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2014.06/17 STAP細胞騒動の真相を示す否定証明

本日カオス混合の(9)をとりやめ、STAP細胞に関して報じられた新たなニュースで科学と技術について分かりやすい事例があったので取り上げる。詳細については、昨日のWEBニュースや新聞で取り上げられているので省略するが、本日とりあげるのは山梨大学若山教授の会見である。若山教授は、すべての責任を押しつけられるのではないかという恐怖感があった、とそこで語っており、その恐怖感から真実解明を急いだと言われている。

 

若山教授が恐怖感を感じたお気持ちを理解できる。当方もゴム会社でFDのデータを壊されたときに日常の流れから同様の恐怖感を味わった経験があるからだ。そしてその恐怖感は社長室乱入腹切り事件として現実になってしまった。STAP細胞の事件も、関係者の発言を聞いていると、当事者である未熟な研究者が真実を語らず、副センター長も責任が直接指導した若山先生にあるかのような発言をしている。

 

若山先生の立場では、性善説と理研の組織体制の中で精一杯の努力をされた方で、罪があるとしたならば、科学の世界では危険な存在の未熟な研究者の正体に早めに気がつき対処しなかった点であろう。しかし、関係者の中で一番早く自分の責任に気がつかれたので、その後のとるべき行動を会見でのべた恐怖感もあり迅速に結果を出せたと思われる。

 

とにかく若山先生の責任感と恐怖感のおかげで、論文取り下げから「論文に取り上げられたSTAP細胞」の正体まで理研のメンバーよりもいち早く結論が出された。この作業に科学と技術を正しく理解することが重要であることを示す事例が生まれた。それはイムレラカトシュも指摘している、「科学では、容易で確実にできるのは否定証明である」ということを示した事例である。若山先生は第三者機関の助けも借りて、STAP細胞騒動の真相を否定証明で迅速に科学的に証明した。

 

恐らく若山先生は迅速に結論を出し、自分の責任の所在を明確にされたかったのだろうと思う。否定証明で出てきた結果は、若山先生が未熟な研究者に騙されていた事を示している。「簡単に騙された」責任は残るが、そもそも科学では性善説で運営されているので悪意のある研究者がいた場合にはその責任は軽減されるか無くなるはずだ。

 

さて、この若山先生の行動はSTAP細胞の存在を証明しようとしている理研の立場からはどのように見えるのか。おそらく迷惑な仕事に見えているに違いない。若山先生の出された否定証明について「STAP細胞の存在を否定するものではない」という、「当たり前な」見解を発表している。理研の立場では、正しくは若山先生の結果の重要性を指摘した上で、STAP細胞を作る技術は、再生医療に革命を起こすので、その存在証明を行うために技術開発を急ぐと回答すべきであった。

 

すなわち若山先生は恐怖感から迅速に結果を出したかったので、科学的に間違いなく正しい結果を出せる否定証明を行ってそれに成功したが、理研は再生医療の技術を開発するためにSTAP細胞の存在を証明する研究を推進しているのである。科学的に容易である否定証明ではなく、科学的には極めて困難であるが技術として重要なSTAP細胞を作る機能の明確化とその存在証明を行おうとしている。

 

ただし理研の担当者はここでずるいことを考えており、存在証明ができたならば論文問題の騒動をうやむやにできるのではないか、という意図が見え隠れしている。科学と技術を混在化させて研究を推進しているだけでなく不純な動機が報道関係者への発言から漏れてくる。

 

STAP細胞の技術を生み出す努力は重要である。しかし、今回の騒動について正しい原因の究明と再発防止は、国の研究機関として「今」最も重要なはずである。若山先生が示された否定証明による真実は、未熟な研究者が若山先生のマウス以外の細胞を使い、さらにES細胞を用いてSTAP細胞を作った事実を明らかにしている。まずこの事実に基づきSTAP細胞の責任を明確にすべきである。

 

但し、この否定証明が為されたからと言って、STAP細胞が存在しないことが証明されたわけでないことは理研の主張どおりである。科学の否定証明で示された真実は、その事実をひっくり返す技術の出現で容易にひっくり返される「弱さ」がある。歴史の荒波に耐えた科学の真実が未来も残ってゆくだけなのだ。

 

科学は自然現象を眺める哲学に過ぎない。技術はよりよい生活環境を得ようとする人間の営みでもある。人間の強い思いが新たな技術を生み出し、科学を鍛えた事例はいくつもある。理研が純粋な気持ちで技術を追究したならばSTAP細胞は現実に生まれるかもしれない。

 

カテゴリー : 一般

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