分でも難しいと思っていたときに得られた快感である。
だから、目標やビジョンは、高ければ高いほど、それが達成されたときの感動は、ものすごいことになる。これは味わったものでなければ分からないかもしれない。そして一度味わうとやみつきになることも確かであるが、写真会社へ転職してしばらく忘れていた。
ゴム会社における高純度SiCの仕事が無くなった喪失感も影響したが、会社の目標管理で、自己の目標も達成可能な低い目標になっていったからだ。これは会社の風土も影響する。ゴム会社には高い目標や夢をもつような創業者の理念や風土があったが、写真会社にはそのようなものがなく、代わりに極めて気楽に過ごすことができた。これはこれで良い風土であり、平々凡々幸福な日々が過ぎた。
再度ゴム会社同様に高い目標を設定したきっかけは、豊川へ単身赴任することになりがっくりきたときに頂いた、元無機材質研究所副所長の手紙だった(注1)。いつかこの手紙の内容は公開したいが、手紙を読みながら自然と涙が出てくる感動的な内容だった。その忘れた頃に届いた手紙のおかげで、再度高い目標を設定(注2)し、それを実現できて心臓発作でも起こしそうな快感を味わった。年をとってからの度を超した快感は命を縮める危険があるが、高い目標やビジョンを設定して生活することは、宗教を喪失した人間にとって大切なことである。
(注0)弊社ではそのための研修コースも用意しているので問い合わせていただきたい。目標やビジョンと言っても難しいものではない。一年先の目標を毎年立てるような生き方でも良いのである。一日先でもかまわない。当方も長期的目標と短期的目標を整理している。そして、夢は100歳まで元気に生きることである。若い人には分からないだろうが、50歳を過ぎた当たりから、健康の問題が幸福の重要課題となる。そのための準備を怠っていた当方は、早期退職をして最初に心がけたのは、体力を取り戻すことだった。「若さ」はかけがえのない宝であることをつくづく思い知った。
(注1)副所長には、社交辞令程度の年賀状しか出していなかった。当然当方の状況などご存じなく、東京の自宅に手紙が届いた。聖人とはこの副所長のことを言うのだろうと思われる手紙だった。そしてその手紙は「あの日」の真実を書いた手紙だった。やはり、「あの日」というタイトルは読み手にその回想が感動を与える著作物に付けて欲しい。
(注2)会社の方針目標とは別に、フローリー・ハギンズ理論にそぐわないPPSと6ナイロンの相溶や、カオス混合の発明を目標に設定した。いずれも博打に近く、実現がほとんど難しい目標に思えたが、生活に柱ができ、仕事も誠実に真摯に貢献だけを考え推進できた。不思議なのは、担当していた仕事が目標へ向かって動いている感覚あるいは幻覚があったことだ。覚醒剤に近いと思われるこの感覚に支えられて、カオス混合を実現した工場まで袋井に作ることができた。気がついたときには成果が出て、普通に仕事を進めていたら失敗していたテーマを成功させて、会社に十分な貢献ができた。
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エジソンは19世紀の技術者で、天才であるとともに奇人としても知られている。しかしエジソンの弟子アチソンについては奇人と言う話は伝わっていない。SiCがエジソンの発明であることは偉人伝にも書かれているので、エジソンとアチソンの師弟関係は良好だったのだろう。αSiCの製造方法がエジソン法ではなくてアチソン法となっていることからそれが伺われる。
おそらくエジソンは自分の指示で実験をやらせていたアチソンの成果として認めたのだろう。当時の発明でエジソンによるものとされる品々は多いがアチソンによるものについて当方はSiCしか知らない。SiCの発明の逸話は有名で、ダイヤモンドを人工合成したかったエジソンは、ダイヤモンドは炭素でできており、高温度でダイヤモンドができる、という科学の知識を得ていた。そして、るつぼで炭素を加熱していたら偶然ダイヤモンドのような硬い物質ができたので、コランダムをもじってカーボランダムと名付けた。
コランダムに似た名前を付けたのは、カーボランダムが大変固い物質だったからだ。恐らく実験をやっていた時のアチソンの頭には反応式ではなく$マークが浮かんでいたと思われる。カーボランダムは後にSiCであることが明らかにされたが、使っていたるつぼがシリカ製であったことが幸いした。アルミナだったならSiCよりも柔らかい物質となっていた。
エジソンがダイヤモンドを作ろうとして偶然SiCを発明した話は有名で、当方は小学校の時からカーボランダムを知っていた。ただ、それが弟子のアチソンによる発明であることを知ったのは、大学でアチソン法を習ってからである。カーボランダムの発明物語を読む限り、エジソンもアチソンも科学者ではなく技術者である。
高温に加熱すると硬い機能を持った物質ができる(注)、という古典的知識と、ダイヤモンドがカーボンでできているという知識を組み合わせて人類に有用な新しい研磨剤を創りだしたのである。また、新しい知識を獲得しその利用の仕方も知っていたので知識労働者でもあった。科学の時代の技術者や職人は多かれ少なかれ科学の知識に触れそれを活用するので、皆知識労働者である。(続く)
(注)セラミックスの語源であるケラモスは高温度で焼き固めたモノという意味である。
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科学という哲学を追究する研究者は、知識労働者である。自然現象について、その真理を明らかにするために研究を進める作業ほど面白い仕事は無い。新たに見出された真理からさらに新しい真理が生まれる。その見つけ方のコツがわかると、次から次へと真理を見つけ出すことができるようになる。そして、夢中で未知の自然現象のリベールを行うようになる。
ただし、自然界は無限のマトリョーシカであり、この作業は恐らく永遠に続けなくてはならない。物理学の素粒子論を見ればわかる。物質が何からできているのか、を追求していくこの学問で、かつて物質は原子と電子でできているとされた。その成果を利用して成立したのが有機電子論で、それまで錬金術師の流れをくむ職人の世界であった有機合成反応の仕事を科学者の仕事に引き上げた。
その結果石油化学の分野は著しい発展をして、その科学の成果を活用し数多くの技術が短期間に生まれた(科学は技術の発展を加速させた。)。また、その新たな技術を利用し、石油化学に携わる科学者は、自然界に存在しない化合物まで生み出すようになった。有機化学だけでなく無機化学の分野も同様に科学の成果を活用し急速な進歩を遂げた。
このような電子論に基づく化学が著しい進歩をしている間に物理学者は、原子の中を覗くようになり、原子を構成する素粒子を見つけた。そして見出された素粒子の中をどんどん細かく調べる作業を続け、その作業は現在も続けられている。その過程で日本でも新しい原子を見つけるという成果も生まれているが、この原子が人類にどのように役立つのかは誰もわかっていないらしい(科学は、必ずしも人類に貢献しないかもしれない)。
ところで化学は科学の進歩により、錬金術から脱却して科学の一分野となったが、その後科学者だけの努力により発展が続けられたわけではない。技術者も科学の成果を横目で見ながら科学の発展に貢献している。例えば発明王エジソンである。彼は、技術者であるとともに優秀な経営者でもあった。数々の発明で得られた資金でGEを創業している。
エジソンの成果はこれだけではない。弟子のアチソンを指導育成し、自然界には存在しなかったSiCという化合物を発明している。このSiCは、科学の時代に科学的に生み出された化合物ではない。あくまでも技術的に創られた化合物で、後年、科学的に解析されてSiCであることが分かり、工業生産されるようになった。そしてその方法はアチソン法として知られ、現在でもSiC生産の一つの方法となっている。(続く)
<補足>エジソンは、数々の発明で直接の成果を出しただけでなく、アメリカを代表するGEを設立し、価値への取り組みを行っている。さらにアチソンなどの人材を育成するなどドラッカーの提唱する組織に必要な3つの領域における貢献を行っている。単なる発明王という肩書だけでなく優れた経営者でもあったと思われる。
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「あの日」を読んで最も気になったのは、理研の研究者も知識労働者であることを著者は理解していたのだろうか、という点である。しかも国民の税金から給与が支払われているエリート労働者であることを。
文章から自己実現意欲は理解できたが、「働くこと」のもう一つの意味である貢献については、読者である当方にはあまり伝わってこなかった。また、自己実現にしてもそのための努力を正しく行っているかどうか、不安になった。
貢献と自己実現が知識労働者の働く意味であると言ったのはドラッカーだが、今や常識になっている。企業の就職面接では、この視点からの質問が必ず出される。しかし、ドクターコースまで学んだ著者の本からそれらが正しく伝わってこないのは、大学までの教育で学んでこなかったのかもしれない。
もっとも、当方が「働く意味」を知ったのはドラッカーの著書からであり、誰かに教えてもらったわけでもない。また、サラリーマンを卒業して日々この言葉を意識し働くことも無くなった。常識として、自然に貢献と自己実現に努力している。
この「働く意味」は、組織人として悩んだ時に問題解決で便利なことが多い。特に貢献については、そのベクトルを正しく位置づけることにより、悩みの解決が可能になる。また、かつて実施した部下のコーチングではヒントを考える時に、この言葉が重宝した。
もし「あの日」が働く意味をよく理解して書かれた本だったならば、もう少し面白い本になったかもしれない。また、著者しか知らない真相で書かなければならないことも明確にされたと思われる。研究者になりたい意欲は十分に伝わったが、その為に行った努力や、研究者としての貢献の方向が著書を読んで伝わってこなかった。
エリート研究者であった著者が「働く意味」を理解していないのなら、多くの大学生もその可能性が高い。大学教育で科学者の倫理も指導していると言われているが、「働く意味」についても正しく理解できるように指導する必要があるのではないか。
<補足>日々仕事が決まっている人でも「貢献」と「自己実現」の観点で仕事を見直す習慣をつけておくと良い。また役職者でも、「貢献」を軸に仕事を考える習慣を実践すべきである。とかく権限に目が奪われるが、権限から仕事を定義すると成果が小さくなる。技術職の管理者は、部下のスキル不足を補うことも大切な仕事であるが、指導育成と称して叱咤激励ばかりしている人がいる。時には「やって見せる」ことも重要な仕事である。以前中間転写ベルトの開発で、「素人はだまっとれ」とコンパウンドメーカーの営業担当から言われ、テーマの失敗を確信した時、自らコンパウンド工場を建設することを決意した。この時どのような貢献の仕方が最良であるか考える余地は無かった。業務を正しく理解している人、あるいは問題を正しく捉えている人は、当方しかいなかった。また組織内外の調整時間も無かった。短期間に業務を成功に導くためには、自らが動き、現場で肉体作業までやらねばならなかった。貢献を考える時に、地位や権限を中心にするとこのような決断ができない。また、最もわかりやすい貢献は直接の成果を上げることである。直接の成果を上げられない組織は、やがて整理される。価値を高める方法や人材育成も組織の欠かせない貢献方法であるが、直接の成果は特に重要である。
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この本を購入して真っ先に読んだのは、「第12章、仕組まれたES細胞混入ストーリー」である。この一章を読むだけでこの本の価値が決まる、と考えたからだ。しかし、一番大切なことが何も書かれていないのである。
STAP細胞で作られたとするネズミが、実はES細胞で作られたインチキだった、というのが公知情報であるが、その真相は書かれず、誰がどうの、彼がこうの、という話に終始し、結局ES細胞混入の真偽は不明と結論されているのだ(補足)。彼女が真偽は不明と書いたなら、誰も真相はわからない。ES細胞盗難事件を受理した警察ではどのように扱うのだろう。
少なくとも、「私がインチキをしました」とは書かないだろうと想像しながら、混入させた犯人は、とドキドキしながら読み進んだら、真偽は不明となっており、がっくりきたのである。STAP細胞騒動に関心のあった人ならば、誰もが興味を持っていた事件なので、この部分で真相を明らかにしなければならないはずだ。このことから、発売されるや否やこの本を購入したことを後悔した。
さらに、あたかも彼女を罠にかけたように書かれているが、彼女を罠にかけようとしたかは不要で、重要なのは先に書いたようにネズミがSTAP細胞由来ではないインチキだったかどうかの一点である。この大事な疑問に対して、せめて真偽の結論だけでも推定でよいから書いてほしかった(誰かの管理の問題では答になっていない)。
この本の出版について、講談社は、彼女の手記に手を加えず原文のまま出版したという。果たしてそれは正解だったろうか?全体はまさに暴露本というよりも、書きたい放題の悪書である。この本に実名で書かれた人たちは迷惑しているに違いない。少なくとも大手出版社ならば、著者にアドバイスをしても良かったのでは、と思われる部分が多い。
もし著者の知名度や事件の大きさから、手をかけなくても売れるだろうと出版社が安直に考えてそのまま出版したとしたら大きな問題である。講談社ならば書籍の果たすべき社会的役割を考えて出版して欲しかった。いったいこの書籍から読者は何を読み取ればよいのだろうか。
当方も自由にこの活動報告を書いているが、少なくとも若い読者へ、若い技術者に実践知と暗黙知を伝えたい一心で書いている。人生には美しい部分(注)もあれば、醜い部分もある。醜い部分については、自分の恥とも思われる体験も書いている。若い人に少しでも失敗を避けていただきたいからである。
(補足)探偵小説でも映画でも最後のシーンを話すことは御法度である。若いときに職場で見てきた映画の話をして、よくひんしゅくを買ったが、「あの日」という本では、最後の結末がよく分からない本なので何を書いても大丈夫だろうと思っている。よく分からないのは当方の頭が悪いせいかもしれないが、読後感として「よくわからんなー」というのが感想である。田崎つくるの巡礼の旅は、最後のシーンでそのストーリーがよく分かったが---。
http://wamoga.blog.fc2.com/blog-entry-109.html
には、読後感として一つの仮説が述べられている。当方の頭が少しすっきりしたので紹介しました。著者もこのブログのように書いてくれるとありがたかった。このブログによると、当方は第三者による偽装にまんまと騙されていたことになる。このブログの仮説が真ならば、この「STAP細胞」事件は、まだまだ続くと思われる。しかし、一般の人にこのブログのように理解せよ、と言うには少し無理がある。STAP細胞の存在を信じている当方でさえ、第三者の偽装を真と信じていたのである。ゆえに書かれている内容と自分の理解に矛盾があり、頭の中に雲状態だった。ただし、本当に偽装だったなら、この第三者は科学者として失格である。また、現在訴えられているES細胞盗難事件の裁判は、前代未聞の科学裁判になる可能性があり、科学とはなんぞやというカラマーゾフの兄弟のような小説が生まれそうな気がする。
(注)高純度SiCの発明にまつわるとっておきの美しい話がいくつかあるが、まだそれは公開していない。あまりにも美しすぎる話だからである。聖人と呼びたくなる人物が関わっており、人生のどん底状態で、突然風の便りをくださったりして精神的に助けていただいている。人生に一人でもこのような方がおられると、思い切ったチャレンジが可能となる。
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この本には、幾つかの誤解で書かれている部分がある。少なくとも、人生を生き生きと楽しく生きるために、という視点と、知識労働者としての視点、その他諸々の視点から眺めてみて、誤解が多い。時系列的な事実は正しいかもしれないが、それぞれの事象のとらえ方と対応において「まずいなー」という部分がある。塞翁が馬と言う格言があるように、人生で遭遇する事象の捉え方次第でその対応の仕方は変わり、その後の人生まで左右される。
例えば、退職前の5年間豊川へ単身赴任したのはサラリーマンであれば誰でも左遷と捉えられる状況だった。しかし、仕事の内容が自分以外では、日本中探しても誰も完成させることができない、難しい仕事であることがわかっていた。それゆえ、周囲は失敗すると思っていたことが露骨にわかる事象もあった。そのような単身赴任だったが、引っ越しの時に撮影した家族の写真が笑顔であふれていたような、楽しさいっぱいの対応をした。結局仕事は大成功だっただけでなく、私事も何もかもうまく流れた。
但し、長いサラリーマン人生で何もかもがうまくいったのはこのときだけで、むしろ大失敗のほうが多いサラリーマン人生であり、上手な世渡りができているわけではない。ゆえに、適切なアドバイスにならないかもしれませんが、若い研究者がこの本を読んで誤解するといけないので、当方の意見を書いてみたい。
まず、「第15章、閉ざされた研究者の道」では、彼女の研究者の道が閉じたことになっているが、決してまだ閉じてはいない。少なくともこの本を読む限り、著者自身の努力で、また道は開ける可能性が、さらに現在の当方よりは、明るい研究者の未来が残っている。もし努力の方向が分からなければご相談ください。
ところで、この本では博士の学位が剥奪された、と表現されているが、博士の審査に落ちただけである。もともといい加減な審査だったので、審査をやりなおしたら、その大学では不合格、と言うだけである。この結果については、世間もその大学にあきれていると思います。少なくとも、当方は、なんていい加減な大学だ、と思いました。当方に限らず、まともな学位審査を受けた経験のある人ならば、そのように感じていると思います。
そんな大学にこだわらず、研究者を目指したいならば再度学位に挑戦すればいいだけです。偏差値の高い大学が良い大学ではないのです。真に学生のことを考えてくれる大学が良い大学、あるいは良い先生なのです。その点で、中部大学は、少なくともW大学や国立X大学よりも良い大学でした。語学も含めフルコースで試験をしてくださり、すでに国立X大で仕上がったと思っていた学位論文にも親身に赤ペンで修正してくださいました。国立X大の先生から指導を受けたのですが、その内容では不十分だったのです。その大学が目指している学位の目標レベルが大変高かった。
当方は、高純度SiCの反応速度論を基に学位を国立X大学で取得しようとしたら、自分の発案でデータ収集し研究を進めたという理由で、小生が第一著者となるべき論文を第二著者とされ(注)知らない間に投稿されたり、挙げ句の果ては、主査の先生が転学されたために他の先生が主査になられ、「写真会社からも奨学金を持ってきてください」といわれたので、論文はすでにまとまっていましたが、その大学で学位を取ることを当方から辞退しました。
著者もW大学などあきらめればよいのです。立派な研究論文を書かれているのですから、さらに研究論文を蓄積して、10報あればどこかの大学で十分学位取得できるのではないかと思います。努力し、常に社会に貢献しておれば、必ず誰かが助けてくれます。但し最初から援助を当てにしてはいけません。自己責任で誠実に努力をしておれば、必ず道が開けます。
研究者であれば、その研究成果に必ず注目する人が現れます。しかし注目されるような研究ができなければ、自ら学位をあきらめなければいけません。博士とは、自ら研究テーマを企画し、社会に貢献できる成果を出せる人に与えられる称号です。しかし日本のアカデミアにはいい加減な審査を行うところがあるので,そのような環境で学んだ著者は、茶道や華道の免許と誤解しているのかもしれません。茶道や華道の免許であれば剥奪という表現も当てはまるかもしれません。
2000万円かけて手作りの測定器をしあげて実験を行った大切な研究について、第二著者にされた出来事はショックでしたが、今は、実験をしていた時には面識の無かったその先生が第一著者になりたくなるようなすばらしい研究ができた、と自慢しています。それは研究を取られたという意味ではないか、と言う人もいますが、当方はただ笑っているだけです。
貴女もSTAP細胞の研究を完成させて、その研究成果を学位としてまとめ、W大学以外の大学に審査をお願いすればよいのです。W大学はノーベル賞級の学位を審査できない大学と笑い飛ばせばよいのです。大学改革が進んでいる時代で、満足な学位審査をできない大学はいくら偏差値が高くても、研究機関としての地位は下がってゆくと思います。
(注)
1.そもそも第一著者は、実験そのものに何も関わっていなかった。実験終了後4年ほど経過し、学位論文のまとめの指導を受けている過程でこのようなことが起きている。学位を取得するために我慢すればよかったが、金銭の要求も含め、足下を見たあまりにもえげつない姿勢に我慢できず、当方から辞退した。今では辞退してよかったと思っている。おそらく氷山の一角だろう。
2.w大学については、リコールした車を修理せずに放置した自動車メーカーのような対応で、車ならばそのようなメーカーは法的処分を受ける。学位には自動車のリコールのような規則が無いので、W大学の好き勝手な運営で著者の状態が置かれているだけである。大学の中から注意を喚起する声があがらないのもおかしい。当方がW大学のそれなりの立場であれば、しっかりと教育指導し学位を取得できる方向で著者を指導する。コピペが発覚したので審査をやり直したということは、世間も認めている。ならば、コピペ部分が修正されたならば、学位授与と言う結果を期待するが、車検が切れたのでアウトという扱いになっている。車検が切れた場合には、一般道で運転はできないが動作はするのである。新車に近い動く車を気に入らないからメーカーが廃車にする、というのは、今の時代感覚から見て無責任極まりない。それともコピペ以外の大きな問題が出てきたのだろうか。例えば適当に審査をやっていたとか。もしこのような理由であればW大学の学位取得者はその実力を信用できないことになる。サラリーマン生活を振り返ると何となく納得できるが。ならばコースドクターの実力を磨くように指導するのが大学の使命である。
3.中部大学の対応はすばらしかった。大学には研究機関としての側面と教育機関の側面があり、それがわかっていない大学があることも事実である。本来は大学の受験生もその当たりを考慮し、W大学のような大学を敬遠すべきだろう。
4.著者の学位の問題は、社会的影響を考慮すると主査の先生の判断と言うよりもW大学の姿勢と解釈すべき問題である。すなわち彼女の学位は剥奪されたのではなく、「あの日」に書かれている事実とは、授業料まで支払った生徒の教育指導の放棄、あるいはW大学に入学した実績を考慮すれば、育児放棄に近いことがなされた状態なのである。W大学を人間に例えるならば、剥奪と言うことではなく、人道的に許されない行為である。
5.ちなみに教育機関としてのW大学のあるべき姿とは、これだけ有名な事件の学位論文でもあるので、指導の過程を公開し、無事学位取得まで至るように指導すべきだった、と思います。中部大学における学位授与式などの様子はすでにこの活動報告で書いているが、涙が出るような感動と社会に貢献できるような仕事を目指す意欲をかき立てるようなすばらしい式だった。その人の行動にも影響を与えるような指導ができてこそ教育機関と呼べるのである。当方の学位論文の内容については、その研究成果となる事業が30年近く継続され、さらにその事業は日本化学会から技術賞まで受賞しているのでどこでも審査にとおった、と思っているが、中部大学で学位を取得できたことを誇りにしている。
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悲しく、また、哀れである。概略は、想定していた内容だった。まず、小保方さんに「生きて、STAP細胞を実現してください。」ということと、「もし生まれ変わるときには、技術者を目指してください。」、そして、「働く、という意味をもう一度学んでください」とアドバイスしたい。これが、読後の感想である。
当方は、STAP細胞は存在すると思っています。しかし、それが存在しないとしたならば、細胞のレオロジー解析が重要になってくると妄想している。なぜ、力学的刺激が与えられたときに、植物同様のSTAP現象が動物の細胞で起きないのかは、外部刺激の伝達が異なると仮定しているからだ。
これは、科学的根拠の無い技術者の妄想だが、この妄想は、昨年関連する文献を読むにつれ、強くなった。科学者には、真理の積み重ねで説明しなければいけない、という義務があるが、技術者は、そこから人類に有用な機能を取り出すことができるならば、妄想は自由だ。特許さえ書くことも可能だ。ただし、実現できる実施例を書くのが大変ですが---。
ところで、騒動に巻き込まれ、これまでの仕事ができなくなったらどうするのか。人生やり直しができれば良いのだが、また田崎つくるのように巡礼の旅をしてみても、結局は、今を一生懸命生きる以外に道は無い。
今を一生懸命生き抜くためには、過去の荒波に向かっていってはだめで、ささやかでも良いから貢献のできる環境構築を目指さなければいけない。知識労働者が貢献を考えるときに、自分の成果を他の人が活用してくれる道を探さなくてはいけません。だから他人に対して寛容にならなければいけないのです。
腹の立つことはあります。あいつだけは許せない、というのも類似の経験がある故に理解できます。しかし、それをどう乗り越え、次の人生を幸せに生きる道を選ぶのかは、少し頭を使わないといけません。この本を出版してしまったら、またしばらく騒動になり、いつまで経ってもSTAP細胞の研究なんかできる環境は戻ってこないような気がします。
この本は、もう少し手直しして10年ぐらい後に出版してもベストセラーになると思います。刺激的な内容を含んでいますから。また、10年あれば、貴女も新しい人生をスタートできていると思います。しかし、講談社の本としてあまり面白くありませんでした。当方の活動報告も、面白くない、と書いてくる友人がいますから、面白く書くためには才能が必要かもしれないが、10年構想を練れば、もっと面白い本になったような気がします。
しかし、寝食忘れ、仕事がばんばんできて、勢いつけて新しい挑戦ができる年齢は、あと10年ぐらいが限度だろうと自分の経験から思われます。その10年をこのような本を出版して短くしてしまったら、肝心のSTAP細胞の実現が遠のいてしまうような気がしています。今一番大切なのは、貴女が研究できる環境を得ることと、STAP細胞を実現することだと思います。そこに全エネルギーを注ぐことです。
小生も貴女に類似のごたごたがあり、やりたい研究とやらなければいけない仕事をあきらめ、全く異なる分野の仕事を25年前選択しました。誰かの歌のように「あの日に帰りたい」と今でも思うことがありますが、それはあくまで同期との楽しみの時間を持つ口実です。
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写真フィルム会社にとって写真フィルムの市場が無くなる、というのは、タイヤ会社にとって乗り物のタイヤがすべて無くなる、あるいはすべてがFRPで作られるようになり製鉄会社の鉄の使用量が激減するというくらいのイメージである。定年を控えている立場でも、ものすごい恐怖があった。
このような状態で新事業開発という業務では、担当した事業を必ず成功させる必要があり、辞めるということを考えてはいけない。利益が出る事業として必ず成功させなければいけない。そもそも新事業開発とは、そのような心構えで担当すべきである。
会社の屋台骨を支える事業が利益を上げているときに新事業を開発するとうまく行かないのは、辞めても良い、という気持ちがどこかにあるからだ。いまどき競争の無い大きな新市場など探しても出てくるわけが無い。
企業の規模により、求める新事業の売り上げ規模は異なる。日本の大手企業の場合、最低でも10億円以上の売り上げ規模が要求される。このような規模の事業になってくると、必ず競争相手が一社以上存在する。ゆえに市場の30%を獲得したときに10億円以上になるように、という考え方がされる場合もある。
参入すべき新事業が決まり、開発がスタートしたならば、市場が拡大し続ける限り、新事業開発の歩みを停止すべきでは無い。市場が停滞もしくは縮小が見てきたなら、即座に中止すべきことは当たり前であるが、市場が形成される、あるいは成長しているときに新事業開発を辞める場合も前提にした開発では、新事業創出は難しい。
必ずその事業を立ち上げるために、基幹技術の開発を成功させる必要があり、この時、科学と技術をうまく戦術に組み込むことが可能な研究開発必勝法は役に立つ。すこしでも成長しつつある、あるいは拡大しつつある市場ですでに事業を行っているライバルと競合しても一定のシェアーを獲得できる技術が、科学的に得られる可能性は低い。
なぜなら今時科学で解明された新機能が放置されているマーケットを探すことは難しい。化粧品事業に成功したフィルムメーカーには、塗布やコロイド調製技術など多数のノウハウが蓄積されていたはずである。なぜならカラーフィルムの技術でトップを走っていた技術開発力に優れたメーカーである。
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ゴム会社から写真会社へ転職し、全社の売上の半分を占める主力事業が消失するという貴重な経験をした。20世紀末のデジタル化の波でカラーフィルムなどのアナログ技術の市場が急激に縮小したのだ。カメラメーカーとの合併により、事業を再編成しかろうじて生き残ったが、ライバルメーカーは、最後のフィルムメーカーとして生き残りに成功するとともに、主力商品だったカラーフィルムよりも売り上げを伸ばす新事業の立ち上げに成功している。
カラーフィルム業界では倒産した会社もあったので、何とか生き延びただけでも奇跡だが、ライバルメーカーの取り組みは、お手本にすべき事例である。当方は転職時のトラウマもあり、徹底して事業の流れに身を任せ、貢献の道を探っていた。合併により事務機が主力の会社となったので、その事業に貢献するため豊川へ単身赴任した。
ゴム会社と写真会社では、年齢も立場も異なっていたが、求められていたのは事業に対する直接の成果であり、一致していた。ただ、新事業で貢献するのか、既存事業で直接の成果を出してゆくのかの相違点があった。この違いは、開発プロセスにおけるゴールに、その影響が出てきた。既存事業におけるゴール設定は新事業におけるゴール設定よりも容易に明確に具体化できた。
既存事業では、開発途上で発生する問題もメンバーに共有化された実践知で明確にでき、多くの場合科学の力だけでそれを解決でき不自由しなかった。また、開発プロセスも前任者のやり方を踏襲でき、未経験の問題が発生しない限り、それで何とかなる場合が多かった。ゆえに、開発プロセスをルーチン化しやすく、ステージゲート法のような研究開発管理手法を導入しやすいと思った。
これに対し、新事業における開発のゴールは、あくまで初めての事業を立ち上げること(注)にあり、仮に商品を具体化しその仕様をもとにゴールを設定したとしても開発途中で常に事業性、それも経験の無い事業の顧客を正しく見ているのかどうかチェックする必要があった。そのために少しでも早く商品の形に仕上げ、その品質を検討するという作業が必要だった。
新事業における研究開発でも、旭化成のようにステージゲート法で成功しているところもあるが、新事業では、常に事業を無事立ち上げられるのかどうかのチェックを頻繁に行う必要があると思っている。既存事業については製品情報や市場ニーズを正確に把握できるが、新事業ではそれが難しく、調査企画段階に設定したターゲットの仕様変更を迅速に行わなければいけない状況が出てくる場合が多い。時には、検討していた技術そのものを大きく変更しなければいけない場合も出てくる(すなわち戦術だけでなく戦略の変更も覚悟しなければいけない。)。
ソフトウェア―開発では、ソフトウェア―という商品の性格に新規事業と同様の側面があるためか、1990年代にその開発プロセスの反省があり、アジャイル開発と呼ばれる手法が誕生している。この開発プロセスはソフトウェア―開発以外の技術開発にも応用でき、特に新規事業立ち上げにおける技術開発プロセスとして適していると思っている。
(注)高純度SiCの事業では、SiCの高純度化技術を核にして何度も事業の見直しを行っていた。レーリー法向けの原料事業は、提案した時に否定された。SiCウエハーの市場が全くなかったためと原材料売りは、コモディティー化した時に事業として利益が少なくなるからだ。半導体治工具のようなエンジニアリングセラミックスの市場は立ち上がりつつあるように見えた。また、セラミックスをエンジニアリング分野すなわち信頼できる力学物性を旧来のセラミックスに賦与する概念が、セラミックスフィーバーのコンセプトになっており、粉を形にする技術まで創り上げるように研究開発本部長から指示が出ていた。高純度SiCそのものの担当から外されて、いろいろなファインセラミックス事業企画を担当させられた時には、高純度SiCの技術をプリカーサー法という概念でとらえ、その技術で立ち上げ可能な事業を探索した。このような作業にステージゲート法を適用することも可能だが、それは特殊な運営方法になると思われる。少なくとも既存事業のそれとは運営方法が大きく異なってくるだろう。
ポリアニリンを用いた電池プロジェクトでは、電池事業を立ち上げる観点で努力していなかった、と思う。ポリアニリンの電池を商品として仕上げる過程で、Li二次電池の事業に必要な技術ノウハウが蓄積されていったので、評価技術も含めLi二次電池事業、さらには電池事業そのものを生み出す技術力が蓄積されていた。日本化学会から技術賞も受賞していたのである。新規事業の開発プロセスにおいて、アジャイル開発の重要性は、事業に必要な技術の全体像を早期に把握できる点にある。これは机上の企画でもできる、という人もいるが、事業に必要な実践知や暗黙知は机上では分からない。
アジャイル開発でもステージゲート法の取り組みが可能なように思われるが、むしろ異なる手法として運営したほうが良いように思う。ソフトウェア―開発でもステージゲート法の段階的な開発手法を否定してアジャイル開発が生まれ、その独特な運営方法が完成されていった。
弁証法的な見方をすれば、既存事業の研究開発管理の手法もアジャイル開発を取り入れたならば、開発期間を短縮できるメリットが見えてくる。
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1980年代のセラミックスフィーバーでは新事業開発ブームも同時に起きていた。そしてバブルがはじけた頃は、その反省会のようなテーマが各種事業研究会などで議論されていた。
例えば、旭化成は、1967年にヘーベル板の開発を行い、住宅建材事業に進出しているが、もとは、繊維や肥料の化学メーカーだった。それが石油化学をコア事業にした企業へ、そして住宅建材メーカーへ、現在は電池事業も含む医薬医療エレクトロニクスをコア事業とする企業へ変遷している。このような事業多角化に成功していたメーカーは、良い事例の題材となった。
このような会社のDNAには、多角化能力が組み込まれており、事業ごとに単純な規模拡大だけでなく、次の事業への展開を考えていると説明をうけた。そして一度始めた事業からはなかなか撤退しない。加えて、新規事業の企画を10年サイクルで実施しているともいわれていた。
小生には、単に多角化するバイタリティーだけでなく異業種との提携力が重要と思われた。それについて今回の杭打ち問題でも表に出てきたように、ヘーベルハウスという強いブランドが有りながら、建築業界に根付いた事業の展開をしていることからも再確認できた。
FC棟が建設された時に、試作した粉体をマーケティングしながら共同開発パートナーも同時に探していたが、市場がゴム会社にとって異業種分野であり苦労した。また、高純度SiCを扱う技術そのものが当時普及していなかったので、駄馬の先走りとも揶揄された。
高純度SiCの事業は、住友金属工業(株)とのJVで立ち上がり現在まで継続されているが、旭化成の事例を学びながら思いをめぐらしたのは、多角化能力のDNAがどのように獲得されたのか、と言う点である。しかし、多角化能力のある旭化成でも高純度SiCの事業は、仮にテーマ提案があったとしても生まれなかったのではないかと思っている。
なぜなら厳格なSTAGE・GATE法が研究管理手法として採用されていたからである。研究開発をスタートできたとしても早い段階でマーケットの成長が望めないテーマとしてボツになっていた可能性は高い。SiCパワー半導体の事業はこれから立ち上がる高純度SiCのマーケットである。
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