生成系AIの登場で、あらゆる問題をコンピューターで解けるようになったのだが、ハルシネーションの問題がある。恐らくこの問題は数年で解決されるだろう。
しかし、コンピューターを上手に使う方法は、もう明らかである。人間よりも圧倒的なその能力が分かってきたからである。
但し、その能力に甘えて人間がやるべき作業まで任せてしまうと人間はコンピューターの支配下に置かれることになる。人類の未来は、やはり人間が自ら切り開かなければいけない。
そのためにはコンピューターをせいぜい友達程度に扱うべきで、人間の未来をコンピューターにゆだねるような使用法は避けるべきである。
数理モデルを使って問題を解くケースは、コンピューターを使うべき分野かもしれない。数式のモデルを立てて、その計算をコンピューターに実行させる方法は、コンピューターが登場した時代から行われてきた、コンピューターの王道の使用法である。
もう一つは、モデルを数式表現にすることなく、モデルのままコンピューターに実行させる方法がある。これは、プログラムのアルゴリズムのアイデアが重要になってくる。
例えば、群論による難解な問題でも、順列組み合わせによるモデルをコンピューターの中で作らせて、コンピューターに対称性を判断させる場合でも様々なアルゴリズムを考えることができる。
SiCのスタッキングで様々な結晶系が生成する可能性は、40年ほど前にBASIC言語で示されたが、アルゴリズムは単なる順列組み合わせで唯一のスタッキングを検討する簡単なアルゴリズムだった。
難解な群論を持ち出すこともなく、50層まで様々な結晶系が得られることが示されたのだが、数学の専門家でなくても、難解な数学が関わる問題をアルゴリズムの工夫で易しい問題となる典型例である。
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コンピューターを使って問題を解くためには、数理モデルを数式にして計算で解く方法と、数理モデルをそのままコンピューターでプログラムとして実行させる方法が知られていた。
生成系AIの登場で言語のまま、あるいは画像を使ったりして問題が解けるようになった。今のAIはSWOT分析も連関図も作ることができる。しかし、これらは自分で行うことをお勧めする。
理由は、SWOT分析にしろ連関図にしろ、あるいはそのほかFMEAなど各種手法は、その結果が重要ではなく、それらを作る過程を通してアイデアを整理するのが目的だからである。
コンピューターを使って問題を解くときに勘違いしてはいけないのは、何のためにコンピューターを使うのかという視点である。FMEAにしろ連関図にしろ人間が作ることにより、その目的と価値が生まれる。
コンピューターはそれを作るための補助的に用いるか、あるいはまったく無用かもしれないので、よく考えて問題解決していただきたい。アイデアを出したり、考えを整理したりするツール類は人間が主体となってそれを実行するときに価値を発揮する。
QCツールを正しく理解していない人が多い。ゴム会社の12年間で3人の研究開発本部長のご指導を受けたが、QCツールに対する考え方が異なっていた。
最初の本部長は、鼻であしらい現場の道具だと語られていた。二番目の本部長は研究者にも有効だと語られていた。3番目はFMEAを作ったところで品質問題は起きる、と軽蔑していた。
FMEAのようなツールは、作っておしまいではないのである。作る過程とそれを改定する努力が重要となるツールである。ゆえに作る過程でAIと相談しながら、という使い方は問題ないが、作成そのものを丸投げするのは意味がないのである。
現場の道具とか、作成しても意味がない、という評価は論外であり、QCツールの目的を理解していない。科学が生まれたのも真理を知るツールが必要だったからである。AIが常識となっても科学的活動は残る。
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ニホンオオカミの剝製を発見した論文の筆頭に小学生の名前が、という記事を読んで、小学生をサポートされた国立科学博物館主幹川田氏と山科鳥類研究所研究員小林氏に頭が下がる。
また、この二人のサポートを受けながら論文にまとめた小学生の知力もすごいと思う。ただ、当方が最も凄いと思うのは、主幹川田氏が筆頭とならず、小学生を当然のように筆頭としている点である。
それは、以下の経験からありえないことと思っていたからである。ゴム会社で30年事業として行われ2018年に(株)MARUWAへ譲渡され今も承継されている高純度SiCの合成技術がある。
この製造方法に関わる反応速度論の研究は、前駆体の品質管理(注)のため当方単独で企画から研究の完成まで行われ日本化学会で発表された。それがきっかけで某国立大学で学位授与の話を当方は頂いた。それは、電気粘性流体の開発でゴタゴタの始まった頃である。
高純度SiCの合成技術研究は1985年に終え、焼結体の研究も終えた頃で、炭素だけでホットプレスできることやヒーターの開発なども完了し、住友金属工業とのJVをスタートもしていた。
新たに就任した研究開発本部長は、JVも立ち上がり、研究開発がひと段落したのだから電気粘性流体の研究を事業として立ち上げるように命じてきた。
そこで、否定証明されて解決できないとされた耐久性問題を一晩で解決するとともに科学的にはその機構が不明だが、電気粘性流体を実用化させた傾斜機能粉体はじめ3種のメタマテリアルを開発している。
その結果、当方含め3人の研究員が転職するような事件が起きたのだが、そのようなときにありがたい話と喜んだのが甘かった。命じられるまま提出したデータを用いて、その大学の助教授が筆頭となった反応速度論の論文を当方の承諾なく出されている。
その助教授は、それまで高純度SiCの開発に全く無関係だった。その研究が完了した時でもゴム会社との接点は無かった。当方が学会発表してから、生まれた接点である。
学位を授与するためには大学との研究履歴が必要だから出した、と事後に説明を受けたが、この研究に関しその後の国際会議等の招待講演をこの助教授は当然のように当方に承諾なく受けている。
当方が転職後、この大学の他の先生から転職先からも奨学寄付金を持ってくるように言われたので、泣く泣くこの大学で学位を取得することをあきらめている。
その後、中部大学から温かい支援が得られ、学位審査料だけで学位を取得できたのだが、この経験は企業研究者の学位について問題を提起したものだと今でも思っている。
このような経験があったので、このニホンオオカミの論文の話は、大変清く素晴らしい記事として心に残った。このような若い人を育てようとする研究者が多ければバブル崩壊後の日本は早く立ち直っていたのではないか。
(注)高純度SiCの製造方法は、無機材質研究所留学中に4日間で完成している。生産もほぼこの時の研究で見出された合成条件で行われている。この時、前駆体の均一性をどのように証明するのか、課題として残った。当方は、均一素反応で反応が進行することを示すために、留学修了後、2000万円かけて、2000℃まで1分で昇温可能なレーザー加熱の熱天秤を開発し、これで速度論の研究を行い、会社から発表許可を頂いて日本化学会で発表している。ゆえにこの研究がいつどこで行われ、誰が関わっていたのかを示す証拠がすべてそろっている。時間ができたときに、当方の12年間のゴム会社における研究開発の体験を書く予定にしているが、研究の成果はどのように評価されるべきなのかについては、その体験談で詳しく書く予定にしている。
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オリンピックが終わった。理解できなかったのが、新種目「ブレイキン」。女子は、日本人が金メダルをとったが、男子は、どうみても金メダルに思われる演技だったのに4位に終わったSHIGEKIXである。
少なくとも、繰り出す技の難易度は人間業に見えないレベルで、とても当方には真似できない。それも音楽に合わせて、あたかもデジタル画像が動いているようで、不思議な世界が広がっていた。
決勝でも3位決定戦でも、相手の技よりも素人目に高度や難易度の高いものだった。体操床運動ならばウルトラX級もあった。内村航平でも音楽に合わせては、やれないだろうと感じた(と同時に、どこかTV局で内村航平との対戦を企画してみてはどうか。ブレイキンと床運動の違いが明確になる。題名の無い音楽会で取り上げても面白い。)。
おそらく、技の難易度ではなく、動きの面白さからの採点の影響が大きかったのかもしれない。決勝も3位決定戦も動きの滑稽さでは、ライバルの方が勝っていた。おそらく、ブレイキンを今後もオリンピック競技とするならば、採点基準を誰でもわかるようにすべきだろう。
フィギュアスケートも八木沼純子選手(注)の採点が低く、不満だった記憶がある。その後、この競技では採点方法の見直しがなされ、スポーツとして理解しやすい形になってきた。
ブレイキンもスポーツとして今後採点基準の見直しが行われて欲しい。オリンピックでやるからには、やはりルールが分かり易くなっていることが重要だ。
それにしても、青春時代(1970年代)ビージーズのサタディー・ナイトフィーバーが流行り、様々なストリートダンスが生まれ、やがて日本では竹の子族やお台場のダンスブームなど話題となっているが、自ら踊ることは無かった。
趣味が違ったといえばそれまでだが、音楽に合わせて踊る機会が盆踊りだけではもったいないと反省している。若い人にはその時代のダンスを踊ってみることをお勧めする。ブレイキンなど年を取ったらできない経験である。
(注)ブレークダンスが基になったブレイキンを今後オリンピック種目とするならば、スポーツの要素を明確にした採点に改めるべきだろう。フィギュアスケートもその歴史において、演目内容と採点基準の見直しがあった。日本では渡部絵美選手の国際的活躍でマスコミがフィギュアスケートを取り上げるようになり、トリプルアクセルの伊藤みどり選手の活躍で一気に火がついた。さらに華麗な八木沼選手の登場で国民的スポーツとなったが、当時採点基準が不明で、SHIGEKIX同様に会場を沸かせても八木沼選手はなかなかトップになれない。その後採点基準の見直しやその方法の公開などがあり、スポーツ観戦として楽しめるようになったが、ブレイキンも技術点などの基準を公開する必要があるだろう。メダルは取れなかったが、SHIGEKIXは八木沼選手同様に記憶に残る選手になるのだろう。
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コンピューターを用いるシミュレーションでは、科学的と思われる方法と非科学的方法とに分かれる。仮説を用いているから科学的か、というと、シミュレーションから大きく外れたり、あるいはシミュレーションできなかったりするケースが見つかる場合もある。
これは、イムレラカトシュが指摘した科学的に完璧となる否定証明の説明を読めば理解できる。否定証明以外は、皆科学的不完全性を抱えている。新帰納法などとごまかすと形式知の中に不純な真理を抱え込むことになり、形式知の体系がおかしくなる。
正しく導かれた真理ならば、それを用いて新たな真理を導き出すことが可能となるが、非科学的真理からはやはり怪しい真理しか導けないはずである。
データサイエンスは、コンピューターサイエンスとして改めて科学としての方法論の研究が始まった。科学の手法としてコンピューターを用いるときの問題が明らかにされ、その体系ができるのはいつであろうか。
生成系AIについて、その振る舞いをプログラマーさえも理解していないことをご存知だろうか。第一次AIブームと第二次AIブームで作り出されたエキスパートシステムは、特定領域のみで活躍できたAIであり、その振る舞いについて、アルゴリズムから理解されていた。
しかし、第三次AIブームで登場した生成系AIは、ベイズ統計なども用いられ、データ駆動で動作している。すなわち、その振る舞いはデータによる学習と統計によるふるまいとなっている。この結果生じる問題が意外と世間に知られていないし、声高に言う人もいない。
非科学的技術から始まった産業革命は、科学により加速され、それが登場した時に大衆には用途不明な道具、パソコンを生み出した。やがてソフトウェアーが多数組み込まれ、便利な道具となっている。
そして、コンピューターが意識されない道具も登場している。AIについて、3回に渡るブームがあり、生成系AIが登場し、産業革命の総仕上げと言われるようになった。
現在のAIは今後進化し、その能力は人類を超えると言われている。AIが人類の道具として使われず、未来を描いたSFに登場するような人類を支配する時代となるのだろうか。
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目の前の現象をシミュレーションしたい時に二通りの方法がある。一つは仮説を立てて、仮説に沿った数学モデルを組み立て、そのモデルが現象とうまく一致するかどうか証明してから用いる方法と、仮説を立てずに現象のふるまいをそのままコンピューターの中で実現するアルゴリズムを考える方法である。
両方ともコンピューターを用いるが、仮説の有無で科学と非科学に分かれる。前者は科学の方法と呼べる場合もあるが、後者は仮説が無いという理由で非科学的な方法となる。
前者の事例として、レオロジーにおけるダッシュポットとバネのモデルがある。材料の構造を仮説に用いて、ダッシュポットとバネのモデルを組み立て、その微分方程式を解きながら、数学モデルを導き出す方法は、仮説がありながらも、高分子分野では非科学的方法と呼ばれている。緩和現象をこのモデルで説明できなかったからである。
今では後者の方法の一つと見なされている。コロナ禍では8割おじさんと呼ばれた科学者が前者の方法で計算し、クラスターの予測などしていた。ただし、このときの説明を聞いていて、科学と呼ぶには大変怪しい方法であると感じていたが、誹謗中傷と誤解されるといけないのでこれ以上書かない。
すなわち、前者の方法で科学的と信じていても、マッハに従えば非科学的になってしまう場合があるのだ。AIを用いる方法も含め、新帰納法と表現されている人もいるが、無理に科学的方法としないで非科学的であると注意しながらそれぞれの方法を用いる方が悪影響が少ない。
人類が自然現象から機能を取り出すときに、その機能が科学的に完璧である必要はない。ロバストの高いことが重要なのだ。iPS細胞を創り出す方法は非科学的に考案されたが、科学の場で実績が積み上げられている。
ヤマナカファクターを見出すための最初の24個の遺伝子は、コンピューターサイエンスで見出され、そこから4本を選び出すときには、科学の禁じ手「あみだくじ方式」を採用している。あっぱれ!
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科学の方法で完璧な手順は否定証明であり、統計の帰無仮説はこの手順に則り行われ、有意性が議論される。学生時代に統計を学習した時に、帰無仮説を立案する方法を奇妙に感じたが、科学的統計と緒言に書かれていたので納得している。
現象を見て、「もし**ならば、ーとなる」という仮説を立案し、**の条件で実験を行い、実験でーが否定されると、この仮説が棄却され、現象で生じている真実が証明される。
しかし、技術開発では、新しい機能を開発することが目的であり、仮説をたてて実験を行い、仮説が正しいことで機能が市場で正常に動くに違いない、という否定証明と異なる科学的方法で実験を行っている。
イムレラカトシュは、このような方法を科学の厳密的な方法ではないが、科学と非科学との境界は時代により、変化すると述べている。
そもそも論理学が完成し科学が生まれた、と、「マッハ力学史」には書かれており、また、科学史でもそのように扱われている。マッハはニュートン力学でさえも非科学的としている。
ニュートンは、「リンゴが落ちるのを見て、万有引力の法則」を発見しているが、これは逸話であり、思考実験を多用していたようである。
この思考実験(重)とは、頭の中で、風が吹くと桶屋が儲かる式に実験を行う方法で、それゆえ、マッハは非科学的と称していた。ニュートン力学は非科学的方法であるが、高校の物理学で学ぶ力学は、ほぼニュートン力学である。
面白いのは、高校時代に、数学の教師が独自に作成したプリントで、半年間ユークリッド幾何学を指導してくれたことである。当方の卒業した高校では、3年間に学ぶ指導要領に準じた数学(注)を1年半で終わるカリキュラムであり、半年間はユークリッド幾何学を学び、1年間は、高校3年間の復習をやっていた。
このユークリッド幾何学を授業で行うにあたり、科学教育の観点から指導要領から削除されたが、幾何学の知識として重要なので特別に行うと話されていた。
確かに、ベクトルや座標系を用いて幾何学の問題を解くような手順では無い。最初にキモとなる補助線に気がつくかどうかで、解くことができるかどうかが左右される。しかもその補助線に論理的根拠は無い。なれるより仕方がない方法だった。
このことから、科学とは、誰でも論理学を正しく活用しておれば、問題を解くことを可能にしてくれる哲学とも言える。ユークリッド幾何学のように、補助線を引けなかったら問題を解けない、ということにはならない。
ゆえに、科学を用いれば自然現象をすべて解明できると誤解したのかもしれない。素粒子物理学の体系はそれで成功したかもしれないが、高分子科学の体系は、面白いように未だぐちゃぐちゃである。
(注)学生社というところが、難問集という受験参考書を発行していた。日比谷高校や灘高はじめ受験校と言われた全国の高校の試験で出題された問題で、難問と思われる問題を集めていた。当方の卒業した高校の数学問題も取り上げられていたが、幾何学の問題は、ユークリッド幾何学を知っているとたやすく解ける問題ばかりだった。経験知の有無で解けるかどうかが決まる問題と言える。
(重)重要なことだが、思考実験を自由自在にできるようにしておくことは、アイデア創出を容易にする。妄想と馬鹿にする人がいるが、思考実験ならばやりたい放題できる。お金がかからないので、大胆な思考実験も可能だ。仮説を用いず、こうした思考実験の組み合わせで高純度SiC前駆体の実験を直交表により成功させている。モノを創造するときに科学は必ずしも必要ではないのである。むしろ科学にとらわれていると新しいモノを生み出せない場合もある。当方がこの高純度SiCの実験を無機材研で成功させたときに、研究所の人から、エチルシリケートとフェノール樹脂の組み合わせを考えたが、フローリーハギンズの理論から否定された、君はそれを知らないセラミックスの専門家だから成功した、と言われたが、当方は指導社員からフローリー・ハギンズ理論とその問題まで丁寧に指導されていた。高純度SiC前駆体の発明は、非科学的思考の重要性を証明した成果だと考えている。科学的には否定されても、形式知が未完成のため、その現象が科学に反して起きることは高分子科学でよくあることだ。コアシェルラテックスは、高分子化学会技術賞を受賞している科学の成果だが、この成果の裏返しの技術、すなわちあたかもコアをミセルにしてラテックスを重合する技術を成功させている。PPSと6ナイロンはχが0とならないので、相溶しないが、カオス混合によりこれを相溶させてMFPの中間転写ベルトを完成させている。非科学的方法でも技術を開発することができる、というよりもその方が独創性の高い技術を生み出すことができる。科学的には当たり前の結果しか出せない。
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データサイエンスも含めコンピューターを科学の世界で活用する方法をコンピューターサイエンスと呼ぶそうだ。コンピューターサイエンス、と呼んでいるが、データサイエンスがそうであるように、コンピューターを使った現象解析が、すべて科学的方法あるいは手順になるというわけではない。
コンピューターを使って、科学的方法で現象解析を進めることももちろん可能であるが、コンピューターを使う場合には非科学的方法となりやすい。すなわち、仮説が無くても既存のアルゴリズムを活用し問題解決できる場合など科学の方法とは異なってくる。
あるいは、コンピューターを使って問題解決する場合には、科学的方法にとらわれず、自由にできるといった方が良いのかもしれない。最初は科学的方法でコンピューターを使っていたが、問題解決してみたら、科学的ではなかった、という場合も出てくる。
ロシア生まれのTRIZという問題解決法が流行し、第3次AIブーム直前には、第二次AIブームの終焉を知らせるかのように、アメリカでUSITが生まれている。
これらは、コンピューターを使って、科学的に問題解決を行おうと目指していたが、普及していない。2005年に豊川へ単身赴任した時に、一生懸命TRIZやUSITを定着させようとしていた人がいた。
TRIZやUSITはコンピュータを前提に考案された科学的プロセスを取り入れた問題解決法なので、ペーパーの上でも問題解決に活用可能である。しかし、残念なのは、当たり前の回答しか得られないことである。
当たり前の回答しか得られない方法なので、面倒な手続きを行っている途中で回答が見えてきてしまい、手順通り進めてその回答以外得られなかった場合には、面倒な手続きが何だったのか、普通の人なら疑問に思う。
豊川で仕事をしていた時に、オープンスペースでTRIZ勉強会が開かれていて、そこで入社間もない人が、当たり前の回答しか得られていないじゃないか、と講師に質問していた。
何か険悪な空気になってきたので、割って入って、問題解決法について10分ほど蘊蓄を語り、やんわりとTRIZやUSITの存在を知っているだけでよい、と締めくくった。
義務教育から科学の方法を習い、その方法が身についている人にとって、TRIZやUSITは手間がかかるだけの方法であり、それを使用することがばかばかしく感じるようだ。
ひどい場合には、それを真面目に講義している人は、言葉は悪いが科学の方法を理解していない〇〇(注)ぐらいに見えてしまうようである。USITに至ってはオブジェクト指向のパクリではないか、という側面がある。
科学の方法をよく理解し、身につけておれば、TRIZやUSITをつかわなくても、当たり前の回答やアイデアを少しの手間で出すこと可能で、さらに形式知が身についておれば、ヒューリスティックに回答を示し、科学的な回答と新しいアイデアとの区別も瞬時に行うことができる。科学教育の成果である。
・
(注)名古屋や大阪では軽い気持ちで使われる言葉であるが、不適切と思われたので、〇〇とした。TRIZの問題は、それを使わなくても、科学的に解ける場合が多い。さらに、少し力量のある人ならばヒューリスティックに答えが見えてしまってもそれを使えと言われたら、やはり○○と言いたくなる。そんな問題解決法である。
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発明者がテーマ運営の都合で報われないことは、それが企業という組織の業務であるという理由でたびたび生じる。ゆえに、ドラッカーは、働く意味を貢献と自己実現にあるとしている。すなわち働くことを貢献とし、その報奨として自己実現があるとしている。
しかし、報われないだけでなく、発明者の努力の成果が第三者に奪われ、第三者が栄誉を受けるという事態も生じる。ドラッカーは、知識労働者の業務において成果を出すためには、自分の成果を他の人に渡さなければならない、と述べている。
これは、知識労働者の貢献の方法を説明したものであるが、この意味では、イノベーターの発明を他の人が活用して成果に結びつけなければいけない、と言える。
しかし、「他の人に成果を渡す」知識労働者の仕事のやり方について、それを発明者が了解していることが前提になる。これは発明の成果が正しく管理され、発明者の納得する運営がなされていなければ実現されない。
企業で研究活動を33年続けて思うのは、発明の成果の扱いが、それが大きければ大きいほど理想とはかけ離れて扱われ、発明者を大きく傷つける非情な世界という現実の問題である。
アカデミアでは、社会に貢献できる論文を書くことが重要な業務であり、良い研究であれば自分の成果として書こうとする。ここで問題となるのは、その研究にどれだけ執筆者が貢献していたかどうかである。
企業で目標管理のマネジメントが行われれば、自分の成果を目標とした貢献に正しく昇華したかどうか主張しなければいけない。その時、その成果がどのように生まれたのか、正しく説明する責任と義務がある。
信じたくないことだが、著名な大学でも学位を見返りとし企業から研究を召し上げたり、逆に、企業では、アカデミアが関わった研究を独占しようとする行為が当然のように行われる。
前者は発表された論文が証拠として残り、後者は学会賞の履歴として残っている事実は、正しく貢献が成果に結びついていないという理由で、そこに関わった発明者の精神を傷つけ、イノベーションの士気を奪う。
バブル崩壊後の日本で失われた**年という言い方がなされたりするが、このような信じたくないことを経験してみると、若いイノベーターを社会が如何に育てるか、という前に、発明を如何に正しく貢献に結び付けていくのか、というドラッカーの提言の基本を、まず必死で問うことから始めなければいけない。
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この測定方法は、高分子材料をバネとダッシュポットの粘弾性モデルで表す考え方から考案されたと聞いている。1970年前後に測定装置の開発が行われていたようだ。
1979年にゴム会社へ入社してしばらくは、指導社員O氏の開発されたミニコン制御のスペクトロメーターと呼ばれる粘弾性装置を実験で使っていた。
1980年代になり、バイブロンが導入された時に、先端の測定装置がようやくゴム会社に入った、と喜んでいた人がいた。また、その担当者は、壊れるといけないのでレオロジーを知らない人間には使わせない、と言っていた。
このような状況から、現在のような粘弾性装置は1970年頃から企業で使われ始めたのだろう、と推定している。
ところが、ダッシュポットとバネのモデルでは、1970年代から高分子のクリープを説明できない問題が指摘され1980年代に破綻した。ゴム会社では、1970年末にこの考え方は、研究所で排除されたそうだ。
当方は1979年にゴム会社へ入社し、10月に研究所へ配属されたが、O氏は、京都大学出身の優秀なレオロジストで、小生が初めての部下だった。
その方から、高分子のレオロジー研究において、粘弾性モデルでクリープを科学的に扱えないという理由により不適切であること、その結果、粘弾性試験装置の測定結果について考え方も変わるかもしれないと教えられた。
また、ゴム会社の研究所ではダッシュポットとバネのモデルは過去のモデルであり、ゴムの粘弾性について新しいモデルを研究しなければいけない、と指導された。
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