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2014.07/26 技術者の企画提案力(1)

転職してびっくりしたのは、中堅技術者に相当する人たちが職人集団になっていたことだ。職人集団になっていたのに、企画をやりたい、という。それでは新技術の企画をやってくださいというと、商品企画をやりたいという。商品のパーツ、すなわち写真フィルムの支持体を開発する部署だったので、職場異動が必要だ、と説明すると、この部署でやりたい、と言い出した。

 

当方はゴム会社で高純度SiCの事業を起業し、新事業を起業することがいかに大変か説明しても、それは知っています、という。市場調査を行って、云々、とどこかの企画の教科書に書かれているようなことを説明し始める。

 

かつて、商品企画あるいは事業企画の進め方として、自社の経営資源を整理し基盤技術あるいはコア技術を明確にする作業を行い、その技術から生み出される新製品テーマを探索する作業を進める手順が行われてきた。

 

そしてある程度商品の形ができてくると売り先である顧客を捜す作業となる。1980年前後まではこのような進め方であり、新人の時に習った方法でもあり、この方法で立案した高純度SiCの企画は、事業立ち上げに苦労した。

 

高純度SiCのマーケティングを行っている頃から、技術開発のアプローチとして市場調査から入る方法がもてはやされた。すなわち戦略的に攻めようとする顧客を決め、顧客のニーズを掘り下げてそこへ自社のコア技術でソリューションを提供する、という手順である。

 

今は、これがもう少し発展して、顧客との共創がもてはやされている。すなわちソリューションを顧客とともに創り上げる方法である。

 

このようになってくると、企画のプロ集団が企業に必要になる。すなわち、顧客とともに価値を共創できるプロである。このようなプロは技術者である必要はなく、もし技術が必要ならばその支援を引き出せる能力があれば良い。課長以上の役職であればヘッドシップでその能力を補うことも可能だ。

 

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2014.07/25 技術の伝承結果

せっかくゴムの混練技術を伝承されたのに、ゴム会社でコンパウンディングの事業企画を行う機会は無かった。写真会社に転職し二回目のリストラを受けたときに、ポリオレフィン樹脂の改質や、中間転写ベルト、複写機用環境対応樹脂の開発でその技術は生きた。

 

20年以上使わなかった技術だが、錆びてはいなかった。科学よりも先行していた技術を伝承されたので、20年間に進んだ高分子科学の情報を基に見直すことで、新しい技術も生み出すことができた。まさに温故知新である。

 

光学用ポリオレフィン樹脂にポリスチレン系TPEを相溶させて透明な樹脂を開発することに成功した。この樹脂は驚くべきことに、ポリスチレン系TPEの量を増加させるとその樹脂のTgが増加する。また、延伸すれば偏光板になった。おそらく広視野角フィルムも作ることができたと思うが、残念ながらこの企画をやめて中間転写ベルトの開発を担当することにした。

 

中間転写ベルトのテーマは、商品の発売が約1年後であったが、パーコレーションの制御が全然できていない状況の厳しいテーマだった。外部のコンパウンドメーカーが、コンパウンドには責任が無く、写真会社の成形技術に問題がある、と説明しており、担当者までそのような認識だった。

 

コンパウンディング技術の観点からコンパウンドメーカーにアイデアを提供しても素人の意見として扱われ受け入れてもらえない。社内でもコンパウンドの内製化はリスクが高い点と、コンパウンドは外部購入するという方針が決まっており、開発予算がつかない問題などから反対された。

 

仕方がないから、技能者1名と転職者1名でプロジェクトを結成し、中古機でコンパウンド工場を子会社に建設した。根津にある中小企業のおかげで工場は無事立ち上がり、商品化時期に影響を与えず、コンパウンドの内製化を実現することができた。

 

早期退職をしようと思っていたら、低コストの環境対応樹脂が必要との声があり、退職時期を1年延ばし、最後のご奉公に再生PET樹脂を開発した。30年前の新入社員時代に伝承された技術が退職前の7年間の仕事で価値ある成果を出してくれた。ただその成果は、ゴム会社へ貢献したのではなく写真会社に対して貢献した。このように身につけた技術というものは時代や会社を越えて可搬性がある。

 

芸が身を助け、という言葉があるが、技術はリストラ激しい時代にその身を助けてくれる。ただ、退職時期を1年延ばした結果、最終出社日が東日本大震災と重なり、せっかく周囲が準備してくれた最終講演会と送別会が吹っ飛んだ。マジメに勤務したサラリーマンなら誰でも1度味わうことのできる定年退職祝いを地震でつぶされたが、帰宅難民として会社に宿泊できるご褒美をもらった。

 

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2014.07/24 技術者教育

1970年代から問題解決の技法が流行し始めたと言われている。TRIZやUSITはそれよりも前にロシアで開発された科学的問題解決法である。TRIZやUSITが本当に技術開発に役立つかどうかは、その技法の研究された歴史の長さを見れば分かる。

 

未だに改良が進められている。もうそろそろだめな方法だと分かっても良さそうであるが、TRIZやUSITを推進している人たちは諦めない。問題解決法で問題解決できるように問題解決の努力をしている、というおかしな事が起きている。問題解決法そのものが目標になっている。

 

退職前に近くの職場でTRIZやUSITの推進委員が難解な言葉に酔いつつ、担当者に講義をしていた。教える方は難解な言葉に酔っ払い、聞く方は難解な手順で汗水流しても当たり前の解しか得られないので落胆し、の繰り返しのシーンを見ても会社の役職上無駄な努力だと言いにくく、そのまま退職した。

 

そのような悲劇のシーンを見てから、もうかれこれ5年以上経つが、その会社が技術的に優れた会社になった、という評判を聞かない。未だに主要事業は業界4番以下だ。優れた人材が入社しているはずなのに、技術者に育たず職人化してゆく会社は、会社の人事システムと同時に技術者教育について考えてみると良い。たいていは無駄な教育をやっている。

 

技術者教育で重要な方法の一つは、開発現場で行われる技術の伝承である。ゴム会社で樹脂補強ゴムを新入社員テーマとして担当したときの指導社員は個性的な技術者だった。いわゆる「クセ」のある人物だった。しかし、周囲の技術者は彼の力量を評価し、上司もその技術を信頼し、新入社員の管理ができなくとも指導社員に任命した。

 

マネジメントは下手であったが技術は一流で、その指導も指導方法は下手であったが中身が濃く、たった3ケ月であったがゴム材料技術の重要なポイントの大半を伝授してくださった。座学と実践の組み合わせで、技術を伝承しようという技術者の熱意が十二分に伝わってきた。すなわち技術の伝承にはコーチングスキルが無くても技術者の伝承しようという意欲と現場が揃っていれば伝わるのである。

 

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2014.07/23 技術者と職人(3)

スキルを持たない科学的知識のある新しいタイプの職人が増えている。新入社員から2-3年は技術者に指導されて仕事ができるので本人も会社も困らないが、その後その様な人材はメーカーのお荷物になる。

 

スキルの高い職人の場合は、それなりに働く場所を用意すれば会社に貢献できるが、学校で学んだ科学的知識をスキルのように誤解していた職人は、その知識が時代とともに陳腐化すると働き場所は無くなる。しかしこのような職人でも長年の開発経験はあるはずだ。

 

職人がここに気がつくかどうかで、会社に貢献できる人材とどうしようもない人材の二通りに分かれる。長年の開発経験があれば、開発現場から肉体労働が主体の現場へ異動しても会社への貢献ができるが、後者の人材は、そもそも知識労働者の時代の特徴を理解していないので貢献ができないだけでなく、会社にとってその存在すら負の資産になる。

 

技術者を目指していたはずなのに職人になってしまった、と反省している人材は弊社へご相談ください。適切なアドバイスを致します。50歳になっても意欲さえあれば会社に貢献できる技術者になれると思っている。

 

本人の意欲さえあればいつでもやり直しができるのが技術者という職業の良いところである。科学者という職業は、年齢とともに能力は必ず低下するという問題もあり、やり直しができるかどうかは個人差が大きい。技術者については、技術者として努力してきた経験があれば、いつでも新しいタイプの職人から技術者へ転向することが可能である。本人と会社にそのような意欲があるかどうかの問題である。

 

会社によっては技術者を育成していない会社もある。転職してびっくりしたのは、若い人から技術者になりたい、という言葉を聞けない技術部門があったことである。大卒のスタッフの多くは皆管理職志望で、開発現場で技術を担当するのは昇進するための一つのキャリアという位置づけとして考えている。

 

人事考課における議論でも技術者としての評価をせず、いわゆる総合職としての評価が主体である。すなわち技術者として昇進できない会社である。このような会社では技術の伝承は十分に行われず、昇進できなかった人は技術者にもなれず職人になってゆく。このような会社では技術者が育たないだけでなく、基盤技術も育たないので業界の中で上位になれない。

 

一方フェローとか専門職、エキスパートなどの役職を用意し、技術者にも昇進の道を用意している会社もある。その様な会社では、技術者は技術者として育ち、企業の業績も向上する。そして業界トップとなる会社も出てくる。メーカーはこのような会社をお手本とすべき、と思う。

 

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2014.07/22 技術者と職人(2)

バブルがはじけたときにホワイトカラーのリストラが急激に進んだ。しかしこの時は主に事務部門であり、実用レベルまで技術が進歩したコンピューターの普及がその部門のリストラを加速した。しかし技術開発部門では事務処理担当者の数が減らされただけで、職人のリストラまで行われなかった。

 

バブル崩壊から20年以上経過し、日本のメーカーにとって新たな成長分野が見えないまま現代のIT成熟時代に至った。失われた10年から新たな成長分野を探索した10年も過ぎ、ソフト化した技術社会が出現した。新技術が市場をリードする時代は過去の事例となり、顧客とともに市場で価値(注)を創造してゆく時代になった。

 

ソフト化した技術社会では、企画開発力のある技術者が重要であり、過去のルーチン化した開発業務をこなす技術者は「高度な業務を扱うことが専業となる」職人になっていった。これは長期間の修業により高度な技能を身につけた過去の職人と異なり、長い科学教育で身につけた科学知識を活用して高性能な装置を使うことのできる新時代の職人である。このような職人は、過去の職人のような高度なスキルを持ってアウトプットを生産しているのではなく、高度な知識が無ければ扱えない機械の助けを借りてアウトプットを出しているのである。

 

かつての開発現場ではこのような職人でも立派な技術者として扱われてきたが、ソフト化した技術社会では、高性能な装置にもコンピューターが搭載され、「高度な知識が無くても」一定の手順に従い装置を動かせば、装置にあらかじめ組み込まれたデータベースで判断まで行い、自動でアウトプットとしてまとめてくれる。

 

装置だけでなく、日々の業務も蓄積されたデータベースが学校で習って身につけた知識を陳腐化し、高度な教育を受けていない職人との差を縮めてしまった。すなわち日々大量に創出されるデータとそれを加工するサービスがあふれているソフト化した社会が学校教育の科学知識をあたかも不要とし、知識労働者で主に科学的知識を活用してきた技術者を職人に追いやってしまった。

 

(注)それまで技術者は機械装置の機能を実現することだけを考えればよかったが、現在は市場で要求される価値を実現する機能を考えなければいけなくなった。すなわち技術者はハードだけでなくソフトまでも考えなければいけない時代である。

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2014.07/21 技術者と職人(1)

科学と技術について、以前この欄で述べた。すなわち科学者と技術者は、真理を追究する仕事に携わる者が科学者であり、自然界の現象から新たな機能を発見し、その機能実現を目指す者が技術者である。

 

それでは、技術者と職人の違いとは何か。技術者と自称する人にこの問いを投げかけると自分は技術者であるが職人は現場で仕事をする人、とか技能を有する人とかの答が返ってくる。しかし、技術者と自称する人の中に自分が職人であることを分かっていない人が多くなってきた。

 

小学校から科学について学ぶが、技術についてはその職に就かない限り、現在の教育システムでは学ぶことができない。すなわち科学は学校で学べるが、技術は企業以外で学べない。職人には職業訓練所があるので企業以外でも学ぶ機会があるが、技術者は企業で実際に製品開発を担当しながらその力量を磨かない限り育たない。

 

高学歴となった現代社会では、知識労働者の活躍できる場面が増えてきたが、一方で知識労働者である技術者の生み出した自動化ラインのおかげで職人の仕事は少なくなった。職人の仕事は少なくなったが、知識労働者の職人化が目立ってきた。

 

知識労働者の働く意味は「貢献」と「自己実現」である、とドラッカーは述べているが、自己実現の努力を怠ると、知識労働者の職人化が起きる。人事部門とか経理部門では、そのような職人は専門職として仕事を担当し、定年退職までそれを続けることが可能である。ただしこのような部門でもOA化が進み、1970年代から仕事が少なくなってきた。ホワイトカラーのリストラを1990年代から進めた結果、定常状態となり職人の存在が問題とならなくなった。

 

事務部門のリストラは進んだが、技樹部門のホワイトカラーには手つかずの企業が多い。技術部門で知識労働者が技術者として育たず、職人になってしまった場合には技術革新の激しい現代において不要の人材になる。高度経済成長下の日本でそのような人材が増えていても、市場が拡大していったので開発部門で問題にならなかった。

 

バブルがはじけ低成長下の日本で、さらに人件費の安い他のアジア諸国の新興企業と戦うことになったメーカーではリストラの進んでいない開発部門のコスト削減が重要になってきた。もはや開発部門で職人を多数雇用できない環境になってきたのである。

 

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2014.07/20 追い出し部屋は本当にあるのか

「追い出し部屋」と呼ばれる問題が人事権の乱用として批判を受け、デスクワーク主体の仕事から、肉体労働の必要な仕事などに異動させた社員を今秋にも元の職場などに戻すという記事があった。かつてバブルがはじける直前に某社の「座敷牢制度」が新聞に取り上げられたことがある。座敷牢という呼び名も凄いが、追い出し部屋という呼び名にも愛情が無い。

 

このようなニュースは、経営者やその会社に批判が集まりがちである。また新聞表現も会社側の対応に批判的になり、「追い出し部屋」とか「座敷牢制度」とか過激になる。しかし、この会社はブラック企業ではなく、優良企業である。また、このような施策で社内風土がどのように変質していくかは不明だが、少なくともひどい社内風土という評判も聞かない。

 

座敷牢と騒がれた会社では、新聞で問題が取り上げられた後、当方のFDへのいたずらが起き、数年後には新聞に載るようなとんでもないできごとが起きたりして、社内風土が入社した時から大きく変質していった。当方はある種の恐れを感じ写真会社へ転職したが、20年経過し、講演者として招待された時に、当方が入社した風土に戻っている変貌ぶりを見て驚き、経営者の努力と苦労に敬意を表したくなった。そして組織風土とは経営の努力で大きく変わると言うことを学んだ。

 

ゴム会社では買収したアメリカ企業の立て直しに10年以上の時間がかかり、その間血のにじむような経営努力がなされ、その過程で新聞が書き立てたような早期退職者問題が発生した。会社は倒産しそうな極限の状況であり、決して安易な判断で行われていたわけではない。新聞が騒ぎすぎている、と思った。しかしその厳しさは風土の変質を招いた。

 

ただし、企業としては早期退職者を募って人件費を削減したかっただけである。手順として新しい職場を紹介しており、無理矢理従業員を退職に追いやったわけではない。新聞の「追い出し部屋」という表現は少し過激すぎる。

 

ドラッカーは知識労働者の働く意味を「貢献」と「自己実現」にあると定義した。この定義に従えば、知識労働者は会社へ「貢献」する努力をしなければいけない。自らの存在が会社に迷惑をかけている、と思われたなら、「貢献」するにはどうしたら良いのか自ら判断しなければいけない。

 

当方はゴム会社で6年間苦労して育てた高純度SiC事業を住友金属工業とのJVとしてスタートし、これからというところで転職した。高純度SiCを製造する技術は完成し、当方でなくても開発を進められる状況だったので、自己の身の振り方を真摯に考えた。

 

その結果専門とは異なる分野への転職という道を選ぶことになった。辛い選択ではあったが、知識労働者が真摯に判断しこのような決断をしなければ事態の打開ができない状況だった。当方が自ら身を引いても高純度SiC事業は20年以上経った今もゴム会社で続いている。仕事を継続したかった思いは今でもある。

 

もし知識労働者が「貢献」と「自己実現」を真摯に考える習慣になっていたら、「追い出し部屋」や「座敷牢」と呼ばれるような手段を経営者は取る必要は無くなる。弊社の研究開発必勝法プログラムには、体験に基づきこのような知識労働者の問題を解決するプログラムについてオプションとして用意しています。

 

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2014.07/19 早稲田大学の学位審査

小保方氏の学位論文には不正があったが、その取り消しには当たらない、という早稲田大学の見解が昨日新聞発表された。不正の方法と学位の授与との関係に因果関係が無いから学位取り消しに当たらない、という。おそらく裁判になった時を想定した解釈だろう。

 

新聞には丁寧な説明が書かれていたが、早稲田大学の学位審査は、多少の不正を行っても論文のロジックが厳密であれば審査には影響しない、と言っているような内容である。一方で、彼女の論文は正常な審査であれば通過しなかったが、すでに審査された学位論文を取り消すまでには至らないと、通過しないレベルの論文が通過したので許されるというおかしなことも述べている。

 

この姿勢は真理を追究する科学者を育てる、という視点から見ると大変恐ろしいことなのだ。すなわち捏造を行ってもそれが明らかにならない、ロジックで厳格に支持された捏造ならば許される、と言っているようなものである。

 

科学の世界では、新しい発見について科学的な証明を行うために実験は不可欠である。実験を行い新しい自然現象が再現された時に仮説が正しい、となる。早稲田大学から今回発表された見解は、厳密な論理で裏打ちされた実験ならば、誰にも分からない捏造をやっても良いですよ、と言っているのである。

 

もしこのような姿勢でSTAP細胞の実験が行われたならば、野依所長の晩節を汚すことになる。野依所長は捏造されたかどうか分からない実験結果を信じて判断を下す役目にあるからだ。

 

そもそも科学に携わる人間は一点の曇りも無い心の持ち主(追記)の天職であったはずである。性善説で科学の世界は動いてきた、といわれるのはそのためである。ところが分けの分からない科学的成果でもそれが人類に役立つ「かもしれない」と権威づけられたときに科学者が地位と名声を得られるような時代になってから、研究の捏造が増えてきたのである。

 

技術の世界では実際に安定した品質の「モノ」ができなければ地位や名声は得られない。だから他人の成果を取り上げるような不正は行われても、その成果にインチキな実験が含まれるという余地は少ない。

 

仮に捏造を行ったとしても実際に機能が実現される前提が保証されていなければ捏造の価値が無くなるのである(注)。ロジックが厳密で誰にも分からなくなる捏造を認めた科学の世界は、捏造が品質に影響してその結果が市場で影響の出る技術の世界とはもはや車の両輪に例えられない。

 

少なくとも不正を不正として認め、不正の無い状態の論文を受け入れる、というセレモニーを行うべきで、「まちがって下書きが製本され、それで学位審査が行われた」という言い訳が通用していてはおかしいのである。もっとも早稲田大学の学位とはその程度のレベル、と言うのであれば話はべつだが。

 

(注)企業秘密と成果の早期公開との問題を解決するために、学会発表でデータを黒塗りしたりすることは暗黙の了解となっているが。

 

(追記)下書きが間違って製本されそれが審査された、という言い訳が今回認められている。この言い訳の内容について、どこからアイデアが出てくるのであろうか。また、それを簡単に認めてしまう大学をどのように理解すればよいのであろうか。苦労して学位を取得した経験からはとても理解できないことが起きている。

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2014.07/18 セラミックスの製造プロセス(2)

瀬戸物市には規格外の商品が山のように売られていた。瀬戸物は重要な輸出品であり、この規格外の商品の売り上げが日本のセラミックス産業を支えている、と親から教えられた。子供の頃この説明を素直に納得したが、米を食べるのはアジアが主体であり、お茶碗が欧米にたくさん輸出されていると思えない。瀬戸物市には瀬戸物のフランス人形や高級そうな洋風の水差しや花瓶なども売られていたので、親はそれらを説明していたのだろう。

 

しかし、当時の我が家はそのような洋風の商品を買わずお茶碗探しがもっぱらなイベントであった。瀬戸物市の翌日は食卓がリニューアルされる。家族おそろいの新しいお茶碗やお皿で皆食卓を囲むのは、少し贅沢な気分だった。古いお茶碗やお皿は保存され、食卓に並んでいるものが割れるとそれらで補充された。昔の瀬戸物は割れやすかった、という印象がある。ところが100円ショップの食器は割れる前に欠ける。

 

お茶碗の割れた思い出はあっても欠けた思い出は無い。すなわち100円ショップのお茶碗は絵柄がきれいに揃っていても欠けやすい。これはお茶碗を成形するプロセスの違いが現れている。100円ショップのお茶碗の見かけは瀬戸物市のお茶碗よりも良いが、力学物性は低下している、と思われる。ノリタケの森で買ってきた食器とぶつかると、必ず100円ショップのお茶碗が欠ける。ノリタケブランドのお皿は規格外品でも丈夫である。

 

ノリタケブランドの製品でも一部は射出成形で製造されていると聞いた。ノリタケの森では職人が手作りで製品を製造する様子を見せているが、射出成型による製品もあるという。しかしノリタケブランドのついた食器で欠けやすい食器を見たことが無い。落としてもフローリングの床であれば割れにくい丈夫な製品で、さすがにノリタケブランドと感心したりするが、おそらく製造プロセスだけでなく原材料管理も異なるのであろう。

 

ノリタケブランドの製品の優秀さは、瀬戸物市の規格外品や100円ショップの商品とは別次元である。それでは、これらの成形プロセスの違いがどこに現れるのか。おそらく成形された時のグリーン密度の均一性の違いが欠けやすさにつながっていると推定している。例えばノリタケブランドの製品の焼成前のグリーン密度は、その断面を肉眼で見ても分かるぐらいに緻密で均一である。

 

カテゴリー : 一般 連載 電気/電子材料

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2014.07/17 セラミックスの製造プロセス(1)

便器などの衛生陶器やお茶碗などはセラミックスでできている。便器のような工業製品は、その製造方法が進歩したかと思っていたが、未だにスリップキャストが使用されているという。ただしその生産方法は変わっていないが、生産性は大きく進歩したと言われている。

 

お茶碗は、かつてロクロを使い作られていた。今は、射出成形で作られている。もっとも趣味性の高い高価なお茶碗は今でも手製だが、100円ショップで販売されているお茶碗は二軸混練機で混練し、射出成形で成形されて、素焼き後絵付けし焼結プロセスでお茶碗としてできあがる。そのプロセスのほとんどがオートメーションである。

 

セラミックスの原料は陶土で、瀬戸物などは陶土がそのまま使われているという。すなわち材料費としては陶土の運賃程度であり、自動化されたプロセスによるコストダウンで100円という格安な価格でお茶碗を製造できるのだ。

 

かつてお茶碗は高かった。子供の頃は製造プロセスのほとんどが自動化されていなかったので人件費の寄与が大きかった。また絵付けも現在のようなシール方式では無く手で絵柄を書いていたので、上手下手が子供にも分かった。瀬戸物市にはその出来損ないのお茶碗が縄で束にして売られていた。価格的にはちょうど100円ショップのお茶碗のような感覚である。

 

毎年開催される瀬戸物市は、子供の頃、数少ない娯楽であった。ディズニーランドやサンリオピューロランドのようなテーマパークなどなく、さしずめ瀬戸物市は珍しいテーマパークのようなものだった。6個あるいは12個でひとまとめにされて、その束が300円や500円、良いモノは1000円で売られていた。

 

一つが10円以下というばら売りの茶碗もあった。ただしばら売りの茶碗では、同じものを家族の人数だけ揃えるのに時間がかかったが、瀬戸物市の楽しみの一つであった。ビミョーに色の違う茶碗は良い方で、同じような配色で同じ絵柄のようだが、どう見ても同じに見えない茶碗の中から可能な限り同じように見える茶碗を8個捜すのである。楽しかった。

 

カテゴリー : 連載 電気/電子材料

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