昨年から新幹線を利用する機会が増えてきたが、みどりの窓口が激減し、びっくりしている。さらに先週大阪へ出張した時に新幹線指定席切符の時間を間違えたのでみどりの窓口を探したところ、長蛇の列となっており、結局指定席券で自由席に乗り帰ってきた。
JRは、みどりの窓口削減計画の見直しを先日発表したが、そもそもそのような計画を実施する前にやるべきことがあるのにみどりの窓口を廃止するような失態を犯している。
JRの顧客の削減計画には購入行動の研究を行った気配が感じられない。当方がまず気になるのは、券売機の性能と設置数である。現在の券売機の機能では、みどりの窓口の代わりにならない。
JRは、今回の事態にネットでの購入者が増えなかった問題を上げているが、そもそもネットでの購入の不便さも放置されたままである。
新幹線だけ利用するのならば、現在のアプリを我慢して使えるが、地方へ行くときには、みどりの窓口が便利である。少なくとも、これが、逆転しなければいけない。みどりの窓口より便利なアプリならばみな使うはずである。
そもそも不便なアプリをばらまいておいて、それを使う前提としているところがお粗末である。JR内部でアプリの使用感を検討していなかった可能性が高い。少なくともみどりの窓口がまったく無くなってもいい状態にしてから削減計画を実施すべきだった。
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デジタルカメラの進化で高性能のカメラを使えば、誰でもそれなりの写真を撮影できるようになった。それだけではなく、一昔前にはプロでも難しかったスポーツ写真を素人が簡単に良いシーンを撮影できたりする。
また、ペンタックスのカメラであれば、現像時の画像の色調をあらかじめ自分好みに設定しておけば、レタッチなどしなくてもすごい写真が撮れたりする。
それでも、なお、プロとアマチュアの差があるのは写真で芸術表現できるという証だと思う。自分の思い描いた描写を目の前のオブジェクトで表現するのである。
すなわち、写真が芸術となるためにはそこに撮影者の思いが表現されなければいけない。これを初めて聴いたのは、高校生の時で深夜放送から流れてきた。語り手は、今は〇〇写真家として知られている加納典明氏である。
かれは卒業制作で撮影したキャベツのモノクロ写真について熱く解説していた。おそらくスタジオではそれを見せながらの解説だったのだろうが、ラジオ放送であるにもかかわらず、目の前にモノクロのキャベツの写真が現れた。
写真における光の陰影による表現を学ぶためにモノクロ写真を勧めていた。そして、誰もに見てもらいたいならば、ヌード写真を撮ればよい、と語っていた。
誰にでも見てもらいたい、という気持ちは大切だが、それよりも目の前の被写体に対して自分の思いを描き出さなければよい写真とならない、という写真の芸術性についても論じていた。
この放送を聞き、写真が趣味となったが、オブジェクトに自分の思いを載せることの重要性は写真だけではないことも分かってきた。AIが進化しても生き残る技術者とは、技術に対して人間としての思いを込めることのできる技術者である。
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FortrunとかBASICなど、かつて手続き型言語の問題解決のため、あるいはプログラムの生産性を上げるためオブジェクト指向言語が登場した。
1990年代の日本はバブルがはじけたが、このころタグチメソッドの普及が日本で始まっただけでなく、オブジェクト指向の登場というソフトウェアー業界にも大きな変革があった。
Cは、その橋渡しになった言語で、今改めてC言語を見ると、ものすごい柔軟性のある言語であったことに驚く。すなわち、今後も登場するかもしれない新しいソフトウェアーパラダイムをCなら実現できるかもしれない、と思われるからだ。
なにを言っているのかというと、最初の最も普及したオブジェクト指向言語はC++であり、そのコンパイラーは、一段階目でCのコードを吐き出し、二段階目のコンパイルで機械語となる仕組みで、これはCでオブジェクト指向のプログラミングができたことを意味している。
オブジェクト指向は、それまでデータとアルゴリズムを別々に扱ってきたパラダイムをオブジェクトとして一つにまとめた、画期的概念である。
ところが、この数年データ指向プログラミングが言われ始めた。これは何かというとデータとコードをわけてプログラミングしましょう、というパラダイムである。DOAとかDOPとかはこの意味である。
このように説明すると、昔のFORTRUNに戻ったのかと錯覚するが、オブジェクト指向のプログラミング環境でそのようにプログラムしましょうという単なる提案である。
そのようなことならば、当方は昔から実施していた。すなわち、DOPとはオブジェクト指向のパラダイムにおいてどのようにオブジェクトを設計するのかという問題であり、実験データを解析してきた当方にとって、データだけのオブジェクトとそのデータを加工するオブジェクトは分離しておいた方が使い勝手が良かった。
プログラムユーザーがプログラミングすれば、当たり前のように気がつくパラダイムである。またそのパラダイムは、かつての手続き型言語でも取り入れることが可能、というよりも、そうしないと分かりにくいプログラムとなるので、当方はそのようにプログラミングしていた。
情報化時代に門外漢は取り残されたように感じたりするが、このような輪廻に気がつくと、情報化時代を牽引している人たちも未来を見通して開発をやっているわけではないことに気がつく。
新パラダイムの発明とその普及は、パラダイム発明者を競争有利に導く。日本はアメリカにやられっぱなしだが、情報技術における輪廻に気がつけば、新たなパラダイムで一気に先回りができそうに思う。
弊社ではすでに権利化した特許を基に、新たなデザインパラダイムを研究している。ご興味のあるかたは、公告された特許でご確認の上、お問いあわせください。特許の売却も可能です。
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1970年代に耐熱性高分子の研究から、高分子の難燃化研究へと流れが変わった。当時耐熱性高分子の総説が発表されている。そこには、燃えない高分子を作り出すのは不可能と書かれていない。
但し、耐熱性の評価尺度をどのように決めるのか難しい点に触れられている。理由は熱天秤の評価がばらつくからだ。
高分子の難燃性についてもその評価ばらつきの問題があるが、極限酸素指数法は、再現性の高い評価法として今では認められている。
1980年代にISOが制定されているが、1970年代にスガ試験機から全自動酸素指数測定装置という怪しい評価装置が販売されて、ゴム会社の研究所に設置されていた。
多くの燃焼試験法では、試料への着火方法が問題となる。燃焼試験の経験のある方ならご存知と思うが、着火する炎の大きさやその燃料まで細かく規定されている。
この全自動極限酸素指数測定装置は、そこまでの自動化はなされていなかったが、試料への着火後の制御にはそれなりの工夫がなされていた。
ただ、この装置の欠点は、燃焼速度が速い試料の測定ができないのだ。発泡体の燃焼速度は速いので測定できずゴム会社の研究所でホコリをかぶっていた(注)のだが、それを発泡体の測定が可能なように改造した。
この装置の優れていたところは0.05%まで酸素濃度の微調整ができたことだ。ここまでの精度の装置は現在市販されていない。ガスクロマトグラフィーで酸素濃度の変動を測定し驚いた。
ところが酸素濃度の微調整ができても、極限酸素指数測定データの分散を0.1以下にすることができなかった。それでも学生時代に某女子大で使わせていただいた試験機より精度が高いと思われた。
学生時代には、0.5程度の誤差は出る、と教えられた。しかし、ゴム会社にあった自動極限酸素指数測定装置についていた流量計は、学生時代に借りた装置よりも細かいメモリがついていた。マニュアルにも0.01%の精度と書かれていた。
極限酸素指数測定について、精度の高い実験装置があったのは幸運だった。また、自動化するための各種センサーがついていたので測定環境のばらつきを小さくすることもできる。データサイエンスで解析しようと思っていたので喜んだ思い出がある。
(注)ゴム会社の研究所では残業代の申請上限は20時間まで、となっていた。しかし、その20時間の申請さえも難しい雰囲気だったので、12年間ほとんど残業申請をせず、サービス残業で時々徹夜の過重労働をしている。しかし、研究設備への投資を惜しまない体質だったようで、研究所では購入しても使われないまま廃棄される設備があった。全自動極限酸素指数測定装置も汚れは全くなく新品で2年以上放置されていた。3年間高分子の難燃化研究を担当しているが、この測定装置は研究装置の中でも一番よく使った装置である。熱天秤も使用頻度が高ったが、毎日のように使用していない。使用されていなかった装置を喜んで使っていたら、「君のために買ったのではない」と上司に叱られている。新入社員研修では、成果主義のような説明を受けていたが、成果を出したら始末書を書かせられたり、それ以外にもいろいろと注意を受けている。某建築メーカーへ供給するフェノール樹脂天井材の開発では、開発計画が1年前倒しになり、サービス残業の毎日で成果が出ても良い査定を頂けなかった。給与明細書を見れば、査定評価が分かるのである。「学会発表は君だけ優先している」と上司に言われたが、当方からお願いしたわけではない。学会発表に耐えうるデータを出していたのが当方だけだったのと上司が学会の研究会で運営委員をしていたからだろう。「科学的に実験をやれ」とよく言われたが、「どのような実験を行うのか」具体的に言われたためしはない。統計的にデータ処理したり、N数を増やしたりしていた実験をよく非科学的と言われたが、統計手法は科学的にデータ処理するときに必要である。統計手法が科学的と思われていなかった時代がある。タグチメソッドが日本で普及が始まってから30年以上経過したので品質工学を非科学的という人はいないだろうと思うが、科学とは何か、ということを充分に理解しないで技術者を指導すると喜劇が生まれる。まだこの欄で紹介していない喜劇は多い。
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デバイスとして電気粘性流体の耐久性問題が解決できている姿とは、既存のゴム技術で作られたケースに、耐久性問題が解決された電気粘性流体が封入されているシステムが、技術の視点で合理的である。
しかし、「科学的に電気粘性流体の耐久性問題を界面活性剤で解決できない」と結論されたので、耐久性を阻害している、ゴムケースからのブリードアウト物質を取り除かなければいけない。
ゴムケースからのブリードアウト物質については、科学的な分析や解析が完了していて、加硫ゴムの配合成分全てあることが分かっていた。それで、加硫剤も添加剤も何も入っていないゴム開発というテーマが企画された。
ゴム業界で世界のトップメーカーの研究所が、このような馬鹿げた企画を立案するとは信じられないかもしれないが、科学だけで考えると、この様な企画しか出てこない。科学的に完璧な否定証明で、この企画周辺が固められていた。
だから、研究所の誰もがこのテーマのおかしさに気がついていないだけでなく、ゴムに詳しくないリーダーは画期的なテーマと喜んでいる。ある意味裸の王様の物語状態である。
科学の推論で出された結論が妥当かどうか、熟練した技術者ならば検証する。そして、科学的に不可能であっても技術的に解決できる解が無いのか探す。それがロマンを持った技術者なのだ。
科学的に解決が不可能な問題を技術的に解決できるのか、と疑問を持った人は、弊社のセミナーで勉強していただきたい。ゴールデンウィークでも開講します。
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ゴム会社がアメリカのタイヤ会社を買収し、その後研究所のリーダーが交代した。前のリーダーの時に住友金属工業との高純度SiC半導体治工具事業のJVが立ち上がっていたので、そのまま仕事を進められると思っていたら、新しいリーダーはそのテーマが無くなったという。
社長決裁で始まっていたテーマであり、年に1回の社長診断でも一人で研究開発をしていた現場まで社長が訪問され激励されたばかりである 。
新しいリーダーは、6年間研究ステージにあった電気粘性流体を実用化レベルまで完成させるために耐久性問題を解決しなければいけない、それで加硫剤も添加剤も何も入っていないゴムの開発をしなければいけない、と当方に指示してきた。
タイヤ会社の買収を成功させるために、研究所でゴムに詳しい担当者は皆タイヤ部門へ異動となっていた。その結果、研究所で最もゴムに詳しい担当者として当方に白羽の矢が立ったのである。
それは間違いではなかった。当方は新入社員時代に、混練が難しい樹脂補強ゴムの開発を成功させた実績があった。また、管理職昇進前の小生に研究所の重要テーマとなった電気粘性流体を実用化レベルにできるかどうか生命線となったゴム開発を小生に担当させる、という配慮もあったかもしれない。
そのような配慮を考慮すると、住友金属工業とのJVは研究所のテーマではない、とまで言っていたので、社内に担当する組織が無い状態では、当方がヤミ研として推進する以外に方法が無かった。テーマが無い、という意味は、サービス残業を駆使し過重労働で何とかしろ、という意味だった。
そこで、新しく担当するテーマについて1週間企画のための時間が欲しいと申し出た。そして、新しいテーマのゴールは、デバイスとして電気粘性流体の耐久性問題が解決できておれば良い、という譲歩まで引き出した。
界面活性剤では電気粘性流体の耐久性問題を解決できない、という科学的に完璧な否定証明の研究があるから、ゴム以外の対策しかないだろう、というのがリーダーも含めた研究所全体の見解だった。
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小林製薬の紅麹問題では、床にこぼれた製品を回収して商品にしていた問題などが遅れて出てきた。このような問題が、なぜ最初に出てこなかったのか不思議に思われた方も多いのではないか。
当方は隠蔽していたのではなく、経営も知らなかったのだろうと思う。これまでの小林製薬の発表を見てきた限り、工場の品質問題に対して経営は高い関心を払っていなかった、と感じている。
第二次産業では、製造現場が経営の最も高い関心ごとだった時代は終わり、マーケット中心になった。だからと言って、製造現場に経営が注意しなくても良くなったわけではないのだ。
マーケットが重要であるがゆえに、そのマーケットで高い品質により勝ち残るためにますます製造現場の品質管理に経営は関心を高めるべきだった。
トヨタ生産方式は20世紀に最も注目された日本の製造技術ノウハウであり、世界中に広まった。ゴム会社はカンバン方式を参考に独自の生産方式を作り上げ、高品質高効率の製造現場を創り出し事業に成功した日本企業である。
ゴム会社では研究所を除き、常に最高の品質を目指すために統計手法をはじめとしたデータサイエンスに力を入れていた。研究所はそれを非科学的で仕事のやり方はKKDと批判していた。
転職し、全く異なる業界に身をおいてびっくりしたのは、品質も含めその考え方の違いである。研究開発部門は、ゴム会社の研究所ほどひどい科学第一主義ではなかった。
しかし、製造現場はトヨタ生産方式とは異なる生産方式がとられていた。さらに中国の二つの工場では、それぞれが同じ会社の工場でありながら、片方は先端という理由でセル生産方式がとられ、片方は従来の流れ作業方式がとられていた。
小林製薬の紅麹問題を考えてゆくと、せっかく戦後トヨタ生産方式や日科技連などの活動でQC活動が普及し始めたにもかかわらず、それがうまく定着しなかったところがある日本の現状である。
もし、このような懸念を感じておられる方は弊社へご相談ください。研究開発から一体となった、先端の品質管理技術をご指導いたします。故田口先生の考え方を改良発展させました。
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自動車業界でソフトウェア定義車両のことをSDVというらしい。HVからEVへ、そして今トレンドがSDVというニュースが多い。車に関心のある人ならばHVをハイブリッド車、EVを電気自動車と理解できるだろうが、それでもSDVからすぐにソフトウェア定義車両と思い浮かんだ人は業界人である。
AVは何か。自動運転車とまだ認知されていないが、オーディオとヴィジュアル機器の略であることはよく知られている。その手の趣味の人はアダルトビデオをすぐに思い浮かべるのかもしれない。
すると、SDVを見たときにSODの誤植と誤解する人もいるだろう。とにかくSDVはまだ広く認知されていない。CASEを初めて聞いた時にも意味が分からず勉強し、すぐにセミナー講師として招聘されている。
業界人よりも早くその可能性をまとめることができた故であるが、SDVに対しては何をいまさら、の感がある。自動車の発展史はSDVという見方ができるのだ。
また、そのような視点に立つと、自動車の不易流行が見えてくる。SDVで機械屋のトヨタは大丈夫か、という論調の記事があったが、大丈夫である。最近のトヨタ車の開発トレンドを見てそれに気がつかない人は業界人ではない。
プリウスのデザインに驚いていてはいけない。クラウンがいつの間にか、「いつかクラウンに」ではなく、「お好きなクラウンに」に変貌している。
このトヨタの車開発の変貌ぶりにその未来のトヨタを描けない人は勉強した方が良い。技術の日産は、日産自動車をうまく表現した言葉で、ゴーンが去ってからの車開発は、技術の日産の面目躍如の車が発表されている。
しかし、それは今車が向かう未来ではないのだ。技術の日産が危ない、と当方は感じている。日産自動車に妙薬は***である。***に関心のあるかたは問い合わせていただきたい。
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工場の不良には、外観からそれを見分けられる外観不良と外観から検査で見つけられない内部不良とがある。外観不良は外観検査で全数取り除くことが可能だが、内部不良は抜き取り検査となるので一部市場でクレーム問題を引き起こす。
これを最小限にする技術が品質管理技術(QC)である。日本はこの技術が高いことで知られ、戦後の成長はQCが支えた、と言われるほどだった。QC大国日本という言葉もあった。
しかし、バブル崩壊後、とりわけこの20年QC大国というのが恥ずかしい事件が多発している。最近では、昨年騒がれたホンダ車の燃料ポンプの問題がある。
低密度品のエンペラーが原因であることを部品メーカーが発表したが、密度管理は樹脂機能部品では常識である。そのための自動ラインを備えている工場もある。
すなわち、密度という内部不良を重量で全数管理しているのだ。全数管理なので内部不良でも市場に出てゆく不良率を低くすることが可能だ。
薬や食品でも不純物管理を正常品のシグナルを基に全数管理に近い体制とすることができる。例えば今騒がれている紅麹問題では、一部のロットだけの問題であることが明らかにされた。
すなわち、正常ロットのクロマトグラフィーを基準に異常ピークの検出を抜き取り検査で行えば、コストをかけず全数検査に近い品質管理体制とすることができた。
品質管理技術の基本が忘れられたようなトラブルがこの20年起きている。戦後のQCは戦前から技術者として活躍してきた人の遺産である。これが団塊の世代から我々の世代にうまく伝承されていない可能性がある。
心当たりのある企業は弊社にご相談ください。最高の品質で社会に貢献する企業で学んだ品質管理技術と故田口玄一先生から3年間直接ご指導いただいた体験を基にQC大国日本のQCを伝承いたします。
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データサイエンスは、データに潜む情報を取りだすための科学である。ゆえに、データに潜む情報を取りだす手法を論理的に明らかにするところが科学の方法である。
ところが、そのデータが何者であるかは科学的に明らかにしてくれない。正確には、データが何者であるかは、科学的にシルエットを描き出してくれるが、あくまでもそれはシルエットまでである。
すなわち、シルエットが科学的に真であるかどうかをデータサイエンスは保証してくれない。せいぜい確率的に何%の信頼度であるのか示してくれる程度で、ヤマカンよりあてになる程度だ。
例えば、マッハはニュートンの思考実験による研究成果を科学的成果と認めていない。最近の事例では、あみだくじ方式で見出されたヤマナカファクターも唯一の方法と未だ科学的に言えない。
換言すれば、ヤマナカファクター以外の方法が存在する可能性は残っている。これらは、データサイエンスの事例ではないが、データサイエンスによる成果が科学的成果ではない、という意味はこれらの科学的ではないということと同じである。
ニュートン力学はマッハが科学的ではないと言っても、高校の授業で習うのはニュートン力学である。あみだくじ方式によるヤマナカファクターも科学の成果として認められている。
イムレラカトシュは、否定証明だけが唯一の厳密な科学の方法であるが、科学と非科学の境界は時代により変化すると述べている。
1991年に当方はゴム会社から写真会社へ転職しているが、その原因は否定証明で科学的に真とされた「電気粘性流体の耐久性問題は界面活性剤で解けない」という仮説について、耐久性のある電気粘性流体をデータサイエンスによる成果で実現したからである。
当方の方法は非科学的と非難されただけでなく、すでにここに書いているがその後の業務の妨害も受けたので当方含め3人が転職している。
少なくとも1990年代まで日本ではデータサイエンスによる成果は非科学的とされた。また、タグチメソッドも日本で生まれながら、1980年代にアメリカで普及後日本に再輸入されて普及した経緯がある。
当方は1980年代のデータサイエンスを用いた難燃化技術成果について、深層学習で解きなおした成果とともにこの3月20日に日本化学会で発表している。この成果についてはセミナーでも公開してゆこうと思っている。
データサイエンスを導入した技術開発の手法をまとめ、すでにこの10年それを活用したセミナーを行ってきたので、企業内研修の教材として提供可能です。お問い合わせください。
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