ゴム会社に就職すると特許の実務研修があった。しかし、それはその後転職した写真会社のそれよりも実践的ではなかった。特許の読み方と書き方程度の内容だった。
研究所に配属されても特許マインドの高い研究者は皆無でアカデミアのように学術論文を読まれている方が多かった。そしてケミカルアブストラクトの廃棄が話題となっていた。
研究所以外の他の技術部門はすでに民間のデータベースを利用するようになっていて、ケミカルアブストラクトをたまに利用しているのは、成果を出していない研究所だけだという噂があった。
その研究所ではケミカルアブストラクトを廃棄するような感覚では良い研究などできない、と論じる研究者が多かった。新入社員の配属の日にゴム会社に技術は無い、技術のない会社に興味は無いと言って転職した同期がいた。
その同期はアカデミアよりもアカデミックな意識の社員がいた研究所の存在をおそらく知らないと思うが、当方は技術開発を希望して創業者にあこがれ入社した会社の配属先で体験した一種異様な光景に戸惑っていた。
ただ、研究所以外の風土はKKDによる技術開発が標準であり、転職した同期がイメージしていた科学技術を開発していた職場など研究所以外に無かった。また、それが理由で嫌気がさして当方に声をかけてくれた先輩社員は研究所への異動がかなわず転職している。
恐らく、当時のゴム会社は、研究所と他の技術部門を合わせ、それでバランスの取れていた企業だったのかもしれない。
ただ、研究所以外のメンバーと酒を飲めば「ミシュラン神社に手を合わせてアイデアを練る」という冗談がとびかっており、KKDといってもリバースエンジニアリングを主体にした技術開発スタイルという説明ができるぐらいに市場の商品解析には力を入れていた。
そしてその商品解析に多変量解析を用いるなどデータの扱いについては、先端だったように思い出される。ただしこれはタイヤ開発の技術部門の話である。
当方の配属された研究所では多変量解析を行いたくてマイコンの導入希望を出しても自分で購入しろと言われるような情報工学の視点では未開人に近い職場だった。もっとも情報工学に関する学部の設立が議論され始めた時代の話である。
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情報化時代において形式知の入手が容易になった。例えば化学系の情報について50年ほど前ならばケミカルアブストラクトという定期刊行物が発行されるたびにチェックする作業が求められた。
高額な料金を支払えば、希望するキーワードについてデータベースの利用が可能になり始めていたが、学生時代にケミカルアブストラクトを読む習慣を躾けられた。
ところがこのような習慣の躾は講座ごとにまちまちで、4年時に在籍した講座では研究者ならば常識とされた。当方は研究者になるつもりは無かったのでさぼっていたら、卒論提出締め切り日の前日に指導教官から300報以上の論文別刷を机につまれ、これらが明日までに1年間読んでいたはずの資料である、と説明された。
早い話が、目の前に積まれた論文の内容が反映されていない卒論は受け取れない、という意思表示である。早速それらを家に持ち帰り徹夜でまとめて卒論を書き直し、締め切り日の夕方には卒論を受け取っていただけた。
そしてアメリカ化学会誌投稿用の下書きをまとめるように言われた。その後教授の退官ゆえに講座が閉鎖されること、大学院はどこの講座でもすきなところへ進学してよいことを告げられた。π型人間の講話を聴いていたので無機材料の講座を選んでいる。
大学院に進学後、毎月図書室でケミカルアブストラクトを読む時間を半日設けた。そのときケミカルアブストラクトの当方が読むべき個所に鉛筆で印がつけられていることに気がついた。
新しい指導教官がつけてくれていたのだが、それを消す作業が当方の日課となった。理由は図書室の受付の女性から、大学の図書に書き込みをしてはいけないと注意を受けたからである。
古いケミカルアブストラクトにも皆鉛筆で印がついていたので、当方のためでないことを理解できたが、いつの間にかこの落書きを消すことが当方の習慣になった。ケミカルアブストラクトだけでなく学術雑誌にもチェックが入っていたのである。おかげで大学院の2年間はよく勉強ができた。
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マテリアルインフォマティクスを従来の科学の研究と同様に捉えるのは、言葉が悪いが詐欺に引っかかるようなものである。改めて言うまでもないが、科学とは真理を追究することが使命である。ゆえに従来の科学研究とは異なる情報化時代のカテゴリー不明のテーマである。
科学の意味は時代とともに変化するかもしれないが、その使命を変えたなら科学の意味が無くなる。ユークリッド幾何学が学校教育で積極的に指導されなくなった理由は科学時代に似つかわしくない学問と捉えられたから、と高校で習った。
ユークリッド幾何学の今日の扱いを考慮すれば、マテリアルインフォマティクスは科学というよりも技術のカテゴリーで論じられるべきテーマである。
分かりやすく言えば、マテリアルインフォマティクスは技術のカテゴリーにおける問題解決の方法である。マテリアルインフォマティクスで得られるのは経験知であって、形式知ではない。形式知とするためには、従来からの科学の方法による手続きが必要である。
人工知能を使わない情報科学を用いた材料開発の方法について、多変量解析が生まれた時代から研究が始まっている。ただし当時は、科学の方法ではない、という理由ゆえに馬鹿にされた。
技術の方法という自覚で手法を展開しても科学技術こそ正しい技術開発と信じている人間からFDを壊されたりする妨害を受けた。成果(注)を出しても多変量解析の手法が迫害された時代があった。
8月末にデータサイエンスのセミナーを企画している。情報をどのように扱い技術の問題を解いてきたのか、実例をもとに講演を行う。9月以降にはAIで注目されるようになったPythonについてパーコレーション転移を題材にプログラミングの基礎セミナーを予定している。
このPythonの基礎セミナーについては、無料セミナーを8月に行うかどうか迷っている。資料ができ次第無料セミナーについては告知します。お問い合わせください。内容の評価を調査する目的で事前のお問い合わせの人を対象にしたクローズドセミナーとする可能性も考えています。
(注)絶縁体オイルに特殊な微粒子を分散させると電気粘性流体(ERF)ができる。ERFは流体であるが、電場をかけると固体に近い状態になる。この性質があるので、電場でレオロジーを制御できる機能性流体として注目され、開発競争が行われた時代がある。ゴム会社でERFが研究されていた時にその方法は科学で行われ、「ERFの耐久性問題はケースにゴムを用いる限り、界面活性剤で解決できない」という否定証明を完成させた研究者集団がいる。そしてその研究の完成をよりどころとして、「加硫剤もオイルも何も添加されていない加硫ゴムの開発」という技術的にはおよそ信じられない科学テーマが企画され、高純度SiCの事業を立ち上げたばかりの当方に依頼された。理由は当時のゴム会社の研究所でゴムについて一番詳しい研究者は、新入社員時代に樹脂補強ゴムを3か月で作り上げた当方だと評価されていたからである。当方はこのテーマをやりたくなかったので、一晩徹夜して界面活性剤について自分の頭とMZ80Kを用いてデータマイニングを行い、ゴムのケースを用いてもERFの耐久性を改善できる界面活性剤を見出した。そうしたら会議前になると実験データを取り込んだFDを壊される妨害を受けるようになった。それでもひるまず、ERFの機能性を実用化レベルまであげる実用性のある傾斜構造の粉体まで開発した。しかし、FD事件を隠蔽化するという上司の行動で転職をしなければいけなくなった。科学の否定証明が完璧になされても技術は現象から機能を取り出せる、という実例であるとともにERFの実用技術開発で起きた出来事は科学の世界における事件でもある。
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40年前と現代と比較して大きく異なるのは、情報を簡単に得られる時代になったことである。高純度SiCの事業化を検討していて苦労したのは、情報を得るためには金と足が必要だったことだ。
それなりの機関にお金を支払っても月並みの情報しか得られず、新しい情報を得るためにはそれを持っている人に面会する必要があった時代である。そして情報の価値が支払った対価、時間と金額で判断された。
今は無料で自分の興味ある分野について最大1年半の誤差で最新情報を誰でも得ることができる。昔その調査に万単位の費用がかかった特許調査さえもタダである。
インターネットの普及で身の回りに情報が溢れてきたのだが、正しい知が分かりにくくなってきた。コロナ禍における専門家の頼りなさを見れば明らかである。
時代が変わっても専門家にがっかりさせられる。学生時代に企業の技術系役員による特別講義があった。そこで、π型人間が求められている時代だと強調されていた。すなわち一つの分野の専門家ではだめでもう一つ専門を持たなければ技術者は役に立たない、とまで言われた。
有機材料と無機材料の両方の専門家になることか、と質問したら、その通りという回答だった。学術の世界では学際思考が話題になっていた。例えば有機材料と無機材料の境界領域となる無機高分子材料の研究会が高分子学会で設立されたのもこの時である。
しかし、情報化時代の今日ではπ型人間でも成果をあげにくい時代になってきた。学問でさえそのような様相を呈してきた。マテリアルインフォマティクスも怪しい学問の一つであり、これは学問ではなく今の時代技術者が身に着けておくべき常識である。
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インターネットが普及し、書店が激減した。今も書店の閉店に関する話題がTVで取り上げられたりしている。一方で新しいスタイルの書店が取り上げられるようになった。
CDを扱うレコード店は壊滅状態だが、書店はそこまで至らず新しい形態が話題になったりするのは、電子書籍だけでは満足できない「何か」を多くの人が認めているからだろう。
日本のレコードには、ライナーノーツが存在しCDに代わってもしばらく添付されたが、最近のCDには昔のような読み物としてのライナーノーツがついていない。
CDの売り上げが減ったのでCD(コストダウン)のために無くなったと思われるが、愛好者の立場としては残しておいてほしかった。
紙媒体の情報は減少傾向にあるのだが、それでも本などの読み物の紙媒体がすべてが無くなるとは思えない昨今の書店の動きがある。
技術開発において実験ノートは残すべき紙媒体ではないか。STAP細胞の研究者の研究ノートにはハートマークとか書かれていて実験記録が書かれていなかったという。
ノートコンピュータも1kg前後の製品が登場し、アナログな実験ノートなど不要に思われるかもしれない。しかし、アイデアを練るためには実験ノートが欠かせないはずである。
実験ノートの片隅に書かれていたメモにより、新しいアイデアをたくさん生みだした経験があると、若い人に実験ノートは必ずつけよ、とアドバイスしたい。単なる落書き帳でも良いのだ。しかし、どのような妄想からハートマークを記録したのか聞いてみたい。
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2日ほど前のWEBニュースにオリックス小谷野コーチのパニック障害告白記事が載っていた。「弱さなど克服できない、弱さとともに生きてゆく」というのが彼の選手時代に復活できた考え方だという。
これは至言である。人は自分の欠点に気がつくとそれを修正しようともがく。そうでない人もいるようだが、多くの人は日常生活から自分の弱さなどの問題に気づき、そして学び成長する。
その結果世の中を悟ったような穏やかな老人となってゆく。スポーツ選手のメンタルについて話題となるのは、その凡人の能力を超えたパフォーマンスを出すために発揮されるメンタル面の強さにあこがれることが一因としてあるといわれている。
ノミの心臓ゆえに日々鍛錬を欠かせない当方などスポーツ選手からメンタル面を鍛えるコツを学びたいと願ったこともある。唯我独尊こそ強いメンタルのコツと指摘していた元スポーツ選手が昔いた。
しかし、それでも強くならないメンタルの悩みを解決するために、多くのスポーツ選手の手記を読んだりした。「オレ流」の極意も読んだが、どうも自分のメンタル補強に合わない。
そもそもスポーツ選手のメンタルは強くあるべき、そしてそれを学べば自分も強くなれるという前提に無理があり、スポーツ文化が今のように広く浸透した時代では、スポーツ選手でも一般人のメンタルと同じ弱い人もいるととらえるべきだろう。
小谷野コーチの弱いメンタルを自分で認めそれとともに生きてゆくという考え方を充分に共感できる。しかし、それでパフォーマンスを発揮できるのかという迷いがあった。なぜなら、当方もある時同様の考えに至り、メンタル面の弱さを前提に仕事に取り組むようになったからである。
このメンタル面の弱さを自分で認め、無理をしない生活をしてみると不思議にも大変楽になるのだ。そして十分に能力も発揮できるようになる。
ただし、メンタル面の弱さを認めることと怠惰になることを同じだと思わないことがコツである。自分に合わせたシナリオを描き、それを生きればよいだけである。
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当方は体力に自信があるので、カオス混合プラントを短期に実現しなければいけないプレッシャーについて、自ら過重労働を行い不安を解消している。悩む前にまず可能な努力を惜しまずできる習慣を身に着けることが大切である。
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プログラミング言語は、人間の話す言語のように曖昧さが無いので習得は簡単である。英語でも簡単だという人がいるかもしれない。確かに中学程度の英語で日常会話は可能になるが、大学を卒業しても英会話のできない人はいる。
コンピューターとの会話は人間との会話よりも簡単である。ただ石頭なので言語仕様に反する話し方をすると、何もしてくれない。人間ならば、「ああだ、こうだ」と意味のない言葉を言っても、その場の流れから通じてしまう。
我が家の食事では結婚してから「ん」だけで希望した調味料が目の前に出てくるが、コンピューター言語では絶対にありえない。この意味では人間の会話は便利だが、汎用性はない。
さて、プログラミング言語であるが、大きなイノベーションはオブジェクト指向というプログラミングパラダイムである。
C++で実現されたオブジェクト指向プログラムでは、登場当時二段階のコンパイルが必要だった。それは、C++で記述されたプログラムを一度Cに翻訳し、そこからCのコンパイラーを起動して最終翻訳作業が行われた。
すなわち、C++はCの拡張仕様として開発された言語である。そのため、C++が最初に登場した時には、C++がCに変換された状態のプログラムを見て勉強している。
理由はオブジェクト指向のパラダイムについて分かりやすく解説された書籍が最初存在せず、学ぶのに苦労したからである。
当初は構造化プログラムの発展形かと勘違いしていたが、プログラム設計における考え方そのものがfortrunなどの言語では実現できないことに気がついた。同時にCの言語仕様設計者がオブジェクト指向の概念をすでに持っていたことにも気づかされた。
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1970年代の高分子材料開発の方法は、新たな高分子を合成してその物性を評価し、応用分野を考えるプロダクトアウト方式だった。
応用分野として選ばれた顧客に新しい高分子を売り込み、顧客が商品性能を評価し、気に入れば採用となる。しかし、新材料がいつでも顧客の商品スペックを満たしてくれるとは限らず、顧客から出たクレームを基に改良を行う。
顧客から見て魅力的な基本物性の材料では、顧客(例えば組立メーカー)と共同開発を行う場合もある。今も昔も高分子材料が事業化されるためには、材料価格相応の商品性能(商品あるいは部品品質ニーズ)が無ければならない。
商品あるいは部品品質を満たすための改良を材料メーカーが行うにあたり、目標となったのは商品の品質(以下部品品質)であり、材料そのものの物性ではない。
材料メーカーとしては材料の基本物性と部品品質の対応表が欲しいところだが、組立メーカーにとってそれはノウハウと見なしていた。ゆえに共同開発となっても部品品質の値は示されず、◎〇△×とxxを加えて五段階評価として示された。
材料メーカーにとって理不尽な扱いであっても組立メーカーの言いなりにならざるを得なかったのが1980年代までの両者の関係である。
このような両者の関係では、力のある組立メーカーに情報が集まる。一方材料メーカーは売り込むために材料物性表で魅力を伝えるためにそれを提供しなければならない。また、材料メーカー間の競争で有利に立つために材料の構造に関する情報まで技術サービスとして提供していた。
合成プロセス等は特許で公開されていたので、組立メーカーは合成プロセスから商品品質までの材料に関する情報を揃えることができた。
情報優位な立場にあった1980年前後の組立メーカーの中にはデータサイエンスに基づく研究開発を行うところも出てきた。そして、特許出願を行い材料メーカーに材料合成を依頼するメーカーまで現れた。
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研究開発と言えば科学的に行うことが常識となっているが、科学の無い時代にも技術開発が行われてきた歴史及びセラミックスフィーバーによるイノベーションを体験すると科学の方法とは異なる技術開発のパラダイムが存在することに気がつく。
キンガリーの教科書ではそれが中途半端に扱われていた。昨今のデータサイエンスの研究状況では、一見科学的に見えるがそこで展開されているマテリアルインフォマティクスは従来の科学とは少し異なるパラダイムである。
分かり易く言えば、データ中心に帰納的に展開している(この部分は科学)が、開発されるべきオブジェクトの機能を中心に据え、その現象を追跡している。
ただしこれは、昔ながらの技術開発で行われてきたパラダイムに近い。そこにデータの扱いこそ科学的ではあるが、予測されない因子も演繹的にデータ解釈に利用しようとする科学の方法である。
このあたりを擬人的に説明すると、職人ごとに異なる品質を均一にするために職人の動作をビデオデータとして撮影し、それを解析し因子を抽出、そしてそのデータ解析された結果で職人を教育し品質を高めようとするものである。
ここで、職人が技術者の場合には、わざわざビデオデータに落とさなくても技術者による自己学習で機能の開発を行える。
一部の技術者はそのような方法で技術開発を意識的に、あるいは無意識的に行ってきたが、科学的ではないという理由で評価しない経営者がいた。
現物現場主義という言葉は、データ中心に現象をとらえよう、すなわちデータ中心にモノを考えようという姿勢を意味する言葉だが、これは科学者が現象を仮説中心に捉えるために新たな問題が生じたため言われ始めた。
身の周りの現象すべてを科学の形式知で解釈できるわけではない。そこでまず現象をデータとしてとらえて科学的手続きによりそこから新たな知識を得ようとしているのが最近言われているマテリアルインフォマティクスの方法である。
この方法は、これまで技術者が現象から機能を取り出すとしてきた方法と類似であるか、あるいは同じ方法である。データマイニングを人間ではなく機械AIにやらせようとしているところが異なる。
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雲の上の職場に配属された翌年あたりからセラミックスフィーバーが起きている。これは、その後ナノテクノロジーブームへつながるイノベーションだが、このフィーバーでセラミックス分野の形式知は大きく進歩した。
この変化は、1970年代に書かれたキンガリーによる無機材料の教科書を読むと理解できる。この時の教科書では、1/10程度は物理化学的な内容で構成されていたが、残りは、十分体系化されていないセラミックス工学の内容だった。
ゆえに大学院の2年間在籍した講座の研究スタイルが帰納的でありながらも電子顕微鏡写真観察が主体だったため、大学4年時に1年間学んだ有機合成化学と比較して職人芸的な研究に見えた。
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セラミックスフィーバーはこの職人芸的な教科書の内容を書き直すに十分なイノベーションを起こしている。また、窯業協会が日本セラミックス協会へと名前を変更している。
セラミックスフィーバーはエンジニアリングセラミックスが主役として起きたので、力学物性、とりわけ材料の破壊に関する学問が進歩し体系化された。
ワイブル統計も導入され、データサイエンスとしても研究が展開されている。例えば線膨張率データは結晶方位ごとにデータが採取しなおされた。また、略称JANAFと呼ばれる熱力学データ集(ビッグデータである)は、反応予測に用いられ専用のソフトウェアーも開発されている。
セラミックスフィーバーでは金属材料でも材料開発手法のパラダイムに変革が起き、セラミックス超伝導体では、金属まで含めた結晶系からの予測が可能なシミュレーション研究も行われている。
また、当方は無機材質研究所でマイコンを用いてSiCスタッキングシミュレーションプログラムを開発し、すでに大型コンピューターで実施されていた20層までの計算結果の続きを計算している。
ゴム会社では、大型コンピュータを活用したデータサイエンスによるタイヤ材料設計が試みられ一定の成功をおさめていたが、社外に公開されなかったので、その成果がセラミックスほどのイノベーションを起こすまでには至っていない。
1990年以降始まった第三の波による情報革命でデータサイエンスが注目され始めたが、セラミックス分野ではそれがイノベーションの一翼を担い、イノベーションを加速させた。
セラミックス材料ではシミュレーション技術を含むデータサイエンスにより新材料発見の成果も出ている。また、当方の学位論文にも一部記載しているが、SiC(6H)の結晶方位が異なると線膨張率に大きく異方性が出る問題について結論が出ている。
それは、シミュレーションで示されたスタッキングの状態からから予測されること、3C結晶では異方性が出ないことなどが確認された。セラミックスではデータサイエンスで研究が進むとともに新材料の開発に成果を出している。
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