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2015.09/05 昨日気づいたこと

佐野氏がデザインした京都の老舗扇子店「京扇堂」のポスターをよく見ると、秋田県横手市が開催した交流イベント団扇展のポスターよりもデザインとして改良されている点がいくつかある。
 
ベースになった「涼」の字体について比較すると、佐野氏のデザインに軍配があがりそうだ。また扇子にしたセンスも良さそうだ。さらにあえて「涼」の字を見せないように工夫している点も秀逸である。
 
他の模倣と言われている佐野氏の作品も改めてオリジナルと比較してゆくと、オリジナルをぱくるというよりもオリジナルよりも良いものを作ってやろうという意欲が垣間見えてくる。
 
今回の騒動では佐野氏のパクリ作業ばかり騒ぎ立てられているが、どうもこの人はオリジナルを超えた自分の作品を世の中に広め、オリジナルのアイデアを自分のアイデアのごとく認めさせようとしていたのかもしれない。
 
サントリーの景品では、明らかに模倣と分かるものを取り下げた、と書かれていたが、これはオリジナルの方が優れていたことを認め取り下げたように当方は感じた。佐野氏はプレゼン能力と人脈で著名になっただけと誤解していたが、それなりの形式知が長けた人なのかもしれない。
 
デザイン業界に詳しくはないので佐野氏の力量を正しく評価できないが、模倣という手段で、オリジナルを超える作品を生み出すにも若干のスキルは必要である。もし良識のある先輩がいて彼を指導していたなら、本当に有能なデザイナーになっていたのかもしれない。
 
あるいは彼が受賞した多くの賞について、審査員の中に誠実で真摯な人がいたならば、彼は受賞で成長できたのかもしれない。キャリアを見る限り、佐野氏は業界のスーパースターであり、そのように育てられてきたのだろう。自分より力量が劣ると見下した作品について、そこに潜む優れたアイデアに嫉妬し、それを自分のモノにしたかったのかもしれない。単なるパクリ屋ではない。
 
20年以上前になるが、湾岸戦争が始まる直前にFDを壊される事件が起きた。その事件が起きる前、犯人は、「なぜおまえなんかにあの品質問題を解決できたんだ。持っている情報を出せ」と言ってきた。創造力が必要な社会で、創造という作業とその価値、そしてそれを生みだす苦労を理解できていない傲慢な人だった。
 
模倣から創造を生み出す手法以外に日々の研鑽など凡人が創造を行うためには手法の駆使以外に不断の努力が必要なことをご存じなかった。努力により実践知と暗黙知の蓄積ができ、そこに手法が駆使されて形式知では導かれない独創が生まれる。凡人による独創の陰には血のにじむような努力があるはずで、それを安直に取りあげようとする傲慢さは許されない。

カテゴリー : 一般

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