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2022.06/18 難解な知の原因

知には形式知と経験知、暗黙知があるという。大学の哲学の授業で「知の歴史」を学んだ。人文科学系の授業で面白く感じ、その後の人生に大変役立った、と思われる授業である。


幾人かの友人から、この授業がつまらないという理由で代返を頼まれた。当方は休まず出席したいと思った授業であり、友人のこのような依頼を特に面倒に感じなかった。


休まず出席しようと思った理由は、暗黙知なるものが伝承されている、という考え方に心動かされたからである。文学とか社会学とか諸々の人文科学の研究が成立する背景だが、理学系列の研究に比較し胡散臭い研究と感じられる成果も存在する。


ところで、理学系列の研究成果を理解しようとしたときに、専門外の人間には難解となる場合が多いが、人文科学系の研究成果は、言葉の理解ができればおよそ理解できる。


哲学の研究論文でも注意深く読めば、それが科学的に書かれている限り一応著者の意図を理解できる。これに対し理学系列の論文が難しい原因の一つは、前提とする専門領域の形式知が圧倒的に多いことによるのだが、さらにその形式知の正しい体系が身についていることまで求められているのでさらに難解となる。


面白いのは、正しいと思われている体系が入り組んでいる場合に形式知とされていた知が経験知であったりする場合がある。このような場合にもその部分の研究論文を読むときに理解を難しくする。


このあたりについて音楽の理論をもとに具体的に表現すると、義務教育では3和音をコードとして習うが、巷で売られている音楽の理論書では4和音以上のコードが体系化されている。


一方で故JoePassの経験知によるコードの考え方と音楽の理論書で体系化されたコード理論を比較すると、音楽の理論書のどこまでが形式知なのか怪しくなるところを見つけることができる。


音楽の理論書を読んでいて難解と感じられるコード理論だが、音楽の理論書を数冊読んだ時に義務教育の体系と少し異なる体系となっていることに気がつくとその理解が容易となる。


義務教育で学ぶ音楽の理論は、その体系を単純化し学びやすくしている。しかし、音楽の専門書に書かれている体系では、音の振動数と感性に配慮された体系に向かって整理されている。


そのため音楽の体系化された理論書も一部に経験知とすべき内容が混在している可能性が高い。ゆえに現代音楽で未だに新鮮な響きの音楽の生まれる背景となっているのではないか。


難解な知に接した時に若い時には頭が悪いからと諦めたりしたが、哲学の授業で知の本質を学んで頭の悪さよりも知そのものに原因があることを知り、学習意欲が沸いてきた思い出がある。


弊社のセミナーでは、大学の授業よりもわかりやすく伝承することに努力している。難解に思われているタグチメソッドについても現在新しいわかりやすいテキストを製作中である。

カテゴリー : 一般

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