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2015.09/09 イノベーション(2)

カオス混合技術実現の時に発揮された能力は、ゴム会社におけるイノベーションから得た実践知のおかげである。高純度SiCのJVを住友金属工業(当時)と立ち上げた時に、FDを壊され仕事の妨害をうけるぐらいの社内の抵抗があった(注1)。
 
企業におけるイノベーションの難しさを痛感した事件だが、この収拾に転職以外の解決方法を当時見出せなかったが、今ならもう少し良い方法で解決できた、という反省がある。
 
当方の人生は大きく狂ったが、30年近く続いている高純度SiCの事業もイノベーションの成功事例だと思っている。しかしこのイノベーションは、短期で実現できたわけではない。すでに活動報告で書いたように事業のきっかけは、ゴム会社がCIを導入したときの創立50周年記念全社論文募集だった。
 
1席賞金10万円のそのイベントでは有機無機ハイブリッドの前駆体合成技術でセラミックス市場に参入するイノベーションのシナリオを書いて応募したが、佳作にも入らなかった(注2)。しかし、その後人事部から海外留学の指名を受けた。折しもセラミックスフィーバーの最中でそのメッカが無機材質研究所である、という理由から、海外留学を国内留学に変更していただき、無機材質研究所に留学することができた。
 
無機材質研究所に留学してからが大変だった。留学したその年は昇進試験の年にあたり、その昇進試験を落とされたのだ。落とされたのだ、と書いたのは、あきらかにその証拠(注3)があっての表現だが、原因は海外留学を蹴って無機材質研究所へ留学を決めたことにあったようだ。海外留学の目的には、技術研修よりも語学留学の色彩が高く、毎年留学生が海外へ送られていた。
 
人事部長からは10月1日に残念な結果だったので本社へ一度来てください、と電話で告げられた。本社での人事部長の面接は、最初通り一遍の激励であり、回答を求められた当方は昇進試験に書いた0点の答案内容には自信があり、その結果はまもなく出る、と答えた。
 
昇進試験は筆記試験であり、事前に問題も友人から回覧されていた。その課題は、受験者が新規事業を始めたい内容を説明せよ、という当時の当方には易しいテーマだった。人事部長は高い人格の方で、当方の答えに対して、穏やかにアドバイスをしてくださった。
 
人事部長との面接時に、無機材質研究所のI総合研究官が、一週間自由に研究所の設備を使用して良いこと、その時高純度SiC事業のエンジンとなる高純度SiC粉末の合成実験を行う予定であることも当方はお話しした。
 
人事部長は、結果はすぐに会社へ知らせてください、と当方の話を真摯に受け止めてくださった。同じ話を留学前の所属先である研究所で、上司に話したときには笑い話に受けとられていたので、人事部長の一言は心へ響いた。仮に内容を理解できなくても誠実に語る部下の話に対しては上司は真摯に対応しなければならない。それができない管理職は人材を失うことになる。人事部長は当方に転職しないことを望んでいた。
 
(注1)この事件は当初偶然の事故と思っていたら、犯人がいたのでびっくりした。高純度SiCの事業だけでなく自分のキャリアをリセットして転職の道を選ぶのには躊躇したが、転職後週刊誌や新聞を賑わす大事件が起きている。企業風土の劣化過程の出来事であり、創業者の著書に書かれた風土と大きく異なる状態に変わっていたことを当時肌で感じていた。
(注2)この50周年記念論文について楽しい思い出がある。募集締め切りが明日という段階で同期の友人が、当方の応募した論文を読み、このような技術論文では絶対に佳作にも入らない、と言った。当方は友人にそれでは一席をとる論文とはどのようなものか見本を書いてみよ、と求めたら、友人はおもむろに事務局に電話をかけ、論文の締め切りを延ばしてほしい、と願い出た。事務局は8件しか集まっていないので、再度全社に募集をかけると回答してきだので、友人は応募して見事一席に選ばれた。さてその内容だが、バイオビジネスはじめ荒唐無稽の技術を事業化するという夢はあるが実現の可能性がほとんどないシナリオだった。大変勉強になった出来事である。友人には残念会と称して賞金10万円で落選の労をねぎらっていただいた。
(注3)入社してから4年間の成果として、T社向け樹脂補強防振ゴムの基礎配合設計、寝具用ポリウレタンフォームの難燃化技術開発、M社向けフェノール樹脂天井材用コア材開発など担当したテーマではすべて成果を出しており、直属の上司から研究所では十分すぎる成果と言われていた。また、独身だったのでサービス残業も行い他の人の業務のお手伝いも十分に行っていた。
 

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