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2016.01/21 SMAPの謝罪会見

18日夜の番組「SMAPxSMAP」でSMAPの謝罪会見が行われたが、反響は様々だった。しかし、謝罪会見は、ファンにあまり良い印象で捉えられていなかったようだ。昨日のNHK「あさいち」のゲストが「SMAPの再生はできるのでしょうか」などと発言していたが、芸能事務所も含めた正常な再生復活が難しそうな印象を多くの人は感じているのではないだろうか。
 
SMAPの解散騒動で興味深いのは、SMAPはバンドかグループかという議論が人気の出始めた時にされており、芸能人としての正体が不明だった時代があることだ。例えば特別に歌がうまいわけではないし、中居君のダンスはともかくとして、メンバー全員による歌って踊れるグループとして捉えたときに、エグザイルに負けている。
 
もっとも歌って踊れるグループとしてエグザイルに勝てるグループをTVの視聴が少ない当方は知らないが、少なくともSMAPを踊って歌えるグループとしてファンが認めているわけではないだろう。
 
そもそもSMAPとはなんぞや、という問いに対して答をSMAPオタクに聞いてみたい気がするが、AKB48という集団がSMAPの正体のヒントを教えてくれるような気がしている。AKB劇場が秋葉原に登場したときにアダルト劇場と勘違いしたが、3年後それが新しいスターを生み出すための試みだったことを知り、少し芸能音痴であることを恥じた。
 
AKB48は、秋葉原の劇場を足場にしてオタクと価値を共創し成功したプロジェクトだが、SMAPも同様に、TVがまだお茶の間の「劇場」だった時代からREALな空間を中心にファンと価値を共創しながら成長したグループと捉えることができる。
 
残念ながら当方はその価値造りに参加していないが、新聞などのメディアで取り上げられる活動には注目していた。すなわち、その取り上げられ方が、他の芸能人と明らかに異なっていたので注目していた。嵐やV6を抱えるジャニーズ事務所に所属していても、同じ事務所の他のグループとも一線を画す活動のように映っている。
 
今回の問題は、少なくとも外側に現れた結果だけを見ると、SMAPの誕生から関わってきたマネージャーが退職するにあたり、組織とのコミュニケーションをうまくできずに生じた問題ではないか。昨年末からいろいろな情報が飛び交っているが、ドラッカー流に言えば、マネージャーの組織への貢献が退職前(注1)に十分行われず、負の成果を出した、と表現できる。
 
ならば、先日の謝罪会見はそこを中心にした内容にすべきであったが、残念ながら中途半端な謝罪会見に思われた(注2)。TV局側の思惑が働いたのかもしれないが、当方がディレクターだったならば、もう少しファンが満足する会見にできたのでは、とがっかりしている。
 
21世紀の開発プロセスと題して、当方の経験談を毎日書いているが、SMAPの問題は、市場と価値の共創を行いながら技術を生み出さなければいけない時代の業務の進め方、すなわちプロセスを考えるときの参考になる。もし、今後のSMAPが価値を失っていったならば、そこには必ず提供側の問題があり、市場で価値の共創を行う時にメーカーが注意すべきポイントが見えてくる。しかし、価値を共創しようとする市場のパワーはすごい!
 
(注1)サラリーマンでは、定年退職前に閑職となる。また組織に不要となった時でも閑職となる。その組織を去る時も含め、前者と後者では、貢献の仕方が異なる。前者ではルールに従わなくてはいけないが、後者は自己責任で何でもできるチャンスがある。2年ほど前に「追い出し部屋」などという言葉がマスコミに登場したが、サラリーマンにとって自由を選択できるチャンスととらえるべきである。会社を辞める自由もあり、仕事を一生懸命できる自由もあるのである。定年退職については辞める以外選択肢は無い。この理由で定年前に閑職になったなら、早期退職してさっさと会社を去るのが一番良い貢献である。SMAPのマネージャーは役員も務めていたという。ならば組織への貢献に対しては配慮しなければいけない義務がある。定年前のサラリーマンが早期退職する場合とは意味も責任も異なる。当方が退職した最後の日は、2011年3月11日で、15時から講演、18時に送別会が準備されたが、いずれも天災でダメになった。せっかく用意していた最後の貢献の機会もつぶされたが、このマネージャーは世界中に騒動を巻き起こして自ら貢献の機会をつぶした。もったいない!
(注2)中居君をセンターにして「解散なんてありません」と一言否定すれば済んだ話だと思っている。ラインの会話が公開されたとか、妙な書類が見つかったとか具体的な情報は、少なくともネットを探す限り無いのである。先日の会見では、週刊誌などに書かれた内容を連想させるような会見だった。フロッピーディスクを壊されたときに、現物を見せても周囲は、組織内にそのような人がいることを誰も信じようとしなかった。3枚目を壊され、目撃者もいた状況でも周囲は隠蔽に動いたが、具体的な情報があっても、認めたくない現実については、人は否定したくなるのである。ただ、組織の危機につながる事件であれば内部告発をするのが正しいし、現在そのようなことを促す時代になりつつあるが、告発者が失うものは大きい。「起きて欲しくないことが起きたときに人間が取る本能的行動は、それを隠すことだ」と教えてくれた人もいたが、夢やあこがれの商売の立場であれば、あまりドロドロしたものを見せて欲しくない、というのはファン心理だろう。げすの勘ぐりを下品な行為とみるように、解散が本人達から否定されたのならそれ以上をファンは問わないと思う。

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