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2018.05/13 バブル崩壊から今日まで

バブル崩壊直前の1991年に写真会社へ転職したが、その職場はバブル状態だった。ゴム会社ではアメリカの会社を買収したため、日本全国バブル状態の時代にリストラ続きだった。

 

1991年前後で1万人ほど従業員が減少しており、そのすさまじさは言葉にできない。その間にFD事件や割腹自殺が起きている。状況から見ると当方はゴム会社の研究所から追い出されたような気持ちになる。

 

高純度SiCの仕事は、住友金属工業とのJVを立ち上げていたので、当方が転職しても事業がつぶれることなく継承され現在も続いている。FD事件の原因となった電気粘性流体の開発は、転職後泡がはじけるがごとく無くなっている。

 

転職前にお手伝いをさせられたときに事業まで立ち上げてやればよかったが、もともと筋の良くない仕事だったので、その気になれなかった。

 

高純度SiCの仕事よりも電気粘性流体の仕事はゴム会社の事業に貢献するとさんざん言われたが、仕事を手伝っていてそのように叫んでいた人たちに事業を立ち上げる気概を感じられなかった。

 

それだけでなく仕事の妨害をする輩もいた。しかしその問題を解決するどころかそれを隠蔽化したり、事業が立ち上がり始めたSiCの仕事を補強するような動きを研究所内ではしていただけなかったのは残念である。価値観が大きく組織とずれたので組織を去る以外に打開策は無かった。

 

バブル崩壊で、転職した会社では社長が事業危機を宣言された。リストラが進められカンパニー制へ移行してゆくのだが、ゴム会社の高純度SiCの事業にとっては、このバブル崩壊は幸運に働いた。住友金属工業が新日鉄住金となり、高純度SiCの事業をゴム会社へすべて移管したからだ。世の中は塞翁が馬である。

 

さて、バブル崩壊後失われた10年とか失われた20年とか言われている間にかつて川上から川下までの分業体制が大きく変わった。経産省の音頭取りもあり、素材産業が部材産業へと変化したからだ。

 

すなわち、川上企業の川下への遡及が起きていたのだ。バブル崩壊だけでなくグローバル化の波がそれを大きく加速し、素材産業は40年前と大きく変わった。

 

この素材産業の変貌に気がついていない川下企業の担当者は困っているはずだ。昔のように黙って待っておれば材料技術が川下に流れてきたのだがそうではなくなってきた。

 

また素材産業の中にはこの変化に完全に乗り遅れた企業もいたりする。もしお困りの方は弊社にご相談ください。

 

バブル前後の厳しい環境の中で新事業(ゴム会社で高純度SiCの事業を起業)を立ち上げたり、写真会社で半導体PPSコンパウンド工場をたった8000万円で立ち上げたりした実績をもとに解決策をご提示します。

 

特に川下企業で川上から技術が流れてこなかったため、川上企業の技術をしのぐ開発成果をだした体験は参考になるのではないでしょうか。

カテゴリー : 一般

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