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2021.09/19 音楽を学ぶ

音楽を小学校から学んできたが、大学へ進学した時にその意味が何だったのか疑問を感じた。音楽の才能など子どものころから無いと諦めていた。中学へ進学する前に変声期となり、一時うまく声を出すことができない時があった。


原因は担任の教師から音楽の時間に歌を歌うなと言われたことがきっかけである。国語の時間に音読も困難になりかけた。人生で一番苦しかった時である。もがけばもがくほどうまく声が出せなくなる。


母親が異変に気がついて、母の知人に音大の先生がいるというので、そこでボイストレーニングを受けたところ何とか声が出るようになり、歌も歌えるようになった。


小学校の音楽の時間は散々だったが、中学高校では、普通に楽しく学ぶことができ、中学では5段階評価の5を3年間頂いた。小学校の時の教師の指導と当方とがうまくかみ合わず精神的な原因で声が出なくなっただけかもしれないが、母親の機転が無ければ音楽そのものも嫌いになっていたかもしれない。


ただ、家庭には早くから蓄音機やステレオがあったので音楽を聴く環境は整っていた。だから思春期には思春期の、大人になれば大人の音楽を楽しんではきたが、大学生の時にジャズの教則本を手にして、音楽教育に疑問を持った。


この時にジャズを真剣に勉強しておけばよかった、とこの年になって反省している。ジャズの教則本の後に読んだ本が悪かった。数冊ジャズ評論を読み続け、ブルースにのめりこんだ。なぜブルースなのかは機会があれば説明したい。今改めてジャズの教則本を読み始め、音楽の世界の形式知の進歩がジャズから始まったように思えてきた。


少なくとも50年近く前の教則本と最近のジャズの教則本では、体系が異なっている。昔はスケールからアドリブを展開する体系だったが、今はコードが中心であり、コードの各役割を教則本では詳しく説明している。


 

教則本を読んでいて、その説明を理解できるとそれが音楽の世界で普遍性を持っているように思えてきた。あらためて子供のころの音楽教育を思い出し、義務教育の音楽の指導のいい加減さにあきれている。

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