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2020.06/25 何を学ばなければいけないのか

人は気づくことにより、学び始める、と言われている。「気づき」と「学び」はセットになっているのだが、「気づき」は、そのきっかけが無ければ始まらない。

 

すなわち、学ぶことにより、気づきの機会が多くなるのだが、これでは鶏の卵と親鳥の関係になってくる。また、学ぶために読書をするにしても、最初に何を読めばよいのか迷うことになる。

 

ただし専門の内容であれば、グーグル検索で一応学べる。さらに混練の専門知識であれば、最初に当方の書を読んでいただけば10万円も出さなくても十分な知識を獲得できる。

 

専門と呼べない内容になってくると実用書になるが、昨今は無理をしない生き方が流行しており、無理に学ぶ必要もない、という結論が学んだ結果出てくる。

 

さらに、この10年発達障害が話題になっており、学び方によっては、発達障害でもないのに、自分を発達障害と診断し、無理をせず生きてゆこうと方針を決め、気づきの機会を自ら放棄するような状況もある。

 

発達障害は、今ようやく脳科学の観点で明らかになってきたが、その診断についていろいろ問題点が議論されている。「障害」という以上はその該当者が人類の3%以上になっては診断方法として使い物にならない、という意見がある。

 

専門以外の内容については、そもそも何を学べばよいのか基準が不明確であるためにそれなりの予備知識が無ければ見出すことが難しいが、その予備知識を学校教育で教えていないことに社会が気づいていない問題がある。

 

当方は高校生の時に父に勧められ、ドラッカーの著書を読むようになったが、その内容の一部には、中学生や高校生が学ぶべきと思われる項目をいくつか見つけた。

 

古くは、宗教が生きてゆく上の基礎知識の役割を担っていたが、今や無宗教無哲学の時代であり、生きてゆくための基礎知識さえ得られる機会が少なくなった。

 

故ドラッカーは当方の時代の哲人で、過去の人として忘れられようとしてるが、知識労働者について最初にその生き方も含め哲学した知識人で、今弊社では彼の考え方についてまとめている。

 

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