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2015.10/10 技術者は不正な製品を市場に出してはいけない

毎日のようにフォルクスワーゲンの不正プログラムの話題がニュースで報じられている。当事者はこのような事態を想定していただろうか。毎日のようにTVからフォルクスワーゲンの名前が流れてくると、技術者はなぜ不正プログラムに手を染めたのだろうか、という疑問が強くなる。
 
経営陣が不正プログラムの存在を最初から知っていたとは思えない。やはり最初の決断は、技術開発の現場でなされたのだろう。32年間の研究開発では、類似した決断をせざるをえない状況をこれまで見てきた。しかし、不正な商品が市場まで流れ、長期間放置されたという経験は無い。
 
今多くの大メーカでは研究開発管理にステージゲート法あるいは類似の段階的管理を行っている。その時ゲートをすりぬけるために一時的に不正あるいは不誠実なプレを行う輩を見てきた。当方も不正とまではいえないが、商品化できない技術を画期的な技術として示し、開発方針の変更を企てたことはある。
 
ただし、その時は開発方針が変更され、そこで決まった投資により設備導入されるやいなや、すぐに商品化可能な別途準備していた技術に置き換えている。製造設備が無かったので、手元にあった設備で強引にある機能だけずば抜けた性能の技術を作りあげたのであるが、もちろんその技術を生産では使用できない。
 
商品化できないインチキプロセス技術で作った部品でデザインレビューを行い、量産技術検討のステージまで駆け足で持ち込み、パイロットプラントを作らずいきなり量産設備を立ち上げたのである。成功を確信していたのでできた芸当であるが、自信があっても、失敗したときの不安は常に少しあった。
 
当方がなぜそのようなばくちに近い技術開発をしなければいけなかったのか。それは、前任者がプレゼンテーションが上手な技術者で、できもしない技術をさもできるようにうまくプレゼンを行い、開発の各段階をすり抜けて量産ステージの手前まで進んだところで、当方に開発リーダーのバトンを渡したからである。本人はそのまま出世していった。不条理を感じつつも、とにかく成功させるためにやや不誠実な進め方をしたのである。
 
同様のことがフォルクスワーゲンの新車開発でもあったのかもしれない。米国市場へ投入するための環境規制に通過できるディーゼル車を開発できない、と経営陣に説明できなかったので、技術者が不正プログラムに手を染めた可能性はある。当方の体験は「生産プロセスの問題」における不誠実だったので市場に不正がそのまま出ることはなく企業にとって幸運だったが、フォルクスワーゲンではそのまま不正な商品として生産できたので、今回の結果となったのではないか。
 
ここで問題となるのは、技術者が不法な商品を市場に出すという決断をしたことである。科学者は性善説を前提として語られることが多い。技術者については、日常科学者ほどに善悪が問われることはない。しかし消費者には内部に造りこまれた機能を理解することは難しいので、やはり科学者同様の倫理が技術者に求められている。
 
サラリーマンにとって出世は生活の糧を増やすための唯一の手段である。しかし、長いサラリーマン生活で技術者は時として出世を棒に振るような決断をしなければいけない状況と直面する不運がある。その時どのような決断ができるのかは技術者魂の有無だと思う。出世がすべてではない、という言葉は負け犬の遠吠えではない。ユーザーにインチキ商品を提供するような技術で出世しても技術者としての満足感は得られないはずだ。
 
技術者は技術者として自己を厳しく律する決断をして初めて満足な人生を送ることができる。時には会社の上司の意図に反するかもしれないが、社会に損失をもたらす技術に手を染めてはならない。もしそのようなことをすれば、やがて会社にも損失として跳ね返ってくることになる。人生でどのような決断をしたかは、退職後の満足感として報われる。技術者は社会への貢献を常に志すべきである。
 

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