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2017.08/11 教科書

小学校、中学校、高校と進学するにつれ、教科書が難しくなっていくのに当時閉口した。しかし、その難しかった教科書が今では易しく思えるので勉強の成果が出ているのだろう。

 

大学時代の教科書には、易しく思える教科書から奇妙に感じる教科書も存在する。書棚のスペースが無くなってきたので、本の整理をしようとその基準を考えたら、「奇妙に感じる」教科書という基準が出てきた。

 

セラミックスの教科書はその一つだ。学部時代の教科書は紙くずに等しい。セラミックスフィーバーではそのくらいの学問の進歩があった、と改めて感心した。

 

高分子の教科書もほとんどは廃棄の対象となった。高分子もこの40年ものすごい進歩があった。有機合成の教科書は、1/3が廃棄の対象になったが、捨てがたい教科書が幾つかあった。

 

教科書の整理をしてみると学問の進歩の状況を感じることができる。いくら著名な先生が書かれた教科書でも使い物にならないだけでなく古典としての価値も無い代物がある。

 

一方で福井先生の書籍のようにその考え方を何度も読みたくなるような古典と呼ぶべき教科書は、今の仕事に役に立たなくても捨てられない。

 

原書があるので訳本を捨てようと思ったら、ホフマンのサインが入っていたので捨てるのを辞めた。原書にサインをもらえば良かった、と反省するとともに、「布施明ではないのだから」と、昔参加した有機金属の国際会議でホフマンのサインをもらおうとした時に先輩にたしなめられたことを思い出した。

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2017.08/10 麺屋「楠」

WEBニュースをみていたら、本当においしいラーメン店の探し方なる記事があった。その記事によれば二十年前にラーメンバブルと呼ばれる時代があったそうだ。それ以来新しいラーメン店がどんどん登場しているという。

 

事務所の裏手に表題のラーメン屋がある。4,5年前にできた店で店主はまだ若い。仕事は丁寧で、そのしぐさを見ているだけでもおいしいラーメンが出てきそうで雰囲気はこのあたりのラーメン屋でトップだろう。4年前に今の事務所を借りてから、月に一度程度この店のラーメンを食べている。もちろんうまいから食べているのだが、これまでに少なくとも3回スープの味についてマイナーチェンジをしている。

 

三河屋製麺のオリジナル麺を使い、スープは魚介とんこつ系という基本は変わっていないが、最初に感じた独特のインパクトが少し無くなり、万人好みのまろやかなおいしさの方向に変わってきている。明らかにおいしくなってきているので間違いではないが、イワシの味が表に出ていた最初のスープが面白かった。

 

今もイワシの味はするが、探さなければならないくらいである。ところで2ケ月前に閉店した近所の老舗ラーメン屋「あおやぎ」は深夜しかやっていなかった店だ。中国出張から夜帰国した時には、家族に内緒で立ち寄っていたが、古いタイプのラーメン屋だ。イワシとカツオのダシの強烈なインパクトがしょうゆベースのスープに独特の風味を出していた。店主はかなりの年配で、当方が板橋に住む前から営業していた先住民である。

 

「楠」のラーメンは、この「あおやぎ」のラーメンほどではないが、イワシのダシが独特の風味を出すのに一役買っていた。すなわち改良により個性が薄くなっていったのだ。当方は最初の味でも気に入っていたので、少しもったいないような気がしている。

 

さて、WEBの記事には、10年間店を観察すると本当においしい店かどうかわかると書いてあった。すなわち10年の間に店主により味が熟成されるからだという。すなわちこの記事では、味の改変を認めているのだ。この記事に従えば、「楠」のラーメンは今熟成されている最中のようだ。弊社へ午後訪問される方は、一度この店のラーメンを食べていただきたい。

カテゴリー : 一般

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2017.08/09 意識改革

「製薬会社・ゼリア新薬工業に勤めていた男性Aさん(当時22歳)が、新入社員研修で「過去のいじめ体験」を告白させられ「吃音」を指摘された直後の2013年5月に自死し、「業務上の死亡だった」として2015年に労災認定を受けた。【BuzzFeed Japan / 渡辺一樹】」

 

これは昨日報じられた、行き過ぎた意識改革の研修で自殺者が出たというニュースの出だしである。当方は会社の研修以外に若いころ自費でいくつか受講した体験があり、研修内容についておよそ見当がつくが、未だに前時代的な内容の研修を行っていた会社があることにびっくりしている。

 

最近の研修のトレンドはワークライフバランスが中心だが、10年以上前までドラッカーの焼き直しや、アドラー心理学などの心理学の成果を取り入れた研修、それ以外にニュースで紹介されていたような意識改革研修がもてはやされた。

 

ニュースで紹介された意識改革研修は、受講者の未熟さや能力不足を気づかせ反省させ意識改革を迫る内容である。しかし、昨今の政治状況を見れば、有権者から選ばれた立派な方々でも未熟者ばかりで、そもそも人間とは死ぬまで成長し続ける努力こそ大切なのに、この研修では成長し続ける努力の重要性に気づかせるのではなく、その人のプライドを傷つけることにより未熟さに気づかせる手法をとる。

 

これは短期に研修成果を出せるが、誤った指導方法である。精神の成長のために「気づき」は重要で、読書は一つの手段である。そのほかに辛口の友は重要である。耳が痛いことを即座に行ってくれる友人は、社会ではなかなかできないが、それでも努力すれば一人ぐらいはできる。今の時代には、こうした「気づき」のためのノウハウを指導する研修こそ必要ではないか。関心のある方は弊社へご相談ください。

 

 

 

 

カテゴリー : 一般

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2017.08/08 世界陸上川内選手(2)

「看板激突、転倒、給水失敗と“川内劇場”を繰り広げながら、それでも最後は出場選手の中で群を抜く70回に及ぶマラソンの経験を生かし猛追。入賞までは3秒届かず、ゴール後は天を仰ぎ崩れ落ち、車いすで搬送されたが、完全燃焼の走りを見せた。

 

数字で見ても、驚異的な追い込みだった。川内のラップは、35キロ~40キロが15分58秒で全体4位の数字。さらにラスト2・195キロは6分41秒をマークし、金メダリストのキルイ(6分51秒)らを上回り、最速タイムをマークした。」(デイリースポーツ8/7電子版より)

 

川内選手の記事がWEBを賑わしている。入賞もしていない選手についてここまでニュースで取り上げられるのはすごいことだと思う。最強市民ランナーという肩書は伊達じゃない。

 

今朝この欄で川内選手を取り上げるつもりはなかったが、実業団選手の成績を思い改めて書いた。女子選手は何故30分の壁を越えられなかったのか。陸連は原因を調査すべきではないのか。

 

根性論を述べるつもりはないが、再放送を見ても気合のようなものを女子選手たちから感じられなかった。川内選手が指摘していたように、「できることをすべてやる」精神が無かったと言われても仕方があるまい。

 

がむしゃらになって何かに打ち込む姿は美しい。2時間以上も他人が走っている姿をTVで見るのは感動を得るためでもある。残念ながら実業団選手からはそのような感動が得られなかった。事務的に走っている姿が何か異様だった。

現代は、選手として選ばれたなら頑張ることを強要してはいけない時代である。頑張るかどうかは個人の自由で、かつて水泳選手でそれを正直に話した女性がそれ以後の大会代表から外されたことを不満としスポーツ裁判所に訴えた事件があった。
誠実と真摯はドラッカーの著書を読むと何処かに必ず書かれている言葉であるが、自由を前提としたときに個人の考え方あるいは人生に対する姿勢、社会に対する姿勢がどうあるべきかは常に意識し体現できるようになりたい。スポーツ選手であれば川内選手はその模範である。

カテゴリー : 一般

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2017.08/07 世界陸上川内選手

「できることをやれることをすべてやること。今回は年末年始で自費で下見した安心感が生きた。あんまり実業団批判したくはないんですけど、実業団選手だと会社のお金とか、陸連のお金で、自分の給料から出してコース下見しようとはならない。自分のためなんですから、そこはやっぱり自分の給料を使ってでも、コース下見して、打てるだけの対策を打って、いいイメージ植え付けてやるのが大事かなと思う」

 

昨晩の世界陸上男子マラソンで川内選手は、視聴者を楽しませてくれただけでなく日本人トップの走りをした。また、その記録は順位こそ入賞を逃したが、彼の実力相応のタイムで必死に頑張った様子が伝わってきた。例によってゴール後は医務室へ連行されたので「必死に走った」ことは明らかだ。

 

女子マラソンは、選手の実力と全体の記録を見れば十分にメダルを狙えた可能性があったが惨敗に終わっているので、彼の記録がどのような価値を持っているかは明らかだ。

 

やはり勝負に対して甘い選手が多いのだろう。2時間30分を切れないのだから批判されても仕方がない。

 

その状況でインタビューの「実業団選手にエールを」と聞かれた回答が冒頭の言葉である。彼の言葉はマラソンに限ったことではない。

 

当方は、ゴム会社と写真会社勤務中、サービス残業は日常だったが、それ以外に仕事のゴール実現のための努力に給与を使い自己への投資を怠らなかった。

 

ゴール実現のためには「できることやれることをすべてやる」という彼の言葉は、名言ではなく当たり前のことだが、分かっていない人が多い。

 

あるいは、「上司が」とか「会社が」という言い訳を出して、容易にできることでも忖度を理由にあえてやらない人もいる。

 

彼は、批判をしたくないといっているのでこれは批判ではなく、彼の生きざまを実業団選手やファンに贈った言葉だと思う。あらゆる努力を払ってうまくゆかなかったならば悔いは残らない。さらに「できることやれることをすべてやる」努力をした結果であれば、次への夢や希望へつながる。

 

最近過重労働が批判されたり、ワークライフバランスの視点で働き方改革が推進され、その結果働くことに対して誤ったメッセージが出されている場合がある。資本家と労働者という構図ではなく、働く意味を貢献と自己実現としてとらえることができるならば、彼の言葉の意味を批判ではなく彼の生きざまであることに気がつく。

 

TVを見ていて、沿道で応援する彼の同僚を見つけ、マラソンだけでなく仕事に対しても恐らく彼はベストを尽くしているのだろうと想像された。

カテゴリー : 一般

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2017.07/26 妄想

先日涼宮城の話を読んだ友人から電話がかかってきた。あのCMについての議論よりも妄想の話で多くの時間を費やした。友人は文系だから、技術のアイデアを妄想から導くというのは作り話ではないか、と言いたかったようだ。

 

ところが当方の開発技術のほとんどは妄想から生まれており、単身赴任の時にはとうとう一部の管理職からここから何か良い妄想は無いのか、と引っ張りだこになる始末だった、という体験談を話した。

 

壇蜜の「行く」というセリフから、宮城で壇蜜とデートしたり、あるいは別のよからぬ想像をしたり、どのような妄想を描くのも自由である。自然界から機能を取り出すときも、自然界でおきている現象を眺め妄想を膨らませて、時には興奮する。

 

カオス混合装置をイメージできたときには、ものすごい興奮でその日は眠れなかったことを今でも覚えている。妄想を描くのは仮説を考えたりするよりも易しく、いろいろと自由に描くことが可能だ。科学の制約は消し去り、いろいろな角度で現象を眺め妄想する。時には妄想をホワイトボードに書いたりして恥ずかしい思いをしたこともある。

 

ゾルをミセルに用いたラテックス重合の技術についてホワイトボードで議論しているときは恥ずかしかった。恥ずかしくとも妄想の可能性がある以上非科学的と言われようともいろいろな可能性の図を描いた。

 

その中から界面活性剤の知識だけで考えていては思いも及ばない、本当に起きていた現象が見つかっている。科学により自然現象がすべて解明されているわけではないのだ。また科学のタコつぼ化した体系では、境界領域の現象について妄想でイメージしない限り、仮説など思いつかないこともある。

 

この妄想は、アイデアを考える一つの方法である。涼宮城のCMで日本にはアイデアマンが豊富にいることを知った。壇蜜をかわいいおばさんと捉えるとあのCMのイメージは本当に涼しげなCMとなる。亀との対話でもほのぼのとしたムードが伝わってくる。科学の制約をはずした妄想とは、あのCMでいえば壇蜜のシンボルイメージを変えて眺めることである。

カテゴリー : 一般

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2017.07/25 科学の体系(4)

ゾルをミセルに用いたラテックス重合技術は、用いた界面活性剤をその体系の中で考えている限り、完成できない技術である。あるいは勉強不足のK大の先生のように当たり前の現象の技術と誤解する。

 

すなわち、ゾル粒子へ高分子が吸着する現象として捉え、高分子の吸着した粒子が安定なミセルを形成していると考えない限り実用化できない,界面活性剤の体系から少し離れた高分子の吸着現象の技術である。

 

これは界面活性剤の科学の体系の特別な現象という説明もできなくもないが、界面活性剤の教科書を読んでいては簡単に見出すことができない技術と考えたほうがよい。界面活性剤の科学知識を一瞬忘れて現象を眺めてみて初めて発見できる技術で、実際にそのようなプロセスで誕生している。

 

この例以外に、界面活性剤の科学と樹脂やゴムのブレンドにおけるコンパチビライザーの考え方について比較をしてみると面白い。例えばAという樹脂とBという樹脂を安定にブレンドしたければ、コポリマーABをコンパチビライザーとして用いる。

 

このあたりは、水と油を混ぜるときに用いる界面活性剤の構造の考え方と似てくる。しかし、混練ではミセルという考え方を用いていない。ゆえに全く異なる体系のように思われるが、混練で用いるコンパチビライザーを界面活性剤のような考え方で捉えてもよいし、逆に水と油の混合を混練と同じように考えることも技術開発において現象を眺めるときに必要となってくる。

 

このとき、よく勉強をしている人は、このような人を「科学を知らない人だ」と決めつけたりするが、技術開発で重要なのは現象からロバストの高い技術を取り出すことであって、真理を極めることではないのだ。科学に囚われるあまり、現象の多様な把握がうまくできずアイデアを出せない状態は技術開発の現場で排除すべきである。

 

科学は現象を理解する一つの方法に過ぎない。とんでもない妄想が自然界の現象から機能を取り出すヒントになるかもしれない。ノーベル賞学者でも妄想で成功している人がいる。科学は無用ではなく科学があるおかげで目に見えない世界の妄想を描くことができていることも付け加えておきたい。

カテゴリー : 一般 高分子

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2017.07/24 科学の体系(3)

昨日8人が科学の妄想のため当方の意図を軽蔑し、たった一人当方の意図した解決策を実行してくれた話の続きになるが、すでに一年以上前の活動報告で紹介している技術なのでいきなり結論を書く。

 

すなわち、コアシェルラテックスの合成を行うのではなく、シリカゾルを凝集させない不思議なラテックス合成技術とゼラチンの3成分混合溶液を作る方針に変えた。

 

ここで問題となるのは妄想がいかがわしいかどうかの議論ではなく、電荷二重相の安定性である。界面科学を理解していると、ゼータ電位が異なるコロイド溶液の混合では、これが不安定になったとたんに凝集が生じる機構を思い浮かべることができる。3成分の混合では少なくとも2回そのような状況になる。

 

ここでシリカゾルをミセルにしてラテックスを重合できれば、凝集が生じるリスクを一回に減らすことが可能になる。また、この時のミセルが安定であれば、ゼラチンを添加したときにやはり安定となり、シリカもラテックスも凝集が生じない。

 

シリカゾルをこのような安定なミセルに変えるためにダイナフローと呼ばれる界面活性剤をシリカの超微粒子に吸着させたのだ。ゆえにシリカゾルをミセルにしたコロイド溶液のCMCは、ダイナフローのCMCではなく、ダイナフローが吸着したシリカのCMCとなる。

 

三重大学との産学連携でこのあたりの解析を進めたが、ラテックス重合に必要なダイナフローの添加量はダイナフローのCMCで決まらず、シリカの量で決まる。すなわち、ダイナフローを界面活性剤の科学の体系の中で捉えていては、この物質の機能を正しく評価できない。

 

技術が出来上がってから、妄想の結果を検証するとこのように科学的に説明できたのだが、これを高分子学会賞に推薦されて説明したら、KO大学の教授から当たり前の技術で誰でも考える対策と言われ落選した。

 

しかしこの先生、アカデミアにいて勉強不足だった。翌年界面科学の学術雑誌に米国研究者から世界で初めての技術として類似技術の論文が掲載された。その後アカデミアでもご存じない技術という一文と証拠として学術雑誌を添えて写真学会ゼラチン賞を受賞している。

 

STAP細胞におけるW大学の学位の問題も日本のアカデミアの現状を垣間見る事例だが、これも同様だろうと考えている。いずれも受験偏差値の高い大学だが、最近世界における日本の大学の水準が低い問題が議論されたりする。玉石混交が日本のアカデミアの現状ととらえ諦めるのか、それとも現状に厳しい対応をとるのかーーー。

 

カテゴリー : 一般 高分子

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2017.07/23 涼・宮城

表題のCMが話題になっている。表現が低俗で問題だ、とTVで放映されたので確認のために見てみたが、思わせぶりの表現がいくつかあるが、当方の印象ではいやらしくはない。思わせぶりの表現をいやらしいかどうかという判断は、これを見た人が自らの経験を振り返りどこまで想像するのか、という問題だろう。

 

壇蜜には特に関心が無い当方はこのCMの騒がれる問題がどこにあるのか思わず考えてしまった。すると事前に特定の情報を持っていた人が見たとしたら、その特定の情報に基づく妄想を抱くかもしれないが、それは妄想を抱く人が特定の情報を持っているからであり、このCMが直接いやらしい表現をしているのではない。

 

TVで問題として紹介していた亀との対話でも彼に対して彼女が何かしているわけではなく、浦島太郎と同じように亀に乗って涼宮城に行きたいと言っているだけなのだ。このシーンであらぬことを考えた人は、頭の中を掃除するとともに、もっと良い方向へイメージを膨らますような習慣にした方がよい。当方はこのシーンを見て女浦島太郎のファンタジーを思い描いた。

 

しかし亀という言葉から他の事象を想像し、さらにそこで展開される姿を想像したならば、いやらしいのかもしれない。しかし、他の事象を描く習慣が無ければ、あるいはその情報を持ち合わせていなければ、かわいい亀とおばさんの会話である。仮に作り手の意図がいやらしい想像をしていたとしても、受け手にその想像をするための下地が無ければ伝わらない。

 

こうした問題は、研究開発で遭遇する現象を眺めたときに、自然が備えている階層をどこまで何を研究者が想像するのか、という問題とよく似ている。例えば先日から連載している界面活性剤の事例では、当方がホワイトボードに書いたモデル図から新技術が生まれているが、同じモデル図を8人が見ていて、ゾルをミセルに用いたラテックス重合のイメージまで展開できたのはたった一人だけであった。

 

もっとも当方はそのイメージを伝えたくて、ゾルをミセルに見立てた思わせぶりな、それこそ歪曲したモデル図を描いた。しかし大半の人は、科学という長年学んだ知識から軽蔑的にその図を眺めていた。たった一人、技術の視点に頭を切り替えて建設的に見てくれた人物がすぐに実験を行い、新技術を成功させた。

 

目の前の現象を見てそこから新しい機能を思い描くことができるかどうかは、イメージをどのように展開する習慣を身に着けているかに依存する。これは日々のOJTで訓練する必要がある。もし訓練を希望される方があれば弊社へ問い合わせていただきたい。

 

涼宮城で卑猥な連想をされた人は、日々の習慣を改めたほうがよい。例えば幼稚園児にこのCMを見せてもおそらくなぜ浦島太郎でないのか、という疑問と、お姉さんのキスで赤くなる銅像を笑うぐらいだろう。これは技術開発の経験のないアカデミアの研究者が現象からうまく機能を取り出せないことと似ている。

 

言葉は悪いが、技術者は現象から見出した妄想をもとに新技術を創り出している。壇蜜を単なるかわいいおばさんとみるか、妙な妄想で眺めるかは、その人の人格のようなものである。涼宮城を低俗とことさら騒ぐのは、妄想で機能を取り出してきた技術者の立場でいかがなものかと思う。

 

常に特定の自然現象からのシグナルに対してお決まりの科学的妄想を行い否定証明をするのではなく、モノづくりが出来る常に健全な妄想ができるよう訓練する必要がある。CMの放映中断を申し入れた議員団や女性市長が、あの映像から特定の妄想が描かれることを常識と考えているとしたら、日本人は皆作者同様の妄想をすると言っているようなもので国民を侮辱している。

 

あのCMで宮城ファンタジーを妄想できる人もいるのだ。女性市長は、むしろその方向で妄想を膨らませてほしいとか、健全な視点でCMを眺めてほしいといった談話をすべきだったと思う。誰もが皆いやらしい想像をしているわけではないので、女性市長の談話は壇蜜をいやらしく眺めることを容認した差別発言ともとれる。

カテゴリー : 一般

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2017.07/22 科学の体系(2)

ラテックスを重合するときに界面活性剤が使用されるが、その添加量はCMCから推定される、と昨日書いた。これは、界面活性剤の科学の体系を学んでいると不思議なことではなく当たり前のことである。

 

ところが、CMCよりもはるかに多く界面活性剤を入れなければうまくラテックスを合成できない場合が存在する。別の表現をすれば、科学の体系で決まってくる界面活性剤の量では安定にラテックスを合成できないので、技術開発をあきらめてしまう場合が存在する。

 

シリカゾルをミセルに用いてラテックスを重合する技術を開発したときの出来事である。この技術は20年前の新技術で写真学会から賞を頂いている。すでにこの活動報告でこの技術の誕生の背景を紹介しているが、否定証明により危うく没になりかけた技術である。

 

この技術はコアシェルラテックスの開発過程で合成に失敗した技術から生まれたのだが、科学を忘れるように、という指示を信じてくれた担当者の力で生み出された成果である。まさに科学よりも当方の言葉を信じた者が救われた例の一つである。

 

コアシェルラテックスの開発では、ライバルの多数の特許群から逃れるために、特許に書かれていない素材を中心に検討していた。すなわち明らかに科学的に構築されたライバルの技術よりも不利な条件で技術を完成しようと担当者は努力していた。

 

このような状況で、科学的に開発を進めていては難しくなりゴールにたどり着けない場合もでてくる。いったん科学を忘れて素直に現象を眺めることが大切である。すると科学の体系とは異なる視点で新しい機能が見えてくるものだ。これは訓練で誰でもできるようになる。そしてむしろ高等教育を受けていない方が素直にこの行動をとることが可能だ。(続く)

カテゴリー : 一般 高分子

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