活動報告

新着記事

カテゴリー

キーワード検索

2019.08/11 愛知県の表現の不自由展に思う

愛知県の「表現の不自由展」が未だに揉めている。大阪知事と愛知県知事の喧嘩も飛び出した。一連の愛知県知事の発言を聞いていたが日本人として少しおかしい。

 

もし、愛知県知事が日本人として誠実真摯に考えるならば、まず、税金を投じたことの謝罪が必要である。そして、この謝罪の上、中止にしたことの謝罪もしなければいけない。

 

今回の問題は、日本人全員の支持が得られると思って、税金を投じたはずである。しかし大多数が異を唱えたのだから、愛知県知事の判断は間違っていたのだ。

 

一方、芸術表現に関して愛知県知事が自己の判断の正当性を主張するならば、私財を投げうってでも展示会を何処か私的な会場を借り切って開催しなければいけない。

 

展示会の企画者もそうだが、際どい仕事を行うときの覚悟が足りない。今回の騒動を見ていると、愛知県知事も含めて展示会に関わっている人間の卑しさが透けて見えてくる。

 

日本人の意識改革を目的として表現の自由を主張するならば、覚悟も必要だ。この問題に限らず、覚悟の必要な行動に対して、安直に行動しあたかも正論のごとく他者を批判する無責任な人が多い。

 

いつまでもこの問題がくすぶっているようならば、愛知県人はリコールの行動を起こしてもいいような状況である。日本の愛知県民として大阪人に馬鹿にされてもよいのか。

愛知県出身者として、かつては不倫をして家庭を壊すような見識の国会議員を選んだり、今回の一連の騒動を見てきて少し恥ずかしい。

この恥ずかしさを思うときに、改めて普遍的な正論を論じる覚悟の重要性を認識する。

日本社会で生活するときには、国際人の前にまず日本人としての価値観で判断しなければいけない。

 

そしてその価値観が時代遅れと感じ、直す必要があると感じた人は、まず日本人としての手順でそれを提案しなければいけない。もし、提案内容が日本人の価値観とかけ離れていたならば、日本社会に寄り添った手順で提案すべきである。

 

今回の場合であれば、公共の財産を使う段階ではない。有志から募金をして私設会場で行うべき内容だ。そして、それが多くの人の賛同が集められたときに、初めて税金を投入すべきなのだ。

 

大阪府知事が辞職すべき問題と言うのも最もである。不倫で選ばれた議員は、愛知県民が不倫を認めたという理由で堂々と活動をしている。不倫が愛知県の文化の時代になったのか?

 

生命の大切さを主張しつつ自らの生命を維持するために他の生命を犠牲にしなければいけないという人間がその意識の中に永遠の矛盾を抱えた生き物である限り、今回のような出来事では、命を懸けるぐらいの覚悟が必要である。

逮捕者まで出るような問題に発展しているので、謝罪をしないのならば愛知県知事は速やかに辞職すべき段階かもしれない。日本人政治家としての覚悟を見たい。

カテゴリー : 一般

pagetop