課長は、現在のコンパウンドメーカーとともに開発をやりとげることが方針として決まっている、という。ただし、どこか他のコンパウンドメーカーが現在のコンパウンドメーカーよりも優れたコンパウンドを提案してきて、それで仕事がうまくいったのなら、それは社内的には許されるだろう。ただし、現在共同開発しているコンパウンドメーカーは、共同開発を理由にそれを問題にするかもしれない、と語った。
まじめな男である。半年後に成功を保証できるコンパウンドを何とか当方に調達してほしい、しかし、自分にはその知恵が無い、と正直に言っているようなものだ。当方はこの課長の当たり前のまじめな説明を真摯に聞いた。
課長の説明を聞いた後、もし子会社が優れたコンパウンドを供給してきたら外部のコンパウンドメーカーは文句を言うだろうか、と質問した。
彼らは、この写真会社は高分子の素人ばかりでコンパウンド技術が分かっていない、自分たちの方法が最良だと会議で言っている。議事録にもきちんとそれが残っている。
さらに、当方の技術提案を彼らは排除しているのだから、その排除された技術で製造された子会社のコンパウンドを採用しても問題は起きないだろう、と当方の考えを説明した。
課長は、現在の状態で開発人員が不足しているのに、コンパウンド開発をどのように行うのか、と質問してきた。開発をやらなければよいだろう、子会社で最初から生産立ち上げを行ったら開発人員はいらない、生産要員を手配するだけだ、と回答した。生産技術のスタッフならば、今からでも1-2名程度の増員は予算上可能だ。
課長は納得したが、いきなり生産ができるのか、少なくとも子会社の生産したコンパウンドを事前に評価した結果が必要になる、とISO9001のDR(デザインレビュー)手順をまじめに語りだした。どこまでも真面目な課長である。
多少は上司の気持ちも忖度してほしい、と言いたかったが、当方が一人でDRを各ステップすべて行う、そのためのデータ収集から資料作成までたった一人で行うからそれでよいか、と言ったら驚いた顔をして、こんどはグループのマネジメントは誰がやるのか、となった。
課長は当方が一人で業務をやることを納得した、と判断して、君にすべて権限を委譲すると答えたら、課長は驚いたが、納得したのかまじめな顔をして、具体的な計画書を作成してください、と早速上司に指示を出してきた。
マネジメント上では、当方の提案で役割が逆になったので課長が指示を出したとしても問題は無い。給与だけは高いままで役割は自ら下になって業務を推進し、結局半年後に中間転写ベルトを新製品に搭載することに成功するのだが、この成果は当方の評価につながらなかった。
評価につながらないことが分かっていても仕事を成功に導くためにはこの方法しかなかった。危ない仕事をうまくやれるかどうかは、成功させるために思い切った意思決定を誠実真摯にできるかどうかだ。
そして意思決定をしたのなら全責任を負う覚悟をしなければいけない。全責任を負うと言っても組織で行う仕事なので、組織の全責任を負えるレベルまで合意が得られるよう調整し、誰もが納得できるそれらの記録をコンプライアンスを遵守しながら残してゆく作業が重要になる。もちろん後で修正しなければいけなくなる内容はダメだ。
これが一番大切だが大変だ。大変な作業で、誠実真摯に仕事を進めなかったのが、いわゆる「森掛問題」である。国民に対して責任を負う覚悟をした役人がいなかったために問題となっている。官僚は公僕であることを忘れてはいけない。危ない仕事でも誠実真摯に意思決定をし、進めれば問題は起きない。
(注)この仕事では、土日も返上し、時には徹夜もしてDR資料作成を行っている。当方の意思決定に対し、予算の決済をしてくださったセンター長は、おそらく綱渡りの気分だったに違いない。当方に賭けてくれたその心意気に報いるために必ず仕事を成功させたい思いだった。ゴム会社で高純度SiCの事業立ち上げをしていた頃の気持ちを思い出した。ただし、組織風土の違いが仕事の進捗を加速した。仕事は大変だったが、気持ちよくできた。ただしデータが少ないために満足な体裁が整うまで何度もDRの資料が却下されたのは苦い思い出である。が、財務省の書類問題を思うときに、問題となるような資料を残さなくてよかったと安堵している。
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働き方改革が議論されているが、今回の財務省の文章書き換え疑惑の状況を見ているとずいぶんと無駄な作業をやっている、と感じた。忖度により書き直したといわれているが、書き直した部分を見ると、決定事項の正当性を主張するための方便が書かれていたように感じる。
議事録等の決定事項は、客観的に見て問題のない状態で表現されるべきである。これは財務省の議事録に限らず企業の業務でも同様だ。仮に鶴の一声で決まったとしても、鶴の一声に客観性が求められる。
退職前の5年間は、豊川に単身赴任し、中間転写ベルトその他電子写真機の部品開発に従事した。早期退職宣言後一年間は東京に戻ったが、この単身赴任中の部下の課長の一人が大変まじめな人物で助かった。
半年後に部品としての製品化が決まっていた仕事を引き受けたが、どうみてもそれは失敗する仕事だった。
この仕事を担当する前に、やはり失敗する可能性が高い仕事を引き受け、すぐにそのプロジェクト方針では失敗すると言ってプロジェクトを外された。(これは予想した通りうまくゆかず、失敗した、と風のうわさで聞いている。)
この経験から、中間転写ベルトの仕事を引き受けた直後に仕事内容を精査し失敗することが分かっていても、失敗するとは言えなかった。
前任者の業務を引き継ぎ、このままの方針で継続していたら失敗すると判断した中間転写ベルトの仕事では、最後まで周囲を忖度し、失敗すると言わない決意でいたので大変だった。
外部からコンパウンドを購入し、ベルトの成形技術を開発する方針で業務が進められていたので、コンパウンドを内製化すれば、すなわち自分で開発すればうまくゆくと自信があっても言い出せなかった。
業務を進めていて運よく、コンパウンド納入メーカーとミーティング最中に衝突する事態となった。ここでは、部下の課長が、機転を利かせて当方が席を外せるように議事を進行してくれた。
しかし、この出来事でこの課長は当方がうまくゆかないと判断していることに気が付いた。(明日に続く)
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あまり生々しく書くと問題になるといけないので、公開された事実だけで話をする。写真会社ではコンパウンドの基盤技術などなかったので、R社からコンパウンドを購入し、押出成形して半導体ベルトを開発していた。
あと半年で製品化の目途をつけなければいけない、というときにこの仕事を担当することになった。仕事のゴールは明確で、ベルトの周方向の抵抗が均一であり、柔軟な転写ベルトを製造することだった。
R社は一流のコンパウンドメーカーということで誰もコンパウンドの出来の悪いことなど疑わず、数年開発を続けていた。しかし周方向の抵抗が不均一で、歩留まりは一向に上がらず、とても生産できる状況ではなかった。
高分子材料の成形体は、プロセスの履歴をすべて取り込んだ物性に出来上がることは高分子技術者ならば誰でも経験知として持っている。長年開発を担当してきた人たちの誰もがコンパウンドには問題がないという。そこで、実用性は無いが、バンバリーを使って当方が理想としたコンパウンド、すなわちベルトの構造とコンパウンドの構造とが変わらないコンパウンドを製造し、ベルトを作らせてみた。
当時歩留まりに最も影響を与えていた電気的特性だけ評価すれば、一気に歩留まりがあがり、100%に近い状態まで到達した。ただ、靭性が低いので製品には搭載できない。しかし、長年電気特性の品質均一化に担当者は苦労していたので、この結果を見れば誰でもコンパウンドの問題に目がゆく、と期待した。
しかし、R社の技術者は前向きの推論を展開し妙なことを言い出し、写真会社の担当者もそれに同調した。せっかくゴールに肉薄するヒントが目の前にあっても、もう少しこれまでやってきた手順で続けたい、となった。優秀な連中の議論では、改めて材料設計を見直し、もう一度従来の方法で進めるという結論になった。
当方は仕方がないので、若い人を外部から採用し、職人を一人従え、カオス混合によるコンパウンド開発を進めることになるのだが、このときばかりは、科学的思考が時として仕事に悪い影響を与えることを苦々しく思った。仕事というものは、いつもゴールから考えて進めるのが正しい。
科学で慣れ親しんだ前向きの推論というのは、いつでもゴールにたどり着けるとは限らないのだ。ゴールから逆向きの推論を行い、そこから導かれたオペレーションを実行して初めてゴールにたどり着けるのだ。
(注)押出成形の経験知として、「いってこいの世界」というのがある。すなわち、コンパウンド段階で成形体と同じ構造になっていないときにはどうなるかわからない、という意味だ。ただしこれは経験知であって、科学的に証明された真理ではない。これに対し、コンパウンドの構造が金型内の流動で変化するのは当然であり、という意見は、コンパウンドの構造と金型内で観察された処理途中の材料の構造や、出来上がった製品の構造との科学的な比較議論から導かれた真理であった。このような真理を覆そうとして、コンパウンド状態から製品になるまでその構造が変化しないようなコンパウンドをわざわざ設計し実験したのだが、この結果を、金型内の流動でこの構造になるようにコンパウンドの処方を設計すればよい、と妙な屁理屈をつけられて説明された。この屁理屈はもっともらしく聞こえるが、金型内の流動で構造が変化するという意味が、コンパウンドの構造が安定ではない、ということをしめしていることに気がついていないし、それを指摘しても、前向きの推論を何段階か展開し、ゴールに近づけるような意見を言ってきた。ゴールに直結していない仮説や推定は怪しい、と疑う習慣を身に着けたい。
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「成果をあげることは、一つの習慣である」とはドラッカーの名言である。また「頭の良い人ほど成果をあげられない」も同様で、この名言と並んで出てくる。写真会社で管理職として20年勤務して、確かにそうだ、そしてその原因は子供の頃から学んでいる科学に原因がある、と思った。
部下からの質問で困ったのは、仕事のゴールを無視して、オペレーションだけを聞いてくる時だ。オペレーションを実行すれば何か結果が出る。大切なのは、その結果が、仕事のゴールとどのような関係にあるかということだ。オペレーションの結果がいつもゴールと密接に関係しているとは限らない。
例えば、業務計画を立てたとする。この計画は必ず仕事のゴールを目指して立案されているはうだが、途中のオペレーションで得られる結果が、必ずゴールと密接に関係しているかどうかは保証されていない。オペレーションがゴールから逆向きに推論されたものならば、ゴールに関係した結論が得られるが、ゴールに対し、前向きの推論で考え出されたオペレーションでは、いつでもゴールに関係した結論が得られるとは限らない。
また、仕事の進捗によっては、仕事のゴールに肉薄した状況になり、当初計画に盛り込んでいたオペレーションが不要になることだってある。また、業務途中でアイデアが浮かび、ゴールに肉薄できるオペレーションが実行できるならばそれを優先したときなど途中のオペレーションが不要になる。
こうしたら、こうなるかもしれない、だからこれをやりたい、というのが口癖の人もゴールを意識して考えていないことに気がついていない。いくら途中のオペレーションについて細かい議論をしてみても、そのオペレーションで得られる結果がゴールではなかったときに細かい議論が無駄になることがある。途中のオペレーションの議論よりも常にゴールにどれだけ近づけるのか、という議論が重要だ。具体的な事例を明日示す。
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アジャイル開発とは情報工学分野で発展してきた開発技法で、単純化した説明では、とりあえず製品に近いものをマーケットに投入し、マーケットの中で完成品に仕上げる手法である。
これは、ソフトウェアーの進歩が速いので、マーケットニーズを組み上げ、仕様を決定し、開発を始めていては、市場変化に遅れるからである。
この技法は、あらゆる分野の製品開発に応用可能で、比較的その導入が困難に思われるのは材料分野である。その理由は、材料分野ではできるかどうかわからない場合があるからである。
しかし、それゆえにアジャイル開発を行うべき、と小生は考えた。
今の時代、あらゆる材料の製造方法はほぼ揃っている。しかし、設計したようにできるかどうかが保証されていない。
金属やセラミックス材料は科学的な研究テーマがほぼ出尽くしたと言われているが、品質を安定化して生産できるかどうかは、技術開発に依存している。
すなわちロバストの確保がどこまでできるかは、技術力による。科学的にある合金ができることが分かっていてもそれを安定に生産できるかどうかは、技術の問題で、科学の問題ではない。
これを科学技術として味噌くそ一緒にした考え方になると捏造という、昨年度問題になった事件が起きる。昨年度の事件は、仕様から外れた測定値が品質管理で得られても、科学的に大丈夫と判断した結果なので、いずれの事件でもお客様の段階で問題が起きていない。
この問題はアジャイル開発から少し外れるが、問題が起きていないから問題が無いかというと、問題なので社長が頭を下げるような事態になったのだ。(続く)
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日本レスリング協会のパワハラ問題は先週終結したが、本件の内情は栄氏のやりたい放題だったようだ。
問題はあるが成果を出していたので容認していたところ、被害にあった人物から告発された、というのが事件の流れである。
協会内のガバナンスはじめ様々な問題が指摘されているが、栄氏が再婚したときにしかるべき人物が栄氏にアドバイスすべきだった。
栄氏が少し変わった人物であることは、TVに映し出されるその風貌から多くの人は感じているだろう。しかし、少なくとも女子レスリング界では成果を出してきた逸材である。アドバイスが通じない人でもあるまい。
どんな人でも老いるまで何か大なり小なり過ちを犯す。その時アドバイスをしてくれる人がいる、というのは人生において大切なことで、辛口な友人は大切にしなければいけない。
誰でも辛辣なことを言われるのはつらいものである。しかし、そのような人物が身近にいるかどうかで、人生の成否は変わる。
残念ながら栄氏の周辺には上司も含めその行動にアドバイスをする人物がいなかったようだ。二人目の配偶者も一人目と同じレスリングの教え子であり、個人的問題であっても常識としてアドバイスすべき状況と思う。
恐妻家は哲学者になれる、とは名前を忘れたが高名な哲学者の言葉であるが、配偶者は最も身近なアドバイザーである。
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[関係者は「有働アナは来年3月に50歳になる。退局を決断したのは、このままNHKにいると役職が上がり、徐々に取材現場から離れていく懸念があったからだろう。ここが自分の夢を追う最後の機会と考えたのではないか」と語る。]
これはWEBで見つけた有働アナの退職理由である。そもそも1991年にNHKに入局した理由は、記者になりたかったかららしい。同年の湾岸戦争の中継を見て「人が行かないところに行って実情を伝えたい」という思いを強くしたようだ。
また、NHKの関係者は「有働アナの退局の理由は明確。“ジャーナリストになる”という学生時代からの夢を実現すること」と話す、という記事も見つけた。
本人の3日に同局を通じて発表したコメントでは、「以前から抱いていた海外での現場取材や興味ある分野の勉強を自分のペースで時間をかけてしたい」「今後、ジャーナリストとしてNHKの番組に参加できるよう精進してまいります」と述べている。
どうやら有働アナは、NHKにおける出世よりも現場で仕事ができる道を選んだようだ。日本の会社組織では、いくら現場を希望したとしても、出世すると現場から遠ざかる位置に置かれる。
当方がびっくりしたのは、転職した写真会社で実験をしていて上司に叱られたことだ。すなわち、実験をしている暇があればマネジメントをせよ、というのである。マネジメントがそれほど忙しいのかと思い、管理職の業務時間の内容をアンケートで調査し解析した。
驚くべきことに、管理職の業務時間の80%前後が何らかの会議時間であり、それら会議の中には、係長一人参加しておれば済む会議もあった。当方は、開催案内の来た会議を判断し、時間を生み出して実験をしていたのだが、遊んでいたように見られたらしい。
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今週のデジタルニュースには、元NHK有働由美子氏の退職の話題が多かった。NHKから公開された彼女の退職理由には、彼女の知識労働者としての自己実現欲求が組織で満たされなくなり、組織を離れるに至った気持ちと組織に育てられた感謝の気持ちが述べられていた。
恐らく彼女の実力であれば、NHKに残り貢献し続けることが可能であったに違いないが、それでは働くもう一つの意味の自己実現ができないので退職するに至った、という典型的な知識労働者の在り方である。
この彼女の事例から、NHKのような組織でも、知識労働者の働く意味を満たせないことを意味している。今働き方改革が議論されているが、賃金とか労働時間の問題に関心が向いており、本来の働く意味からの取り組みがなされていない。
故ドラッカーは、経営者のみならず労働組合までも社会の組織として、産業社会に働く者を社会の市民として組み入れる努力をしなければいけない、と述べている。
すなわち、労働組合は賃金闘争がその目的ではなく、社会の組織として、労働者の働く意味を実現できるように取り組まなければいけない、と言っているのだ。
団塊の世代の大量退職では、そのスキルの伝承が問題となったが、その問題にどのように取り組まれ解決されたのか、あまり聞かない。昨年企業の製品品質に関わる不祥事が相次いだが、これはスキルの伝承がうまくいかなかった表れではないか。
当方も窓際の経験があるが、どうも日本企業の多くの経営者は高齢者の処遇がうまくない。おそらく窓際になることを考えていない方たちばかりが出世しているからかもしれない。
当方はゴム会社で窓際の悲哀を多く見てきて来たので、窓際を楽しくできてこそ優秀な経営者、という考え方を持っていたが、その実践ができないままサラリーマンを終えた。
50を過ぎて昨日まで組織に十分貢献してきた労働者を突然ラインから外し、方針管理上の何の業務目標も与えないで特命業務とするのは、退職せよと言っているのと同じで、スキルを持った高齢者の扱いについて下手なマネジメントである。
早期退職を決意し単身赴任して取り組んだ業務では、30年近く前ゴム会社で指導社員からナゾ掛けのように教えられたカオス混合を実現できた。窓際を経由せずこの業務を担当していたならもう少し仕事のやり方も変わっていた。
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「平成30年3月31日付でNHKを退職させていただきました。
27年間勤めさせていただいたNHKにはたいへん愛着があり、
定年までしっかり働き続けようと思っておりましたが、以前から抱
いていた、海外での現場取材や興味ある分野の勉強を自分のペース
で時間をかけてしたいという思いが捨てきれず、組織を離れる決断
をいたしました。
27年前、何も知らない出来ない人間だった私を、ここまで育て
上げてくださり、活躍の場を与えてくださったNHKに心から感謝
すると同時に、今この気持ちを応援してくださるという懐の深さに
改めて感謝しています。」
以上は、スポニチデジタル版に掲載されていた、3月までNHK総合「あさイチ」の司会を務めた有働由美
子アナウンサー(49)が3月31日付で同局を退局し、NHKを通じ、マスコミ各社へファクスで伝えら
れた内容の一部である。
65歳定年の前に早期退職したのだが、彼女の様な大物のNHK退局はもう少し事前に騒がれても不思議ではない。しかし、この4月になるまでほとんどどこにも漏れていなかったようだ。
NHKとしては人材流出で痛手だが、円満退社となっている。もっとも知識労働者が組織を離れるときにごたごたが起きるのは、その組織に残る人物の都合を優先させるためだ。
当方は、ゴム会社を退職後、しばらく無料奉仕で半年ほど写真会社に勤めながらゴム会社の業務を手伝ったが、それに対し「もう結構」という非情な手紙一枚だった。今でもそれを証拠として保管しているが、メールのなかった時代にはこのような証拠が残されることになる。
この手紙と長年読み続けたドラッカーの言葉から、組織と知識労働者の関係を身に染みて学んだが、有働アナの感謝の手紙には、個人の組織への感謝が述べられている。
当方も高純度SiCの事業化という大きなテーマをたった一人になっても事業が立ち上がるまで担当させてくれた組織には感謝している。その事業は30年以上も続いており、感無量である。
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日本相撲協会の日馬富士問題で貴乃花が月給が半分になるなど一気に最下位へ降格になった話を書いていたら、坂本龍馬をなぜか思い出した。
坂本龍馬は明治維新プロジェクトの中で用済みになり、消された人物だが、それが高校歴史の教科書から消えるとかいうニュースが今年初めにあった。それを突然思い出した。
従軍慰安婦は載せるが坂本龍馬は教科書から削除するという歴史認識の人物は、おそらく日本人ではないだろう。歴史的にその業績があいまいだから削除するという理由になっている。
もし彼が歴史に何も影響していない、取るに足らない人物だったなら、暗殺された史実も伝承されていなかったろう。龍馬暗殺後の妻についても記録が残っているのに、明治維新で何も業績が無かった、と決めつけるのは歴史の記録がどういうものか知らない人物と思われる。
歴史はいつの時代でも勝者により、適当に書き換えられてきた。高純度SiCの開発の歴史すら最初の学会賞審査の資料では、当方が転職してから開発が始まった、とその開発の歴史が歪められ書かれていた。(一年後再提出され受賞した資料ではそれが修正され、受賞者に無機材質研究所主任研究員の名前が正しく載っていたが。)
このように歴史とは悪意のある人物により適当に書き換えられやすい側面がある。坂本龍馬の業績には、明確なものが無い、というのが学説だそうだ。これは、彼の身分を考慮すれば当然だろう。
明治維新への流れの中で、明確な史実は無いそうだが要所要所に彼の名前は出てくる。これをどのように評価し歴史を読み解くのか。
非業の死とともに彼が明治維新の流れの中で必死にそれを推し進めていた名もなき一人であったことを否定する人はいないと思う。それだけで教科書に残す十分な理由になる。
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