電気粘性流体の耐久性問題とは、電気粘性流体をゴム容器に封入して用いると、ゴムに添加されている多数の添加剤が電気粘性流体にブリードアウトし、それにより電気粘性流体が増粘、機能しなくなる現象である。
微粒子とオイルで処方された電気粘性流体の中にゴム薬品が微量入ってきて増粘しているので、このような問題は、ブリードアウトするゴム薬品をゴムから取り除くか、電気粘性流体に界面活性剤を添加して、ゴム薬品が混入しても増粘しないように改質するのか、解決策は二通りしかない。
ゴムの配合からゴム薬品を抜いたらゴムの耐久性だけでなく、ゴムとしての性質も変わるので、ブリードアウトするゴム薬品をすべて抜くことはできない。
ゴム会社の技術者ならば、それは経験知から常識だったが、科学者には科学的真理こそ重要となるので、技術者の常識など科学的真理の前にはばかげた知識に見えたようだ。
ここで、オイルとしてシリコーンオイルを用いているので、界面を表面処理しブリードアウトを防ぐというアイデアがあるのではないか、とか、ほかにもアイデアが、という可能性の議論は、すでに開発ステージがFS段階を過ぎ商品開発段階となっていたので除外する。
すなわち、当時の技術的な解決策は、開発ステージなどを配慮すると「耐久性問題を解決できる界面活性剤を探しだす」以外に手段は無かったので、これが正しい問題になったはずである。
ところが、電気粘性流体の担当スタッフは全員高度な訓練を積んだ科学者だったので「耐久性問題を解決できる界面活性剤は存在するのか」という問題を設定して解いていた。
そして否定証明により、そのような界面活性剤は存在しない、という科学的に満点の正解を導き出している。ゴム会社の研究所でもこの正解がとんでもない結果を導くことに気が付けないところが科学の弊害といえる。
間違った問題の正しい答えから、「ゴム薬が添加されていないゴムの配合開発」というテーマを設定したのは、日本を代表する大学を卒業した理学博士であり、頭が悪いわけではない。
科学的に正しい解答を導いた自信から、このテーマが素晴らしいアイデアだと真剣に信じていたようだ。「科学的視点から、これしか解決策は無い」と力説していた。
このような勘違いは、ゴム会社だけでなく写真会社でも見てきて、間違った問題を正しく解いて、それに気が付かない、というのは、科学という哲学の引き起こす弊害ではないかと思っている
(注:最近では理研で類似の問題が起きている。後日この事例にも触れる予定だが、科学者ばかりであるとこのような弊害に気がつけない。あるいは弊害そのものに関心を示さない。技術者があとで気がつき笑い話とする場合もあるが、科学を身につけた技術者ならば、科学的に正解であってもその間違いに、すぐに気がつくはずである。いくら科学的に正しくても経験知からおかしい、とすぐに回答を出せる技術者を目指さなくてはいけない。これは訓練で可能となる。弊社にお問い合わせください。)。
しかし、科学云々という以前に、知識の有無とか頭の良しあしとか無関係に企業の開発テーマであれば、「存在するの「か」」という東スポが新聞タイトルとしてよく用いる様な疑問符の問いを開発段階で設定してはいけない。
(東スポ的タイトルが許されるのは、調査研究段階であり、開発ステージに入ったならば、常に前進する問いの設定に心掛けなければならない。この点については後日事例を用いながら説明する)。
企業の研究開発では、仕事を前進させる問いを開発テーマとして設定すべきで、そのためには正しい問題設定のための意思決定が必要となるケースも出てくる。
正しい問いの設定ができるかどうかは開発の成否を左右する。間違った問いの正しい答えほど役に立たないばかりか、害を及ぼすことさえある。これはドラッカーの指摘していたアドバイスである。
間違った問題を設定して、修士以上の優秀な科学者が数名で1年かけて科学的に完璧な正しい答えを導き出し、技術者を目指していた当方にとんでもないテーマを依頼してきたのだ。
これはゴム会社の研究所で経験した30年以上前の実話であり、その後このテーマを成功に導く課題解決について高純度SiCの事業化とともに一人で担当した当方が転職しなければならなくなる事件が起きている(古くは小説「カラマーゾフの兄弟」のように宗教とか哲学の論争は人間の生き方、生命そのものにもリスクを生み出す。それゆえ哲学に縛られない能天気な技術者は重要である。理研では科学の弊害で自殺者が出ているが、当方は死ではなく転職を選択している。科学に命をささげるほど科学の支配をうけていない。科学という哲学よりも人間の命こそ最も重要である。生きること、地球で命を大切にすることに技術者は努力している。)。
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「会計検査院は10日、国費の無駄遣いや不適切な経理など改善が必要な事業が248件、297億円あったとする2019年度の決算検査報告を菅義偉首相に提出し、公表した。」
これは、昨日の朝日新聞デジタルからのコピーである。不適切事例として減塩明太子の開発のために、国の補助金が投入され設備導入したが、その設備を既存の明太子生産に使用していたという。
会計検査院の指摘で、この会社は補助金を返納したと言っているが、ふざけた話である。
一方で真面目に日本企業にとって有益な補助金申請しても通らない事例が多いというのに、このようなニュースを読むと補助金審査のいい加減さを改善してほしいと思う。
カオス混合装置の開発は、3度申請し全部落ちたので中国で自力改良している。すなわち中国企業の助けを借りながら、カオス混合装置の効果を確認してきた。
一部の中国企業は、このカオス混合装置のおかげで樹脂品質が上がり、開発効果の恩恵を受けたことになるが、このような開発行為を批判したい人は、国の補助金の在り方に目を向けていただきたい。
有益な技術開発には補助金が出ず、およそニーズなど無い減塩明太子といういかがわしい商品開発に補助金を出している現在の状況が改善されない限り、まじめに努力している中小企業は浮かばれない。
辛子明太子は塩辛いからその商品価値があるのであって、その塩辛さを抜いたなら、辛子明太子でなくなることが審査員にはわからなかったのだろうか?
減塩明太子の開発とは、どら焼きのあんこから砂糖を抜く開発と同じであって、そのテーマの価値はタイトルからすぐに理解できる。調味料である減塩醤油とは意味が異なる。
科学者のコンサルタントが適当な形式知の言葉をつなげて、いかにも価値がありそうなテーマにでっち上げたことぐらいタイトルからすぐにわかりそうなものだ。
しかし、科学に毒された頭では、ヒューリスティックな解でダメだとわかるテーマでも前向きの推論を展開する科学者の審査員には見抜けず、ダメなことが分かってから不適切と判断することになる。
正直に科学的に不明点は多いが技術的価値は高い、と申請書に書かれたカオス混合装置の開発の方が補助金の対象として有益だった。しかし、3度その技術開発提案は落選している。
自費でカオス混合効果を確認しながら改良を進めたので、実験用であれば、中国製となるが、今では300万円前後で供給可能となった。ご興味のあるかたはお問い合わせください。
中国では吐出量500kg/hのカオス混合装置が稼働しています。また、退職前に非科学的な瞬間芸で製作したカオス混合装置は10年以上無事に稼働しています。
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科学技術という捉え方は、科学の時代において重要であるが、技術者はそれに縛られる必要はない。
かつて写真会社の役員が商品開発をしているとスタッフが職人になってしまう問題を嘆いていた。また、それゆえ実験を行う時には仮説を設定して行え、と声高に叫んでいた。
開発部門のスタッフが職人になってしまう問題は、企業の研究部門のスタッフが科学者になってしまう問題よりも弊害が少ない。
職人であれば職人として扱い、仕事をさせれば技術者のよい手足となるが、科学者を科学者として扱っていると無駄な人件費を支払うケースやジキルとハイドのような悪人を生み出す土壌になる。
電気粘性流体の開発では、優秀な科学者集団により6年間研究開発が続けられ、耐久性の問題でとんでもない科学的に正しい結論を否定証明により導き出している。
これは、当方が住友金属工業と高純度SiCの事業を立ち上げようと一人で踏ん張っている時だった。ちなみに研究所のテーマとして高純度SiCの事業化は電気粘性流体よりも1年遅れて正式テーマとなっている。
電気粘性流体も高純度SiCもゴム会社では、基盤技術が乏しいスタートではあったが、前者についてはレオロジーという基盤技術を生かすことができて適社度の高いテーマと位置付けられていた。
ゆえに耐久性問題が起きたときに、最も適社度の低いテーマを一人で担当していた当方に「添加剤が無添加のゴム」というクレージーなテーマ依頼が来たのだろう。
当方も管理職昇進を2年後に控えていた年齢なので、それを心配してくれた、と捉えることもできなくもない。
研究部門のトップが材料に詳しいリーダーから材料のことなど詳しくない音振動のスペシャリストに代わったので、楽観的な当方は少しそのような期待をして頑張って同時に頼まれなかった高性能電気粘性流体用粉末まで開発し提供している。
ただし高純度SiCの事業は、当方の開発した基盤技術がそのままで現在でも続いているが、電気粘性流体の事業は世の中にその痕跡も無くなっている。
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20世紀は科学技術の時代と言われた。昨日科学と芸術の差異について書いたが、17世紀以降成立した科学に対して、それ以前から存在していた技術が科学技術と呼ばれた経緯について違和感を持った。
科学成立以前に技術は芸術技術などと呼ばれておらず、独立して存在していた。そして同じ技術を連綿と次の世代へ語り継ぐ職人もいつの時代からかいた。
科学技術となり、職人を軽視する風潮が出てきたが、科学の時代に形式知を指導方針に沿って伝える職業である先生は戦後急速に尊敬されなくなった。尊敬されないだけでなく先生自らいじめを行う時代でもある。
科学成立時代に職人だけだったのかというと、17世紀までの技術発展史や産業革命を学べば理解できるように、技術者の存在を歴史は教えてくれる。
科学成立以前の技術者は、科学が無くても自然と対峙しそこから機能を取り出してきた。芸術が自然と対比し美を取り出していた姿を技術者が学んだのかどうか知らないが、人間の営みとして自然の中で生活の利便性を高めてきたのは、昔から技術者である。
科学の誕生により、技術者の仕事は効率化され技術が著しく早く進歩した。この意味で17世紀以降生まれた技術は科学技術と呼んでも良いのかもしれないが、科学を利用しない技術開発について忘れてしまったかのようである。
11月24日と25日に問題解決をテーマとした無料webセミナーを行う予定でいます。時間は13時30分から15時30分を予定しており、2日間4時間でまとまる内容を企画している。現在それぞれの日をどのような内容にするのか検討中ですが、とりあえず参加者を募集します。弊社へお申し込みください。原則2日間参加できる方が対象ですが、1日だけでも参考になるかと思います。
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科学者による科学論には多くの著書がある。古くて有名なところでは、マッハ力学史がそれで、力学の発展史をもとに科学という哲学について論じている。
科学論同様に芸術論も多いが、科学論では西欧近代科学が成立した17世紀からの歴史が取り上げられるが、芸術論では人間の創造的活動が始まった時期を明確にせず論じられている場合が多い。
このことから科学と芸術は、扱う対象も含め明らかに異なるのだが、科学論の中に芸術との対比を持ち出される方が多い。
おそらく科学も芸術も人間と自然との関わり合いの活動だからだろうと推定している。
例えば中谷宇吉郎著「科学の方法」には、「科学が自然に対する認識をつくることと、芸術家が美術品を作る場合と、どこがちがうかというと、その間には、はっきりした区別がある。それは作ったものを評価する場合の物差が違うのである。」と書かれている。
ここでいう物差については、「科学の知識の集積」と説明されている。この物差を用いて思考形式の眼を通じて自然を眺める、人間と自然との協同作品が科学の本質と述べられている。
この人間と自然との協同作品という考え方は、芸術にも当てはまるゆえに、科学と芸術を論じる科学者がでてくるのだろう。
一方で人間と自然との協同作品を作るにあたり、体系化された形式知を用いなければならないところが芸術との差異で、自由奔放に美を追求できる芸術家に対して、定まったルールの中で創造活動を行う難しさが科学者にある。
この中谷氏の説に従えば、技術者を科学者と芸術家と同列に扱う場合には、科学者と芸術家との中間に位置し、両者の要素をもって人間と自然との協同作品を作ることが技術開発と思えてくる。
これが20世紀では、技術者は科学者の下部であることを強いられたが、21世紀には芸術家でもあることにも目覚める必要があると思っている。
すなわち科学を学んだレオナルドダビンチが21世紀の技術者象と思っており、技術者が科学者の下部から独立する自覚が求められる。
弊社の問題解決法は、自立した技術者の活動に役立つ内容を目指している。今月無料セミナーを行うのでそのあたりを確認していただきたい。科学にとらわれない自由な発想により独創性のある技術を生み出す方法を提案している。
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化学は、ピラミッドが作られた時代から存在していたので科学よりもその歴史ははるかに長い。ゆえに化学全体の知を眺めてみると形式知以外に経験知が数多く存在する。
例えば、ポリマーアロイを学ぶのに必要なフローリー・ハギンズ理論というものは、経験知と呼んでよいようなものだ。その経験知の上に形式知が構築されているおかしな世界である。
そこに気が付いた当方は、立体構造に着目し、錠と鍵の関係のような相溶状態を想像し、バルキーな側鎖基をもったポリオレフィンとポリスチレンとを相溶させてみた。
たまたまレンズ材料の開発を担当できたので実験をしたのだが、見事に相溶し透明なポリマーアロイができてびっくりした。期待はしていたがうまく行き過ぎとも思った。
フローリー・ハギンズとは異なるコンセプトで高分子の相溶という現象を眺めてみた結果であるが、これがうまくいったことで、ゴム会社の指導社員に出されていた宿題を思い出した。
指導社員はカオス混合を使えばどのような高分子でも紐状であれば相溶するのではないか、というコンセプトを持っていた。
そして、ロール混練でSP値が異なる高分子を混ぜて、ロール上で透明になっている様子を見せてくれた。そして連続プロセスでこれができる発明をするのが当方の宿題だと冗談を言っていた。
この冗談を実験する機会が、中間転写ベルトの開発を担当した時、コンパウンドメーカーの技術者が当方のカオス混合のアイデアをバカにしたために生まれた。
コンパウンドメーカーが採用してくれなかったので、自分でカオス混合の生産プラントを立ち上げたのだが、明確なコンセプトのおかげで、たった3か月でPPSと6ナイロンが相溶して透明な樹脂液が出てくる現象を観ることができた。
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当方が学生時代に高分子は重合技術が話題の中心にあり、応用化学科のカリキュラムにおいて高分子物性論はわずか特別授業の1単位だった。
ゴム会社に入社し驚いたのは高分子物性論を知らなければ仕事ができないのだ。高分子は低分子モノマーが重合して、という話などほとんど役に立たない世界がそこに広がっていた。
大学でレオロジーを専攻された指導社員は、自嘲気味にもう10年もすればダッシュポットとバネのモデルを使った高分子物性論は無くなる、と教えてくれた。
しかし、その無くなる予定のモデルについて大学ではおさわり程度にも学んでこなかった当方は恥ずかしくなった。
4年生の時にシクラメンの香りの全合成を研究し、JACSにショートコミュニケーションが掲載されたが、大学院では無機材料の講座で研究している。
但し、研究内容は無機材料の最小構成単位を重合して無機高分子を合成する研究である。2年間に5報ほどかける成果を生み出し、学生時代にショートコミュニケーションも含め3報ほど書いてきた。
その講座で博士課程後期まで在籍すると皆が3報書くと聞いていたので、前期だけで3報書いてみようと思い、研究を頑張った結果である。おかげで奨学金にアルバイト料も潤沢に稼いでいたが、遊ぶ時間もなく貯金ができた。
セラミックスの研究キャリアの方が1年長かった。高分子など全く知らなかったので、指導社員には無機材料を専攻してきました、と応えている。
指導社員も当方のキャリアについては人事情報からご存知で、最初の3か月間の座学を指導計画に入れていた。
低分子から高分子に至る指導社員の知についてこの3か月に学んだのだが、レオロジーを核として語られた内容は、大学の授業とは全く異なる世界観だった。
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11月24日と25日に問題解決をテーマとした無料webセミナーを行う予定でいます。時間は13時30分から15時30分を予定しており、2日間4時間でまとまる内容を企画している。現在それぞれの日をどのような内容にするのか検討中ですが、とりあえず参加者を募集します。弊社へお申し込みください。原則2日間参加できる方が対象ですが、1日だけでも参考になるかと思います。
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タイトルは技術に対する誤解とすべきかもしれないが、未だに科学技術と言われているので科学に対する誤解とつけてみた。
オーディオスピーカーという製品について、マニアを満足させる科学的なスペックを見出すことが難しいことを昨日まで書いてきて、創造のプロセスあるいは創造の方法が世間であまり議論されていないことが気になった。
もっとも弊社の問題解決法では、創造に力点を置いており、非科学的方法を合理的に行う手法について解説している。
ところが20世紀から今日まで世間で推奨されている問題解決法は、皆科学的論理を基本にしている。科学的方法で創造ができるという誤解である。
哲学者イムレラカトシュは、「方法の擁護」で否定証明の問題を扱っている。詳細は省くが、完璧な科学的証明と言えるのは否定証明だけ、というのが彼の見解である。
すなわち、科学的論理は「できること」の証明を不得意としており、創造のプロセスにはどちらかといえば不向きな哲学である。
これは当方のゴム会社を退職するきっかけになった電気粘性流体の開発で十分に学んだ。「それでできるはずがない」という否定見解が溢れていたのだ。メンバーは科学を高度な水準で身に着けていたメンバーばかりだった。
実は科学に忠実になると、できないかもしれないと感じたときに、創造することが使命にもかかわらず否定証明に流される高学歴の研究者が多い。
あるいは、論理に忠実になり、当たり前のことであることを忘れ、当たり前の結論を導き出して満足している場合もある。
すなわち創造のプロセスにおいて科学は必須ではなく、現象を正しく観察する姿勢が重要であり、その時科学的でなくてもただひたすら繰り返しよく観察することが重要だ。
そして非科学的と言われても妄想を思いめぐらすことこそ大切である。思考実験は非科学的とマッハは力学史の中で述べているが、それでも良いのだ。
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完成品も販売している自作スピーカーキットメーカー音工房zのセールストークは、うん百万円するスピーカーを数万円で提供、という少し怪しいスローガンである。
しかし、これはスピーカーというデバイスが未だ科学として完成していない、と思われる状態だから許される。また、新製品の販売にあたり高価なスピーカーとの比較視聴サービスを提供しているが、これは無料であり良心的だ。
部屋の状態を完璧にできない以上、大多数の人間の感性までも満足させるスピーカーは、まだ存在しないのでこのような方法が「科学的成果」とPRするよりも良いかもしれない。
すなわち、どこの部屋においても感性を満足させるような完璧な動作が可能なスピーカーを科学的数値で記述などできないので、同一条件でスピーカーの動作比較を行うヒアリングテストによりお客様に優劣を決めさせる音工房Zの方法は、怪しくはなくむしろ良心的である。
もし、このことについて疑問に思われる方がいたら、音工房Zの新製品発表会として行われる無料視聴会に参加してみるとよい。
うん百万円もするJBLのスピーカーよりも良い音がしたり、100万円を越えるB&Wのスピーカーよりも自然な再生音を聞かせる安価なキットスピーカーを自分の耳で確認できる。
最初に指摘したように、オーディオという商品は、それを設置する部屋の条件でその性能が左右される。視聴会では音工房Zが自社製品に合わせた部屋の設計にしている可能性を否定できないが、視聴会で怪しい仕掛けはみつからない。
ところで、音の出口となるスピーカーについて、デジタル時代となってもアナログ技術のままである。振動板など各パーツの材料開発は進んだが、電気信号を音に変換する機構についてその進化は20世紀に止まったままである。
音工房Zは、スピーカーの箱に着眼し、故長岡鉄夫を師としながら試行錯誤で箱の開発を行っている。開発過程を聞く限り、過去に大手企業で行っていたような科学的プロセスではない。しかし、優れた商品がそれでも生まれている。
うまいコーヒーがずば抜けた臭覚の人物により開発されたり、日本料理の達人の存在を認めているように、その性能が感覚に左右される製品では試行錯誤による開発を多くの人は認めている。
仮に、これを科学的に行うべきだと思っている人がいるならば、マハラビノスのTM、すなわち多変量解析を行うことになる。
1990年ごろ色材の開発に多変量解析を用いた研究成果を拝聴する機会があったが、ナノオーダーの変化を人間の目は検知しているという驚くべき結果が説明された。
しかし、これを科学的に検証したという話を聞いていない。目の前に財布があってもポケットの中を探してしまう当方には、この科学的成果がどうでもよい話に聞こえる。
試行錯誤について非科学的だから研究開発では許されない、と今でも思っている人(20世紀にはこのような研究者が多かった)には、次の例で納得していただけないだろうか。
iPS細胞を生み出すヤマナカファクターの効果について、今科学的に検証が進められている。ところが、その機能については、非科学的方法で見出されたままであり、なぜヤマナカファクターが機能するかは特許が公開されても謎である。
もしこれが分かれば、類似機能を発現できる物質を作り出せるはずであるが、そこは科学的解明が難しく、今でもブラックボックスのままである(だからSTAP細胞の騒動が起きたともいえる)。
音の出口であるスピーカーにAIを搭載し、出力された音に部屋の情報を加味した成分を載せて完璧な音を出せるようにすればよい、とスピーカーのあるべき姿を仮に描くことができたとしても、それを経済的に作り出すことは難しい。
また、バックロードホーンの機構についてさえ、科学的に否定する人がいるのに、このようなフィードバック機構では科学的に明らかな遅延を避けられないので、科学者に開発意欲もわかないかもしれない。
どのような機構でiPS細胞ができるのかについて注力するよりも、その応用研究を進めた方が人類への貢献度は高いように、世界最高性能のスピーカーと比較視聴して、それよりも優れた安価なキットのスピーカーを作りだしたほうが、庶民に貢献できる。
オーディオの開発の歴史において、科学的成果による優れたパーツが声高に「科学的」と説明されて商品に搭載されては、時代の流れの中で消えていった。
今でも残っている「科学的」技術成果も存在するが、それは歴史の流れの中で実績の積み重ねにより皆が良いと認めたものであり、必ずしも科学的に優れているという理由からではないことに気がつくべきである。
デジタルアンプが主流になりそうな気配なのに、未だに真空管アンプが最良という人がいる。SN比ではデジタルアンプに負けるがその芳醇な音色は真空管アンプならではである。
消えつつあるオーディオ業界から科学が全てではない工業製品が存在することを学ぶべきだと思う。科学は技術進歩を促進するのに役立つ哲学であることは否定しないが、それだけで技術開発がすべてうまくゆくとは思ってはいけない。
11月24日、25日に問題解決法の無料セミナーを予定していますので参加希望者は、お申し込みください。時間は13時30分から15時30分までの二時間で、テーマを絞った解説を予定しています。
カテゴリー : 一般 電気/電子材料
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