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2021.09/05 テレワークの功罪

コロナ禍で1年以上経過し、テレワークで生産性が上がっているのかどうか、という議論がなされている。さらに生産性だけでなく、テレワークによりパニック障害や不眠症になった事例までWEBニュースに散見される。


テレワークが本格的に行われるようになって日が浅いのでまだ慣れていない部分もあり、早急に結論を出すことが難しいが、多くのニュースで指摘されている公私の境界が無くなった点は注意する必要がある。


当方は、化学が好きで材料の専門家となりセラミックスから高分子材料まですべての材料開発を経験している。また、子供の頃は教師にあこがれ、先生でもなろうか、と思い教育実習も経験した。教育実習を経験してみて、あこがれと現実の難しさに気がついた。


教師は化学を教えているだけが仕事ではないのだ。恋愛相談にものらなければならない。実習中にラブレターをもらって実習の指導教官に相談したら、実習生でラブレターをもらえなかったら教職をあきらめた方が良い、と言う程度のものだった。


その後も数通ラブレターが届き、教職に向いていない自分に気がついた。この理由は、小学校の時の靴箱のラブレターほどの感動は無く、それにもかかわらず指導教官に相談した自分があまりにも軽く感じられたからである。大学で学んだ教育心理学など役に立たないと思った。


その結果材料技術者の道を歩むことになったのだが、ゴム会社で上司に趣味で仕事をやるなという類の注意を何度も受けている。ただ、楽しみながら仕事をやって成果を出していただけだが、それが上司に気に入らなかったのだろう。新入社員時代に工場試作を成功させて始末書を書く、意味不明の処遇まで受けた。


ただし、仕事と自己の嗜好の境界がほぼ無いような状態でサラリーマン時代の大半を過ごし、もったいないことをしたと反省している。


この時の経験から言えば、仕事と自分の生活との境界が無くなることは、確実に働き過ぎを招くと思う。実際に小生は自分の過重労働を特に苦痛と感じていなかっただけでなく、本給以上のサービス残業を行っていた時もある。


当方は仕事の内容において精神的な境界が無かった問題だが、一般にはこれが肉体的な境界となるのだろう。好きでやっているのではなく、自宅でやりたくもない仕事を生活の一部として取り込んでしまう苦痛は、当方の仕事ぶりを他人が見たときに趣味のように見えた問題よりも深刻かもしれない。

カテゴリー : 一般

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