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2020.12/10 アイデアの出し方(2)

昨日観察眼の重要性と、それを養うのに長い年月がかかるようなことを書いたが、短期間で観察眼を養う方法がある。また,それは科学を道具として使う方法でもある(科学の時代とか科学的に考えろとか科学の重要性が叫ばれるが、科学が本当にありがたいと感じるのは、当たり前でもよいから何かアイデアが欲しい時である。形式知を積み重ねても当たり前のアイデアも出ないような状態は、科学が悪いのではない。自然とはそのくらい厳しいものだ、と悟ることである。それを悟れば、科学に精通した誰もできない状況とあきらめることができる。諦めることができれば、気が楽になる。科学で無理ならば、技術開発しよう、というファイトが湧き出てくる。)。

 

何か実験を行えば、それが仮説に基づく実験だろうが、思いつきの実験だろうが、何らかの現象が起きる。その現象を観察した時に、形式知の量の差で認識の違いが生まれる。

 

目の前の現象に対して形式知が0の人ならば、それは実験者の単なる遊びにしか見えない。しかし、形式知があれば、目の前の現象を観察した結果の考察が可能である。

 

現象を前にしたときに何も考察のできない人は、その現象に関する形式知が無いと判断すべきである。もし、それが要職にあるスタッフならば減給処分にした方が良い。

 

何らかの考察はできるがアイデアを出せない人にはコーチングにより目の前の現象から何らかの機能を取り出すことが可能である。ここで行うコーチングには形式知を中心に用いる。

 

これを経験知で行うと、認識の違いを生み出す。すなわち、経験の違いで目の前の現象に対する感度が異なってくるのは、現象に関して経験知の差異があるためである。

 

もし形式知を用いて認識の違いが生じた場合には、目の前の現象に関する周辺の形式知を今一度整理しておく必要がある。

 

数学で習ったように、科学の形式知とは必要十分条件となっている。すなわち一つの真理の体系が形式知であるので、形式知で論理的に議論している限り、すなわち科学している限り認識の違いは生じない(ここが科学という哲学の優れたと特徴)。

 

とにかく目の前の現象を理解するために必要な形式知を正しく身につけておれば、認識の違いを生まない何らかの考察が可能であり、その考察の過程でアイデアが生まれる可能性がある。

 

ここで可能性がある、と書いたのは、アイデアが生まれない場合もあるからだ。目の前の現象に関する豊富な経験知と暗黙知が存在する人は、ちょっとした現象の変化からアイデアを生み出せる可能性が高い。

 

ところが経験知も暗黙知も無く、形式知こそ命と思っている人は、この時当たり前のアイデアを考え出すことになる。あるいは当たり前の解説を行い、それに納得して新しい発見を見落とす。

 

同じ実験結果を見て、形式知に基づく当たり前のアイデアしか出せない人と新たな機能を自然界から発見できる人との差異は、経験知や暗黙知の差異と思われる。哲学書の知に関する解説に従うと、当たり前のアイデアしか出せない人についてこのような説明となる。

カテゴリー : 一般

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