加硫ゴムのケースへ電気粘性流体が封入された時に、ゴムの添加剤が電気粘性流体にブリードアウトして増粘する耐久性問題では、科学者は否定証明を行い、電気粘性流体側で解決できないと結論をだして、添加剤の入っていないゴム開発という信じられない企画を立案している。
I研究開発本部長以下誰もその企画に異を唱えなかった。しかもこれがタイヤでトップを走る研究所で起きた実話なので少し笑えない。しかし、この実話についてゴム会社のために弁解をしておくと、このゴム会社において研究所は雲の上の組織とされており、ゴム会社の技術レベルとは無関係であった。ゴム会社の実務を担当している技術者ならばこのような荒唐無稽ともいえる企画など笑い飛ばす常識を持っている。しかし科学で頭が固まっていると、それが分からない。
当方は、この研究所に所属していたが、毎日居心地の悪い状態だった。当方の考え方が研究所の風土に合わないだけでなく、そのアカデミアよりもアカデミックな雰囲気や考え方を技術者として受け入れることができなかった。
一方で、学会活動のためには、その風土ゆえに活動しやすく、また、難燃剤技術のセミナー講師などをこのころから引き受けていた。
この電気粘性流体の耐久性問題について、当方へ添加剤の入っていないゴムを開発してほしい、と依頼されたときに、おかしな企画だから1週間だけ待ってほしい、1週間で耐久性問題の解決をする、と提案している。
1年以上研究をしてきて、否定証明迄完成させた担当者からは、当方の発言は馬鹿に見えたかもしれない。しかし、当方は真面目に技術で問題をとらえていた。
すなわち、界面活性剤の機能を確認したかったのだ。そこで、研究所に存在していた界面活性剤の類を300種類ぐらい集めてきて、増粘した電気粘性流体に添加して、一晩静置後、300個近いサンプルについて観察(機能の動作確認)を行っている。
すると、増粘が解消され、電気粘性流体の機能が回復したサンプルが見つかった。そこで、その界面活性剤も含め、すべての界面活性剤のスペックについて主成分分析を行い(判定と検定)、電気粘性流体の増粘を回復した界面活性剤の機能について、改善点含めてさらなる改良手段があるのかどうか考えた。
このように技術の「考える」という作業では、機能の動作確認が実験の主たる目標になるので、試行錯誤となる場合が多い。試行錯誤を統計的に効率よく行うためには、ラテン方格を用いる。
タグチメソッドでラテン方格を使うのは、実験計画法をやるためではない。試行錯誤を科学的に行うためにラテン方格を用いているのだ。
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認識の違いなど無いと思われるコロナ禍さえ全く異なる問題を考える専門家が出てくるのだ。そして国民を危険にさらすGOTO政策が正しい問題の答えと勘違いして、政策決定してきたようだ。
このような身近な間違った問題を解かれた影響を学ぶことで、業務の問題解決のコツを見出せる。弊社では研究開発必勝法を販売しているが、そこでは、問題設定後、問題と現状、問題とあるべき姿との整合性を改めて検討するプロセスを取り入れている。
もし、政府が設定された問題について現状とあるべき姿、それぞれとの整合性を吟味していたなら、間違った問題を設定していることに気がついたはずである。
少なくとも政府があるべき姿において、国民の命を守ること、安全安心な国家を建設する未来を描いていたなら、今回のコロナウィルスを単なる風邪の仲間としてとらえた問題を解くようなことはしなかったはずである。
すなわち、問題の解き方が悪かったのか、間違った問題を解いたのかどちらかのミスで悲惨な現状となっている。
このように問題を考えるときに、正しい問題設定プロセスも含めた問題の解き方と問題解決のゴール「あるべき姿」を明確にする作業が重要である。
情報化時代では現状評価を誤る可能性は少なくなった。現状評価では、様々な見解を大切にすることが重要である。
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間違った問題の正しい答えほど空しいものはない。今回のコロナ禍において専門家と称する人の問題の捉え方に違いがあることをTVで報じていた。
多くの専門家は、新型ウィルスの脅威としてコロナ禍の問題をとらえているが、一部の専門家は、多くの風邪のウィルスの仲間が流行している、と捉えているそうだ。
後者の見解の専門家は、共通して昨年度の死亡者数が、インフルエンザのそれと変わらない点を指摘しその論拠としている。
これが誤った問題設定につながっていることは明らかであり、それが政府内の見解を支配していたという。
このコロナ禍における政府の対応が遅いのは、誤った問題設定の可能性があるが、50代の同僚の議員が病院へ着く前に亡くなられたあたりから、すこし対応が変化しているように見えるが、それでも手遅れである。
世界中の専門家の多くが未知のウィルスの脅威として問題設定をしているのに、間違った問題設定をするような何千万円も脱税した優秀な医者が何故現れるのか。
これがわかると、ドラッカーが正しい問題設定ができれば80%問題解決ができたともいえる、という意味を理解できる。
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コロナ感染者が冬に増える、ということは昨年の春に、すなわち1年近く前に指摘され、専門家からその準備のための課題などが指摘されていた。
それにもかかわらず、現在の状態である。政治家の怠慢であることは自明であり、有権者は現在の状態をよく記憶しておかなければならないが、何故誰が見ても首をかしげてしまいたくなるようなことになっているのか。
ドラッカーは、「困ったことに、頭の良い人ほど成果を出せない」という点を指摘している。企業において、頭の良い人がリーダーになったとたん業績が悪くなることがある。
明らかに自他ともに認める頭の悪い人であれば、業績が落ちた段階で、すぐに交代となるのだが、頭の良い人には期待が大きく交代のタイミングを失い、ますます悪い状態になってゆく。
ドラッカーは、頭の良い人は、間違った問題を正しく解くために成果を出せない、と言っているが、間違った問題の正しい答えにどれだけの価値があるのかは明らかである。
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タグチメソッドをなぜカタカナで書く必要があるのかと言うと、そこには田口先生の「アメリカで認められ普及した。それが日本に輸入された」という思いが込められている。
これは戦後日本のQC活動の歴史を知っていると、さらにその裏側が見えてくるのだが、横道にずれるので、ここでは書かない。
タグチメソッドが何故「メソッド」なのかについては少し説明したい。明確になった機能を前にした技術者が、次にどのようなことを考え実験計画を進めながら、その機能について深く考え設計し新しい工学製品を生み出すのかはノウハウである。
タグチメソッドでは、それを「メソッド」としてまとめている。ゆえに田口先生の著書には、「設計段階の品質工学」というタイトルの本がある。
それまでの単なる統計的品質工学では、技術者により生み出された製品を再現よく大量生産するための手法を提供してきた。
しかし、タグチメソッドでは設計段階に技術者がどのように考えると、後工程における生産や消費者の使用においてロバストの高い製品を生み出せるのかについて誰でもロバストの高い設計ができるメソッドとしてまとめている。
タグチメソッドを用いるか用いないかは技術者の自由だが、タグチメソッドを用いると容易にロバストの高い製品を設計できる。弊社では、教条的なタグチメソッドの指導ではなく、実践的な設計段階で技術者が考えるためのツールとしてタグチメソッドを指導している。
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技術者が考える手順は、開発のターゲットとなっている機能が明確になっている時と、機能が不明確なときでは、後者において機能を明確にする手順が加わる以外は同じである。
開発すべき機能が不明確な場合に、機能を明確にする手順については、後日説明するが、開発すべき機能を明確にする作業は、技術者の責任である。これは故田口玄一先生も指摘されていた。
タグチメソッドは、基本機能のSN比について最適化する手法だが、この時の基本機能については、明確に「技術者の責任」と田口先生は言われ、タグチメソッドの結果が再現しないのは、基本機能が間違っているからだ、と明快に語られていた。
さて、開発ターゲットとなる機能が明確になっているときに、技術者は、機能の動作確認のための実験を行い、「考える」ことになる。
ここが、科学において仮説の真偽を検証するために行う実験とは大きく異なる。科学において、実験結果が実験者の意図しない結果であった場合に、科学者は仮説が間違っている、と結論を下す。
技術者は、実験結果について、良かれ悪しかれ統計的判定か検定もしくはSN比を調べ、期待値と大きく異なれば、再現を確認するかあるいは解析のための実験を行う。
そしてその実験結果について、再度判定もしくは検定を行い、機能の動作が改善されているかどうかを確認する(注)。
以上のように技術者の考える手順は科学者のそれと異なる。また、技術者は常に機能の確認を行うために実験を実施するので、否定証明などと言うばかげた実験に走ることはない。
(注)日々の実験において、経験知から統計的検定や判定を省略する場合が多い。単純に平均値と標準偏差を記載してそれで検定や判定の代わりとしている例も存在する。ここで機能確認の実験後単なる代表値だけ記載するのは、昔の技術者と変わらない。現代の技術者は最低限でも平均値と標準偏差ぐらいは残しておきたい。それらが残せないならば、単なる1回の実験データというコメントぐらいつけておくのが後々の役に立つ。
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技術者は、職人+科学者+αの能力が必要だと書いたが、+αは、本能に近いところがある。あるいは本能かもしれない。ファーガソンは心眼として表現していたが、彼の著書を読むと本来人間に備わっている能力のように感じる。
「目で見、匂いを嗅ぎ、触り、持ち上げ、落とす、—–私たちは肉体的感覚の相互作用を通して物を知る。その経験の元締めが心眼であり、思い起こされた現実と思い描く工夫のイメージの座、信じられないほどの能力をもつ不思議な器官である。」
訓練によって誰でも心眼を持てるようになる可能性はある、と当方は思っている。仮に心眼をうまく使えなくても思考実験を丁寧に行えば、自然界の現象から誰でも機能を取り出すことが可能である。これも訓練で何とかなる。
そもそも昔にも技術者がいたことは、古代の遺跡を見れば明らかだ。職人だけでピラミッドなどできない。必ずそれをデザインした人間がいた。
職人の中で+αの能力を備えた人物が現れ、それが技術者として活躍し、ピラミッドを発明した、と考えるのが自然である。
現代は科学という哲学があり、小学校からこれを習う。その結果ファーガソンのいうところの心眼が退化してきた可能性も否定できない。
しかし、科学で二律背反の機能については、技術でなければ解決できないことに気がつくと、「心眼」がどのようなものであれ、技術の考え方を一度学ぶ必要がある。
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技術者が「考える」手順は、科学的方法に準じて行う時もあるが、これだけでは不十分で、実は科学者よりも技術者の方が「考える」手順は難しくなる。
なぜなら、科学者は科学的方法により考えておればそれで済む。しかし、技術者は、ファーガソンの言うところの心眼が必要である。
STAP細胞の騒動の時に、「未熟な科学者」という言葉が飛び出したが、小学校から科学的手順について教育を受けていても未熟という言葉が使われており、この基準に沿うと、技術者になれる人となれない人が出てくる。
科学者さえなれない人は、今の時代技術者になれない。ただし、技術者にはなれないが、職人にはなれる。なぜなら、科学誕生以前には、職人の中から技術者が育っていたからである。
現代の技術者は、職人+科学者+αの能力が要求される。ゴム会社にいたときに、だれでも技術者にはなれるが、科学の研究者は難しい、と言われていた上司がいたが、勘違いがはなはだしい。職人と技術者は異なり、技術者になるのは、科学者よりも難しい。
科学者は、今の時代、まじめに勉強すれば、誰でもなれるのだ。だから、未熟な科学者とは、学習不足の科学者と言い換えても良い。また、科学を理解していないで技術者を名乗っている人は職人である。
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科学という哲学では、科学的な考え方を手順として示している。まず、問題設定については、現象の観察から行う。
そして面白い現象を見つけたら、その面白さ(人によっては「奇妙さ」)について仮説設定し、仮説の真偽を形式知をもとに論理展開し判定する。この手順が科学の「考える手順」である。
ところが、学会などで活動していると、他人のテーマなり、問題意識がそこにあふれているので、それをそのまま拝借して問題設定する研究者が多い。
それでも二流の研究ができるので日本では何とかなるが、一流の研究者を目指すためには、自然現象の中から自分で問題設定できる力を養わなければいけない。
仮説の真偽を判定するために実験が必要になる時もあるが、それより前の問題設定において自然現象の観察のために新たな実験を企画して行わなければいけない。実験が嫌いな人にとって、これが難しいのかもしれないが、とりあえず実験を行ったとする。
この時、どのように現象を観察するのか、あるいはどのような実験計画が組まれて実験を行っていたのかといった問題が発生する。このあたりでうまく考えることができない人がいる。
ところが、そのような研究者は否定証明について天才的能力を発揮したりする。あるいは他人の研究を結果が出る前につまらないものとしてすぐに否定したりする。手に負えないのは、自分で考えることはできなかったが、他人から問題の内容なり現象の解説をされて、怒り出す人だ。
部下が考えることが下手だ、と嘆く前に、部下の指導ができていない、あるいは訓練ができていないことに気がついて頂きたい。
部下の考える力が弱いと思われた方は、弊社にご相談ください。問題発見力から解決力までご指導いたします。
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責任感を持ち、謙虚に現実を眺めて問題設定し、その設定した問題が正しいかどうかよく検討する、と昨日まで説明してきた。
しかし、現実なり現象を責任感を持って、謙虚に眺めてみても問題が良く見えてこない、という人がいる。それは、責任感の意味をよく理解していない人だ。
現実にはいつでもあるべき姿というものがある。社会人とは常に社会のあるべき姿を規範にして生きてゆく努力をしなければならない。
このような不断の心がけをしておれば、あるべき姿と現実との乖離が見えてくる。ドラッカーはこれを「問題」として定義している。
自然現象に対しても同様で、形式知から当たり前の現象が起きていないならば、そこに問題がある。そして問題を引き起こしている機能がある。
ヒューリスティックな解を得るコツの一つに、形式知を総動員して現象を記述してみる方法がある。その時形式知から考えておかしいことが見えてくる。その時新しい機能が見えてくる。
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