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2013.05/12 成功する技術開発(17)

通産省(今の経済産業省)のムーンライト計画が引き金となりセラミックフィーバーが起きた1980年頃の話である。入社した会社が50周年を迎えた。CIを導入し、社名からタイヤが無くなり、「ファインセラミックス」と「電池」、「メカトロニクス」を新事業の3本の柱に育てる全社方針が発表されるとともに、50周年を記念した各種の行事が企画された。

 

その中の一つに会社の未来の夢を描く「50周年記念論文の募集」があった。経済学部の大学教授が選者でその企画は進められた。NHKテレビの特集「日本の先端技術」という番組の録画が、社内のテレビで何度も放映された。番組ではセラミックスフィーバーを取りあげていた。専門外であったが、会社の意図を汲み、セラミックスフィーバーを取り入れた論文を書くことにした。

 

ゴム会社のコア技術である高分子材料技術でセラミックスを合成する話を中心にして、材料科学分野で進歩が遅れていたセラミックス材料の研究開発が進み、新材料が技術を牽引するという内容でまとめ応募した。タイヤ会社で半導体事業を展開する夢のような話である、とその論文を自己評価した。しかし、極めてリアリティのある話でフローリーハギンズの理論との整合性を考えなければ研究論文として読むことができる内容であった。

 

同期の天才肌の友人がその論文を読み笑った。今回の記念論文募集の主旨は現実的な話では無く、もっと夢を膨らませた話を求めているのだろう、と。〆切は1日過ぎていたが、友人は事務局に電話をかけ、明日でも受け付けてもらえるのか尋ねた。驚いたことに8名の応募しか無く、事務局は職制を通じ改めて再募集をかけているとのこと。友人と二人で従業員の関心の低さに驚いた。

 

さて、同期の友人は1日で書き上げた論文を応募したのだが、なんとそれが主席となったのだ。内容は、牛の旨みと豚の繁殖力を生かしたトンギューなる生物をバイオ技術で生み出す話や、奇想天外なマリンスポーツの話がちりばめられていた。いずれも30年経った現在でも実現されていないユニークさでは抜群の内容であった。入選した論文はそれぞれの夢にあふれていた。高分子からパーフェクトセラミックスを合成し、その技術で事業を展開するという夢のような話と思っていたが、専門外の人が読むとすぐに実現しそうに思われる内容なので佳作にも入らなかった。

 

しかし、海外留学のチャンスが生まれた。人事部長に呼び出され、論文に書かれたことを実現したらどうだ、ということになった。うれしい話ではあったが、今更あれは難しい夢の話とも言いにくかった。世間ではセラミックスフィーバーの嵐がますます激しくなっていた。学生時代は有機合成以外勉強してこなかったので、大学時代の無機系がご専門の恩師に相談したら、海外に行くよりも国内の研究機関の方が技術が進んでいる、と教えられた。論文を調べてみてもセラミックスの研究は、当時日本が最も進んでいた。

 

恩師から無機材質研究所M先生のご紹介を受け、落選した50周年記念論文を持ってM先生をご訪問したら、I先生をご紹介してくださった。M先生は無機高分子からガラスを合成する研究を進めていた先生でしたが、論文に書かれた内容から高純度SiCを合成したら面白い、と言うことになり、SiCを研究していたグループのリーダーであるI先生をご紹介くださった。しかし、その日I先生は不在で改めて出直すことになった。人事部長に海外留学を国内留学に変更する了解を得た。

 

電話でI先生に面会のアポを求めたところ、セラミックスフィーバーの影響で無機材質研究所は日本企業の留学生で満杯である実情を知らされた。セラミックスフィーバーが始まってから研究所の規程が作られ各研究グループ3名という定員ができ、現在どこのグループも定員いっぱいであると言われた。

 

今更あの論文の内容は実現できない話です、とか国内留学先は満杯です、などと言えない。少なくとも実現できない話の部分だけでも何とかしようと文献調査をつぶさに行ったが、ファインセラミックスブームであるにも関わらず、無機高分子と有機高分子を均一に混合して高純度セラミックスを合成するという科学的に非常識なコンセプトの論文は皆無であった。自分で実現する以外に道は無かったが、アイデアはあった。上司に提出しボツになっていた企画に記載していたアイデアである。しかし、仕事の手順を間違え、少し困った流れになっていた。

 

<明日へ続く>

カテゴリー : 一般 電気/電子材料 高分子

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