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2021.08/21 内部通報者

消費者庁が昨年6月に成立した改正公益通報者保護法に基づく具体的な運用指針を公開した。従業員300人以上の企業に勤める従業員、とりわけ管理職は、より一層誠実に職務に励むよう注意しなければいけない。


この措置により内部通報者が増加する可能性がある。企業内の慣例に基づき処理していた方法が通報される場合があるのだ。すなわち、企業内の慣例が世間の常識に反していてもそれに気がつかない人がいる。


例えば当方が体験したパワハラでは会議前にFDまで壊された。しかし、組織内の事件を隠蔽する慣例に基づき、隠蔽された。当時は内部告発などで告発者は不利な状況に置かれるような時代だったので、被害者である当方が転職をするより仕方が無かったが、今後は法律により保護されるようになった。


組織内の問題について誠実な判断をすればおかしいことでもそれが日常行われていると、その事件性に気がつかないことがある。誠実な行動を心掛けておればそのようなことは無いが、ドラッカーが言われたように誠実を理解していない人は多い。


誠実ならざる人は日常の習慣に不誠実な内容が存在してもそれに気がつかない。不誠実な内容で社会に悪影響あるいは個人の人権に危害が及ぶようであれば誠実な人が告発する時代になった。


企業活動が社会に与える影響まで論じるつもりは無いが、従業員300人以下は努力義務となっている。300人以上の企業は通報窓口を社会に公開する必要が出てきた。


マンションのくい打ち不正にしろ、燃費のごまかしにしろそれを犯した従業員は、悪事を働いた意識は低かったようだ。それは同じ会社に外壁定期メンテナンスを依頼した時に養生を忘れ玄関扉を汚してしまってもごまかす営業姿勢にも見られたからだ。


それが習慣となっていたから、くい打ち不正以外にも行動となって表れたのである。しかし、仮に習慣となっていても少しでも誠実さがあればその習慣の影響に気がつくことができる。


今、働く人すべてに誠実さが求められる時代になった。ただコンプライアンス違反を心配して帳尻だけ合わせておればよい時代は終わった。くい打ち不正にしろ燃費のごまかしにしろ書類上は問題なかった。数値をごまかしていた行為が問題となっている。いずれも大企業に勤める一従業員の行動である。

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2021.08/19 オーディオ業界に学ぶ(7)

商品のマーケティング対象としてオーディオ業界は面白い。アナログからデジタルの変換が起きて銀塩写真フィルムの世界は急激にシュリンクして、4社寡占状態だったフィルム業界は富士フィルム1社が生産しているだけになった。


オーディオ技術に関して、例えばアンプ技術を見てみてもAクラスアンプ、Bクラスアンプと技術開発が続き、ABクラスアンプが登場したがこれらはアナログ技術である。デジタル化により登場したアンプはCクラスではなくDクラスアンプと呼ばれているが、写真フィルムのように過去のアナログアンプを駆逐することは無い。


それどころか、音楽供給メディアまでデジタル化されてもAクラスの真空管アンプが最高とかアナログレコードが最高とかいう声を聞く。もちろんこのような声は少数派であり、そのためこれらのニーズにこたえた商品は手作り以上のプレミア価格がついて販売されている。


世の中すべてがデジタルになってゆくのか、と思っていたら、音の出口となるスピーカーについてはデジタル化された製品が販売されていない。技術的にむつかしいからだ。


おそらくスピーカーは21世紀もアナログ技術の製品が使い続けられると思われるが、このような技術的制約がオーディオという商品には存在するが、それでもかつて活況を呈したホームオーディオの市場が高級品だけにシュリンクした事情を説明できない。


音楽愛好家は、今も昔も変わらずに存在する。ただし、TV番組を見るとその中身は大きく変わり、クラシック音楽愛好家は減少するととともに音楽のジャンルは単純ではなくなった。様々な音楽ジャンルとその他と結びついた音楽が溢れている。


クラシック音楽ならばコンサート会場という基準が存在したかもしれないが、それ以外の音楽については、ハイファイと言ったときの基準となる音が存在しないというのが実情だ。ジャズならばライブハウスが、と指摘する人がいるかもしれない。


しかしライブハウスはクラシック音楽のコンサート会場の様な基準となりえない。時として音楽と異なる雑音の存在も良い音の条件になったりする。このような状況でホームオーディオが目指してきた良い音と言う定義が怪しくなってきた。

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2021.08/15 日本の思考停止

昨日の日刊ゲンダイデジタルに三枝成彰氏の「東京五輪の”学芸会”開閉会式は日本のダサさと思考停止ぶりを世界に知らしめた」と言う記事には同感である。


今回の東京五輪の開閉会式の出し物について開催前にすったもんだしたあげく、お金をかけた三流のショーになっていたのは誰の目にも明らかだった。


松健サンバ待望論もツイッターで出ていたが、お金をかけずサンバでも踊っていたほうが言い訳ができただろうと思う。サンバ一色ではどこの国かわからないので阿波踊りや東村山音頭などを総動員すれば費用も安く日本を表現できたのではないか。


冗談はさておき、三枝氏の指摘は東京オリンピックに限ったことではなく、バブル崩壊後の日本企業にも当てはまる。何かコンプライアンス違反でも起きようものならすぐに謝罪する。本質的な解決は後回しにまず世間に良い顔をしてごまかそうとする姿勢が見えている。


例えばくい打ち不正で問題となったハウスメーカーでは子会社社長が謝罪し、真摯に再発防止に努める、と言っていたが、その後この会社に我が家の定期的な外壁修繕をお願いしたら、多数の壁の装飾を壊してその上から塗装し、見栄えの悪い工事をされた。


クレームをつけても音沙汰なしで半年ほったらかしにされたので、本社のホームページに実態を投稿したら、本社の課長が謝罪しながら実態を点検確認し、無償で修理すると言ってきた。当たり前である。


ヘーベル板は建築後20年でガタガタになるような材料ではない、と宣伝しているのだ。またそうならないためにユーザーもハウスメーカーに言われるままメンテナンスをしている。


ついでに工事の際に養生を忘れて玄関扉を汚した話をした。そうしたら、担当者が工事前の汚れていない写真を見せて、そのようなことは無いと否定してきた。


当方は工事終了後に汚れた状態の写真を撮っていたので、遠山金四郎が刺青を見せるように、その写真を見せたら課長も含め写真の前にひれ伏した。当方はそのようなことを望んでいたのではなく、誠実な対応を希望していただけである。


東京五輪に限らず、日本中が安直な思考で商業主義的にただ儲かればよいという考え方で企業活動が行われているように思われる。品質問題は高度経済成長期でもあったが、もっと対応が誠実だった。東京五輪の失敗を事例として企業活動も見直してみてはいかがか。

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2021.08/07 真夏の夜の夢ではない

昨晩男子400mリレーの決勝が行われたが、あっけない幕切れだった。ただし、これは次に夢を持たせてくれる結果でもあった。なぜなら、仮にあそこでバトンミスが無かったとしても、予選のタイムを見れば現在のメンバーの状態でメダルを取れなかったことは明らかだからである(注)。


まず、結論を書くが、今回日本陸上短距離メンバーの調子は全員悪かった。その理由は不明だが、各個人のオリンピックの成績を見ればそれがあきらかである。


桐生選手がだれの責任でもない、と言ったが、全くその通りで、全員何をやっていたんだと言いたくなる状態でオリンピックに臨んでいる。


これは陸上だけではない。水泳も大橋選手の金二つが光っているだけで、他の選手は金メダルが期待されながらも、またとれたかもしれない実力がありながらも、予選落ちとか惨憺たる結果である。


食事準備が原因で起きた暴力事件や不倫、芸能人との恋愛問題などオリンピックに至るまで問題が多かった。今回のオリンピックではメダルラッシュが話題となっているが、その一方で大きな期待外れと、男子競泳陣のような予想された結末に注目したい。


不倫その他が原因で才能が有りながらおそらくだめだろうと当方は予想していた瀬戸大也選手は、決勝4位が最高の成績だった。残念だったのは、この成績に満足した顔が大きなTV画面に映し出されたことだった。おそらく彼はもうこれ以上伸びないと思われる。


人生長く生きてくると、いくつか人生の踏ん張りどころで頑張ることの重要性が分かってくる。当方は踏ん張る必要のないところでも踏ん張ってきたので、人生に少し失敗したところがあった、と後悔しているが、一方でいつでも踏ん張ったおかげで実力以上の力を出せた瞬間を幸せ体験として思い出すことができる。


現在の年齢になっても踏ん張ることが習慣となっているので、時折その疲れがどっと出ることもあり、寿命を心配して反省することが多くなった。


人生だれでも平等に何らかのピークの時期が存在する、と思っている。そのピークの瞬間を自分が栄誉を得たいと思う分野ではどのあたりなのか知る必要がある。ピークを過ぎてからの踏ん張りはしんどいだけである(しんどいが踏ん張る習慣がついていると何とも言えない気持ちが湧いてくる。)。


自分の強みとそのピークの瞬間と、そして栄誉を得たい分野のレベルを十分に意識することができれば、あとは、それらを基に踏ん張りどころを冷静に計算し、踏ん張ると効率が良い。


もしこれができれば、涼しい顔をして「運が良かっただけ」と謙虚に応えることができ、大きな栄誉と人格者となる人生を悠々と歩むことができるのではないかと思う。しかし、それが如何に難しいかは400mリレー男子決勝をみれば明らかである。


ピークの瞬間であるかもしれない時期に色恋におぼれていてはもちろんダメである。若い時はストイックであれ、とは亀井勝一郎の名言である。


(注)予選のタイムは38秒16で決勝進出8チームで最下位。これを彼らはバトンのテクニックで1秒以上縮めようと考えたようだ。ここに彼らの現在の悪い状態が現れている。桐生はじめ各選手の状態についてはスポーツニュースにコメントが書かれている。ここでは過去データとの比較から。リオ五輪(2016年)で日本は37秒60で銀メダル、ドーハ世界選手権(2019年)37秒43で銅メダル、ちなみに今回金メダルのオリンピックレコードは37秒50であり、もしドーハの記録を出せていたら、金メダルを取れていたのだ。ここで金メダルだけが人生ではない、と言ってしまったら訳が分からなくなる。金メダルをとれる才能、強みがあってもそれを取れないのは、ストイックな努力をしていないからだ、という人がいるが、それでも取れないのが金メダルである。今回の陸上の結果は、自分たちのピークをその瞬間に持ってこれなかった悲劇である。これを成功させるためには周囲の助言、コーチングが重要となってくる。自分では気がつかない、あるいは見えないところがあるからだ。実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな、人生謙虚であれ、は亡くなった母の言葉であるが、周囲の助言は謙虚でなければ聞くことができない。

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2021.08/06 5000人を超えた

昨日東京都の感染者が5000人を越えたという。しばらく4000人台で推移すると思っていたら、あっさりと記録を更新した。これでは、本当に1万人になる可能性が高い。昨日書いていて半分信じていなかったが、間もなく1日1万人を超えて、インフルエンザの大流行と同じ状態になる。


TVでは、オリンピックとの関係が疑われたりしているが、おそらくオリンピックは精神的な影響に留まり、オリンピック関係者が1万人越えの犯人ではないだろう。


政府ではロックダウンという声も出てきたが、遅いと思う。ここまで来たらある一定数は不幸にも死を覚悟してもらうような状態である。そのうえでロックダウンだろう。現実は手遅れ状態なので政府は覚悟している死者の数を宣言すべきである。


重症化リスクの低い患者は自宅待機、などという婉曲的な表現ではなく、助かりそうな人だけ入院してもらう、と明確に宣言したほうが国民に伝わる。ただし、このような宣言は許されないが、今厚生省の出している指針は同義と思われる。


ワイドショーでは、感染症の専門家が政府の対応を責めていたが、まさにこの状態は政府の責任が大きいと言わざるを得ない。おそらく来年まではコロナの流行は収まらないと思われ、今年予定されている選挙では自民党の大敗が予想されるが、どのような政権となるか不明な日本の現実も悲しい。

 

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2021.07/17 小山田圭吾問題

日本には反社会的行為でも被害者が訴えなければ犯罪とならないルールがある。当方の会社内でFDを壊され業務妨害された事件もそうであるが、被害者が訴えない理由を考えなければならない。また、このルールゆえに隠蔽化される可能性が高い時に、被害者はしばしば自死を選び、その死でもって事件の事実を社会に訴えたりする。


例えば、財務省の問題や、STAP細胞における研究所建物内の自死、電通の新入社員の自死、トヨタ自動車におけるパワハラの自死、そして6月にはJOC経理部長の不審死など最近の事例だけでも多い。しかし、これらの自死まで至る事件でも遺族が訴えなければ、事件にならないのである。


STAP細胞における研究者の自死では、他の研究者の著書から研究所内で何が起きていたかが書かれており、書かれた内容が事実であれば、明らかな犯罪行為も存在している。著書の内容から証拠を裁判所に提出できそうな事件もあるが、著者ならびに配偶者がそれをしないのもその気持ちを考慮すると当方は同類の被害者としてうなずくことができる。


当方も当方の残した住友金属工業とのJVの仕事を発展させて30年も事業を継続された方々の存在を考えるとこれを裁判所まで訴えるという気持ちには至らなかった。ただし、当方が退職してから始められた仕事、とか当方ではない人物が「私が発明した研究です」と名乗り出られたなら、当方の転職理由を公にしないわけにはいかなくなった。


すなわち、今の日本は、それを信じたくないと思っても、黙って我慢していては悪がのさばる世界のようである。当方の研究をあたかも当方が転職してからなされたようなことを学会賞に提出した証拠や、当方の研究に全く携わっていなかったのにトップネームで自分の研究のように書かれた論文が存在し、これらの醜い行為の証明をすることが可能である。


そもそも人間社会の欲望の醜さについて芥川龍之介はじめ多くの小説家がフィクションとして表現しているが、小山田圭吾の犯した罪は、たとえそれが訴えられていないあるいは学生時代と言えども謝罪だけで許されるような行為ではない。さらにそれを社会人になってから自慢するに至っては、正気ではない。


その内容が公開された時に当方はあまりにもおぞましいいゆえに信ぴょう性について記事を疑ったが、先日本人はそれらすべてを認め謝罪したのである(注)。


オリンピックが1週間後ということもあり、関係者がみそぎのために謝罪させたのだろうと思われるが、その内容が謝罪だけで許される問題と考えている組織委員会もおかしい。


また、当方は知らなかったが、WEBで調べると過去にも同じ問題で小山田氏は訴えられており、事前に問題を関係者は知っていた可能性が高く、過去の問題だからと甘く考えていたようだ。


オリンピックとは、例え完璧な遂行が難しいとはいえ人間の理想を追求して開催された時に、始めて誰もが納得する感動的ですばらしい大会になるのだ。


最近JOC会長の過去の行動が記事として取り上げられ、「世界の山下」の評判がガタ落ちだが、ここは国民栄誉賞に恥じない勇気を示してほしい。


もし、このまま何ごとも無かったように東京オリンピックで彼の作品が使われるようであれば、単に国民不在のオリンピックと言うだけでなく、それこそオリンピック貴族を満足させるための開催だった、という汚点を歴史に残すことになる。


プログラムが完璧に遂行されたオリンピックと最後まで理想を追求しようと努力した痕跡の残る不完全なオリンピックとどちらが感動を歴史に刻むのだろうか。東京の感染者がこのまま増え続けた場合の判断も同様である。


これは、国民の多くが反対しているにもかかわらず遂行する日本政府にも責任の一端があり、あくまでも開催する大義を求めるならば、理想を追求してこそ日本国家の政府である。



 

(注)武藤事務総長の無責任な「知らなかった発言」が昨日なされたが、2019年にも大問題となっていた男である。誰にも知られなければ、あるいは被害者が声を上げなければ犯罪ではない、という論理を武藤事務総長は公言したのである。作曲者として決まった時に、WEBで氏名をいれて確認すれば、何が問題か分かったことである。世界から「およそオリンピックにふさわしくない人間であると知ってて採用した」、と言われても仕方がない状況である。但し、五輪関係者はじめ政府の方々が小山田圭吾と同様の悪である、すなわち同じ穴のムジナであれば、今回の武藤事務総長の発言を理解できる。サブカルチャーの世界を十分に理解していないととんでもない恥をかく。時間が無くても対応すべき問題である。おそらくさらなる爆弾ニュースがオリンピック開催までに爆発する可能性がある。

*本件、19日夕方に小山田氏の辞任が発表された。

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2021.07/02 靭性を上げるには(2)

複合材料について、1980年代のセラミックスフィーバーの時に研究が進んだ。理由は、金属の繊維補強材料として、セラミックス繊維が多数開発されたからだ。当方も傾斜組成のC-SiC繊維で補強されたアルミニウムを瞬間芸で開発している。


この時に形式知として繊維補強により靭性が向上することが明らかになった。その形式知は繊維補強セラミックスとして応用され、さらに繊維だけでなく、超微粒子でも靭性の向上する事例が見つかっている。


部分安定化ジルコニアは、結晶転移により破壊エネルギーを緩和させて靭性を向上させているが、学生の時に面白い授業を聞いたおかげで、この部分安定化ジルコニアの靭性向上メカニズムを早くから知っていた。


その授業では、部分安定化ジルコニアで製造された湯呑茶碗を床に落としても割れないことを実演していた。ところが、当方が受講した年に教授が10数年間の授業と同じように湯呑茶碗を床に落としたところ粉々に割れたのだ。


教授の説明では長年落とし続けて、結晶がすべて転移したために、割れたとのこと。部分安定化ジルコニアではこのようにすべての結晶が転移してしまうと靭性は低下する。


複合材料による靭性向上手段も同様の現象を示す可能性があるが、微小亀裂を修復するアイデアも出てきているので、部分安定化ジルコニアよりも信頼性が高く、メンテナンスを行えば高靭性を保てる高強度材料ができると思う。


例えば自己修復ポリマーが研究されているが、この分野へ応用すると面白い成果が出ると期待している。例えば炭素繊維複合樹脂では、低融点樹脂を分散したマトリックスの複合材料とすることで、亀裂が入った時に外からコてをあてて修復する発明が開示されている。


これも自己修復と呼べるが、学会で報告されている自己修復性は、分子の一次構造が修復するポリマーで、より微細な構造の修復も可能と思われる。

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2021.07/01 靭性を上げるには(1)

弾性率と靭性の関係について、昨日経験知を説明したが、硬くて靭性も大きな材料が欲しければ複合材料で創り出す以外に手段はない。以前硬くて振動吸収の良い材料を創り出すために樹脂補強ゴムが考え出された話をこの欄に書いた。


このような材料は、物性が二律背反の材料であり、科学的に考えるのは難しい。経験知に基づく技術で初めて創り出せる。技術で作り出された二律背反材料について科学的に解析し、新しい形式知を見出すことは容易だが、科学で不明確なものを創り出すには、人間の創造力に頼る以外に方法はない。


創造性は誰にも備わっているはずだが、自己啓発でもしなければ衰えてしまう。但しどのような分野で創造性が発揮されるかどうかは、日々の営みの中でその人間の能力がどのように発揮されているかによるのだろう。


絵を描くことを強く希望せず、日々の営みの中で仕方なく絵を書いていても創造性は発揮されない。これが才能によるのかどうかという議論があるが、脳みその重量にそれほど差はないので、やはり自己実現意欲の強い方向に才能は磨かれると思う。


絵を描くことは難しいが、カメラを被写体に向けてシャッターを押すことは誰でもできる。写真の良いところは、経験知がうまくまとめられており、カメラの性能が著しく人間の能力を超えてしまったので、ニコンカメラを使って経験知に従えば誰でも創造性豊かな写真を撮ることができる。


ただし、その写真が万人に支持される創造性の賜物かどうかは、フォトコンテストで確認してみなければわからないが、自己満足できる、そこそこの写真が撮れるのが最先端のデジカメである。


当方は、ペンタックスカメラで幾つかフォトコンテストで入賞している。世界的な大会では一等をとり、それを最後にフォトコンテストを卒業した。当方はニコンとペンタックスを使い続けてきたが、なぜかニコンカメラでの入賞は1度だけで、それもキャノンが後援だったフォトコンテストの二位である。このコンテストでペンタックスを使っていたら何位だったのだろうか。


おそらくペンタックスカメラには写真を撮る意欲を掻き立てる無形の性能があるのではないか、と思っている。ただ、ピント性能などはニコン製のカメラより劣る。ピント性能は、雑誌のテスト結果を見ても未だにニコンの最先端デジカメがトップである。


それでもペンタックスファンがペンタックスを使い続ける理由は、写真を撮る文化を追求し続けている姿勢をカメラから感じるからだろう。ただ、ニコンカメラが高いから、と言う理由ではないことをペンタックスからニコンに乗り換えようとして、結局両方を使うことになった経験から理解している。ペンタックスでしか撮れない写真が確かにある。


ところで、この年齢でギターを弾き始めたが、写真撮影のようにうまくならない。しかし、才能が無いとは思っていない。才能に責任転嫁するのは神様に責任を押し付けるようなもので、自己責任が叫ばれている現代の視点では加齢に見合う努力をしていないことが原因と考えなければいけない。ただし、加齢に見合う努力をしたときに寿命を縮めるのではないかという恐怖もある。


ギターの腕は上がらないが、新しいメロディーを創造することはできる。カラオケでは常に新しいメロディーを創造しているのだが、これはただ音程を外しているだけではないかと言われてしまう。しかし、正しくチューニングされたギターから新しいメロディーが出てくれば、音程が外れた、と指摘されないだろう。


リズムとコードの組み合わせについてはほぼ無限である。聞きなれたメロディーでもリズムを少し変えてやると異なる雰囲気となる。練習をしながら新しい発見があると上達速度が遅くても飽きない。粘り強く、まさに靭性豊かな練習である。


ただ、これもリズムを外した結果の発見、と考えると少し情けなくなる。積極的に新しいリズムを作りながら(弾きやすいテンポで練習しているだけだが)練習していると考えると、意欲は上がる。レゲエだってそのように生まれたのかもしれない。


研究開発で隘路に陥った時にどれだけ気持ちを強く持てるか、と言われたりするが、心の強さを上げるのに意思の力を上げることは難しいが、粘りっ気あるいはテキトー、柔軟さを持たせることは心の視点を変えるだけで良い。心の靭性は材料の靭性を上げるよりも容易である。今日からでも失敗しない技術開発を実践できるノウハウを書いてみた。

 

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2021.06/29 材料の強度(2)

靭性とは粘っこさ、応力に対してしなやかに、割れにくさなどと表現される。強靭な精神力という言葉から、ストレス耐性の高いモーレツサラリーマンを思い浮かべるかもしれない。靭とはぐっと力がかかった時に柳のようにうまくその力をいなす性質だ。


感覚的には、硬いものは割れやすく、柔らかいゴムのような塊は、金槌でたたいてみても割れずにどこかへ飛んで行く、そのような現象で観察される性質である。


科学的にこの性質を明らかにしようという努力が1960年から1980年頃活発に行われ、その成果は線形破壊力学としてまとめられている。ところが大学ではこの線形破壊力学を教えていない。当方も1970年代に化学系の学生時代を過ごしたが、授業科目に無かった。


金属学部では教えていた大学もあったようだが、化学系の無機材料学科で線形破壊力学を学べる環境は見当たらなかった。このあたりは靭性というパラメーターが形式知として一般的ではないことを表している。


しかし、実務で線形破壊力学について知っているのと知らないのでは現象の見方が異なるので、是非お茶の水の古本屋にでも行って適当な教科書を見つけて勉強してほしい。機会があれば当方が特別講義をしても良いと思っているが、当方の線形破壊力学は少し怪しい内容である。しかし、実務には役立つ、と思っている。

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2021.06/24 弾性率と強度(1)

弾性率と強度は異なるパラメーターであることを御存じない方が多い。その他にヤング率とか、体積弾性率とか、剛性率、硬さ、ポアソン比などと材料物性に関わる周辺の言葉の意味を理解していないと、材料開発を失敗する確率が高くなる。

もっとも失敗することにより、その原因から差異を理解し、経験知が増えてゆくから失敗も無駄ではないが、ボーっと実験をしていると、せっかく得られたはずの経験知を取りこぼすことになる。

技術開発を行っている、と明確に認識しておれば、経験知は確実に増えるが、ボーっと科学をしていますとか、科学技術の開発をしていますと応える様な人は経験知が増えてゆかず、不幸なことに間違った形式知を記憶することになる。

まず、これらのパラメーターは、計測者の力量や計測方法が原因でばらつくことを知っておこう。これは科学において現象を観察するときに、誰もが知っていることである。もしこれが正しく理解されていなかったら、STAP細胞の有名な女性研究者のような未熟な科学者どころか科学者ではないと言われかねない。

計測者の力量や計測方法のばらつきだけでばらついている、と認められて初めて科学で理解された現象として認められ、そこから形式知が生まれる。結晶の弾性率はそのようにして求められた唯一の値である。ゆえに教科書には、弾性率の説明として物質固有の定数などという説明が与えられたりする。

その弾性率の定義は、単位歪当たりの力、すなわち力を歪で割った値である。これが定義されてヤング率や体積弾性率が求められることになる。

ところが、強度は弾性率だけで決まらない。ここを正しく理解していない人が多い。ひどい人になると引張強度から弾性率が求まる、と言って安直に引張試験を行い、得られたSSカーブから適当に計算した弾性率をその材料の弾性率として記載している。

簡単そうに思われる強度と弾性率であるが、アカデミアの先生でもこのあたりをいい加減にされている方がいたりする。ポスター発表の時にSSカーブを見つけるとお決まりの突っ込みをしてみるが、正しく答えられる人は少ない。

学生で正しく答えられる人に出会ったことは無い。これは偏差値とは相関していない。指導教官の力量と関係していると思っている。偏差値が低い大学でも優れた科学者とみなせる先生の指導であれば、形式知について学生は正しく答える。今の時代、大学の偏差値と社会での活躍は相関しなくなっている。

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