最近やたらと目につくのがコロナ感染者の体験談である。皆かかった時の苦しい体験を述べている。体験談を聞く限り、とても普通の風邪やインフルエンザとも思えない恐怖の病気である。
その中に、「遊んだことを後悔している」という若い女性の体験談があった。幸い彼女はひどい病状までには至らなかったそうだが、それでも嗅覚障害などの後遺症に悩んでいるという。
ところが病気の症状よりも辛いのは、自分は感染しないだろうと甘い考えで夜遊びして感染したことだという。どのような夜遊びかはともかく、甘い考えで感染し後悔する気持ちを年寄りにはよく理解できる。
若い時には、「自分だけは大丈夫だ」という根拠のない自信を持ってしまうものだ。それがある年齢から、石橋を叩いただけでは渡らず、他人が歩いても安全であることを確認してから渡るようになる。
そしてさらに年齢を重ねると、それでも危険であることを学び、命と引き換えに渡る価値があるのかというぐらいの判断をするようになる。
年をとると保守的になるとか、いろいろ言われるが、残りの人生のことを考えると、大過なく過ごすことが如何に難しく、それならば何もしないでおこうという判断をするのが普通の老人である。
夜の街や夜8時以降の飲食は大変感染リスクが高いことは、このコロナ流行から2か月ほどでわかってきたことであり、コロナ感染したくなかったらそれを辞めるのが昨年の夏あたりから常識となっていた。
ゆえにその常識に逆らって遊び、コロナに感染したなら、それは恥ずかしいことでもあり、良識のある普通の若い人ならば後悔の念が深くなるだろう。
彼女は、さらに、遊びが原因でなければただ運が悪かった、で済んだだろうが、自分の軽率さで他人にも感染させたかもしれないことを思うとやりきれない、と述べていた。
老人は隠居蟄居し、外界からの侵入物にはアルコール除菌を徹底するのを習慣としなければいけない。コロナウィルスだけは、運が悪くてもかからないように努力したい。
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火災とは、不規則な燃焼が継続して進行する現象で、燃焼は急激に進行する酸化反応である。このような現象の中で耐えられる高分子材料の機能をどのように設計したらよいのか、という問題を科学的に解くことは難しい。
まず、急激に進行する酸化反応は、非平衡の現象である。それを科学的に表現できるほどのレベルに現代の科学は達していない。簡略化したモデルさえ難しい。
これは、燃焼試験の一つである極限酸素指数法(LOI)を使用してみるとすぐに理解できる。LOIは、物質の継続燃焼可能とする最低限の酸素濃度を指数化して、物質の難燃性の序列を評価する方法である。
着火する手順や、継続燃焼している時の炎の状況まで細かい決め事がある。実はこの試験法を用いて、急激に進行する酸化反応のモデルを組み立てる事すら難しい。
何故なら、いくら試料の燃焼状況を管理しても0.25程度ばらつく。多い時にはその測定値に1.0という偏差が観察さることもある。この偏差の原因について少し研究した経験があるが、試料のわずかなばらつきが影響していることが分かり、研究を諦めた。
この研究の過程で、発泡体サンプルでもばらつきを小さくできる手法を見出し、当時のJIS規格とは異なる独自の測定法を編み出し、ゴム会社から改善提案賞を頂いた。
LOIの測定値の精度を上げるためには、ISO規格でも不足しており、試料のセット方法や、ガス流量の調整方法まで厳格に管理する必要がある。
カテゴリー : 一般 電気/電子材料 高分子
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東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(以下森氏)の失言の問題が尾を引いているが、悩ましいのは代役がいないことである。
森氏が余人に代えがたい人物かどうかは知らないが、今回のコロナ禍におけるオリンピックの運営は難しく、会長職は単なる名誉職という位置づけでもないために、財界人に頼んでも引き受ける人はいないだろう。
森氏については、首相在任中にも失言、迷言の嵐だった。しかし、彼の持ち味は、小泉政権の時にも発揮された卓越した調整能力である。
もちろん、それゆえ失言が許される、という時代ではなくなった。しかし、森氏の天敵小池都知事さえ今回の失言を強く攻めていない。むしろこの問題に対するインタビューにおける「大人の対応」が目立つ。
野党にしても森氏を引きずり降ろそうとするところまで攻めていない。敵味方含めて森氏周辺の人々が森氏続投を支えている背景は、オリンピックを成功させるためには、森氏しかいない、すなわち代役となる駒が無い状態を意味している。
我々は森氏の失言の問題をこれ以上攻めても良い結果を招かないと悟る必要があるようだ。
むしろ、このような難局で国際的な調整になった時に森氏に代わる人材が少ないことを憂えなくてはいけない。今回の失言の問題は、予期せぬ日本の弱点を知ることになった。
カテゴリー : 一般
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すでに中止が決断された、など怪しいニュースが飛び交い、東京オリンピックが開催危機である。おそらくもう延期は無いので、このまま感染拡大が続く限り、オリンピック中止は妥当な判断であり、国民のアンケート結果もそのようになっている。
残念なのは、中止という判断を下す背景が、現在の世界の感染状況にある点である。あまりにも当たり前すぎて、やはりウィルスには勝てないのか、という諦めが日本中を支配する点に、未来に向けて後悔が残るのではないか。
隠居蟄居しか対策手段が無い、というのは残念であるが、実際にはそれを認めて蟄居してきても、この科学の時代にこれではあまりにも情けない気がする。
もう少し、英知を絞り出して、開催の可能性を探ったほうが良いのではないか。映像だけに特化した無観客開催は一つの方法であり、選手の行動を十分に管理すれば選手から感染者を出さない方法があるのではないか。
商業化したオリンピックは開催ごとに派手になってきたが、今回の東京大会は思い切って派手な演出を辞めて予算を削り、お金を選手の感染予防に向けて開催することはオリンピックの歴史を考えたときに大きな意味がある。
また、それができたときに、事業の危機に遭遇した時にどのような対応をとり、判断を下してゆくのかのモデルになるのではないか。
残念なのは、開催を叫ぶ人が開催するための具体策を提案していないだけでなく失言を繰り返している。予算は明確になっているのだから、改めて感染予防のための予算編成をして国民に提示する義務があると思う。
開会式や閉会式は、聖火の点火と選手宣誓だけにして予算0でもよいような気がする。オリンピックの中止は、リスクを考慮すればあまりにも当たり前の判断である。しかし、リスク回避策が徹底されてオリンピックが成功した時に、感染症予防に対する知恵を獲得することになる。
可能性がある限り、ぎりぎりまで否定的決断を出すべきではない。かつての高度経済成長下では、早めの否定的決断は、成長を約束したが、低成長下では、時間のある限り、ぎりぎりまで「どのようなアクションをとれば実現できるのか、その可能性」を考える事が重要である。弊社のコンサルティングの基本姿勢である。
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高分子材料の難燃化技術は、1970年代に体系的な科学としての研究が始まったととらえている。その後もアカデミアでの研究が続けられているが、不燃化ではなく、難燃化という考え方が確立されたのも1970年代である。
実は、高分子を燃えにくくしようとする試みは、ピラミッドの時代から存在し、竹取物語では、高分子の不燃化が不可能である予測が登場し、かぐや姫のセリフにそれが示されている。もっともかぐや姫は月よりの使者だったので未来技術を知っていても不思議ではない。
それがようやく1970年代に火災に関する科学の体系的研究が活発になり、極限酸素指数法や、1983年にはコーンカロリーメーターの発明がなされている。
1980年代は高分子の難燃化が、科学による形式知が明確となり技術として発展し始めた時代であり、1993年につくばで第一回発熱速度と火災に関する国際会議が行われている。
この高分子の難燃化というテーマは、科学と技術について学ぶには大変適したテーマである。形式知だけで火災という現象をすべて記述できないことは明らかであるように、どうしても経験知をその理解のために使う必要がある。
カテゴリー : 一般 高分子
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2月18日(木)と2月22日(月)に情報通信(5G)用材料技術についてセミナーが開催されます。前者はゴムタイムズ社主催で、後者は技術情報協会の主催です。いずれもWEBセミナーです。
弊社へお問合わせ頂くか、直接主催企業へお申し込み頂いても構いません。またその時弊社のご紹介であることをお知らせいただければ、講演者紹介割引をご利用頂けます。
セミナーでは、材料技術の観点から今後の自動車分野のニーズについても解説いたします。また、最近特許出願も増加してきました負の誘電率についても少し解説いたします。
5Gの普及で新たに登場する市場を理解するために、情報通信分野の発展史について触れ、プロセシングも含めた高分子材料設計技術をどのように開発してゆくのか講演します。
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昨日菅首相の記者会見で、尾見会長から、コロナウィルスを単なる風邪のウィルスと同じ扱いにすれば医療崩壊を防げるという専門家もいるが、という発言が飛び出した。
科学で十分に解明されていない分野では、この発言に見られるような、いい加減な怪しい専門家が出現するものらしい。尾見会長は、単なる風邪のウィルスとは異なる、と力説されたので安心した。
急激に変化する感染者の症状及びそれに対する医者の混乱の状況を見ても分かるように単なる風邪のウィルスとは異なる、未知のウィルスである。
ド素人が判断しても単なる風邪とはいいがたい未知のウィルスを平気でインフルエンザと同様の扱いで良いと考えている医者の見識を疑う。
実は、1980年代の高分子難燃化技術でも似たような状況だった。極限酸素指数値が21未満の高分子材料は、ろうそくの火程度のわずかな炎でも燃焼をし続ける。この値が小さければ小さいほど空気中では燃えやすい。
それが19前後の高分子材料でも炎から逃げる様に変形できる高分子材料なら難燃性高分子とみなしても良い、というアカデミアの先生がいたのだ。
たしかにこのような高分子材料ならば、燃焼試験で炎を近づけたときに炎の熱で変形し、着火しにくくなるので「難燃性」と呼べなくもない。
しかし、着火すれば、燃焼し続けるのだ。この先生のご指導のおかげで、市場に燃えやすい建築材料が溢れて社会問題となった。社会問題となったが、この先生は何も責任をとっていないし、当時学会で見かけても反省のご様子もなかった。
形式知が不十分な分野では、人気取りとなるような見解を述べる「専門家」がいるので注意をする必要がある。昨年12月上旬には感染者数は減少に転じる、とシミュレーション結果を示した専門家がいたが、どこに行った?
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1970年代に高分子難燃化技術について形式知の整備が進んだ。ゴム会社就職前に東北大村上先生らが翻訳された古典的名著も出版されていた。
当方は大学院でこの書を読み、ホスホリルトリアミドをPVAの反応型難燃剤として使用できるようにデザインして、PVAの難燃化に学生時代成功していた。
PVAを難燃化材料の対象に選んだのは、難燃化が難しい高分子として知られていたからだ。当時は一部の高分子について難燃化が成功していた時代で、難燃化の基準も提案され始めた。
極限酸素指数法についてJIS化が検討されており、スガ燃焼試験機が発売された。PVAは環境にやさしい水性塗料に使用されていたので、極限酸素指数法で評価した結果を色材協会誌に論文投稿している。
当時すべての有機高分子材料を不燃化する技術は現実的ではなく、難燃化すなわち燃えにくくする技術が実用的と言う考え方が普及し始めており、そのための難燃化規格が各業界で検討されていた。
難燃二級は建築用の難燃規格として登場して、炎から逃げるように変形する硬質発泡体が、高分子発泡体メーカー各社から発売されるようになった。そしてアカデミアからも炎から逃げるように変形する高分子材料は難燃性高分子材料の一つ、とまでお墨付きがでた。
その結果、極限酸素指数値(LOI)で20にも満たない発泡体で台所用天井材が開発され、1980年になって社会問題化し始めた。ちなみにLOIは1970年代に提案された難燃性高分子材料の評価技術で、1970年末から各国で難燃化規格として検討され始めた。
高分子の難燃化技術について体系的な科学的研究は、1970年頃から始まった、と捉えている。ただし、森林火災についてホスホリルトリアミドのようなりん系化合物を散布する技術は知られていたので、高分子を燃えにくくする技術は古くから存在した。
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軟質ポリウレタン発泡体製造技術及び、それを実験室で簡便に行う方法など、軟質ポリウレタン発泡体を開発するための周辺情報についてそろったが、高分子の難燃化技術については、当時各社が競っていた時代である。
また、市販されているリン酸エステル系難燃剤について現在ほど種類が多くなかった。臭素系難燃剤について開発が盛んになるのはこの5年後である。
ただ、塩素系化合物と三酸化アンチモンとの組み合わせ難燃剤については、開発が先行しており、ゴム会社でも米国のタイヤ会社から技術導入した塩ビ粉とアンチモンとの組み合わせ難燃化技術が難燃性軟質ポリウレタン発泡体に使われていた。
この系の問題は、配合された処方を半日以上放置すると塩ビ粉やアンチモン系化合物が沈降し凝集して使えなくなる現象だった。また、この系の検討過程で難燃剤成分の分散状態が難燃性に影響を与えることも知られていた。
ところで、高分子の難燃化技術について、すでに一部難燃化機構が学会で議論されており、それなりの体系が見えつつあった。
教科書には、リン酸エステル系難燃剤による燃焼時の高分子の炭化機構が図示されており、また燃焼時に塩素とアンチモンが反応して塩化アンチモンが生成して空気を遮断する機構も解説されていた。
新しい難燃化機構として、溶融型や、炎から遠ざかるように変形する技術などが提案されていた。後者は当時の硬質ポリウレタン発泡体の難燃化技術として市場で成功していたかのように見えた技術である。
実はこの難燃化研究を担当してから半年後に難燃性天井材としてすでに販売されていた製品による火災多発が社会問題となっている。
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ホスファゼン変性ポリウレタンフォームの企画は、すんなり採用された。10か月後に新入社員発表会があるのでそれまでに1回目の試作の工場実験を済ませる計画が指導社員により作成された。
この計画も,ただ言葉が躍っているだけの計画であり、実際の実験については、当方に丸投げされた。そうはいってもポリウレタン発泡体など未体験の技術だったので、指導社員に教えを乞うたところ、発泡体生産現場の技術課に情報をもらいにゆく、と説明された。
すなわち指導社員も硬質ポリウレタン発泡体の開発経験はあるが、軟質ポリウレタン発泡体の開発は初めて、ということで現場で指導してもらった。この時、企業において技術は現場に存在することを改めて復習した。
新入社員研修の工場実習で技術と現場の関係について散々教育されたから、「復習」である。すなわち、現業の技術は現場が維持改善する使命を担っていた。
ホスファゼン変性軟質ポリウレタン発泡体は、ゴム会社では新技術であり、また実用化されれば、ポリウレタンでは世界で初めての技術となる。
ホスファゼンの構造については、いろいろなデザイン案が考えられたが、イソシアネートとの反応を考慮して、ジアミノホスファゼンを検討することにした。
もちろん当時ホスファゼンなど市販されていなかったので、自分でこの化合物を合成する必要があった。
しかし入社前の実験でジアミノホスファゼンについては、4種類合成しており、論文の原稿が出来上がっていた。ゆえにこの作業は経験をそのまま生かせるので朝飯前だった。
カテゴリー : 一般 電気/電子材料 高分子
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