PPSのLOIが非晶質状態と結晶化状態で同じという結果を見ると、かぐや姫に求婚されたわけではないにもかかわらず、30年以上高分子の難燃性について論文を読んできた立場からすると興奮する。
カオス混合で得られる相溶状態にも興味があるだけでなく、そもそもPPSという樹脂の溶融状態を知りたくなる。なぜなら、LOI測定時の最も高温部の樹脂温度は少なくとも300℃前後に到達しているからである。
ただ、溶融物が垂れていなかったと測定者から聞いているので、炭化するときの吸熱により流動性を示す温度以上に上がっていないと想像される。しかし、LOIよりも高濃度の酸素にすれば着火し、継続燃焼するので、LOIに相当する酸素濃度でも溶融して燃焼している、という妄想を描いても公序良俗に反しない。
そうすると、PPSの溶融状態が気になってくる。PPSの粘弾性データはT社の技術レポートに公開されているが、300℃から降温測定すると280℃ぐらいから動的粘度が上がる。
これは燃焼時の溶融状態観察結果と一致するが、カオス混合による6ナイロンの相溶現象を観察した結果と一致しない。技術レポートを疑うわけではないが自分で粘弾性測定器を用いて、ある方法で測定すると、動的粘度が250℃程度まで変化せず低粘度を示す結果が得られる。
この測定結果に驚いて、いろいろと実験を進めると、やはり興奮する妄想が見えてくる。今ならば冷静に実験を進めるが、若い時には興味に任せた実験となる。
この動的粘度の実験から、燃焼時におけるPPSの溶融状態では、球晶が完全に崩れずに架橋点となって流動しているかもしれないという想像をしている。6ナイロンを相溶させたPPSの同様の実験から、まったく球晶が存在しない状態からわずかにラメラ晶程度はできているかもしれない不均一構造の妄想を描くことができる。
モザイクがかかったような写真を説明しているようで申し訳ないが、粘弾性測定装置はその仕様から300℃以上の温度で測定ができない。
また、興味がわいてきてもう少し、もう少し、と思ってみても、周囲に楽しんで仕事をしろと強制しているような気持になり、一種のパワーハラスメントではないかと心配になってくる。
こうした制約のある中で得られたデータを見る限りでも、PPSはLOI測定時に溶融するが、ラメラ以上の凝集状態で燃焼している妄想を楽しむことができる。
これが非晶質状態で架橋硬化したフェノール樹脂よりもLOIが高くなる原因ではないかと密かに思っている。熱可塑性樹脂よりも熱硬化性樹脂のほうが難燃性が高い、という仮説よりも、燃焼時に炭化しやすい構造生成が難燃性の高さを決めているのかもしれない、知らんけど(大阪人でなくても使用される若い人の今年の流行語である)。
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フェノール樹脂は、耐熱性樹脂として知られているが、その難燃性は合成条件により大きく変化する。空気中で簡単に燃焼するようなフェノール樹脂から空気中では着火しにくく炭化するだけのフェノール樹脂までさまざまである。
PPSという樹脂は、典型的な結晶性樹脂でその成形体は脆い。球晶が十分に大きく成長するのでこの脆性が出てくる、と言われており、ナイロン例えば6ナイロンを添加すると球晶の成長が阻害され、脆性が改善される。
特許も出願されているのだが、この方法によりTgが数度下がることはあまり知られていない。添加された6ナイロンの一部が相溶しているかもしれない現象だが、6ナイロンのTgも現れるので、相分離していることが伺われる。
ところがこれは通常の二軸混練機で混練した時であり、カオス混合機を取り付けると、6ナイロンのTgが消失し、PPSのTgが10℃程度低下して1カ所だけTgが現れるポリマーアロイとなる。
6ナイロンのスピノーダル分解速度は遅く、射出成形しても押出成形してもこの相溶状態は変化しないので、結晶化していないPPS成形体が得られる。
PPS単体のMITでは3000以下だが、6ナイロンを非相溶状態で押出ベルトとすると3200から3500程度となり、靭性が若干改善される。ところが6ナイロンが相溶状態の押出ベルトになるとMITは20000以上となり10倍近く靭性が向上し、MFPの高速ベルトとして使えるようになる。
面白いのは、LOIは変化しないのだ。自分で測定していない実験結果なので少し怪しいと思っているが、平均値は同じであり、標準偏差に違いがみられる程度である。
フェノール樹脂のLOIが、その原材料やプロセス条件が異なると、LOIが19から40程度まで変化する現象を体験した立場では、このPPSのLOIが非晶質状態のベルトと結晶状態のベルトで変わらない現象は、かぐや姫が目の前に現れたような驚きである。
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高分子の耐熱性や難燃性について、科学的に解説することは難しい。これは1970年代に当時の研究成果がまとめられた耐熱性高分子の研究に関する総説で中途半端なまとめになっていることからもその難しさに納得できる。
耐熱構造と呼びたくなる分子構造は存在するが、実火災において不燃となる高分子材料を合成することはできないので、「高分子の不燃化技術」とは言わず「難燃化技術」と当時から呼ぶようになった。
高分子の難燃化について、日本人は、かぐや姫が火ネズミの皮衣を要求した話を自慢できる。科学の存在しない当時から有機物の不燃化が困難であることを知っていたことを示す昔話だ。
もし、有機物の不燃化が可能なら、結婚をせまる虫の好かない軟派な皇子に火ネズミの皮衣を要求するようなことをしない。高分子の難燃性について知識の無い皇子は、必死に探し回る。
そして、科学者もかぐや姫の求婚に応えたいと思ったのかどうか知らないが、有機物の耐熱構造を工夫し有機物を不燃化しようとする研究を1960年代に行っている。これが難しいことが分かり、1970年代から高分子の難燃化という用語が一般に使われるようになった。
この歴史を理解できると熱可塑性樹脂よりも熱硬化性樹脂の方が難燃性が高い、という仮説について成り立たない場合があることに気がつく。熱可塑性樹脂でも十分に難燃性が高い樹脂が存在する。
例えばPPSという熱可塑性樹脂は、熱硬化性樹脂であるフェノール樹脂よりもロバストの高い難燃性を示す。耐熱性については、その指標により優劣が変化するが、難燃性のロバストについては、フェノール樹脂よりもPPSの方が高い、という経験知がある。
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事業存続のための基礎研究は重要である。高純度SiCの反応速度論の研究では、その前駆体がシリカとカーボンの分子レベルで均一に混合されていることを証明するための一つの方法として、重要と考えていた。
しかし、無機材質研究所へ留学する前には研究所で企画として提案したが認められず、予算もない状態でこの基礎研究よりも重要なのは、高純度SiCを経済的に合成できることを実証する必要があった。
ただし、これは既存事業の基礎研究の企画とは異なる判断基準であり、社長方針としてファインセラミックスが出されていても、研究所としてはそれをかたくなに反対している事情が反映していた。
ゴム会社には非参加雰囲気で稼働する電気炉など無かったので無機材質研究所へ留学し実証したい、と考えた。しかし、無機材研へ留学できても特定企業の研究のために研究企画を遂行することはできないと留学前には注意を受けていた。
昇進試験に落ちた連絡がたまたま無機材質研究所所長室にかかった偶然で、この実証実験をたった1週間でやり遂げることができた話を以前この欄で紹介している。
そして会社から先行投資を受け、現在は愛知県の(株)MARUWAで事業が継承されているが、ゴム会社では30年この事業が続けられた。当方が残っておればもう少し事業を拡大できたのだが、由々しき事件が続き研究活動の妨害を受け、それが隠蔽化されたので転職している。
しかし、高純度SiCの反応速度論的研究について、前駆体の均一性を管理するためにも活用できるので2000万円投資して超高速熱天秤を自作し転職前に研究を完成している。
すなわち、高純度SiCの技術はアジャイル開発で完成し、基礎研究が不十分のままゴム会社で2億4千万円の先行投資を受けてスタートしている。基礎研究が完成していなくても30年ゴム会社で続くような事業を立ち上げることができるのだ。その方法の詳細は弊社へお尋ねください。
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故ドラッカーは、知識労働者の強みについて論じている。「才能」ではなく、「強み」と表現しているところが重要である。
才能は、「天賦の才能」と表現されるように不幸にも恵まれない人の方が多い。天は人の上に人を作らなかったが、才能の有無の不公平を生み出したようだ。
ただ、現代社会は才能豊富な人材については、その才能が社会に活かされるように希望し、才能豊かな人材の人生を社会が決めてしまう。義務教育により知識を身に着け、自由な人生を生きることができるのは、凡人だけに与えられた特権である。
才能豊かなスポーツ選手が、役割を終え第二の人生に失敗する事例が多いことに凡人は目を向けるべきである。凡人は秀でた才能がないゆえに第二とか第三の人生で大きな失敗とならない。
お金は自由を保障するといわれたりするが、お金があっても健康を害していてはその自由を享受できない。お金と健康はよく話題になるが、知識により形成される強みについてあまり議論されない。
ドラッカーは、その強みについて、彼の生涯の著書に考え方を展開している。今は彼がその到来を予言した高度知識労働者の時代である。職人と言えども一定の知識が無ければ職に就くことができなくなった。
古典落語に出てくるような職人では、生活しずらくなったのが現代社会である。ドラッカーは、知識によりその強みを磨くことができる、と述べている。また知識労働者は、常に知識を学ぶ努力をし、その強みを磨いてはじめて自由な労働が可能と説いている。
DXの進展する社会について、ドラッカーは遺作「ネクストソサイアティー」の中で、「歴史が見たことの無い社会が始まる」と述べている。
すなわち、知識労働者の時代について、数々の有益なアドバイスを残してくれたドラッカーもDX後のアドバイスを語ることができなかった。
高校時代からドラッカーを読み続けてきたが、彼がデータサイエンスを知っていたなら、間違いなく多くの知識労働者の強みを磨くためにその知識獲得の重要性を指摘するだろう。
弊社は知識労働者の強みをDX後の社会で発揮できるよう、50年近く磨いてきたデータサイエンスの知識を提供しています。
来年のセミナー予定を今週末までには公開予定でいます。
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ロシアが参加しなかった影響もあるかもしれないが、フィギュアスケートグランプリシリーズファイナルで日本が3冠を達成した。また三原選手は、ファイナルまですべて優勝で揃えた。これは日本人初の快挙である。
渡部絵美選手の時代からフィギュアスケートを毎年楽しみに見ているが、このスポーツほど才能と運の影響が大きく表れるスポーツは無いと感じている。
何でも才能と運の影響は大きい、と言われるかもしれないが、フィギュアスケートは才能の差を素人でも感じ取れるスポーツの一つである。
例えば三原選手はそのスケーティングスピードや表現力においてシニア登場時から専門家の誰もが称賛していたが、素人の目にもそれを理解できる十分な演技だ。
トリプルアクセルのような技は無いが、スケーティング全体から感じられる芸術性は天性の才であることは、評論家も指摘しているので確かだろう。
かつて4回転時代の幕開けの時にプルシェンコが、4回転を飛ぶだけがフィギュアではない、と言っていたが、4回転の名手の言葉だけにそのあとの説明に説得力があった。
フィギュアスケートというものは、スポーツであるとともに高度な芸術性も求められる稀有なスポーツである。その芸術性は、ただ練習しただけでは身につかない、スケーターの才能に依存する部分だろう。
このような天性の才能を目の当たりにすると、凡人はため息をつくことになるのだが、亡母は才能が無い幸福を説いていた。
才能に人生が縛られる不自由さを教えてくれたのだが、凡人には好きなことにチャレンジできる特権がある。人生の終盤になってみるとこの特権のありがたみが分かる。
データサイエンスという言葉など無い時代に、業務がきっかけとなり購入したパソコンに夢中になった。統計手法やとるにたらない現象のシミュレーションなどパソコンでデータ解析する遊びを暇があればやっていた。
また、様々なプログラミング言語にも挑戦したが、この方面に才能があったなら高純度SiCの事業化やカオス混合装置の発明などチャンスが無かっただろうと思われる。
何も才能が無かったので、無機材料から有機材料まで、コンピューターゲームやシミュレーションからAIまで、様々な技術にチャレンジでき達成感を味わうことができた。凡人ゆえの特権である。
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トランスサイエンスという言葉が一般化したので、今時科学ですべての技術の問題を解くことができると思っている人はいないだろう。
しかし、バブル崩壊直前までは傲慢にも科学ですべての問題を解くことが可能と考えていた人は多い。現象を大局的に捉え、科学でどこまでアプローチできるのか考える習慣さえも否定されていた時代がある。
少なくとも当方が経験した研究所ではそうであった。例えば製品開発を行う時に、そこで必要となる材料の機能がどのように発揮されているのか知る実験を優先して行っていると馬鹿にされた。
難燃性ウレタン発泡体では、リアクティブブレンドで反応バランスをとりながら発泡化を行う必要があるが、1980年当時リアクティブブレンドの経験知の体系は知られていたが、難燃剤を添加するとその影響で反応バランスが崩れる。
このような製品開発では、重要な機能の制御因子を調べる実験と反応バランスを制御する因子を調べる実験とを並行して行うと効率が良いのだが、前者の実験を無駄な実験と考える人がいる。
しかし、反応バランスを制御する因子について形式知が明確になっていない場合には、反応バランスを制御する因子を科学で明確にできる保証はない。だから基礎研究を行うのだ、と当時よく言われたのだが、製品開発ではスケジュールが決まっているものである。
基礎研究からやっていては計画を立てられない場合もある。詳細な議論を省くが、とりあえず新製品に必要な機能を見定めてから基礎研究を行うことが良いと思っている。
この方法を推し進めるとアジャイル開発となるのだが、社会人1年生にはそこまで思いが至らない。それでも新製品を実現できるのかどうか、最初に見極めたいと考えて難燃剤の機能研究を優先しながら発泡研究を行っていたら叱られた。
始末書も納得できない出来事だったが、両方並行して進めていたのだから叱られる理由がわからなかった。発泡研究だけに専念しろ、と言われても、調査結果から形式知が不足していることは明確であり、不足している形式知を明らかにしても、その結果が製品開発に直接寄与しないことを誰もが知っていた。アカデミアよりもアカデミックな研究所の思い出である。
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ゴム会社に入社して半年間研修があった。工場実習や営業の実習、技術開発実習はじめ実務に必要なスキルをこの時に一通り学んだ。ゴム会社の研修は当時業界でも定評があり、半年間のこの研修を終了後配属されると配属先ですぐに実務にとりかかることができた。
この研修のカリキュラムで特に会社が力を入れていたのは、QC手法であり、社是「最高の品質で社会に貢献」は、企業姿勢を表すと同時にそのような商品開発が研究所以外で行われていた。
研修の講師は日科技連から派遣されており、QC7つ道具や新QC7つ道具を中心に徹底した技術者教育が行われたのだが、研究所に配属されてびっくりしたのは、職場の人たちはQCの研修をバカにしていたのだ。
配属されて業務をQC手法で行っていると、科学の研究では無駄だと周囲の先輩から笑われた。ただ最初の3か月間指導してくださった混練の神様のような指導社員だけは異なっていた。
QC手法以外のシミュレーション技法や現在話題となっているデータサイエンスとよべるスキルを教えてくださったのだが、これらの知識を表に出すと研究所では馬鹿にされるから、企画を練る時に使え、と指導された。
ゴム会社の研究所は、アカデミアよりもアカデミックで実験は仮説を中心に行わないと評価されなかった。また、良い研究成果が出ると学会発表も活発に行っていた。
しかし、長い間研究所から事業に貢献するような成果が出ない問題を抱えていた。研究開発本部長は1000に3つでも研究が事業につながれば大当たりだ、と真顔で語っていた(注)。
当時のゴム会社の研究所の風土は、タイヤ事業の開発部隊の風土とは大きく異なっており、半年間の研修を終えた新入社員の目には別世界であった。
そして、この別世界の研究所で、科学の手法と統計手法、すなわち今でいうところのデータサイエンスの手法の両方を用いて、頭を切り替えながら研究開発を行っていたのだが、このおかげでデータサイエンスのスキルの特徴を充分に理解することができた。今それをセミナーで公開している。
(注)フェノール樹脂とポリエチルシリケートのポリマーアロイのヤミ研究は、容易に認められて推進することができたのだが、それを事業化する提案を夢のような話だとされたのは残念だった。Y本部長がU本部長に代わり、事業化を推進できるようになったのだが、基礎研究段階でも「それが事業の何になるのか」考えることは重要である。U本部長の時に住友金属工業との半導体治工具事業として立ち上がり、それが30年ゴム会社で続くことになるのだが、Y本部長やI本部長だったなら、無理だったろう。企業の研究所に対する哲学で、研究開発の効率は大きく変わる。日本の企業の研究所にはU本部長のようなリーダーが必要である。このU本部長の迷言に「女学生より甘い」という今なら問題となる発言があるが、これは研究企画会議で研究所の管理職に発せられた言葉である。スピードワゴンの井戸田の「あまーーい」はその後有名となっているが出身地は同じ愛知県である。愛知県は八丁味噌が有名だがその他の名物として甘い銘菓が多い。また、八丁味噌には隠し味として、少し甘いはちみつを入れるとおいしい。
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高純度SiCを合成しようとするときに、高純度のシリカと高純度のカーボンを反応させて合成すればよい、と無機化学者ならば最初に考える。
しかし、高純度のシリカとカーボンを化学量論比で混合してもウィスカーが生成したり未反応のシリカが残る問題をどう解決するのか。カーボンを大過剰に用いるとその問題を一度に解決できる技術が1970年代に公開されている。
それでは、カーボンを大過剰に用いたときに、SiC合成後反応に使用されなかった余分なカーボンをどうやって除去するのか。
カーボンは焼却すればよい、という人は、SiCも酸化される問題を考えていない。結局高純度カーボンと高純度シリカの反応では、高純度SiCを製造することが難しいと気がつく。
耐熱性の高い無機材料の場合に不純物を除去するためにエネルギーがかかるので、原材料に有機物を使用し、分子レベルでシリカとカーボンの混合された状態ができないかを考えることになる。
この考え方で、高純度フェノール樹脂と高純度ポリエチルシリケートを原料に用いるアイデアが生まれている。しかし、χが大きいのでこの両者の原料を均一混合することが難しい。
唯一の方法がリアクティブブレンドになるのだが、反応条件を見出すための科学的に進める実験手順は工数がかかることが容易に想像できる。それではどうするのか。
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χの大きな2種のポリマーを混ぜると分離する。これは水と油を混ぜようとしてもうまく混ざらない現象と似ている。
水と油の場合には、界面活性剤を添加してミセルを形成すると、混合した時に均一な懸濁液となる。ポリマーの混合では、相溶化剤(コンパチビライザー)を混ぜるとうまく混ざることが多い。
界面活性剤もコンパチビライザーも機能として似ているが、両者を同一機能の視点で扱った論文を見たことが無い。その結果、シリコーンポリマーに微粒子を分散した電気粘性流体に界面活性剤を添加する技術について、平気で否定証明を展開する優秀な科学者が現れた。
この科学者について書くつもりはないが、コンパチビライザーと界面活性剤の機能は似ている。しかし、界面活性剤の理論がミセルを前提にしているが、コンパチビライザーは界面の自由エネルギーの低下を期待して用いる。
詳細は弊社に問い合わせていただきたいが、電気粘性流体の耐久性問題では、シリコーンオイル内にミセルを形成する考え方では問題解決ができなかったらしい。
らしい、と書いたのは、詳細な研究データを見せてもらえなかっただけでなく、議論にも加えてもらえなかったからだ。ただ、社内のプレゼンテーションでは立派な否定証明が展開されて高い評価を受けている。
当方はこの耐久性問題をデータサイエンスにより解決したのだが、そして電気粘性流体の実用化にも新たな粉体を設計し提供したにもかかわらず、いかがわしい事態になり、転職している。
科学的な実験で実用性が無くても高い評価がなされた時代の話である。研究所は1000に一つ当たればよい、と所長以下のんきに話していた時代がバブル前に存在した。
そのような時代に科学的研究と非科学的なデータサイエンスによる問題解決法とを並行して進めてきた。前者の成果で学位を授与され、後者の特許や学会で公開されたデータをセミナーでお話ししている。
科学論が盛んに議論され、日本の科学技術がバラ色の未来を約束すると多くの日本人が科学に酔っていた時代に、アメリカでトランスサイエンスという言葉が誕生している。
ムーアの法則がいつまで続くのかもアメリカ人は真剣に議論していた。ソフトバンク発行の大衆コンピューター雑誌には、DXという言葉こそ使われていなかったがオブジェクト指向の到来が紹介されていた。
やがて未来のエージェント指向の闇が議論され、20世紀末に映画「マトリックス」へと流れてゆく。それらの雑誌はすべて廃刊となった21世紀にDXという言葉が一般化している。
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