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2019.11/01 ホリエモンのツイート(続き2)

ホリエモンのツイートについて自己責任論に基づく、とリツイートし、それを支持する意見が多い。当方は、それはあまり深く考えていない意見だと言いたい。

 

給与が低くても雇用されている状態に注目すれば、本人以外の責任が見えてくる。本人が会社に貢献するような働きをしていても、それを快く思わない人は組織にいる。その結果給与は増えないこともある。多面評価ならば致命的である。

 

当方が昇進試験に落ちたとき、成果を出していなかったわけではない。ゴム会社に入社して3年間に、樹脂補強ゴム(開発された配合により後工程で自動車用エンジンマウントとして実用化された)、難燃性軟質ポリウレタンフォームの実用化、フェノール樹脂天井材の実用化と商品化企画3テーマに成果を出していた。

 

(当時「成果の出ない研究所」と陰口を言われていた組織においての連続の成果である。樹脂補強ゴムに至っては、一年の予定のテーマを毎日深夜まで、時には徹夜までして3ケ月で仕上げている。もっともこれは指導社員の当方をうまく教育してくれた成果だがーー。「成果の出ない研究所」の原因は、「成果を出すと評価されない研究所」だったのだ。例えば、発泡体の研究を担当していた部署の課長は、担当者の時何も成果を出せなかった、と陰口を言われていた。成果が出せなくても研究所では大卒であれば昇進試験に合格したのである。)。

 

フェノール樹脂天井材のテーマについては、開発中にMホームですぐに採用され、会社の売り上げに貢献した。開発途中の天井材は、開発が完了した時よりも豪華な設計だった。アジャイル開発のため品質重視で設計したことがその理由である。(おそらくソフトウェアーよりも早くアジャイル開発を導入した例なのかもしれない)

 

しかし、給与明細書を友人と見せあって当方には成果に対する査定がついていなかったことを知った。また、快くサービス残業をして成果を出している姿勢が周囲のひんしゅくを買っていることも分かっていた。

 

なぜなら研究所では大半の人が定時退社だった。タイヤ開発をしている部署の人たちは、それを「雲の上の人々」と表現していた。研究所は成果が出ていなくてもエリート集団として扱われていたのだ。

 

新入社員でありながら難燃性軟質ポリウレタンフォームの開発スタート時に工場試作を成功させて始末書を書いた実績もある(これは負の実績だが、少なくとも上司以外の誰もが課長が始末書を書くべきと、ひそひそ話をしていた。)。

 

さらに、その始末書で提案した技術で実用化に成功しても評価されなかった実績から、サラリーマンの給与は必ずしも成果や貢献度合いではなく、上司のさじ加減の寄与が大きいので、給与が少ないことについて右往左往するなと言いたい。

 

(当方の成果については、当方の書いた特許や論文、学位などを見ていただけばわかります。FD事件の起きた原因である電気粘性流体については、その犯人を示す出願がある。公開された資料から裏を読むと「事実は小説よりも奇なり」という現実が見えてくる。わかりやすいのは、ゴム会社で実施されまとめられた論文の筆頭著者が当方ではなく、その論文に関わっていなかったT大の研究者の名前が書かれている例もある。あえてこの欄でその研究者の名前を書かないが、その研究者は恥ずかしいと思わなかったのか、と今でも疑問に思っている。当方がT大からの学位を辞退し中部大学で取得した理由である。)

 

給与の少ないことを単純に自己責任論で片づけたなら、本当の問題が見えなくなる、と思っている。担当者の給与が少ないのは、給与決定権のある上司にも問題があるのだ。

 

落ちた昇進試験に影響する査定をつけた上司は、職務上公私混同を平気で行い問題行動が多かったが、それをうまく隠蔽する能力に長けた人だった。部下は皆気がついていたが、黙認していた。

 

当方は管理職の時に部下の評価査定については、気合を入れて人事との交渉を行っている。ゆえに当方が悪い評価をつけたのは、会社に来ても仕事をせずぶらぶらして、「これでも会社はクビにできない」とうそぶいていた社員だけだ。一方で、貢献と自己実現に努力をすれば、給与以上の見返りがある、そう信じて生きてきた。

 

ゴム会社では成果に対する報酬の問題や残業制限があったため十分な残業代を請求していなかったが、12年間の勤務で多くの先輩社員のご指導で実務スキルを身に着けることができた。これを転職した写真会社で生かすことができた。

 

例えば、写真会社では早期退職前に混練プラントを建設し中間転写ベルトのプロジェクトを成功に導いている(ちなみにこの成果で部長だった当方は何も評価されていない。この問題については機会があれば書いてみたい。企業における人事評価は公正に行わなければ風土に影響する。なぜなら明確な貢献に対して評価されない状態を放置すれば、貢献しようという意欲を否定しているようなものだからだ。)。

 

混練の技術基盤など写真会社には無かった。混練プラントが短期間で立ち上がったのは、ゴム会社で体得した混練技術に関するスキルのおかげだ。これ以外に写真会社で残してきた成果にはゴム会社で新入社員時代に担当したテーマで獲得したスキルが生きている。

 

一日前に上司が長い手紙を当方に下さった話を書いている。そこには本音がつづられていた。そして翌年必ず昇進試験を受けなおしてほしい、と結ばれていた(注)。

 

高純度SiCの発明をした後、8社から転職のお誘いを受けている。留学中に合計10社から転職のお誘いを受け、30歳前後の技術者の年収について最高額の相場が800万円であることを知った。少なくとも当時の当方の年収ベースで2倍である。

 

しかし転職しなかった。ホリエモンの価値観から見たらバカな理由かもしれないが、当方のためにゴム会社の中で一生懸命動いてくださっている方々がいたからである。

 

転職すべきかどうかの判断は難しい。給与以外に、組織における人間関係も影響する。0点がつけられた昇進試験の解答に書かれた高純度SiCのシナリオへ先行投資しようと言われたときの感動は今でも記憶に残っている。学位を取得する段取りも会社が用意してくれたのだ。

 

働く目的はお金と思われがちであるが、ドラッカーはお金ではなく「貢献」と「自己実現」と述べている。当方は貢献の中には、ラグビーの様な人との交流も含まれていると思っている。

 

大きな会社になるほど人格も含めて価値観などのおかしい人が増えてくる。これは30年間ドラッカーを教科書として社会を見てきた実感である。

 

働く目的は給与ではないのだ。仮に給与が少なくとも貢献する価値のある組織で働けるのは幸福である。腐った組織ならば、給与の額とは関係なくさっさと転職したほうがよい。

 

(注)上司の手紙を読みながら、なぜその年の昇進試験の時に面倒を見てくれなかったのか、と突っ込みをいれたかったが、会社の研究所の問題が書かれていたので、それを恐れず文章に書き、わざわざ手紙として当方にくださった決意に心を動かされた。ただ、この上司は、ファインセラミックス研究棟の起工式の日に病で倒れ、竣工式の日にお亡くなりになった。成果を出すためには、死ぬ気で働かなければいけない時代だった。また、そのくらい頑張っている人がいて経済成長していた。それに比べれば今は良い時代である。サラリーマンが命を落とせば社会でその問題を議論してくれる時代である。昔は会社で割腹自殺してもすぐに忘れ去られる時代だった。日本はバブル崩壊後良くなっている。決して終わっていない。

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