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2015.03/03 イノベーション(22)大塚家具のお家騒動

大塚家具の内紛に関するニュースが連日報じられている。IKEAやニトリの台頭で旧来の家具屋は苦戦している、とTVで報じられているが、家具業界でイノベーションが求められたのは30年以上前だったと思う。イノベーションを怠った結果、現在の状態がある。有名な名古屋の服部家具(名古屋では、ひゃっとりかぐ、と読む)もすでに無くなった。服部家具センターは昔のひゃっとり家具ではない。

 

名古屋で見かけた50年前までの嫁入り風景は、豪華だった。まず服部家具で購入された嫁入り道具一式は、嫁の実家に運ばれご近所にお披露目される。姉の嫁入り前に寝るところが無くなった記憶があり、この儀式は40坪弱の住宅に酷な習慣だった。そして結婚式近くの吉日にトラック2台連ね、嫁ぎ先へ家具が運ばれる。

 

トラックは一台でも十分なのだが、なぜか二台に家具を分けてそれを紅白の幕で覆い徐行運転でしばらく走る。三番目の姉の時はこのような儀式が無くなっていたから、おそらく一家庭当たりの家具屋の売り上げもこの頃から下がっていった、と思われる。

 

当方の時代には、新婚生活をスタートしたマンションにクローゼットなどがあり、購入した家具は少なかった。それでもその時購入した3本のタンスについて、一戸建てを新築した時にどうしようか迷った。家具の多くは家具屋ではなく住宅メーカーが用意してくれるのだ。ただそれでも食卓のテーブルは少し良いもを買おうと大塚家具に出向いたりした。

 

20年前でも家具屋と言えば名古屋では服部家具だが東京では大塚家具だった。しかし昔服部家具で見かけたにぎやかさは既になく、ただつきまとう店員がわずらわしかった。結局購入した店は、自由に品物を見ることができた島忠である。しかしその島忠の店舗も再編され、近所には無くなった。

 

10年前豊川へ単身赴任が決まった際に牛久保駅近くにアパートを借りた。牛久保駅近くには昔中小の家具問屋が軒を連ね、休日には賑わっていた町だ。子供の頃、親に連れられ歩いた記憶があり、そのさびれた光景に驚いた。

 

企業の盛衰は50年、という本を40年前読んだが、今や10年ではないか。少なくとも5年間のビジョンを立ててイノベーションを心がけないと、あっという間に倒産する時代である。イノベーションが手遅れになると生き残りは大変だ。

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