活動報告

新着記事

カテゴリー

キーワード検索

2014.05/29 高純度βSiC合成法の開発(9)

さて昇進試験に不合格となった理由だが、人事部長の話では、論文が0点だったことと、受験前二年間の業務査定がBとB-だったことらしい。業務査定から不合格は事前に分かっていたが、論文の点次第では人事部で昇進させるつもりだった、といわれた。しかし論文が0点ではどうしようもない、と説明された。

 

論文の0点については事前に問題が分かっていて、その準備をして臨んだこと等不審な点をあげ、説明を求めたが、人事部長は黙して語らず、状態だった。ただ、論文の採点は、それぞれの事業部門の基幹職が行っており、来年は試験官が変わるから期待せよ、と慰められた。

 

しかし、当方から逆に来年も同じ試験官でお願いします、もの凄いことが起きますから、とお願いしたら、人事部長はびっくりされて、留学に精進するよう言われた。留学先で一生懸命頑張った結果が凄いことになりますから、と笑顔で答えたが、人事部長にはどのように写ったのか記憶に無い。この時の人事部長との面談では無性に悲しく今にも泣き出したかった記憶だけある。

 

この業務査定や試験結果は、組織としてこの人材はいらない、と意思表示している意味である。1年の予定のテーマを3ケ月で仕上げたり、高分子合成のテーマで新入社員でありながら企画を提案し、ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの試作を成功させたり、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームやシリカ変性フェノール樹脂天井材(注)を毎日サービス残業を行い短期で実用化したり、周囲から見ると異常に見えたのかもしれない。

 

フェノール樹脂天井材を除き、ほとんど一人で推進したような仕事である。仕事を行っているときには、最初からとばすな、という声は聞こえたが、マネジメント上の指導は無かった。せいぜい趣味で仕事をやるな、という主任研究員の一言だけである。研究所は成果主義の評価、と聞いていたので成果を真摯に追求しただけである。

 

この時の記憶が、やがて管理職になり人事評価をする立場になったとき、成果に対して正しく評価するよう努める姿勢に向かわせた。他人が上げた成果をひいきしている部下の成果とするような評価を一切しなかった。どうしても甘い評価をしなければいけない状況になったときには、良い評価をつけてもきめ細かなコーチングやその後の指導を厳しくし、評価と業務成果が連動するよう管理者として努めた(続く)。

 

(注)当時のそれぞれの成果は、特許や論文、学会の講演記録として公開されている。さらにホスファゼン変性ポリウレタンフォームや、ホウ酸エステル変性ポリウレタンフォームの研究成果は、無機成分による高分子前駆体プロセシングの一環として学位論文の一部になっている。入社して3年半でこれだけ成果を出せたのは、最初の指導社員が極めて優秀な人で、研究開発の極意を伝授してくださったおかげである。その方も事業に貢献する企画を数多く成功させたが主任研究員止まりであった。しかし、その方の研究開発哲学は企業における研究開発をどのように行うべきか、経営の視点における一つの答を示していると、今でも思う。当時研究所ブームの名残が残っており、どちらかと言えばアカデミックな研究が企業でも行われていた時代で、その中でオブジェクト指向の研究開発スタイルは異端であった。ちなみにその指導社員はレオロジストであり、関数電卓でダッシュポットとバネのモデルの計算をやっていたもの凄い人物である。製品ができあがるプロセシングからゴムの材料設計をとらえている技術者でこの指導社員を越える力量を持った人物に未だに出会ったことはない。1年のテーマを3ケ月で仕上げることができたのは、テーマ開始時にシミュレーションによる答が得られており、実作業で出てくるデータがそのとおりだったからである。この仕事において自分の貢献できる役割は、開発の時間短縮だけだと考えた。1日7時間労働で1年かかるなら、休日出勤して1日15時間労働すれば3ヶ月で終わる、と仕事のシミュレーションをして、それを実行したら計算通りに仕事が終わった。その指導社員が神様に見えた。

カテゴリー : 一般

pagetop