ニュートンにつきましては、リンゴが落ちるのを見て万有引力を発見した人物として有名ですが、リンゴではなく「月が地球に落ちてこないのはなぜか」という問いを「マッハ力学史」では考えたことになっています。すなわち、「身の回りの物は地球の重力により落下するが、月はなぜ落ちてこないのか」、という問いを考え続けたそうです。
マッハは、ニュートンの思考過程を彼の業績と彼以前の学者の業績を示しながら説明し、非科学的な思考ではあるが科学的な成果を出した優れた方法と評価しています。ここでは、マッハ力学史を参考にして、伝説に従い身の回りの物をリンゴに置き代えてニュートンの思考過程を想像してみます。
(1)満月の夜、リンゴの木を見つけたニュートン。
(2)そよ風が吹いて、リンゴが木から落ちた。
(3)リンゴが落ちたのは、リンゴを木につなぎ止めていた力が弱かったからだ。
(4)しかし、満月は、なぜ地球に落ちてこないのか。
(5)ニュートンは、リンゴを拾い上げ、ヒモをリンゴにとりつけ振り回している姿を想像する。
(6)振り回す速度を速めていったら、恐らく遠心力でヒモからリンゴがはずれ、リンゴは月明かりの中に飛んで行くだろう。
(7)月が地球の周りを回っているのは、遠心力と釣り合う力が働いているためだ。
(8)この遠心力と釣り合う力を地球の重力と考えよう。
(9)ところで地球に重力があるならば月にも重力があるはずだ。
(10)お互いが引き合って、遠心力とバランスを取っているのだろうか。
以上は筆者の推測ですが、満月に向かって真っ赤なリンゴが黒い影となり飛んで行った時に万有引力が発見された、という絵画的なシーンを思い浮かべながら思考実験の様子を描いてみました。
上記の手順で本当にニュートンが考えたかどうかは不明ですが、マッハは、彼のこのような思考過程を非科学的と批判しつつも、現象を考察する時に用いた思考実験を称賛しています。そして、このニュートンの思考実験の方法をアインシュタインに紹介し、相対性理論の発見へ彼を導いています。
光の速度で運動している物体をあたかもその場で見ながら考えるという実現不可能なことを考えたい時に、思考実験は使えますので、「考える技術」として大変便利な方法です。すなわち、たとえ非科学的ではあっても、思考実験を使えば現実に実験できない現象までも頭の中でシミュレーションすることができ、架空の観測結果から予想外のアイデアを生み出せる可能性が出てきます。
ところで、ガリレイやニュートンの思考方法に共通しているのは、経験や観察結果を活用する非科学的な思考方法であるにも関わらず科学的成果を導いている点です。そして、その成果を生み出す動力となりましたのは、whyからhowへの発想の転換や思考実験など現代にも利用できそうな方法です。彼らの思考方法をこのように評価しますと、17世紀頃にアイデアを生み出す動力となる「考える技術」が誕生し現代まで伝承されてきた、と言って良いかもしれません。
<明日へ続く>
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高分子発泡体の難燃化は、バルクに比較し密度が低く燃えやすいので難燃化は難しい。バルクと発泡体では、LOIはほぼ一致するが燃焼速度が異なるので、燃焼規格では異なる評価結果になる場合が多い。
あまりにも低密度であるとLOIもうまく評価できない場合が存在するが、23以上であればバルクも発泡体も評価結果が良い一致を示す。炭化型でLOIを24以上にする材料設計が可能であれば、発泡体でもうまく自己消火性にできる。21-24程度であると、炭化型でもうまく火が消えず、バルクでは自己消火性になるのに発泡体では自己消火性に材料設計するのに苦労する場合がある。
もしドリップが許されるならば、炭化促進型の設計をあきらめ、溶融型で設計した方が容易に自己消火性にできる。溶融型材料設計の場合には、バルクよりも発泡体の方が簡単である。
もし炭化型で燃焼速度も抑え自己消火性にしたい場合には、LOIは、少なくとも23以上にしなければならない。24以上であれば、かなり低密度の高分子でも自己消火性にできる。材料によっては21でも多くの難燃性規格で自己消火性になる場合もあるが、発泡体ではLOIと燃焼規格の自己消火性と一致しない場合が多いので苦労します。
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マッハは著書の中で、動力学の基礎の議論を近代的な科学の萌芽と位置付けていますが、それが登場したのは17世紀前後と思われます。17世紀初めにガリレイは、「なにゆえに(why)」の問いをすて「いかに(how)」を問い、落下運動の問題を解いています。ガリレイ以前にもガリレイの認識に近い議論がなされていたそうですが、一様に加速される落下運動の定義に成功し、その成果が記録として残っているのはガリレイが初めて、とマッハ力学史に書かれています。
マッハの解説によれば、落下運動の問題は1世紀以上議論されてきたようで、ガリレイは現象に対する問いかけをwhyからhowと変えることにより科学の時代の扉を開けた、と言えます。このガリレイが行った発想の転換による問題解決法は、例えば連関図や系統図の作成などに利用できますから現代でも使える「考える技術」といえます。
マッハは、ガリレイの業績に対して、現在よく知られている知識や概念、さらに正確な時計すら無かった時代に科学的成果を出した点について評価しています。しかし、ガリレイの思考過程は科学的ではなく過去の時代と同様の本能的経験によるものである、と厳しく批判しています。
このマッハの批判は、科学的成果を得るための思考過程について、科学的であるという制約を設ける必要が無く、観察を主体にした本能的経験的な思考過程でもよいことを示しています。極論すれば、「風が吹けば桶屋がもうかる」式でも観察結果がそうであれば、問題を解き科学的成果を上げることができます。この観察結果を中心にした議論を大胆に展開した人物がニュートンで、17世紀にニュートン力学を完成しましたが、やはりその思考過程についてはガリレイ同様に非科学的である、とマッハに批判されています。
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科学誕生以前の「考える技術」の歴史について調べる時に、宗教や哲学的な内容は本書の目的から少しはずれますので、少なくとも「現代に影響を与えた、科学的な成果を導いた考える技術」というフィルターをかけて歴史を見る必要があります。この目的に近い書として、先に紹介しました「マッハ力学史」が力学の発展史に限定されますが参考になります。
「マッハ力学史」には、「本能的知識が、科学的あるいは任意的認識、つまり現象の研究に先行していた」、と記述されていますので、科学成立以前のはるか昔には現代のような考える技術というものが無かった、と思われます。「考える技術」だけでなく、今日の意味における力学の理論なども存在せず、それらが考えられる以前には実物の道具や機械に関する経験や知を伝承しながら進化を進めてきたようです。
それでは、いつ、どこで、どのような仕方で、科学の発展が始まったのでしょうか。科学の成立前後には、理論を整理するための技術、考える技術が生まれたはずです。マッハは、「科学成立以前の歴史の中にその史実を調べることは困難」、と述べています。マッハの考察によれば、科学の無い時代には、経験の本能的蓄積が問題の解決を可能にしていた、とのことです。
彼は、「欲求の満足をめざす人間は、無反省に本能的に行った経験を無思索的に・無意識に用いる」、と表現しています。この表現から問題を前にして経験を無思索的に・無意識に働かせて考えている時に、それまでの経験に基づく当たり前のアイデアを出すという行動は、人間が昔からとってきたことであり、問題を前にした時の人間の本能と思われます。
換言すれば、当たり前のアイデアを出しながら十分に経験が蓄積されたところで無意識に能力が向上し、それまでの経験を超えるアイデアを発案し進化してきたのが人間の歴史ではないかと思います。科学が誕生する時には、恐らく人類の進化のスピードがそれまでの時間の流れに比較し加速度的に早くなっていたと思われ、当たり前のアイデアしか出せない経験不足を補うために考える技術を生み出したのかもしれません。
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山中博士の見出した四個の遺伝子は「ヤマナカファクター」と呼ばれているそうです。このヤマナカファクターは科学的大成果ですが、その見出だされたプロセスは非科学的です。しかし、「考える技術」として演繹的推論は必ず使われています。ただしその使い方は、科学的な厳密性に拘っていません。逆向きの推論の結果を検証せずに用いています。
ビジネスの問題解決において、ロジカルシンキングは重視されていますが、アイデアを出す作業に限ればロジックの厳密性まで必要はなく推論の性質を利用する程度あるいは問題を意識する程度でよいことを述べました。これは人類の問題解決の歴史を見ても納得のゆく事実です。
例えば論理学の歴史から思想史まで幅広く扱っている伊藤勝彦編「知性の歴史」(新曜社)を読みますと「ある事態に直面したとき、言葉を媒介として冷静に分析したり総合したり、また自分のできることとできないことを弁別して、可能な限りの自分の目的にかなった方向に課題を解決していくこと、それが知性の営みにほかならないとすれば、その真摯、熱意において、人事や自然に対処する人間の基本的構造に歴史や発展があるわけではない。「知性」そのものに歴史はない。せいぜいその所産たる「思想」に変遷があるだけだ。原始人が蒙昧で文明人が理知的と思いこむのは後者の偏見にすぎない。」とあります。早い話が、ロジカルシンキングを知らない原始人でも火が必要になれば問題意識からアイデアを出して火を起こし生活をしていたのです。
問題解決法を科学的あるいは厳格なロジックのルールで拘束する必要はなく、問題解決は人間の営みの一部として捉え自由度の高い方法で行ってもよいように思います。
一方、エルンスト・マッハ著「マッハ力学史」には、ニュートンの思考実験の様子が紹介されています。この方法を用いてアインシュタインの相対性理論が生まれた、という伝説もそこに書かれており、人間は考える営みの中で肉体労働を軽減する道具の発明と同じように思考に便利な「考える技術」も発明し、それを伝承していた様子が伺われます。
ニュートンの思考実験を人類最初の問題解決の技術とみなすと、現在も一部の研究者に使用されていますので、その技術の伝承は約300年続いていることになります。しかし人類は生活を改善するために、科学誕生以前から様々な道具を発明してきましたので、「考える技術」の歴史は300年より古い可能性もあります。
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① についてかなりの自信があったならいきなり消去法の実験を行うことができた、と思いますが、実際には②と③の実験を行い、③の実験から①の答を確信した、とテレビ放送の中で語っています。このことから①の答が正しいという自信はあまりなかったのだろうと、想像できます。当たるも八卦、当たらぬも八卦ぐらいの楽観的な気持ちだったかも知れません。三万個の遺伝子の中からiPS細胞を作る遺伝子を見つける、という壮大な目標に対して強い意志で臨むためにはそのくらいの楽観主義でなければ、やり遂げることができないと思います。もし、ここで説明したような考え方で、いきなり消去法の実験を行い、答を見出していたとしたら、楽観主義者ではなく自信過剰の人物に見えてきます。
余談になりますが、②の実験がどうして必要であったのか説明します。もし四個の遺伝子を同時に組み込むことが必須であるなら、四個の遺伝子が見つかってから、四個の遺伝子の組み合わせ以外では細胞の初期化ができないことを示せば最も実験数が少なくなります。実際に山中博士は四個の遺伝子の組を発見後、再度繰り返しその実験を行った、と著書に書かれておりました。
② 実験が必要であったのは、ある仮説のもとで二十四個の遺伝子を選び出していますので、選び出した遺伝子一つ一つの細胞への機能を確認したかったのだと思います。そして選び出された遺伝子一つ一つでは細胞の初期化ができない、という研究論文を書きたかったのだろうと思います。これは、科学的に完璧な手順で論文を書くことができます。
しかし、絞り込まれた二十四個の遺伝子の中に当たりが入っていたので、科学的プロセスにこだわらず、非科学的プロセスで長期的ビジョンのゴールをなりふり構わず目指したのだろうと想像しました。もし山中博士が長期的ビジョンを持たず、すなわち困難ではあるが達成しなければならない「あるべき姿」を目指していなければ、そこからの逆向きの推論で得られる二十四個の遺伝子を細胞に組み込むという思いつきの実験を行わなかっただろうと推定されます。
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前回説明しました問題解決法を用いまして、山中博士の実験例を考察してみます。
課題ではなくアクションの形式で示しますが、NHKの番組で説明されたiPS細胞発明までの手順は以下でした。
① データベースを活用し二十四個の遺伝子に絞る。
(この組にiPS細胞を作る遺伝子がある。)
② 一つ一つの遺伝子を細胞に組み込む実験。
③ 二十四個の遺伝子をすべて組み込む実験。
④ 一つの遺伝子を抜いた二十三個の遺伝子を細胞に組み込む消去法的実験。
⑤ 細胞を初期化するX個(X=4)の遺伝子の組を細胞に組み込む実験。
但し、テレビ番組では②と③を同時に行った、と説明されていましたが、著書には別々に行った、とも書かれていますので、ここでは著書の説明を採用し段階を追って行った実験としました。また、②から⑤は、答(あるべき姿)を①のプロセスで決めて導かれた問題において、課題をもとにとられたアクションとみなすことができます。
これらのアクションで答①に直接つながるのは③と⑤です。③は①の答の正しさを確認する実験になります。⑤につながるアクションは、②あるいは④です。逆向きの推論で整理してみますと、③は答えの正しさを確認するだけの役割です。③を行う代わりに④を行えばよかったのです。また、④のアクションと②のアクションを比較しますと、④のアクションは②のアクションの結果を含みますので②のアクションも不要になります。
再度、逆向きの推論で整理してみますと、答①→⑤→④となります。山中博士に申し訳ないのですが、彼の細胞を初期化する遺伝子発見までのプロセスは非科学的でありましたが、細胞を初期化する遺伝子発見という目的だけに絞りますと、④→⑤→答①のステップで実験を進める方法が最短であったと思います。
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ボーイング787の蓄電池の事故は、配線ミスとの報道発表がありました。この発表の意味をどれだけの方がご理解されたでしょうか。
すでに報道されたように、蓄電池システムの蓄電池はGSユアサが請け負い、電池のマネジメントシステムはフランスのタレス社が担当しております。すなわち本来一つのシステムとして考えるべき装置を2社に化学が強くないボーイング社は発注しているのです。ここに今回の事故原因の根本があると思います。
例えば自動車というシステムは、多数のメーカーの部品でできております。自動車メーカーはその多数の部品の管理を行うノウハウが財産となっており、参入障壁ができあがっています。例えば、トヨタのリコール台数が多いことが問題にされた記事を読みましたが、これは素人の発言で、リコールを公開できるのはその部品管理システムがうまく機能しているからです。むしろリコールが批判されるほど正直に運営しているメーカーの管理技術がすばらしい、と考えるべきでしょう。
過去に三菱自動車がリコール隠しで問題になりましたが、その後もリコールが少ないことに不安を感じているのは私だけでしょうか。自動車のようにリコールができる商品は、新技術をテストするときに早めに商品として出して市場でバグ出しをした方が開発を速く進めることができます(本当にそのようにやっているかどうかは知りませんが)。以前ブリヂストンのタイヤは多くの安全テストをクリアしなければ商品とならない話を出しましたが、これはブリヂストンという企業の考え方です。リコールという手段が使えるならばリコールを使って、という考え方も技術開発の考え方としてあります(石橋を叩いても渡らないぐらいの考え方で開発された商品をユーザーとして歓迎しますが、リコールできちんと対応して頂けるならば我慢)。また、隠す、という手段もあったわけです(こちらは法律に触れますのでやってはいけない行為です)。
しかし、飛行機の場合リコール前提に新技術を投入されたら大変です。飛行機にはFMEAが充分行われた部品を搭載すべきでしょう。新技術を搭載するときでもすでに実戦に投入された技術を採用すべきです。Liイオン二次電池大容量蓄電池システムはまだ実戦投入された実績はないので、以前ここで飛行機に搭載するのは時期尚早と述べました。
日本では新規開発の飛行機の導入を過去に行わなかったが、今回の787は世界に先駆け行ったので初期不良が目立ちます、という報道を聴きましたときに、怖くなったのは私だけでしょうか。飛行機は自動車と異なる安全基準と思っていましたが運行後の部品事故を容認する発言があるのは、おかしいと思っています。
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高分子材料の最も多い用途は、賦形して用いる用途でしょう。おそらく薄膜も形状の一つとして考えますと7割以上は何らかの形状で用いられていると思います。残りはオイルなどの液体やコロイドとして用いる用途です。薄膜形成方法は多種多様ですが、円柱とかブロックとかバルク形状を形成する場合には金型を用います。この時、金型へ押し出す場合と金型から押し出す場合、またただ高分子材料だけを押し出す場合と空気などその他の物質と一緒に押し出す場合との4通りに分かれます。
技術書により表現は異なりますが、金型へ押し出すのか金型から押し出すのかの違いは重要です。ここで前者にはプレス加工やキャスト製法も含めて考えます。すなわち、製品として出来上がる時に金型の中で形ができるのか、金型から出て形ができるのかの違いは、技術上大きい。また難易度はケースにより異なるが、材料技術の視点で見ると後者が難しいと感じています。すなわち前者は金型表面で製品の外観が規制されますが、後者はいってこいの世界で金型から出た後のレオロジー挙動で外観が決まります。
前者も後者も金型技術のカテゴリーでとらえられ、材料の研究があまり進んでいません。むしろ現場のノウハウとして蓄積されているのではないでしょうか。外観の問題は薄膜をコーティングで形成するときにも問題になります。塗布液の調製が十分できていない場合に規則正しい波状の欠陥が出たり、はじきなどで目玉状の欠陥ができたりと悩まされます。塗布の場合は材料の工夫へすぐに視点がゆきますが、押出成形では金型技術として扱われる場合が多いようです。
確かに押出成型ではサイジングダイも含め金型の工夫で多くの問題を解決できますが、材料で対応しなければ改善できない技術が多いのも事実です。材料の原因を金型で対応しているケースを見ますと感動します。
ある問題が発生してその解決手段が何通りもある場合に何を選択するかは問題解決する人のスキルで決まるようですが、本来はコストやロバストの観点から決めてゆくべき問題でしょう。
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山中博士は、この幸運を逃がさないために、続けて同様な非科学的プロセスで実験を進めてゆきます。二十四個の遺伝子から1個を取り除いた二十三個の組を細胞に入れ、iPS細胞ができなかったならば取り除いた1個が必須の遺伝子である、という消去法的方法で実験を進めているわけですが、この方法では、取り除いた1個の遺伝子の機能があらかじめ科学的に証明されている必要があります。
しかし、その証明がなされていない段階では、遺伝子間の交互作用について確認の実験を行って、論理を緻密に展開しながら四個の組を選び出すのが、いわゆる科学的な進め方です。この実験では、二十四本のくじの中から当たりくじはどれかと、一本一本引きながら、結局全部引いたような実験になっています。くじの引き方としてみても節操がないように思われます。
実は二十四個の遺伝子の任意の組み合わせから四個の組み合わせを選ぶ、という単純な実験を科学的に行なった場合には、順列組合せの公式を用いて計算すると10,626通りの実験が必要となります。10,626通りの組み合わせ実験で一つ一つ細胞を初期状態にリセットできるかどうかを確認して初めて科学的に検証された、と言えるのです。
以上説明しましたように、科学的に進めたならば膨大な実験が必要なプロセスであったはずですが、山中博士は、答えと決めた二十四個の遺伝子の中から最低限必要な遺伝子をただ探すだけ、という単純化された非科学的プロセスを採用して作業効率をあげ成功に至っております。
生化学分野は専門外なので邪推になりますが、テレビ番組の説明を聞く限りでは、もし科学的に探索していったならば、iPS細胞を作り出す遺伝子の組み合わせは、まだ他にもみつかるのではないかと感じました。ただ、それには膨大な実験が必要であり、何年後に見つかるのか予測がつきません。大人の細胞で行う再生医療は、夢の技術であり、その実現は人類の幸福につながります。iPS細胞発見に向けて科学的プロセスを捨て、ヒューマンプロセスで果敢にゴールへ挑戦し、短期間で目標を達成した山中博士に、ノーベル賞は早すぎた受賞ではありません。
そしてこの山中博士のノーベル賞受賞で私たちが学ばなければならないのは、科学的大成果を出すために科学的なプロセスが必要ではなかった、という事実です。科学的大成果であっても、そこに至る道筋について科学的であることに拘る必要は無い、ということです。これは一般の問題解決プロセスにおいても科学的手法にこだわる必要は無く、非科学的方法で構わないことを示しています。
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