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2013.08/03 科学と技術(11)

昨日からの続きである。

失敗は成功の始まり、という言葉には昔から勇気づけられているが、最終的に成功しなければ、この言葉の含蓄は分からない。同様の意味として、失敗からノーベル賞が生まれるぐらいなので、失敗したからと言って失敗を軽んじてはいけない、と失敗したときに戒めたりする。

 

少し意味が異なるが、失敗を承知で行った実験からもノーベル賞が生まれているので、たまには軽い気持ちで失敗を覚悟の実験をしてみるのも良いかもしれない。なんやかやと失敗はだめなことばかりではないということが感覚的に分かってくると失敗に対する考え方も変わる。

 

ただし、ここで失敗学を論じるつもりは無い。科学的に分かっていることだけで開発を進めようとすると当たり前の成果しか得られないだけで無く、失敗を科学に反したこととして安易に片付けてしまう姿勢が生まれる問題を指摘したい。

 

仮説を立てて実験を行って、成功すれば仮説が正しかったことになる。うまくいかなかったときには、仮説の見直しをする、ただそれだけで良いのだろうか。うまく行かなかった実験について深く考察する必要は無いのだろうか。このような問題は悩み出すと精神論になってゆく。

 

科学的に実験を行う場合に、現象のある一面だけを見て実験を行っていることに気付いていない。すなわち仮説を確認するために実験を行っているつもりでも考え違いをしているかもしれない。

 

例えば先日紹介したコアシェルラテックスを目標とした事例では、コアシェルラテックスを合成することは最終ゴールではなく、ラテックスと超微粒子シリカ、ゼラチンの3成分を混合したときにシリカが凝集しない状態を創り出す、一つの手段だったはずである。

 

タグチメソッドの実験では、調合誤差を用いてあらゆる面のノイズを載せながらシステムの基本機能のロバストを確認する実験を行う。科学の実験では、仮説でモデル化された特異な条件の実験であり、そのようなことをしない。真理が確実に再現されるかどうか、極めて限定された条件を設定し、真理は一つという管理下で実験を行っている。だから科学の実験は、管理しているとはいってもノイズに影響されやすい条件で実験を行っている、と言えるので、結局大抵の失敗をノイズの影響と片付けても良いのかもしれない。だから思うような実験結果がでなかった場合に、データを平気で捏造する科学者がいるのかもしれない。タグチメソッドではデータの捏造という発想は命取りになる。

 

技術開発における実験計画の考え方と科学の世界の実験計画の考え方は異なる。しかし失敗に秘められた成功の種を見落とさないためには、失敗の価値をすぐに判断できる状態で実験を行うとよい。すなわち、非科学的かもしれないが、一度可能性のある全ての条件で実験を行い、全体を眺めてみる方法が良いと思われる。全ての条件で実験を行っているから、失敗の原因もすぐに分かる。ところが現実にはこのようなやり方はできない。しかし机上実験ならば実現できる。弊社の問題解決法にはこのような机上実験を行うためのツールが用意されている。

 

カテゴリー : 一般

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